ブルーローズなキミ
目の前に色がるブルーローズのフラワースタンド。この数が、彼の人気の証であろう。彼に宛てて贈られたフラワースタンドの前で、多くのファンが笑顔で写真を撮っていた。彼の代名詞ともいえる『ブルーローズ』。この薔薇をファンが彼に贈ることには、意味がある。
元5人組アイドルであった蒼井希星は、一人、ステージ袖で緊張のあまり震えていた。
「大丈夫、大丈夫。ステージに上がっても……大丈夫。僕は、決して一人じゃない」
全ての音や見えるものをシャットアウトするように、耳に手を当て、目をきつく瞑る。まじないをかけるように、さっきから何度も同じ言葉を繰り返しては、弱気になっていた。
イヤモニから聞こえてくるスタッフの声にびっくりして、握っていたマイクを落としてしまう。
「大丈夫、一人じゃない」
知らぬ間に近くに来ていたマネージャーがそっと背を撫でた後、耳にあてていた手を取ってくれる。聞こえてくるのは、ざわざわとしたコンサート会場の観客の声。まだかまだかと期待をしている熱い空気が伝わってきた。
頷くマネージャーに頷いた。
希星がこうなったのには、理由があった。
5年前、アイドルグループからの突然の解雇通告。5人でアイドルとして、苦楽を共にステージへ立ってきたにも関わらず、その仲間からグループを追放されてしまったのだ。
希星には、自身が何故、グループを追放されたのかわからず、何度も話し合いの場を設けてほしいとメンバーや事務所に掛け合ったが、無視をされる日々。
そのうち、同じアイドルグループのファンの子たちからも嫌がらせや誹謗中傷をされるようになり、芸能界から姿を消すことになった。
一人きりになったとしても、希星としての人生が終わったわけではなく、日常は続いていく。無くなったのは、テレビに映る煌びやかな世界から、自身が弾き飛ばされたという現実と仲間だったはずのメンバーが、まるで希星が元からいなかったように活躍をしている姿を見せられる日々だ。
表舞台から姿を消したとしても、相変わらず、有りもしないことでバッシングされ、家族にまで迷惑が掛かるようになった。SNSで、嫌がらせ等をやめるように呼び掛けても、火に油を注ぐように炎上していく。
自身ではどうすることもできず、日に日に部屋に籠っていった。暗闇に光るスマホに書かれている自身の悪評を目で追いながら涙を流しては、「僕はなんてダメなヤツなんだろう」と責めるようになっていった。
家族や近しい友人たちは、少しずつ壊れていく希星を優しく支えてくれたが、とうとう緊張の糸が切れたように、隠し持っていた睡眠薬を大量に飲み干した。記憶に残っているのは、空になった瓶が、部屋を転げる音だけだ。
希星の母が、異変に気が付き、救急車で病院へ運ばれ一命を取り留めた。
病院での入院をきっかけに、診断されたのは「うつ病」。重度のものと判断され、しばらくの間、入院をし、希星はカウンセリングを受けることになった。入院にまでなったのは、母たって願いだった。
「先生、僕は、一体、何をしたのでしょうか?」
カウンセリングの中、希星がポツリと呟いた。入院してから、何度となくカウンセリングが行われたが、言葉を発することはなかった。そんななか、呟いた言葉を側で聞いていた母が静かに涙を拭った。
実際、希星がアイドルグループを追い出された理由はわかっていなかった。何か事件を起こしたわけでもない。ひたむきに、アイドルという職業に取り組んでいただけのことだ。他の四人に比べ、人気が出るのに時間がかかったが、ようやく他の四人に追いつくことができた矢先のことだった。
「希星さん、あなたは、何も悪いことはしていません。自身を責めることは必要ありません」
「……僕は、純粋に歌が好きで、ダンスが好きで、あのキラキラと輝くステージに立てることにとても喜びを感じていました。他の四人に比べ、知名度も人気もありませんでしたが、僕を認めてくれるファンの人もいました。僕は、僕は……自身の夢のためにステージに立っていましたが……誰かに指を指されるようなことはしてこなかったはずです。何がいけなかったのでしょう」
誰にも言えず、胸の中で燻っていたものが、涙ながらにあふれてきた。記憶に残るステージで輝いていた自分を思い出したあと、布団に包まり薄暗い部屋の中で空虚にスマホを見つめていた日々が思い浮かび、その場で嘔吐した。
「希星さん!」
医師に背中をさすられながら、希星は過呼吸気味になり意識を放り投げた。そうすることで、自身の中に籠ってしまいたかった。ステージで輝いていた自分を思い出したくなかったのだ。
「……お母様、希星さんは、もしかすると過去の記憶により、今後もこのような症状を繰り返すことになるかもしれません。記憶を辿ったとき、極度のストレスを感じるようです」
「それじゃあ、もう……」
