14 見せてやんよ!この免許の本当の限界をよォ!!!
――フォォオオオオオン……
人気のない山道に、名器4A-GEの咆哮が反響する。
水温は90度。安定している。
…いける──!
俺はブレーキを残したままステアリングを切り、クラッチを蹴った。
スキール音が山肌に鋭く刺さる。車体が横を向き始める。
「典太君、一万一千回転までキッチリ回せ!」
…ああ、ガネーシャ。よく見てろよ。俺が鼻で笑ったこのクルマの本当の限界を今から見せてやる。
純正タコメーターは既に振り切れている。
ダッシュボード上の外付けタコメーターが、ずっとシフトランプを点滅させている。
白煙が後輪から立ち上り、焼けたゴムの匂いが車内を満たす。
目の前の景色が横に流れ、あたりには大音量のスキール音が轟いていた──。
「バシャッ!」
しまった。コップの水が…!
俺は後頭部をガネーシャに叩き潰され、視界の中で、白煙と意識がゆっくりと薄れていった──。
***
俺のインド免許は1日で出てきた。
ガネーシャの神託パワーと、当局への布施…?も含め多めに渡した現金パワーで、俺の免許は一瞬で完成した。
「おめでとう、典太君。…さあ、日本に行こう。」
俺は撲殺式キントーン・ヴァーハナ移動法で日本に飛んだ。
…ガネーシャさん、あんたテレポートできるんだから次はやめてください。
某県にある免許センターの外免切替受け付けロビーにて。
俺はガネーシャと椅子に座って呼び出しを待っている。
「日本語、よめますかー?ここ、ユアネーム、オーケー?」
ターバンを巻き、髭をワサワサに伸ばした男が、係員と押し問答している。
ロビーの椅子では、中国語を話す男が2人。
何かを食べながら、その食べかすを床に落としている。
試験に落ちたと思しき女が、斡旋業者のような男に聞いたことのない言語で詰め寄っていた。
なぜかこのフロアだけ、トイレが異様に汚い。
「向前一小步,文明一大步」と貼られた注意書きの前には、小便が床に散り、個室を開ければ紙が散らかり便器に大便がこびりついている。
…久々の日本帰還。だが俺には、この場所が『日本』とは思えなかった──。
「50番の乃木さーん?」
…俺の順番だ。
写真が斜めになった、出来たばかりのインド免許証。
今朝チェックインしたホテルで出してもらった在留証明。
それらを握りしめて、俺はカウンターに向かう。
「…乃木さん、残念ですが、要件満たしていないですね。
まず、あちらで免許を取得されてからの日数が足りません。
あと、ジュネーブ条約ってご存じですか?
インドは未締結なので、インドの免許証からの外免切替はできないんですよ。」
…ハァ???
「あのー…なんとかなりませんか?
