香りの魔女が普通にヤバかったので商談を持ちかけました
「善は急げ、利益は逃すな、有能な外注先は囲い込め。これ、商売の鉄則よ」
翌朝。私は鼻息荒く、学園の北側に位置する「薬草園」へと直行した。
……が。
「……えっ、門前払い?」
「当たり前だ、リネット嬢。ここは成績上位三十名にしか立ち入り許可が下りない。君の最近の成績……特に薬草学、下から数えた方が早いだろう?」
門番の学園騎士に冷たくあしらわれ、私は白目を剥いた。
そうだった。前世の記憶が戻る前の私、ケイン様を追いかけ回すのと刺繍に呪いを込めるのに忙しすぎて、座学は壊滅的。今の私は、学園的にはただの「素行不良な赤点令嬢」なのだ。
「……っ、なんという経営資源の無駄遣い! 過去の自分をデッドボールで仕留めたいわ……!」
「……困っているのかい、リネット?」
背後からかかった甘い声に、私は本日二度目の白目を剥きそうになった。ケイン・アッシュフォード。成績優秀、眉目秀麗、そして今の私にとっては「最大級の営業妨害」。
「あ、アッシュフォード様。……いえ、ただの散歩ですのでお気になさらず」
「嘘だね。さっきから門番に食い下がっていたじゃないか。……中に入りたいんだろう? 僕の同伴なら許可が出るよ」
ケイン様は、私の首元にあるブローチを、どこか熱を帯びた目で見つめた。
「……そのブローチ。この前見せてくれたハンカチもそうだけど、君の刺繍は、なんだか目が離せなくなる。……少しだけでいい。中を案内しながら、その技術の話を聞かせてくれないかな」
(……マズいわね。食い下がられる方が面倒だわ。ここは大人しく利用させてもらいましょう)
ケイン様の同伴(という名の通行証)のもと、私はようやく薬草園へと足を踏み入れた。
そこには、気性の荒い魔犬が番犬として配置されている。侵入者に牙を剥く猛犬であり、この番犬に門番が許可を出さない限り採取は不可能だ。……本来ならば。
「……おや、妙だね」
隣を歩くケイン様が、鋭く目を細めた。
視線の先では、番犬の一頭が、まるで酒でも飲んだかのようにフラフラと千鳥足で歩いている。
「あいつ、この前の訓練ではあんなに獰猛だったのに。……なんだか、ひどく眠そうだ」
(……やっぱり。現場はここね)
私はケイン様が番犬の様子に気を取られている隙を突き、懐から厳重に梱包している昨夜切り刻んだ「香り袋」の残骸を取り出した。ピンセットで、ほんの数粒のハーブを、風上にいた別の番犬の鼻先に放り投げる。
「グルル……ッ?」
勇猛なはずの番犬が、そのハーブを嗅いだ瞬間。
ピクン、と耳を震わせたかと思うと、一瞬で瞳がトロンと濁り、酔っ払ったようにその場に座り込んだ。……完全に、キマっている。
(……っ、劇物すぎるわ!)
私は背筋に冷たいものが走るのを感じた。
昨夜、自室で私が感じた「抗えない誘惑」。それは猛犬の闘争本能さえも一秒で粉砕する。そして月光草の区画には、不自然に、けれど手慣れた手つきで採取された痕跡があった。
(これを、ミレイユ・ローランは涼しい顔で、誰にも気づかれずにやってのけているというの……?)
さて、どう落とすか。
薬草園を出た後、私はケイン様を適当に撒こうとしたが、彼は「リネット、さっきの犬の様子、君はどう思う? ……それと、放課後のディナーなんだけど」と、必死に会話を繋ごうとしてくる。
(無視よ。今は利益の話だけを考えなさい、リネット!)
ミレイユの技術は確かだ。だが、あの番犬を無力化したハーブには、まだ私の知らない「弛緩剤」の気配が混ざっている。
魔女を更生させるんじゃない。魔女のまま、最高経営責任者に引き上げるのよ!