「希星さんが望むように、ステージに戻れる可能性は低いかと。希星さんが、今後のことをどう選択していくのか、お母様も含め、ゆっくり相談しましょう。人生は、とても長いのです。違う道を選ぶことも、彼のためには必要かもしれません」
希星の母は、ベッドで眠る息子を見ながら、医師の話を聞いていた。小さい頃からのことを考えれば、涙はとまりそうにない。ただ、自身が泣いたとしても、それ以上に悔しい思いをしているのは、他ならぬ希星なのだと涙を拭うしかなかった。
「わかりました。息子には、アイドル以外にも道があることも含め、今後のことはゆっくり決めていきます。今は、ただ、がんばってきたあの子を休ませてあげたいです」
入院はしばらく続いていた。ベッドの側で、母が好きな歌謡曲を歌っていることに気が付き、目が覚めた。希星は、母の歌声を静かに聞くことにした。入院してからというもの、いや、希星がアイドルグループから追放されて以降、歌好きだった母は、大好きだった歌を口ずさむことさえなくなっていたことに、このとき気が付いた。小さい頃から、子守歌の代わりに聞いていた歌は耳にとてもよくなじみ、いつしか希星も一緒に口ずさむ。
「起きたのかい?」
「うん。お母さん、もう一度、歌ってくれない?」
懐かしい歌を母と一緒に歌う。久しぶりに病室には陰気な空気は消え失せ、春の暖かな風が舞い込んできたような気持ちになった。
「……歌っていいな」
「そうかい?」
「うん。歌には、思い出があるよ。この曲は、お母さんと僕の繋がりだと思う」
母が手を握ってくれ、その手の皺の多さに驚いた。
……苦労を掛けたんだ。心配もたくさんしてくれた。僕のためになんていったら、きっとお母さんは、バカだね? 当たり前でしょ? と笑うんだ。
胸が詰まるような思いを外に出さないように希星は笑ったが、母にはお見通しであったようだ。胸に希星を抱き、「大丈夫よ」とだけ囁いた。
「お母さん、もう一度、歌を歌おう。……僕の歌も、誰かに届いたかな?」
「希星は、本当にバカね? 届いたから、あなたの帰りを待っていてくれる人がいるのよ」
「えっ?」
「ほら、ここにいるでしょ?」
ニコリと笑う母を見て、希星も笑顔になる。自身の暗くなった未来ばかりを考えて、誰かのことなど考えたこともなかったのだ。それに気が付き、申し訳なく思うと、母は首を横に振る。アイドル時代、ソロで歌った曲を母が歌うので、希星も一緒になって歌う。夢に向かう気持ちを歌った曲であった。
「失礼します」と急に看護師が部屋に入ってきた。歌声が部屋から聞こえてきたので、希星に渡すかどうか、医師とも相談したうえで、部屋に持ってきてくれたらしい花束。
「素敵な色ですね」
「推しカラーっていうんですよ。たぶん……。僕のイメージカラーが青だったので」
「蒼井さんだから?」
「そうです。蒼井だから、青。こんな綺麗な花束は、初めていただきました。珍しいですよね?」
「そうですね。ブルーローズを贈ってくださった方は、蒼井さんのことを希望だと思っていらっしゃるのかも」
「……希望ですか?」
「あら、希星」
「どうかした? お母さん」
「あなたの名前も希望の星よ?」
「……改めて言われると恥ずかしいけど……」
「青薔薇は、奇跡とか夢を叶えるという意味があるそうです」
「それが、希望?」
希星は看護師を見つめ、よくわからないと首を傾げた。そのしぐさに、看護師はくすっと笑う。
「奇跡は、偶然起こるわけではありません。蒼井さんが積み重ねたものが、形になって起こる現象ですから、この青薔薇を贈ってくださった方は、そんな蒼井さんに希望を見出したのかなって……。看護師の私が、こんな話をするのはよくないですが」
「……誰かの心に、届いていたってことか。改めて、歌ってすごいな。そう思わない? お母さん」
「そうね」
「……もう一度、歌ってみようかな。歌は、僕にとってすべてだし」
「お花、花瓶に入れてきますね」と看護師は部屋を出ていった。それを見送り、小さく息を吐く。まだ、歌を歌うことに抵抗もある。正直、母と歌ったときは、なんとも思わなかったが、いざ、一人で歌おうとすると、喉がつかえて声が出なかった。
「焦る必要はないよ。希星のペースでやりたいことをしなさい。私は、希星の背中を見守ることしかできないから」
母が微笑むので、もう一度、一緒に歌いたいとお願いをする。一人で歌えなかったとしても、母と一緒なら歌えたので、何度か歌った。そのうちの1回を録音する。
「……SNS、投稿しても大丈夫かな?」
「……それは」
「お礼、言えてないから……この薔薇のお礼を言いたい」
希星は、病室で青薔薇の写真を撮った。入院中であること、青薔薇を贈ってくれた人への感謝を伝えたかったと書き込み、母と一緒に歌った録音を添えた。
もちろん、コメントが殺到した。いいものばかりではなく、アンチコメントもたくさんきたが、薔薇の送り主からのメッセージを見つけた。
