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盂蘭盆会

作者: 焼魚圭

 太陽が激しい熱の雨を降らせている。地面を焼き、様々な生き物たちに恵みとも破滅とも呼べるものを与えていた。

 理久は思わず目を細め、肌で熱の激しさを感じていた。昔は温かで快適さを感じる事やそれなりの暑さで苦しいとは言いつつも耐えられる程度だったものの、今となっては暑いというよりも光が痛いとでも呼べるような様だった。年々激しくなっていく暑さに苦しむ人々を日頃から見つめ、ニュースではリスが溶けたと称して寝そべり熱を地面へと追い出しているという報道があった程。

 盆という夏の真っただ中。そんな世界に居座ることなど出来ない、そう感じて理久は祖母の家へと上がり込み、すぐさま畳に寝転がり、未だに友人から送られて来る暑中見舞いに目を通して和紙の手触りから懐かしさを摂る。

 そんな姿を母や叔母は微笑みながら眺めつつ、母も畳にしゃがみ込んでいた。

「おじいちゃんも帰って来てるでしょう」

 そんな言葉に耳を疑い、生まれた沈黙の中をクーラーの風が吹き抜けていく。

「おじいちゃん」

「おじいちゃんは三年前に亡くなってるよ」

 祖父は三年前に亡くなった。九十歳などとうの昔に超え、寝たきり状態となっていたのだからいつ亡くなってもおかしくないとは思っていた。

 しかし、どれだけ覚悟を決めていたとしてもその時が来てしまえば息が詰まってしまうものだ。あの日は休みを取ることも出来ず、祖父の葬式にすら行けなかったものの、四十九日法要にて祖父が天にて安らかに眠ることが出来るよう祈りを捧げたものだった。

 あの優しかった笑顔も力強い笑い声も頼もしい仕事も見ることが出来ない。あの日涙が零れなかったのは枯れ果ててしまったからだろうか。

 そんな祖父に会えるというものならば会いたい、それが理久の想いだったものの、現実はそのような事を認めてはくれない。

 しかし、母は先程の言葉に続き更に言ってのける。

「お盆だからねえ」

「そうか」

 かつて人々が本気で信じていたものなのか、救いを求めて語った幻想なのか、盆には死者が帰って来ると言ったものだった。

 会話を耳にして引き寄せられたのか祖母は軽く笑いながら理久の頭を撫でる。

「今どきの人は実感ないかもね」

 実際には帰って来ることなど無い。理久の中ではそう結論付けられていた。

「墓参りいってらっしゃい」

 祖母に後押しされて理久は母と共にあの痛みすら湧いて来る外に足を踏み入れ始めた。緑、黄緑、薄緑といった多種多様の緑に覆われた景色だけがついて来る叔母は理久を見上げながら言葉を差し込んだ。

「知らないよね、お盆って盂蘭盆会が正しい名前だって」

「そうなんだ、初めて聞いた」

 そんな雑談を交わしてたどり着いた墓は五分も要さない距離で、今という時期を支配する暑さの中では非常に助かるものだった。

 母が線香を焚き、祖母は缶ビールを四本取り出す。

「おじいちゃんが好きなやつ」

 理久には缶ビールの良さなど理解できない。瓶ビールや生ビールならば整った味わいと香りが口に広がり豊かな泡ののど越しと共にスッキリとした感情を与えてくれるものの、缶ビールはホップの強い苦みと妙に舌に残る酸味を与えてどう足掻いても苦手意識を拭い去ることが出来ない。

 祖母が四本とも缶のタブを起こす。開かれると共に漂って来る香りは何処か食パンを想わせるものだったが、全体的にはもっと重苦しいものだった。

「線香を刺してお祈りして」

 言われるままにお参りを、その終わり際に缶ビールを手に取る。四本の冷たい缶は軽く触れ合う。

「乾杯」

 言葉と共に一気に飲み干そうとするものの、優しい泡と弾ける炭酸の混ざり合った感触に思わず咳き込んでしまった。

 そうしてゆっくりと飲み、帰ろうと顔を上げた瞬間の事だった。ぶれる景色の中に皺だらけの顔を見たような気がした。

「おじいちゃんかな」

 気のせいだと言い聞かせて置いていた缶を持って後にする。持っている缶が心なしか軽く感じられて身が竦んでしまいそうだった。帰ってすぐさま身を運んだ仏間には布団が敷かれていた。

