9 黙れゾウ!お前に俺が救えるか!!!
「久しぶり典太君。…だいぶ仕上がってんねえ。」
黄昏の空にキラリと光った物は雲に乗ったガネーシャだった。
「で、どう?楽しかった?」
俺はこの悲惨な一週間のことをガネーシャに話した。
「うんうん、よかったねぇ。」
…ハァ?よくねえナメんな。と怒鳴りつける気力もなかった。一刻も早く帰りたい。
ガネーシャ様、お金ください。帰るカネがないんです…
あと空港入るのにチケットとパスポートいるんでそれもください…
…っていうかその雲何すか?いいなぁ…。俺も空を自由に飛びたいな。
「あー、この雲かい?これはね、げだつ道具の『キントーン・ヴァーハナ』っていうんだ。
マッハ1.5くらいで飛べるからね。飛行機より速いし、便利だよ。…乗る?」
「マジっすか!ガネーシャ様、お願いします!それ乗せてください!うちに帰りたいっす!」
それ思いっきりアレやん…というツッコミを入れる気力はない。もう一刻も早く帰りたい。
「うん、わかったよ。ちょっと僕のお寺でお布施回収してくるから、終わったら一緒に帰ろ。」
『カシャコン』
願い事を一つ消費したので、カウンターが作動した衝撃で右目に激痛が走る。
でもこれでやっと帰れる。
俺はうずくまってニヤニヤしながら目を押さえている。
――典太はこの一週間の修行…?で、それこそ高位のサドゥー(修行者)のような『仕上がった』風貌となっていた。
だがこの地バラナシ、ガンジス川の畔には典太のような風貌の修行者は特別なものではなく、いくらでもいる。
「…神が…ガネーシャ様が降臨されてあの修行者に悟りを授けられた。」
「我々には神とあの修行者の話している言葉が分からない。
…おそらく神聖言語だろう。我々もまだ修業が足りぬようだ。」
あの修行者は神の降臨に触れ、涙を流しながら神に縋った。
その後神はあの修行者に御神託を下された。
修行者の中で煩悩との戦いが始まり苦しみが始まった。
しかしあの至福の表情を見よ。あれが「法悦」というものだろう。
…そう解釈した他の修行者達が典太の周りに集まり始めた。
***
10分ほど目を押さえてニヤニヤしながら悶絶していると、ガネーシャが帰ってきた。
さっきから何故か俺の周りに集まってどよめいていた修行者たちが、帰ってきたガネーシャを見つけ、涙を流しながらひれ伏している。
「さ、典太君。帰ろ。」
いつも禄でもない道具ばかり出して散々な目に遭わされ、殺してやろうかとばかり思っていたが、この時ばかりは本当に神に救われた気分だった。
…この時『ばかり』はな…。
「ズボッ」
…おかしい。何度乗ろうとしてもすり抜ける。なんで?
――あれは神の試練だろう。
しかしあの修行者の落胆の表情を見ると、うまくいっていないように見える。
見よ。神は黙しておられる。
ああ、悟りというものはかくも遠きものなのか…。
周りの修行者達から小さく落胆の声が漏れる。
***
「おかしいなあ…こないだ『スダルシャナ・チャクラ』でバラバラになった時、君のカルマだいぶ落ちたハズだし、こないだのダーナ(喜捨)の行でこれに乗れるくらいにはカルマも落ちてる筈なんだけどなあ…」
なんと、俺はあの時キッズ・ヴェーダとかいうイカれたおもちゃを叩きつけて壊してしまったが、あれだけバクシーシに誘導してきたのは、あの殺人神器をもってしても浄化しきれなかったカルマを背負った俺の救済のためだったのか…俺の逆恨みだった。
すまん、ガネーシャ!
「…ちょっと待って、今『キッズ・ヴェーダ』を壊したとか言った?」
いや言ってないっす。思いましたが。…ってか俺の心の声、読まれてる?
「ぼく神様。全知全能だよ?」
俺は瞑想を始め、心を無にした。
――先程あの修行者は神の試練に失敗したように見えたが、その後神と対話し、瞑想を始めた。
悟りへの道は容易ではない。
神はあの修行者を見捨てず、もう一度機会を授けられたのだろう。
典太の周りに集まった修行者達は、神の慈悲深さに咽び泣いた。
***
「…おーい、典太君。…多分原因それだよ。あんなんでも立派な神器だ。
人の手でそれを壊すなんて…そりゃカルマたまるよ?」
…俺は瞑想をやめた。
「まて聞いてねえぞコラ。…それで…どうなるんです?」
「なんかキャラが忙しいねえ。この『キントーン・ヴァーハナ』はね、心が清らかな人でないと乗れないよ。保有カルマポイントが5000を超えると、乗れない。…困ったな。」
ガネーシャは結跏趺坐を組み、思考を始めた。
――神は瞑想を始め、その背後から後光が走り始めた。
その神々しい姿は、見ているだけでも己の煩悩が焼かれ消滅していくようだ。
愚かな。神気に当てられた修行者達数人が失神し、痙攣しながら小便を漏らしている。
…神を前に見苦しい。
しかし神は平然と瞑想を続けておられる。
…あそこで倒れ小便を漏らしている修行者に気を取られたことこそが煩悩ということか。
***
…ああ、俺のためにこんなに真剣に悩んでくれる人…神様がいたなんて。
「いやね、君さっき僕に『雲に乗せて帰らせてくれ』って頼んだよね。
ぼくは願いを叶える神だ。君の望みを聞いてしまった以上、それを叶えないと僕の神である前提が満たせない。
しかし君は業が深すぎてこの雲には乗れない…さてどうしよっか。」
…おいコラ。
要はあれだけウンウン考えているのは、俺の為ではない。
神としての自己定義の矛盾を解消するためだったのだ。
奴は自らを『願いを叶える神』と定義し、俺に『願いを叶える』と約束した。そして俺は奴に『雲に乗せてデリーに移動させる』ことを願った。しかし『俺は雲に乗れない』。しかし雲に乗れないと俺の『願いは叶わない』ので、『願いを叶える神』という前提が満たせない。これはいわば神と人間の契約で、履行されなければならない。そのためには『俺を雲に乗せる』必要がある。しかし『俺は雲に乗れない』…と思考がループしているようだ。
この思考パターンの行きつく先は、破綻からの暴走だ。嫌な予感しかしねえ。
――ああ、瞑想を終えた神があの修行者に新たな啓示を授けられた。
あの修行者の表情が真剣なものに変わった。
今度こそ悟りを開かれたのだろう。
神はあの修行者を慈悲の目で見つめている。
…そう、あの修行者は神の導きにより、モークシャ(解脱)に至ったのだ。
ああ、聖者様…周りに集まっていた修行者は典太に手を合わせ、祈り始めた。
***
「…!そうだ!あれを出そう。ガンジープリズムパワー・メークウィッシュ!」
ガネーシャの手の中に、神々しい装飾の入った金色に光り輝く棍棒のようなものが現れた。
『カシャコン』
だぁあああ!それマジで痛ってえからいきなり出すんじゃねえ!
