第五話 退魔師の狙い
「円香が、まだあのバケモンに追われとるっちゃ!」
瑠璃亜のその言葉の後、恐れ慄く少女たちに気兼ねすることなく、譲悟は冷静に次の問いを発する。
「化け物はどんなやつだった?」
「……バカでっかいカニだっちゃ! トラックと同じぐらい!」
一瞬の間の後、瑠璃亜は弾かれたような勢いで答えた。
「そんなに!」
「蟹か……。情報通りだな」
凛が怪物の大きさに驚く一方で、譲悟は欠片も動揺する素振りを見せなかった。
凛はここで、先ほど聴いた円香らしき少女の悲鳴と、木々が倒れる音を思い起こす。
「――助けに行かなきゃ!」
凛はこの林まで一緒に駆けて来た大男――譲悟の顔を見上げてそう言った。
しかし、譲悟は凛の言葉にすぐに反応することはなく、新たな煙草を一本取り出してライターで火を点けていた。そんな譲悟の態度に、凛は眉を顰めた。
「……妖怪退治はやらないんですか?」
「俺が、か? なんだ、ついて来てほしいのか?」
譲悟は煙草の煙を吹かしてから、意外そうに問い返した。
凛は譲悟の薄情な態度に憤りを感じた。
(人の命が掛かってるって言うのに……! ここまで走って来ておいて何なのよ、この人!)
「霊能探偵なんですよね? ……どうしてここまで来たんですか」
「化け物を封じるため、かな」
怒りを押し殺したような凛の問いに、譲悟はあくまで淡々と答えた。
「だったら――」
更に詰め寄ろうとする凛の目の前に、譲悟は黒い革手袋に包まれた右手で人差し指を立てた。
「奴さんの妖力から察するに、上級下位ぐらいの脅威度はある。俺一人で正面切って相手取るのは無理だ」
「?」
譲悟の語る言葉は、凛にとっては謎めいていた。
(〝ヨーリョク〟とか〝ジョーキューカイ〟とかこの人、何言ってるのよ)
ただ一つはっきりしたことは、この胡散臭い大男は、今まさに化け物に襲われているであろう少女を助けに行く気はない、ということだ。
「……じゃあ、見殺しにするって言うんですか!?」
凛の非難めいた叫びを、譲悟は首を縦に振って肯定した。
「そうだな。祠を壊したお前らを生贄に捧げれば、再封印の隙ぐらいはできるかもしれん」
譲悟のその科白は、凛に殊更冷たく響いた。その言葉の矛先は、いま襲われている少女だけに向けられたものではない。凛を含むこの場の女子三名を含んでいることは明白だった。
――最初から、見捨てられていた。
凛はその事実を知り、目の前が真っ暗になったように感じた。
しかし、一拍遅れて凛の胸中でふつふつと沸き上がってきたのは、怒りだ。
なんだそれは。
たかが祠一つ壊したぐらいで、なぜ化け物に追い回されて死ななければならない。
しかも、自分に関しては突き飛ばされて祠にぶつかっただけで、巻き添えのようなものではないか。
――そんな思いが、凛の脳内でぐるぐると渦巻いた。
この〝自称〟霊能探偵についてもそうだ。
偉そうにご高説を垂れておいて、四人の女子中学生が死ぬまで高みの見物か。
……ふざけるな。
怒りに燃える凛の藍色の双眸に、常よりも色鮮やかな火が灯った。
「……この、人でなし!」
凛の声音は先ほどよりも一段低く、鋭いものだったが、譲悟は涼しい顔で肩を竦めてみせた。
「悪いのは、祠を壊したお前らさ」
――ぶちん。
譲悟の軽薄な態度を目前にして、凛の中で何かが切れる音がした。
凛はドサッと荷物をその場に下ろし、譲悟から顔を背けて先ほど少女の悲鳴が上がった方へ足を向けた。
今にも凛が走り出そうとしたそのとき、彼女の背中に〝自称〟霊能探偵が声を掛ける。
「……おい、どうする気だ?」
ゆっくりと譲悟を振り返った凛は、他所行きの笑顔を貼り付けていた。
「ちょっと、クラスメートの様子を見てきます。今ごろ一人で怖い思いをしてるでしょうから。――別に逃げたりしませんので、ご心配なく!」
凛はそれを言い終えるや否や踵を返し、一陣の風のように勢いよく走り出した。
譲悟はそんな小さな少女の背を、煙草の残りを吸うのも忘れて呆然と見送った。