これが無いと…俺、口座が開けないんで…おカネなくて死んじゃうんです…」
自分で言っていて、情けなくなってきた。涙がこぼれる。
「…そうだ仮免!日本出るとき、仮免持ってたんです。あれでどうにか──」
「残念ですが、無理ですね。」
係員は憐れむような表情をしているが──取り付く島もない。
俺は隣のガネーシャをにらみつける。
頬を汗が伝っているのが見える。
「おい──全知全能の神。」
「…いやごめん典太君。日本は僕らの教えを解さない、不信心者ばかりだから。僕の神力もね…その…」
俺がガネーシャに掴みかかった瞬間、カウンターの係員が、静かに続けた。
「遠いところから来られたのに、申し訳ありません。ご事情も…あったでしょうに。」
係員は、一拍おいてから言った。
「…ところで──
一発試験をご存じですか?」
~~~
運転免許。
これは道開きの神、猿田彦大神の化身、各都道府県公安委員会により、その内に秘めたる運転技能を認められたものに贈られる、神の承認の証である。
大和の民は、神の許しを得るためにまず自動車学校へ通い、およそ一か月のあいだ、路上での教習や座学に励む。
法に従い、技能を磨き、学科試験に合格して免許を手にする。
これが大和の民に示された神の道である。
だが──この国には、ときに現れる。
一切の教習を経ず、己の技術のみで、その日のうちに運転免許を勝ち取る者。
「一発試験」。
それは、神の代理たる試験官の前に立ち、己の操縦術を示し、その技量を認められしとき、授けられる禁断の通行符。
失敗すれば一歩も進めない。技術はもちろん、神の言葉を記したものである道路交通法の知識も試される。
――運転技術審査官の眼差しは八咫烏よりも鋭く、油断は許されぬ。
その目は視認できる運転操作だけではなく、挑戦する者の心の中まで見通し、安全確認を怠った者は容赦なく排除される。
――道路交通法への帰依を試す神の問いは、対偶が正とはならず、包含関係を超越する。
人類の築いた論理体系と異なる、「神の論理」によって測られる。
この試験場は、もはや運転の霊域。
凡人が挑むにはあまりに峻厳──されど、選ばれし者ならば、そこを突破する術もある。
――――ガネーシャ書房 八百万の神、そして運転教習 第2章――――
「だってさ、典太君。…大丈夫?」
『カシャコン』からくる目の痛みは治まったが、俺はそのまま放心して床にうずくまっている。
…一発試験なんて、無理だ。
記憶が蘇る。自動車学校での、俺の滑走。
――ヴゥ~ン!キュルキュル!!…プスン!…坂道発進ではクラッチミートとアクセル開度をミスり、盛大にバーンナウトを噛ました挙句、教官の緊急ブレーキでエンストをかました。
――ギギッ!ゴトン!!バァン!!…左折時に脱輪する左後輪。バーストするタイヤ。驚愕の表情を浮かべる教官。そして刺さる周囲の視線。
――「馬鹿野郎ッ!動かすなッ!!」…路上教習では右折時に道路の真ん中でエンスト。信号も変わり、周囲の車も動き出す。焦って車を進めようとしたところで、教官に鬼の形相で怒鳴られる。
…ダメだ、俺には絶対に無理だ!…口座はもういい。俺はここでこのまま朽ちるんだ…。
「ガンジープリズムパワー・メークウィッシュ!
…典太君、僕はね、困難と闘う力を授ける、願いを叶える神だよ?
やろうじゃないか、一発試験!」
…ガネーシャ…。お前は眩しいよ。でも俺には……あ、その道具はやめて!
「さあ、特訓だよ典太君。『どこでもゴープラム』!!…行こう、『アートマンとサンサーラの部屋』へ。」
免許センターの職員や来訪者が驚愕の視線で見守る中、俺は扉の中にブチ込まれた。
今回の願い事 4回
残りの願い事 976回
運転とは、ただ機械を操る行為にあらず。
それは行為・反応・意識の三業を調える修行にほかなりません。
ハンドルとは、己が心を転ずる法輪。
アクセルとは、欲の象徴なれども、慈悲と戒により制御されれば、衆生を運ぶ舟ともなりましょう。
道に出るとき、人は煩悩に晒されます。
怒り、焦り、競争心、虚栄心──それらを乗り越えるための教習こそ、修行の場。
「安全確認を怠ることなかれ」
「譲る心を失うことなかれ」
「急がば回れ」──これらは、交通の戒律にして、仏道の真理でございます。
車のスピードが上がるごとに、心の制動を忘れてはなりませぬ。
速さに酔い、視野を狭め、己を中心に世界を見れば──それは道を誤る一歩となります。
されど、免許を持つ者が戒を守り、智慧をもって運転するならば──道路は、安全と慈悲に満ちた、解脱に至る道となるのです。
今日ハンドルを握るその手が、誰かの命を守るためのものとなりますように。
今日アクセルを踏むその足が、急ぐためでなく、共に進むためのものとなりますように。
免許とは、運転という行為を、悟りへの実践に転じるための証。
その一枚が、日々の道行きを照らす灯となりますよう──
──合掌。