昼休み、私は中庭の回廊で、ついに「彼女」とすれ違った。
周囲には十数人の令嬢が侍っている。だが、おかしい。
彼女たちが扇を広げるタイミング、歩幅、さらには瞬きの周期までが、まるでお揃いの操り人形のように完璧に同期しているのだ。
「……あら」
中心にいたミレイユ・ローランが立ち止まった。
すると、背後の令嬢たちも機械的な音を立てるような正確さで、一斉に動きを止める。
ミレイユの視線が、私の首元――自作の「香気遮断用フィルター入り立体刺繍ブローチ」に注がれた。
「リネット・エルバート様。……珍しいものを着けていらっしゃるのね。私の香りが、お気に召さないかしら?」
鈴を転がすような声。だが、その瞳の奥には、剥き出しの警戒心が潜んでいた。
「ええ、仕事中は嗅覚をクリアにしておきたい主義ですので。……それにミレイユ様」
私は一歩踏み込み、彼女にだけ聞こえる低声で、商談を叩きつけた。
「あの魔犬をも一瞬で骨抜きにする月光草の扱い……実に見事ですわ。ですが、その技術にあと少しだけ『浄化作用のある薬草』を足せば、依存性をカットし、集中力を三倍に高める最高級の商材になりますの。……私と組めば、それを王家御用達の逸品として、今の十倍の価格で流通させて差し上げますわよ?」
ミレイユの動きが、ぴたりと止まる。
支配のための道具を、よりによって「商材」と呼び、あろうことか改良案まで提示した女だ、警戒して当然だ。
彼女はゆっくりと扇で口元を隠し、冷酷な、けれどどこか楽しげな笑みを浮かべた。
「……ふふ。面白い方。あなたは、あのケイン様を薬漬けにしようとしていた『同類』だと思っていたけれど」
ミレイユは私の耳元に顔を寄せ、囁いた。
「どうして、私が月光草を『調達』していると分かったのかしら? ……あなたを私のお茶会に『招待』した覚えはないのだけれど」
現場を見られたわけでもないのに、あたかも、私が「彼女の秘密」を覗き見たかのような言い草。
ミレイユは私の反応を楽しむように一瞥すると、背後の人形たちを引き連れて去っていった。その際、令嬢たちは全員が、一糸乱れぬ動きで私を睨みつけてから去った。
「……リネット」
ミレイユたちが角を曲がった直後。
私のすぐ後ろから、低く、緊張した声が響いた。いつの間にか戻っていたらしいケイン様が、強張った顔で彼女たちが去った廊下を見つめている。
「今の……さっきの薬草園の番犬と同じだ。あの子たち、瞳の焦点が合っていなかった。……あれは、普通じゃない」
さすが攻略対象、洞察力だけは無駄に鋭い。
私は、自分の記憶を疑い始めた不安を押し隠し、ゆっくりと振り返った。
「……気づいてしまいましたか。彼女こそが、あの番犬をも――」
「いや、君も気づいているんだろう? 彼女たちの動き、まるで糸で操られる人形みたいだった。……君、あんな危険な相手に何を話していたんだ。危ないよ。……しばらく僕が傍についていようか?」
心配そうな、けれどどこか嬉しそうな顔で一歩歩み寄ってくる彼を、私は冷淡な一瞥で押し留めた。
「……あ、アッシュフォード様。ついてこなくていいです。営業妨害ですので、早く教室にお戻りください」
「……僕、今すごく真剣に君のことを心配してるんだけど」
「お気遣いどうも。さようなら」
肩を落とす彼を置き去りにして、私は猛スピードで歩き出した。
ケイン様の言う通り、状況は異常だ。フェリスの「魔女」としての能力、そしてあの香り袋に入っていた「精神の弛緩剤」の正体。
(あれを提供した人物が別にいるのだとしたら、私のビジネスプランに大きな修正が必要になるかもしれない――)
中庭に差し込む陽光が、なぜか一瞬、ひどく寒々しいものに見えた。




