冷徹公爵の契約妻は、実は溺愛されてました ~氷の旦那様が私にだけ甘すぎます~
辺境の地に暮らす貧乏貴族の娘として、私はただ静かに日々を過ごしていました。雨漏りする屋根、質素な食事。それでも、家族とのささやかながらも温かい生活を大切に思っていたんです。でも、そんな平穏な日々は、ある日突然もたらされた「縁談」によって打ち破られました。
相手は、この国で知らない者はいないほどの大貴族、公爵エルキュール・ド・ヴァレンティーヌ。その名は、私のような辺境の貴族でも耳にするほどでした。彼は若くして公爵の地位にありながら、その冷徹な性格と一切の表情を崩さないことから、「氷の公爵」と揶揄されていると聞いていました。私のような何の取り柄もない娘に、なぜ彼からの縁談が? その理由はすぐに分かりました。破格の持参金と引き換えに、我が家の抱える巨額の借金を肩代わりするというのです。それは、私を娶るというよりは、文字通りの「契約」でした。
「お父様、本当に私でいいのでしょうか……?」私は震える声で父に尋ねました。
父は私の肩を強く抱きしめ、目に涙を浮かべながら言いました。
「お前のおかげで、この家は救われるんだ。ありがとう、本当にありがとう……」
家族を救うため、私はこの政略結婚を受け入れるしかありませんでした。
結婚式は、公爵家の一角で簡素に執り行われました。純白のドレスに身を包み、私は初めて公爵エルキュールと向かい合いました。その容姿は噂に違わず、整った顔立ちには一切の感情が読み取れず、ただ凍えるような視線が私を射抜きます。
「……本日より、お前は私の妻となる」
彼の声は低く、感情を感じさせません。彼の差し出す手を取るたびに、まるで氷に触れたかのような冷たさに、私の心は一層凍てつきました。
公爵邸での生活は、形式的なものから始まりました。朝食は必ず公爵と共に取りますが、会話は天気や社交界の動向といった事務的なものばかり。
「今日の午後は、公爵夫人の務めとして、孤児院の視察に向かわれると聞きました」
執事が淡々と告げます。
「ええ、承知しております」私は無難に答えるしかありませんでした。
彼は私に最低限の敬意は払うものの、決して個人的な話題に触れることはありませんでした。私は豪華な調度品に囲まれながらも、透明な壁に隔てられているかのような寂しさを感じていました。これが、契約結婚。そう自分に言い聞かせる日々でした。
ある日、私は公爵邸の図書室で、うっかり貴重な書物を床に落としてしまいました。慌てて拾い上げようとした瞬間、本棚の角に額をぶつけ、鈍い痛みに思わず呻き声が漏れます。「いたっ……!」
本来なら激怒されてもおかしくない状況に、私は半ば諦めかけていました。しかし、物音に気づいたエルキュールが部屋に入ってきた瞬間、彼の表情に一瞬だけ、微かな動揺が走ったように見えました。
「……大丈夫か?」
彼の声は、私が想像していたよりも、ずっと穏やかでした。
「は、はい! 申し訳ございません、すぐに片付けます!」
私は慌てて立ち上がろうとしましたが、額から血が滲んでいるのが見えたのでしょう。
彼は無言で私の額に触れ、そっと指で血を拭いました。その指先から伝わる彼の体温に、私の心臓が小さく跳ねました。そして、使用人を呼んで手当を指示し、静かに落ちた書物を元の場所に戻しました。
「……無茶をするな。お前は私の妻だ。片付けなど他の者にやらせればいい」
それ以上は何も言わないけれど、その瞳の奥には確かに、優しい光が宿っているように感じられました。私が彼に対する認識を、ほんの少しだけ改めた瞬間でした。
◆
あの小さな事件以来、エルキュールは以前よりも私に目を向けるようになりました。まだ会話は多くありませんが、変化はありました。ある日の朝食の席で、私はふと庭園の花々を見て「あの花、綺麗ですね」と呟きました。その日の午後、私の部屋には、その花がさりげなく飾られていました。
「……これ、公爵様が?」
私は侍女に尋ねました。
侍女はにこやかに頷きました。
「はい、奥様のお部屋に飾るようにと、旦那様が直々に。……『彼女の部屋には、一番美しい花を』と仰せで」
私の心臓はまた跳ねました。彼が、私のために?
