表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/9

砦への道

 重い扉が軋む音を立てて閉じると、大広間のざわめきは一瞬で背後に遠ざかった。

 冷たい石畳の廊下に出た途端、私は深く息をついた。

 肩の力が抜けるどころか、胸が締めつけられる。

 王室の重々しい空気に押しつぶされそうになっていたのだと、その瞬間に気づいた。

 「……大丈夫か?」

 すぐ隣を歩くカイルが低く声をかけてきた。

 「はい……いや、正直まだ全然、大丈夫じゃないけど……」

 私は苦笑混じりに答えたが、足取りは重いままだ。

 ティアナが前を歩きながらくるりと振り返った。

 彼女の魔導書を抱える手にはギュッと力がこもっていた。

 「リナ、顔が真っ青だよ。……怖い?」

 私は思わず足を止めてしまった。

 ティアナの真剣な視線がまっすぐに刺さる。

 「……うん。怖いよ。正直、全部夢みたいで……頭の中がぐちゃぐちゃ」

 ティアナは一歩近づき、私の手を取った。

 彼女の指先は驚くほど温かかった。

 「大丈夫。私も最初はそうだったし、カイルだってそう。

 誰だって怖いんだよ。でも、一人じゃない」

 彼女は小さく微笑んで続けた。

 「私たちが一緒にいるから、リナは一人で背負わなくていいんだ」

 「……ありがとう、ティアナ」

 胸がじんわりと温かくなる。私は彼女の手を握り返した。

 「ほら、足を止めるな」

 カイルが振り返って言った。

 「敵は待ってくれない。国境の砦は半壊しているんだ。急がなければ……」

 その声に私たちは再び歩き出した。

 王城の石の廊下を抜けると、外の冷たい空気が頬を刺した。

 「寒い……」

 思わず呟くと、ティアナが自分のローブを脱ぎ、私の肩に掛けてくれた。

 「ほら、震えてたら剣なんて持てないでしょ」

 「……ありがとう。でもティアナは?」

 「私は魔法で温まるから平気!」

 彼女は小さく杖を動かし、火花のような魔力を指先に灯した。

 その様子に、少しだけ心が落ち着いた。


 やがて城門が見えてきた。

 そこでは数頭の馬が兵士たちによって用意され、装備の最終確認が行われていた。

 私は見慣れない馬具と重そうな鞍に、思わず後ずさる。

 「……わ、私、乗れるかな」

 声が震える。

 カイルが私の前に立ち、手綱を握って優しく言った。

 「大丈夫だ、怖がるな。馬は人の感情を読む。勇者様が怯えれば、馬も不安になる」

 そう言ってカイルは馬の首を撫で、私を鞍へ導いた。

 ぎこちなく馬にまたがると、地面が急に遠くなり、心臓が早鐘を打った。

 「しっかり手綱を握れ。俺が横にいる」

 カイルの声は低く安定している。その声に少し救われた気がした。

 ティアナが隣で箒に乗りながら言った。

 「よし、準備万端。あとは国境の砦を目指すだけだね」

 その言葉に、私は再び胸の奥がざわつく。砦、魔王軍……未知の存在が待っている場所。

 それでも、足を止めるわけにはいかなかった。


 城門が開き、冷たい風が吹き抜ける。

 私は小さく息を吸い込み、心の中で呟いた。


 ――怖い。でも、逃げたくない。


 馬の蹄が石畳を叩く音が響き、私たちは城下町を抜けて広い街道へと出ていった。


 街道は石畳からやがて土道に変わり、深い森が道の両脇に迫ってきた。

 霧が濃く、馬の蹄音が湿った空気に吸い込まれる。

 私は鞍の上で小さく背を丸めたまま、必死に手綱を握りしめていた。

 馬の背がこんなに高いとは思わなかった。

 「リナ、大丈夫?」

 そばを飛ぶティアナが声をかけてくれる。

 「少しは慣れた?」

 「……まだ怖い。でも、落ちないように頑張る」

 私は弱々しく答えた。

 カイルが先頭で振り返り、私を一瞥する。

 「恐怖は悪いことじゃない。だが、呑まれてはいけない。勇者殿、君はこの世界の希望だ」

 「希望……」

 私はその言葉を口の中で繰り返した。希望なんて、私が?

