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08 : Day -34 : Kita-Senju


「なぜキミがここにいるのか、わからんな……」


 苦々しい表情のケートに、


「こちらのセリフですね。わたくしはただ、知り合ったばかりの友人との信愛を温めようと、会いにきただけですよ」


 ヒナノは静かにお茶を飲んだ。

 ──ここは足立区、北千住。


 町工場「雷文らいもんホトニクス」の本社兼中央研究所。

 本来町工場と呼んでいいレベルではないが、世界最高の技術水準をもつにもかかわらず、製造規模が小さく、最高性能の部品のみ少数の受注生産をこなす粋な町工場として、みずから好んで地に足をつける経営スタイル、らしい。


「ハーイ、ヒーナ。学校は?」


 短めの英語でようすをうかがいつつ、隣にいる同級生らしい男子に目線を転じるのは、セシール。

 先週土曜、半蔵門でヒナノらに命を助けられて以来の友人だ。


「きょうは自首休校ですわ。……彼、わたくしの友人、ミスター・サイバラ?」


 同じく英語で、立って挨拶をしろ、というヒナノからの無言のプレッシャー。

 もとよりかわいい顔をしているので、第一印象は良好な場合の多いケートは立ち上がり、ブロークンなアメリカ英語で言った。


「10時に社長と約束をしてる、名前なんてとっくに通ってるはずだ。……さっさと通してくれよ、あの好色オヤジのところへ」


 セシールは、すこしびっくりしながら受け付けの来客リストを探し出す。

 彼女の本来の仕事は受付ではないが、きょうは人手が足りないらしく、いろいろ雑務を任されている。

 先週あんなことがあったばかりにもかかわらず、ワーカーホリックを強要する日本企業は、訴えられてもいいレベルだ。


 ──たしかに予約がはいっていることを確認すると、セシールは社長室に近い応接室へ、ふたりを案内した。

 トイレの場所を聞いてケートが去ると、


「彼、かわいい子だけど、こてこての米国標準ジェネラル・アメリカンね」


 すこしいたずらっぽい口調でささやくセシール。


「南部なまりも出ますよ、ときどき。テキサスで牛馬とともに育ったらしいのでね。一応、親は大富豪ですが」


「あらあら、ステイツらしいわね」


 その薄い笑いに彩られた短い会話には、旧大陸のセレブリティがよくみせる揶揄と皮肉が満ち溢れていた。

 もちろん彼女らは、当人に聞こえるように話すほど下品ではない。

 ケートがもどってくるのに合わせて楚々とした表情を取り繕うが、ケートの視線はすべてを見通していることを物語っている。


「あんまり品のないことをぺちゃくちゃくっちゃべってると、リョージに言いつけるぞ」


 やや早口の日本語に、眉根を寄せるヒナノ。


「なにを言っているのですか、あなたは」


「……リョージ?」


 セシールが脳の言語モードを切り替えるのに時間をかけている間に、


「やあ、待たせたね。どうぞ」


 外からもどってきたばかりらしい大柄の男が、手を振りながら社長室へ。

 一瞬だけ見えた横顔は、50代後半から60代くらいだが、たくわえた白ヒゲがなければ、より若く見えるだろう。

 外国人の血がはいっているという話は聞かないが、純粋な日本人でもたまに見かける濃い顔立ちの系統に属する。

 若いころは力士だった、と言われても納得の大柄な体躯で、現役を引退してより引き締まったかのようだ。


 ケートは背後を一瞥してから、彼のあとにつづいて社長室の扉を閉めた。

 残されたヒナノは、しばらくセシールと短い社交辞令を交わしてから、雷文ホトニクスをあとにした。

 あの意外に口の堅いケートから、どうやって話を聞き出すか算段しながら……。




「ん、あのかわいい女の子はどうした? きみの連れじゃないのかい?」


 社長椅子に座りながら言う男の名は、城之内。


「女と見ればすぐそれだ。いいかげんにしろよ、エロ社長」


 ケートの遠慮のない物言いに、


「友人の息子とはいえ、口が過ぎるぞ。──きょうは、ビジネスで来たのではないのか?」


 不興げに応じる。

 社長室といっても、それほど豪華な調度はない。

 とはいえ安物が雑然と並んでいるふうもなく、質実剛健で経営状態のいい町工場の社長室、といった風情だ。

 壁には無数の特許を示す書類が飾ってあり、主力商品の図面とサンプルが並んでいる。

 ケートはそれを眺めながら、


「まったく、人材不足にも困ったものだよ。本来、ボクのような研究職が、現場の発注業務までやらされていいはずがないんだが。……必要なんだよ、あんたんところの光量子増倍管。ただ、いまの性能では足りない。感度10倍で、1か月以内に」


