うしなんちゅ〜 野生へ2
鼻毛は自分で切る
「うしちゃん、ボク 沖縄の病院から関東の病院へ転院したときの話。
ぼくの三日後に入院してきた5才上の爺さんがいた。
70代の奥さんが入院の世話をしていた。
いかにも、50年超えの老夫婦って感じだった。
ぼくはベットから老夫婦を見つめていた。
入院した旦那さんは5日前に二度目の脳梗塞を発症したらしい。
初回、脳梗塞の後遺症で左半身不随で、ひとりで歩行できず、トイレにもかい助が必要らしい。
旦那さんは鼻毛が気になるらしく奥さんに顔を向け、鼻毛処理を完全に任せていた。
奥さんも慣れた手つきで、上手に切った鼻毛が下におちないようにティッシュを上手につかいながら、左右の鼻毛を処理していた。
「うしチャリサイコロ 降って」
「だよね、ここはサイコロさね」
「ワシ 心を無にして サイコロ 振るさ。
「よろしゅう、うしちゃん。」
うしなんちゅ〜はいつも2倍の時間をかけ、右手と左手を組み合わせ、無口になって 振り続けた。
サイコロは、3と5の計8、偶数だった。
偶数だから、次の分岐点は右さ。
「ありがとう、うしちゃん、右ね」
「脳梗塞後の35点の脳で考えてきたけど、うしちゃん、ぼく、離婚して、ひとりボッチで暮らしていくわ。
学生時代から、35年、子を産み子は親になり、孫も3人。
もうぼくも嫁も生殖活動できないさ。
良く暮らしたよ。
子ども2人、孫3人、みな健康五体満足。
もうオジィとオバァは、野生に戻って、それぞれ、気にせずに運命を動いていくよ。
これからは、うしちゃんだけに、迷惑をかけるかもだが、赦して、そう長い時間じゃないはず。
子で生まれ、男になり、人になってきたが、これからは単純な野生になって、通り過ぎていくさ。
うしちゃん クンクン ぼくはホンダ白黒軽スポーツに染み込んだ、うしちゃんの匂い、安心する匂いを体感した。これからも、よろしゅう。
「今日、帰り道に、累識名園に立ち寄ってくれないか!」
ぼくは識名園の共同納骨堂で眠りたい。
「ワシ 累識名園へ立ち寄る。
偶然だが、興味を持っていた。
ワシも累識名園に眠っても良いか?」
「もちろん、みんな知り合い。
うしちゃんなら、大歓迎。
一つ条件がある。
ぼくより、後で来てね。
「あはは。いつ去くか、誰もわからんさ。
ワシが後、ワシが先、わからんさ。
早かれ遅かれ、ワシらは、楽しく暮らしていこう。」
「うしちゃん、今度、スーパー銭湯へ行こうよ。
のんびり、温まろう。浦添にあるSPA。
そこで美味いものでも食べよう。」
「和さん、行く。SPAへ一緒に行くよ、良いよ。」
識名園はぼくより後で、ね。」
ココで世話になると決めたぼくは、市役所へ行き、納骨堂の予約をしてきた。数には余裕があるようだった。
白布へ遺骨を納めて、大きな納骨堂内で保管するだけだから、スペースを気にする必要は当分あるまい。
ココで多くの仲間、将来的にはうしちゃんとも、一緒に眠かせて貰う。
赤ちゃんで産まれ子になり男になり親にもさせて貰って人になった。女を求める男をやめ老漢になり、自由気ままな野生になった。
沖縄の街中の大きな公園で、夜な夜な野生になり、おバーやオジーと楽時間を過ごし、その公園を横切る国道で野生は星になり、多くの方々の手を煩わせ累識名園へきた。
もう、ここからは動かなくて良い。
もう、今からは悩まなくて良い。
暑さも寒さも痛みとも、さよなら。
静かに無口で、うしちゃんや知人や仲間が近づいてくるのを待てば良いだけ。
うしちゃん、急がんで良い、ゆっくりで良い。
ぼくは、どこにも動かず、ここでおとなしく居るだけ。
ぼくは感心しつつ、1時間程度、ベットから見ていた。
鼻毛切りが終わったころ、タイミングよく看護師が様子を観にきて、「木下さん、ベットに横になりましょう」
と休息を誘った。
奥さんは、丁寧に看護師さんに、感謝の言葉をして、帰り支度を始めた。
ベットに横になった旦那さんに、「今日はこれで帰る。明日は朝から来る」
と伝えて、小物やゴミを手提げにしまって、同室のぼくにも挨拶を残して、病室を後にした。
「うしちゃん、良き夫婦、正しい夫婦だと感心したよ、ぼく夫婦とは全く違う場所まで、50年かけて歩いてきた夫婦だと思ったよ。
ぼくの妻は、鼻毛もう爪も切ってくれる日はこない。ぼくらは2人の子を産み育て、孫をもつ場所まではたどり着いたが、これから先の道は見えなかった。
動物として、子2人、孫3人、元気な顔を見れて、達成したと思った。
も大満足な人生だった。
同室の老夫婦。
鼻毛切りを妻に任せる脳梗塞患者。