 死んだ恋人を思い出しては泣いてばかりの私が、希望なんて……。

 「私は……本当に、勇者なんでしょうか」

 つい口に出してしまった。

 カイルは真剣な眼差しを向けた。

 「勇者であるかどうかを決めるのは、君自身だ。

 異世界から呼ばれし者――その力を信じるかどうかだ」

 ティアナが私に小さく笑いかける。

 「私はリナが勇者だって信じるよ。

 だって、普通の人ならこんな状況で馬に乗って国境の砦まで行けないでしょ」

 「……普通じゃない状況なのは確かだね」

 私は小さく苦笑したが、心の奥の不安はまだ消えない。

 そんな中、ふと疑問に思う。

 「わたし……名前言ったっけ……?」

 その疑問は声になっていた。

 「ティアナは鑑定魔法も使えるからな。

  おそらくそれで名前を知ったのだろう」

 「そーいうこと!さすがカイルはわかってる!」

 「俺はな。勇者様はまだいろいろ知らない状況だ。

  言葉足らずのないようにしっかり説明してやれ」

 「は~い」

 何気ない二人の会話だった。

 けれど、それを聞いていてどこか……落ち着くような気がした。


 やがて街道の先に煙が見え始めた。

 黒い煙が空高く立ち昇り、どす黒く渦を巻いている。

 「砦が……」

 馬を降り、森を抜けた先に現れた国境砦の姿は、見るも無惨だった。

 頑丈そうな石造りの城壁には無数のひびが入り、城門は半ば崩れ落ちていた。

 兵士たちの焦燥した怒号が響き、矢が飛び交う音が絶えない。

 「酷い……」

 私は唇を噛み、瓦礫の山と化した砦の内外を見渡した。

 カイルが周囲に素早く目を走らせた。

 「敵はまだ近くにいる。油断するな」

 ティアナは魔導書を抱え直し、杖を構える。

 「……空気が重い。魔王軍の魔力の残滓だわ」

 私の背筋に冷たいものが走る。

 重苦しい空気は呼吸を阻むほどで、世界が私の存在を拒絶しているようにすら感じた。

 そのとき、森の奥から草を踏みしめる音が響いた。

 カイルが剣を抜き放ち、低く命じる。

 「リナ、ティアナ、下がれ」

 私は反射的に後退した。

 霧の向こうから、複数の影がゆっくりと現れる。

 人間に似ているが、皮膚は鱗のように硬質で、眼は血のような赤に染まっている。

 魔族だ――。

 先頭の魔族が、口角を吊り上げて笑った。

 「おやおや……王国の騎士団か。それに……勇者か?」

 「……!」

 私は息を飲む。彼らは私の存在を知っているのか?

 カイルが一歩前に出て剣を構えた。

 「ここで止める。魔王軍の犬ども」

 だが魔族はまるで恐れていない。

 「無駄だ……。お前たち人間にはわからぬのだ、この世界がもう終わりだということが」

 「世界が終わる……?」

 思わず声が漏れた。

 魔族の赤い瞳が私をまっすぐに射抜く。

 「我らの魔王様は、世界を“救おう”としているのだ」

 救う――?

 頭の中が混乱した。

 魔王が世界を破壊していると聞かされていたのに、彼らは救うと言った。

 「何を言ってるの。世界を壊しているのはあなたたち魔王軍でしょ!」

 ティアナが叫んだ。

 「壊す? いいや、これは再構築だ……」

 魔族が一歩踏み出した。

 その刹那、周囲の空気が重く揺らぎ、地面に黒い瘴気が広がる。

 「来るぞ!」

 カイルの号令が響いた。

 私は剣を構えたが、手が震えて刃先が定まらない。

 魔族たちが一斉に襲いかかってきた。


 ――初めての戦場が、すぐそこに迫っていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