「その話は断ったはずだろう。そもそもオーダーが無茶すぎる。なんに使うんだ、そんなもの」


「軍事機密だ」


「ははは、かまわんよ。だいたい察しはつく。……わたしは平和企業のつもりでね。天文学は軍事目的に使われてはならない、という宣言を遵奉している」


 日本天文学会が発表した「安全保障と天文学」という声明がある。

 かつては天文学など、お星さまを見上げて現実離れした理論を楽しむ、趣味的な世界だと思われていた。

 しかし、いまや人類の安全と平和を脅かす「軍事利用」の魔の手が、ひたひたと押し寄せている。


 いまのところ日本においては、防衛省が募集した助成に応募しないなど、国立天文台の姿勢はおおむね「軍事利用」を拒絶する向きにある。

 雷文ホトニクスも、その姿勢に従うという意味だろう。


「あんたのところしかつくれないんだよ、この精度の増倍管は」


 ケートは壁の図面から城之内に視線をもどす。


「理研からも同じことを言われたよ。国立天文台とたもとを分かったのか、あの連中は」


 片眉を上げてやや不満げな城之内。


「あそこの加速器研究所は、ボクたちのチームの一員だよ」


「……なるほど? それ以上は軍事機密、だろ?」


 しばらく考え込んでいたケートは、ひとつ大きく息をつき、社長の机に歩み寄った。

 その重厚な木製の机に両手をつき、ゆっくりと言う。


「ブラフマーストラ計画。()()()()()()()()()()()。現状はただの通信用光ファイバーだが、いくつかの要素が加われば、ただのレーザーポインターは宇宙兵器のレーザービームに変わる」