「お母さん、僕の声は、誰かに届いていたんだね」
コメントを見ながら、涙が流れた。アンチコメントで胸が苦しかったが、それ以上に『素敵な歌声を聞かせてくれてありがとう』や『入院しているの? 一日も早く回復しますように』など、温かいメッセージも次々と送られてくる。
苦しく暗闇にいた自身に、小さな光が見えた気がした。
5年の月日が経った。
SNSを再開したことをきっかけに、別の事務所へ入ることになり、メンタル面を考えながら少しずつ仕事をすることにした。表舞台に立つことは、体調やメンタルの関係で、すぐには叶わず、ゆっくりと確実に前に進むよう、歌だけでなく、他のことにも注力することにした。
何より、心のケアをしないと、目標にしている場所には立てないからだ。
「そろそろ、大きな仕事を入れてみたいのだけど……やってみる?」
マネージャーからの提案は、復帰ライブであった。曲を出したり、SNSでの発信をしたりはしていたが、未だ、ファンの前に出ることができなかった。
「……もし、歌えなくなったら?」
「そうね……私たちが代わりに歌うか、あなたのファンに背中を押してもらいましょう。希星が何より力になるのは、自身のためというより、ここまで応援してくれたファンの声でもあることだし……ライブには、メンタル面のことも考慮して、当日中止になることも書き添えましょう」
「……情けないな」
「どうして?」
「お金を払って、来てくれるのに、僕は、何もできないなんて」
「できないって決めつけるのは、早いわよ。ステージに立って、あなた自身への声に耳をかたむけなさい。いいことも悪いことも受け止めるのよ」
希星は、マネージャーの言う「いいことも悪いことも」の部分に心が重くなった。次の瞬間、背中を強く叩かれ、驚くとニッと笑っている。
「一人で受け止める必要はないわよ。私は、元々、希星のファンだったんだし、事務所に他のマネジメントを外して希星のマネージャーになりたいと直談判してまで、あなたをステージにあげたかったの。私のエゴで動いてしまって希星の負担になっているんじゃないかって悩んだ日もあったけど、私は希星の復活を希望している。それは、私だけじゃない! 悪いことは、私も一緒に受け止めるわ。嫌なこと、傷つくこと、当人でなくて全てを受け止めきれないかもしれないけど、一緒に前に進みましょう」
このマネージャーの熱意が、ステージへの希望となり、二歩目を進んだことを思い出して笑ってしまった。
「ブルーローズのキミ」
「……何?」
「作詞作曲してみたんだ。それ、歌ってもいいかな?」
「新曲?」
「そう。これは、音源にしないでおきたいんだけど……」
「ステージ限定の曲ね。いいわ。そういうことなら、進めましょう」
すでに事務所への許可を取るべく動いていたようで、企画書が出来上がっていたことに、希星は苦笑いをする。仕事の早いマネージャーは、すでに、未来に向かって駆けているようだ。グズグズと足踏みをしていたことに情けなく感じてしまうが、それに気が付くマネージャーに「希星のペースで進めるから、安心しなさい」とだけ付け加えてくれた。
それからは、怒涛のような日々だ。ライブが決まれば、会場や衣装、セットリストを作ったり、ステージの演出をしたりと、やることがたくさんだ。悩んでいる暇は与えられず、ライブの前日を迎えた。
「……大丈夫」
「大丈夫」
「歌えなくなったら……」
「歌えるわよ。歌えなかったら、しゃべりたおしてあげなさい。なんなら、朗読会にしてしまってもいいし……、歌にこだわらなくてもいい。ダンスを踊り続けてもいいし、ステージの上は、希星の自由にしていいのよ。ステージに立てないなら、それはそれで、ちゃんと準備したでしょ?」
「……でも、それは」
「いいの。私が推し進めたのだから、私に責任を取らせておけばね。さぁ、明日は、めいっぱい楽しみましょう! お母様も来るのでしょ?」
「……はい。心配してくれていたので。友人も……」
「怖くなったら、お母様の顔を見て歌ってもいいし、私たちを見てくれてもいいわ。みんな、希星が見える場所に待機しているから」
当日になって、時間が迫ってくると、周りの空気も変わってくる。それは、あのアイドルグループのときも味わった緊張感と高揚感。それとは別に、恐怖があった。
失敗したらどうしよう?
歌えなかったらどうしよう?
ファンががっかりしたらどうしよう?
マネージャーに背中を押されたとしても、心に積もっていた暗い感情が呼び起され、不安は次々と湧いてくる。
「希星!」
一人のファンの声が聞こえてきた。不安で俯いてしまっていたが、一人の声が少しずつ増えていく。それに耳を傾ける。
「……呼んでくれている」
視線は上がり、ステージの真ん中へと希星は、駆けて行った。スポットライトが当たった瞬間、一瞬の静寂とともに、ひと際大きな歓声と希星の名を呼ぶファンの声が会場に響きわたった。