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第七話 覚悟

譲悟の左手は素手ですが、右手には常に黒革の手袋を着けています。1, 2, 5話に描写を追加しました。

 ――何やってるんだろう、私。


 ごろごろと折れて転がる丸太を跳び越えて走りながら、(りん)は今更のようにそう思った。

 彼女は今、岡部円香(まどか)巨蟹(きょがに)の怪異に追われていると(おぼ)しき場所を目指し、林の中を駆けていた。


 六守破(ろくすわ)譲悟(じょうご)という名前の〝自称〟霊能(・・)探偵の態度についカッとなったのは事実だが、相手はトラック並の巨体を持つという化け物だ。何の力も持たない女子中学生が一人立ち向かったところで、呆気(あっけ)なく殺されるのが関の山だろう。


 譲悟に対して「逃げない」と言い放った凛だったが、客観的に見れば逃げる方が賢いだろう、とは思っていた。

 また、円香は凛をいじめていた張本人だ。そんな相手をわざわざ助けに行くなんて、ばかげている。凛の中でそんな思いもないわけではなかった。


 ただし、譲悟は凛たちを「生贄(いけにえ)に捧げる」と言っていた。……ということは、おそらく逃げても無駄なのだろう。……凛にとって、彼の言うことが全面的に信じられるわけではないが。


『――「こうありたい」と思える自分でいられるように、努力しなさい』


 かつて亡き父に言われたその言葉が、凛の脳裏に(よみがえ)った。

 その言葉は今も変わらず、凛が行動を選ぶ際の指針となっていた。


 ――私はクラスメートを見捨ててでも、わずかな生の可能性にしがみつくようなクズになりたいのか? ――否。

 ――私は化け物に殺されかかったとき、ベソベソ泣きながら何もせずに膝を抱えて死にたいのか? ――断じて、否!


 自問自答を繰り返し、少女の(はら)は決まった。


「……――いた!」


 木々の間にのっそりと動くブルドーザーのような赤黒い巨体を発見し、凛は思わず声を上げてしまった。

 凛は慌てて口元を押さえ、化け物に聞き取られていなかったことに安堵(あんど)すると、周辺を見回して武器にできそうな物を探した。拾ったのは幾つかの小石と、いい感じの棒だ。


 それから凛が気配を殺して木々の(かげ)から近づくと、異常に巨大化した沢蟹(さわがに)のような化け物が、今にもクラスメートに襲い掛かろうとしていた。それを目の当たりにした凛は、考えるより早く動き出していた。


「――いやあああぁぁぁっっっっ!!」


 クラスメート――円香(まどか)が金切り声を上げる。


 その間、凛が利き手を振りかぶって全力で投げた小石は、巨大蟹の頭部から突き出た右の目玉を直撃した。


 こちらを振り返った化け物に対し、凛は木の棒を真っ直ぐに向け、気勢を上げる。


「――カニの化け物! 食べるなら私からにしなさい!」


    †


 一方、その頃。

 凛を見送った譲悟は、気を取り直してスマートフォンで応援要請の連絡をしながら、今後の行動方針について思案していた。


(……動く必要はねぇな。怪異の妖気は見逃しようがないし、エサであるこいつらの元に帰って来るのはほぼ確実だ)


 譲悟は改めてその結論を確認しながらも、何か引っ掛かるものを感じていた。


「……なぁ、おっちゃん」

「……」


 ふと、譲悟の思考にノイズが混ざる。その元凶が眼下の名も知らぬ女子中学生であることは明らかだったが、譲悟は努めて彼女の存在を無視した。


 譲悟は残り少なくなった煙草を(くわ)えつつ、改めて凛の行動を思い返す。

 譲悟から見て――いや、誰の目から見ても――、彼女の行動は常軌を逸していた。


『クラスメートの様子を見てきます。今ごろ一人で怖い思いをしてるでしょうから』


 そう言って、黒髪の小柄な少女は(きびす)を返して駆けて行った。それからは、止める間もなかった。


(――覚悟ガンギマリじゃねぇか)


 死地に向かうことは明らかだったろうに、少女の足取りには迷いも躊躇(ちゅうちょ)もなかった。

 譲悟のような特殊な生業(・・・・・)を営む者ならともかく、一般人の、それも子供が持ち合わせる覚悟としては、あまりにも不似合いだった。

 何か、特殊な過去を持っているのかもしれない。譲悟はそんな風に想像した。


「……おっちゃん。この泡、取ってくれん?」

「……」


(ブルブル震えて怯えるだけなら見捨てるつもりだったが……)


 譲悟は凛から、出会ったときに(たず)ねた問いの答えを得たわけではない。


『ベソベソ泣きながら何もせず膝を抱えて死ぬか、生き足掻(あが)いて化け物に一矢報いてから死ぬか、だ』


 しかし、彼女は十分に覚悟を示してみせた、とも考えられた。

 ここで、譲悟はある事実に思い至る。


(――そういえば、あのガキ、俺の足に普通についてきてたな)


 息も絶え絶えな様子ではあったが、確かに凛は譲悟の走る後にぴたりとついて来ていた。

 これは普通にできることではない。なぜなら、譲悟は陰陽術(おんみょうじゅつ)の基礎技能によって身体能力を底上げしていたからだ。譲悟の感覚的には、概ね成人男性の全力疾走に近いペースで移動し続けていたつもりだった。


「……おっちゃん、聞いとる?」

「――ァチィッ!!」

「ひぃっ!」


 赤泡に囚われた少女――瑠璃亜(るりあ)が再三にわたって譲悟に話しかけた丁度そのとき、根本まで火が回った煙草に左手の指を火傷(やけど)しかけた譲悟が大声を上げた。


「……な、なんなん、急に? さっきからブツクサ言っとったと思ったら……」

「あ、あぁ。悪いな……」


 譲悟の大声に驚いた瑠璃亜が戸惑いがちに文句を言うと、気もそぞろになっていた譲悟はつい悪びれた様子を見せた。

 このとき、取り落とした煙草の火を見た譲悟の脳裏に、化け物の居場所へ向かう直前の凛の表情が(よぎ)った。


 ――少女の瞳は、まるで青い炎を宿しているかのようだった。


「…………ククッ……」

「おっちゃん、どしたん?」


 急に肩を震わせて笑い出した譲悟を見て、瑠璃亜は(いぶか)しんだ。


(――間違いねぇ。あのガキもこっち側(・・・・)に立つ資格を持ってやがる)


 譲悟は煙草の火を踏み消し、再び左手で黒革のアタッシェケースを拾い上げる。


「ちょっ、どこ行くん?」


 慌ててそう訊ねた瑠璃亜に対し、譲悟はおざなりな返事を返す。


「――気が変わった。俺もあいつらの様子を見てくる」

「え? じゃあ、あーしらは?」


 瑠璃亜のその問いに対する答えはなかった。


 譲悟は二人の少女をその場に残したまま、凛の走った後を追って全速力で駆け出した。


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