「10倍の精度の増倍管を使ったら、そりゃ兵器にもなるだろうな。……腹を割って話せば、わたしが了承するとでも?」


「天文台の同意が得たいなら、パパに頼んでみる。ボクが頼めば、たぶん」


 主要顧客である天文台の意向を損じたくない、という思惑だとすれば効果的な説得だが。


「ラーマ・パパ! 国際天文学会の重鎮か。あいにくだが、わたしはそういう権威に屈しないタイプでね」


「あんたいま、国立天文台の権威にしたがうと言ったばかりだろう!」


「彼らの見解に同意すると言っただけだ。彼らが天文学の軍事利用やむなし、という方向に舵を切ったとすれば、同意はしない。それだけだよ」


 しばらく場を沈黙が支配した。

 互いの言質が噛み合っていない。

 納期や予算、品質で、多少の交渉、譲歩があるだろうという予測だったが、その段階にすら達していない。

 展開はケートの予定を完全に裏切っている。

 計算ちがい、という状況は彼にとってなかば屈辱に近い。


「……だったら、なぜボクがここにいる? たしかに面会を申し込んだのはこちらだが、時間を指定したのはあんただ。そんな答えなら、最初から断ってくれりゃよかった」


 老練な町工場の社長の思惑を、天才とはいえ、まだ17年しか生きていないケートに推し量るのはむずかしい。

 城之内はにやりと笑い、搦め手から迂遠な論理を積み上げる。




 雷文ホトニクス。

 超高精度のレンズ加工やセンサーの製造を行なう、ハイテク企業である。

 電子機器よりは、ガラスや金属を「加工」するというウエイトが高いため、みずから「町工場」を自称する世界企業だ。

 世界中の研究所や天文台に、最高性能のレンズ、光センサーを納入している。


「……天文学はすばらしい。そうは思わないか?」


 城之内は足を組み、重々しい口調で言った。


「そんなこと、言われるまでもない。これでも自力でミランコビッチ・サイクルを計算した男だぞ」


「宇宙は数学の言葉で書かれている、か。まさにそうだろうね。わが母なる宇宙は」


「ガイア、ってか。おかげさまで銀河系の地図は、だいぶ整備されたな」


「さすが天文オタクだ、衛星ガイアを知っているとは、なかなかの通じゃないか」


 2013年から欧州宇宙機関によって運用された、約10億個の恒星(銀河全体の1%未満)について、精密に位置を特定する宇宙望遠鏡ミッションが、ガイア計画だ。

 使われた方法じたいはきわめて古典的で、古代ギリシャ時代から存在する「年周視差」による三角測量である。


 地球の公転軌道を底辺とし、その左右の角度の差から、星までの距離(高さ)を計算する。これは中学生でもわかる簡単な理屈だ。

 もちろん30億分の1というわずかな角度差まで計測できる技術があってこそだが、これによって人類は、3万光年の範囲内にある星の位置や軌道の地図を得た。

 この新たな「宇宙の物差し」は、詩的な表現をすれば、コズミック・ラダー(宇宙の梯子)とも呼ばれる。


「ガイアは地球を滅ぼすことに決めて、梯子から下りてこないってわけかい」


「彼女の考えは知らないが、サイン、コサイン、タンジェントにハマってることはたしかなようだな」


「うちの部活には、その手の公式にアレルギー反応を示すやつもいるよ」


「それは残念」


 そこでふたりは、再び見つめ合い、互いの腹の内を読む。

 じっさいは城之内のコントロールがほとんど支配的に進んでいる、という状況が理解できるだけの知性をもつだけに、ケートはいらいらしながら、どうにか新たな切り口を模索する。


「──人類に最善の努力をさせないなら、神さまにでもすがれってことかい?」


「神頼みか、それもいい。八百万の神々の国だからね、ここは」


「頼むよ、グッド・ジュピター」


「オリュンポスの主神に頼むか。残念ながら日本人の声が届くかな?」


「……あんたのガーディアンはゼウス、だろう?」


 ケートにとって、かなり踏み込んだ切っ先。

 ナノマシンを起動する。

 室内に、ゆるやかに迫る境界の空気。


 しかしそれはすぐに、引き潮になって霧散する。

 ここは地球であり、人類は物理学によって生き、忌まわしい魔法を迷信として廃棄、超克した。

 別次元の法則が、異世界線を新たな数学で説明しても、それはそれ、これはこれ。

 こちら側は、こちら側の法則にしたがい、こちら側の技術が地球を、宇宙を観測し、できれば支配する。


 社長の影にはたしかに偉大な神の姿があったが、()()()()にその力が解放されることはない。

 ギリシャ神話のゼウスが、ローマ神話ではユピテルとなり、それを英語読みするとジュピター、すなわち惑星たちの王、木星となった。

 太陽系の星々の主神として、ジュピターの名はふさわしい。


()()()()()()は好まない。わたしには必要のないものだ」


 城之内の言葉が意味するのは、おそらくデメトリクス・カプセルとそれにまつわる異世界線での血なまぐさいくさぐさだろう。

 あなたに大金をあげますと言われても、その代わり老人になってくださいと言われれば、断る人間もいる。

 異世界線において最強クラスのゼウスも、こちら側の町工場の社長という立場のほうが気に入っているなら、あえて最強の神格に拘泥することもない。


「あんたが、いろんなところで黒幕やってることくらい、調べはついてるんだぞ? そこまで言うなら、ジュピターが弾き返してくれるんだろうな、ベルエアを」


「関知せぬ。それがガイアの決め事だ」


「やっぱり、バッド・ジュピターかよ」


 グッド・ジュピターは、外宇宙から地球に飛来する危険な隕石を引き受け、弾き飛ばしてくれる木星をイメージしており、いわば地球の守り神のようなものだ。

 バッド・ジュピターという仮説は、逆に木星の引力によって、本来衝突コースにない隕石を引き寄せてしまう可能性である。


「この星は、つねに受け入れてきた、あらゆる天変地異を。そのうえで進化を果たしたのが、おまえたちではないか。いまさら、新たなる進化を拒絶する資格があろうか?」


「進化だと? ……あんた、ベルエアのなにを知ってる?」


「おっと……」


 城之内は口に手を当て、てへぺろ、と言った。

 このあたりの圧倒的な人間味も、ギリシャ神話における女たらしのおっさん、ゼウスというキャラクターを、より魅力的なものとしている。


「答えろ、ゼウス。あんたらは」


「アヌンナキと約束したのでな。そのあたりはイナンナにでも訊いてくれ」


 ベルエア、天文学、アヌンナキ、シュメール、宇宙人……。


「五反田のおっさんが喜びそうな話だな」


「ああ、あいつか。伝えておいてくれ、わしも読むよ、月刊『ヌー』はおもしろいからな」


「…………」


 飄々として笑い、柳に風と受け流す城之内。

 とても追求できるような雰囲気ではない。


 と、そこで老獪な町工場の社長の顔が、ぴょこりと飛び出した。

 まだ掌の上で遊ぶかよ、とケートは内心忸怩たる思いだ。

 話術に長けた町工場社長、城之内ジンは、ひとつの提案をした──。



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