第四話 囚われた少女たち
(――おじさん、足速っ!)
凛は通学カバンを背負ったまま全力疾走しながら、六守破譲悟と名乗った大男の後を追い掛けていた。
気怠げな見た目の印象とは裏腹に、譲悟は凛が驚くほどの健脚の持ち主だった。もちろん、小柄な凛とは身長差も大きいのだが、元陸上部の凛としては有象無象の大人に走力で負けるつもりはなかったのだ。
二人は凛の通う中学校を通り過ぎ、畑の間に伸びる道路を更に北へと走った。
譲悟の後を追う凛は、どこかから漂う焦げ臭いニオイに気づく。
ほどなくして、彼女は道路の脇で車が炎上していることに気づいた。その車は、まるで何かに上から押し潰されたようにひしゃげていた。
「化け物の仕業だ」
前を走る譲悟が息一つ乱さずに発した言葉は、不思議と凛の耳に明瞭に届いた。
(なんで、そんなことわかるのよっ)
凛の胸中の疑問に答える者はいなかった。
二人はその後も走り続け、やがて山裾から広がる林に差し掛かった。譲悟は迷わず林に足を踏み入れ、凛も後に続く。そこではまるで巨大な何かが通り過ぎたかのように、木々が薙ぎ倒されて広い道が出来ていた。
(――これも、化け物の仕業……?)
凛はその光景からまだ見ぬ怪物の大きさと凶暴さを想像し、戦慄した。
化け物が通った跡と見られる場所では、多くの立木が無惨に折れて転がり、不揃いな断面を晒していた。その多くは凛の腰よりも一回り以上太い。もしも凛が化け物に立ち向かうようなことがあれば、あっさりと汚い挽き肉に変えられてしまいそうだ。ついそんなグロテスクな光景を想像して、凛は気分が悪くなった。
譲悟は長い足で軽やかに倒木を跨ぎながら、化け物が作ったらしき道の真ん中を颯爽と進む。小柄な凛は、時に倒木に蹴躓きながら、なんとかその背後に食らいついた。
ややあって、譲悟はようやくペースを緩めた。進路を変えた彼の行く先を見て、凛は人の姿を発見する。
「あ、あれ……!」
ある立木に寄り掛かるようにして、二人の少女が座り込んでいた。動きはなく、ぐったりとしているようだ。譲悟の後を追って彼女らに近づいた凛は、その二人が自分のクラスメートであることを認識した。
「こいつらが、さっき言ってた連中か?」
「は、はい……」
後ろを振り返って問い掛けた譲悟に対し、凛は走り続けて荒くなった呼吸を落ち着かせながら頷いた。
凛と同じ中学の制服に身を包んだ二人の少女――中沢瑠璃亜と川島由惟は、共に瞑目して昏睡状態にあるようだった。また、彼女たちには共通して、目に見えて大きな特徴があった。
「な、何なの、これ……」
凛は噴き出る汗もそのままに、譲悟の脇をすり抜けて瑠璃亜たちの目前まで歩を進める。
二人の全身には、どろりと赤く濁った泡のようなものが纏わりついていた。凛は、瑠璃亜の肩に付着したその泡に触れようと手を伸ばす。
「おい、迂闊に触るな」
凛が赤泡に触れる寸前、譲悟がそれを咎めたことで、彼女はぴたりと手を止めた。
「そいつはおそらく化け物のマーキングだ。無害な可能性もあるが、呪いの媒介になってもおかしくはない」
「うえっ」
譲悟からそんな説明を聞いた凛は嫌そうな声を上げ、慌てて伸ばしていた手を引っ込めた。言葉の詳しい意味はわからなかったが、とにかく良くないものらしい。
「中沢さん! 川島さん! 聞こえてたら返事をして!」
「…………うぅっ……」
代わりに凛が大声で二人の苗字を呼ぶと、手前側にいた瑠璃亜の方がゆっくりと反応した。
「……ひっ! ……な、なんだ。転校生か」
目を開けた瑠璃亜は、大柄な譲悟の姿を見ると怯えたような声を上げた。が、すぐにその手前にいた凛に気づいた。
――転校生。そう呼ばれて凛の胸がちくりと痛む。転校して三か月ほど経つが、凛が瑠璃亜や円香から氏名を呼ばれたことは一度もなかった。
瑠璃亜は身を起こすため、手足を動かそうとする。しかし、その動きは全身を覆う粘度の高い赤泡によって阻まれ、もぞもぞと体を揺らすことしかできなかった。
「……だらずがっ! 何なん、この泡ぁ!」
瑠璃亜は苛立ちを露わにして怒鳴った。
「……ねえ、何があったか教えてくれる?」
凛が控えめな態度で訊ねると、瑠璃亜は顔を上げた。
「ん? ……あ、うん。その前に、この泡なんとかしてくれん? 動けんのよ」
「それは……」
瑠璃亜に頼まれ、凛は応えに詰まった。今しがた譲悟に「迂闊に触れるな」と注意されたばかりだったからだ。
「っつうか、誰よ? そのおっちゃん」
瑠璃亜の疑問は、見知らぬ老け顔の男に対するものとしては無理もないものだった。問われた凛自身も無意識に後方を振り返っており、譲悟は少女二人の視線に促されるようにして一歩前に出た。ただし、譲悟に自己紹介をする気はなかった。
「もう一人のクラスメートってのはどこにいる?」
それは単純な数の確認だった。凛の先ほどの言葉では、祠の破壊に関わったクラスメートの女子は三人。然るに、今この場にいるのは二人だった。
問われた瑠璃亜の顔色が変わった。
「さいな! 円香が、まだあのバケモンに追われとるっちゃ!」
瑠璃亜の言葉が終わるが早いか、林の奥から甲高い少女の悲鳴が響く。それとほぼ同時に、木々が折れて倒れるような大きな音も。
凛は全身に寒気を感じた。まるで、掻いた汗がすっかり冷えきったかのようだった。