「今夜はここでおやすみなさい」

 昔は恐ろしく感じたその場所、幽霊に怯えながらまともに眠る事すら叶わなかったものの、今では仏壇が見守っているように感じていた。

 そこでひと休みのあと、暑さで弱り切った身体に流し込んだアルコールによるふらつきを堪えながら夕飯を済ませる。毎日のように新鮮な魚を食べられるのは海が近隣にある田舎の特権だろうか。

 刺身と瓶ビールで豪華な夕飯を済ませて風呂に入ろうかと言ったその時、祖母がリビングの出口、ダイニングの入り口に備え付けた神棚と向かい合い、手を合わせて腰を折っていた。

 神棚の手前に置かれていたものはお神酒と小さく気高い二つの金属の皿に盛られた白米、その間には割り箸を刺したキュウリとナス、加えてソラマメの姿があった。四本の割り箸はまるで脚のようで、今にも走り出しそうだった。

「そう言えばこれ何」

 よく見るものではあれども詳細は知らない。そんな理久の顔を見つめながら祖母は優しく微笑む。

「これはね、精霊馬と精霊牛だよ」

「どういうメッセージなんだろう」

 何かしらの意味はあるはず。意味も無ければそのまま食べ物を粗末にしてしまうだけでしかない。昔の人々にとって貴重な食糧を使ってまでこのような姿を取っている事の意味が知りたくて堪らなかった。

「キュウリがしょうろううまで、早くこの世に戻ってくるようにって祈って」

 続けて震える指を持ち上げてナスの方を指す。力の無い指は覚束ない。此の世の見過ぎで疲れ気味の瞳をゆっくりと閉じて開く姿は今にも動かなくなってしまいそう。

「ナスはしょうろううし、ゆっくりとあの世に戻るようにって意味を込めてる」

 つまるところ、形から生き物を当てはめて備えているようだった。

 理久はソラマメの方を気に掛けていたものの、風呂に入るようにと母からの言葉を頂き、そのまま礼を述べて風呂へと向かう。

 それから鏡も無ければ窓も小さく全体的に白に覆われた部屋で身体を洗って上がる。続いて髪を乾かそうとドライヤーを手に取り前を向いたその時だった。

 その目に映る景色の中に自分の姿が無い。映るものはタンスやハンガーに掛けられた衣類。まるでその場にいないような状態を目にして震えながら髪を乾かす。

 それからすぐさまベッドに向かい、結局お供え物のソラマメの意味を聞くことが出来ないまま、眠りの世界の扉を開いてしまった。


 それからどれだけの時間を溶かしたものだろう。

 身体の節々に力を入れて激しく伸びる感覚を帯びて目を覚ます。実に運が悪い物だと呆れつつ仏壇の方を向いた途端、理久は実家に帰ってから三度目の非日常を目にしてしまった。

 仏壇の前に立つ影、理久の方を見つめるのは年老いた男の姿。それが手を伸ばしながら理久の事を欲しがるような視線を向けていた。

 足を動かそうにも叶わず、腕の方も思うように動かない中でどうにか携帯電話を手に取りビデオを回す。

 男が一歩、また一歩、近付いて来る。

 その正体は分かっていた。言葉にしようにも声が出ず、祖父をただ見つめ続ける。

 彼の手が理久の手に触れた途端、力の籠もらない指で支えられていた携帯電話が滑り落ちる。

 そのまま理久の身体は引っ張り上げられ、恐怖に包まれた表情を固めたまま、抵抗する事すら出来ずになすがまま引き連れられて行く。

 怪奇現象に取り残された携帯電話と誰かがいたと思しき突貫の生活感のみが消え去ってしまった彼の痕跡。


 全てが終わった後の月の光が射し込む空気は澄んでいてどこまでも静かだった。

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