別の日、少し咳き込んだ私に、温かいハーブティーが差し入れられました。
「奥様、公爵様からです。お体を冷やさないようにと」執事が告げました。
「お気遣い、ありがとうございます」
私はそっと湯気の立つカップを両手で包みました。彼の優しさが、じわりと心に染み渡るようでした。彼は何も言わず、ただ静かにそれらを置いていくだけ。私は戸惑いながらも、彼の意外な一面に、少しずつ心惹かれていきました。
公爵邸の執事や使用人たちも、エルキュール公爵の変化に気づき始めていました。
「奥様がいらっしゃるようになってから、旦那様は変わられましたね」
「以前はあんなに冷たかったのに、奥様の前では穏やかでいらっしゃる。まるで別人のようです」
そんな囁きが、私の耳にも届くようになります。私もまた、彼の言葉の端々や行動の裏に、契約以上の感情が隠されているのではないかと感じ始めていました。
ある夜、私は寝付けずに、ぼんやりと窓の外を眺めていました。その時、静かに部屋の扉が開く音がしました。エルキュールでした。彼は何か言いたげな顔をしていましたが、結局何も言わず、ただ私の隣に静かに座りました。
そして、すっと私の髪に手が伸び、優しく梳いてくれます。
「……眠れないのか?」
彼の低い声が、静かな部屋に響きます。
「はい……少し」
彼はそのまま、まるで子守唄のように、幼い頃の思い出を静かに語り始めました。
「……昔、この窓から見える星を眺めていたものだ。あの頃は、ただ漠然と、いつかこの領地を守っていけるようになりたいと思っていた。だが、今は……」
彼の言葉が途切れ、彼の指先が私の頬に触れました。そのまま、私の唇に彼の指が触れ、まるで確認するかのように軽く押し当てられました。
「今は、お前を守りたいと思う」
その温かい声と、私を包み込むような温かい手つきに、私は安堵感を覚え、いつの間にか彼の肩にもたれかかっていました。
数日後、社交界での夜会に参加した時のことです。私は友人と談笑していたのですが、そこに一人の若い男性貴族が割り込んできました。
「美しいレディ、お一人で寂しいのではありませんか? 私と踊りませんか?」
彼は私に執拗に言い寄り、腕を掴もうとします。
「あの、私には夫がおりますので……」
私は困り果て、周りの視線が痛いほど集まる中で、彼を押し返すことしかできませんでした。
その時、私の腕が力強く引かれ、次の瞬間には、私はエルキュールの腕の中にいました。彼の顔には、私が今まで見たことのないほどの、静かな怒りが浮かんでいました。彼は静かな怒りをたたえた目で男性貴族を睨みつけました。
「彼女に、軽々しく触れるな」
エルキュールの声はこれまで聞いたことが無いほどに低く、有無を言わせぬ威圧感がありました。
「彼女は私の妻だ。手出しをするな」
公衆の面前で堂々と宣言する彼の姿に、私は彼の幼ささえ感じる程の強い独占欲と、そして守られているという安心感を覚えたのでした。男性貴族は怯んだようにその場を去っていきました。
「……大丈夫か?」
彼の声が、私の耳元で囁かれました。その声は、社交界の喧騒に紛れて、誰にも聞こえないほど優しく響きました。
「はい……ありがとうございます、エルキュール様」
私は彼の胸に顔を埋めました。彼の体温が、私を包み込むようでした。
「当然だ。私の妻に、不埒な輩を近づけさせはしない。……お前は、私だけのものだ」
彼の腕の温かさと、彼が放つ圧倒的な存在感に、私は言いようのない安心感と、そして強い独占欲を感じたのでした。
◆
社交界での出来事以来、エルキュールはもはや私への感情を隠そうとはしなくなりました。彼は私のことを「私の愛しい妻」と呼び、公爵邸でも、そして外でも、その深い愛情と独占欲を惜しみなく示しました。
朝食の席では、私の皿に好物をさりげなく寄せてくれます。
「これは君の好物だろう? たくさん食べなさい。……お前が美味しそうに食べる姿を見るのが、私の日課になりつつある」
執務室での休憩時間には、私を膝に乗せて本を読んだり、髪を梳かしてくれたりするようになりました。
「……この物語の主人公は、お前によく似ているな。純粋で、ひたむきで、そして……愛らしい」
「まあ、そんなことはありませんわ」私が照れて顔を伏せると、彼は私の顎をそっと持ち上げ、その瞳を真っ直ぐに見つめます。
「いいや、本当だ。お前は、私の人生に光をもたらしてくれた」
彼は笑いながら私の髪を撫でてくれました。その指の動き一つ一つに、彼の私への深い愛情が込められているのを感じました。周囲の人々も、二人の間に芽生えた「真実の愛」を確信するようになりました。
私もまた、エルキュールの温かさと真摯な愛情に完全に心を開いていました。かつて氷のようだった彼の瞳は、私を見る時だけはまるで春の陽光のように温かく、その手は私を優しく包み込んでくれました。二人の間には、言葉以上の確かな絆と信頼が築かれ、毎日が甘く満ち足りたものになっていきました。
ある晴れた日の午後、エルキュールは私を庭園に誘いました。咲き誇るバラのアーチの下で、彼は静かに私の手を取りました。
「……契約結婚の期限は、あと半年で切れる」彼の言葉に、一瞬だけ胸がざわつきました。しかし、それはもはや二人にとって意味のないものでした。
彼は私の指先にそっとキスを落とすと、私の目を見つめて言いました。
「だが、私にとって契約など関係ない。お前を一生涯、愛し続ける。これからも、私の隣にいてくれるか? ……私にとって、お前がいない人生など、もはや考えられない」
彼の真摯な言葉に、私の瞳には涙が溢れました。貧乏貴族の娘だった私が、冷徹と噂された氷の公爵の心を溶かし、彼の唯一無二の存在となるなんて、夢にも思っていませんでした。
「はい……はい、喜んで! 私も、あなたを愛しています、エルキュール様……!」
私は彼の言葉を受け入れ、強く頷きました。エルキュールは私を抱きしめ、深く口付けを交わしました。その唇は、彼の熱い想いを私に伝えているようでした。
「ありがとう、私の愛しい妻。……もう二度と、お前を離さない」
こうして、私たちは契約結婚という形から始まった関係を越え、真の意味で結ばれたのです。エルキュールと私は、永遠の愛を誓い、これからも甘く幸せな未来を共に歩んでいくことでしょう。
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溺愛される展開が好きなので、ひたすらに溺愛される展開を書かせて頂きました。
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