俺は目を押さえ、首を垂れるようにガネーシャに膝をつく形でうずくまって痛みに耐えている。
――唐突に神々しい神器を召喚した神を目にした群衆は、驚きの声を上げて一斉に跪く。
全員涙を流して震えている。
…そしてあの聖者様は、神の最前に首を垂れ、跪いている。
***
「これはね、げだつ道具の『カウモダキ』っていうんだ。ヴィシュヌ先生から借りてきたよ。
これでね、君の後頭部をぶん殴って殺害する。そうすると、君は『モノ』になるから、カルマも何も関係なくなって僕の雲に載せられるようになるよ。」
「…あー、やっぱそうきたかこのサイコパス!人の心とかないんか!」
「んー、だって僕神様だよ?人間の倫理とか超越した存在だよ?」
馬鹿野郎!そういう問題じゃねえ!
「待て待て、俺との約束を思い出せ。お前は俺の願いを1000個叶えると言った。ここで俺が死んだら次の願いが出て来ないから契約不履行になるぞ?」
「大丈夫大丈夫。着いたらまた蘇らせてあげるから。」
ここで俺の体に異変が起きる。
この一週間、毎日100ルピーも稼げず、碌にモノも食べていないし、辛うじてありつけたものはそのまま腸を素通りして尻から出るような代物で、代謝の落ち始める30代後半であっても圧倒的にカロリーが足りていなかった。
頭に血の上った俺は、他の部分の血が足りなくなり、ぱたりとその場に倒れる。
…さっきから俺の周りにいるやつらから小さくどよめきが上がる。
――見よ、聖者様がお倒れになった。
「神よ、その慈悲によりここに集う者を導かれん」
我々は神聖言語を解さない。しかしあの聖者様は確かにこう叫ばれた。
そしてその五体を地に投げうたれた。
神はあの神器を掲げ、天と地を繋ぐ儀式を始められたようだ。
…ああ神よ、我らにも悟りを授け給え。
***
「じゃーいくよー!」
ガネーシャはカウモダキを俺の頭に振り下ろす。
そして俺は脳髄をブチまけ、意志とカルマをその内に秘めた『人間』から、『モノ』になった。
(…いいかい、典太君。この街、バラナシはね、死を待つ者と、それを見送る者、そしてそれに向き合い静かに祈る者が集まる神聖な街なんだ。)
…今際の際に、ガネーシャの語った言葉を思い出した。
――ああ、あの聖者様は神のお導きによって輪廻転生の輪から抜けられたのだ。
そして神に選ばれしあの聖者様は、最後にして最大の喜捨として自らの身を神に差し出された。
それは我らを悟りへと導くため。
その証拠に、あの聖者様は神自らの手でそのご遺体を運ばれ、雲に乗って天に昇って行かれる…
上空へと昇ってゆくガネーシャを、下界の信徒たちは涙を流しながら祈り、見送り続けた。
その日、新たな宗派が誕生した。
今回の願い事 2回
残りの願い事 989回
死とは、恐れるべきものではございません。
それは語ることの終わりではなく──語りの形が変わるだけのことでございます。
人の命とは、音に似ております。
言葉が連なり、響きを残しながら、やがて静寂に還る。
その沈黙を「死」と呼ぶならば──それは、次の響きを待つ一瞬の祈りにすぎませぬ。
一遍上人はおっしゃいました。
「只身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」
つまり、執着や我を離れた時にこそ、流れの中で静かに浮かび、次の命に預けることができるのです。
拙僧も若き日、言葉にしがみつき、声に焦がれ、その果てに沈黙の中でやっとひとつの祈りを見つけました。
語ることをやめた時、かえって人の想いが届いてきたのでございます。
死を悼む心は、優しさの種。
その悲しみは、誰かを思いやる力となる。
その優しさは、やがて語られる言葉になり、また誰かの命を温める布施となる。
どうぞ、亡き者を忘れず、その紡いだ言葉の記憶を胸に、次の祈りを結んでくださいませ。
いま、声を失ったすべての者に、心より。──合掌