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07 : Day -34 : Azabu-juban


 穴の底、転がり落ちたさき。

 坂道の下。

 そこは死人たちが、たむろする場所──。


「いててて……」


 頭を押さえながら、ゆっくりと起き上がる。

 乗っかっているサアヤの身体を横に下ろし、呼びかけると、ぴょこぴょことアホ毛を振りながら目を覚ます。


「ここ、どこ?」


 壊れた店の看板が、どす黒い土に埋まっている。

 境界の麻布も、他の場所と変わらぬ殺戮と略奪の巷である、ということか。


「くらやみ坂下、本店麻布」


 チューヤの脳内に、麻布の地図が展開する。

 青山から南へ2キロ弱。

 麻布台と南麻布に挟まれたあたり、と人間GPSは判定した。

 ちょうど都営大江戸線・麻布十番駅を底辺として、両側に向け台地が切り立っている場所だ。


「……境界の境界だな、ここは」


「どういうこと?」


 チューヤは異世界線の自分自身を思い出しながら、状況を説明する。


「俺たちがいつも巻き込まれる境界は、現世側と異世界線の境界って意味だ。そこに、生と死の境界、って意味が追加されている。生きている人間と同時に、死んだ人間もいっぱいいる。見ればわかるとおりだよ……」


 あたりを見まわせば、蠢くものは無数にあって、それが「生きている」とは思えないものも少なくない。

 死体、ゾンビ、火の玉、霊魂、さまざまな言い方ができるだろうが、ここでは彼らが主役ということだ。

 200メートル足らずの()()()()()に集まった、東京の霊魂たち──。


()()()を目指せ。雲になるのだ。天国がある」


 地面を這いずりながら夢想を語る死者。


「上で戦っている。天使と将軍が。勝ったほうが、われわれの魂を手にするのだという」


 星天使と神将のことだろう。


「あぶないから、あまり近寄るなよ」


 手を伸ばすチューヤに、寄り添ってうなずくサアヤ。


「うん。でもさ、地獄って下にあるんだよね? だからチューヤは、ここに落ちてきたんでしょ?」


 古来からの宗教的視点によれば、天国は空の上にあり、地獄は地の底にある。


「まだ死んでねーし、失礼なこと言わないでもらえるかな!? サアヤだって落ちてきたじゃん!」


「私はチューヤに巻き込まれたんだよー。けど坂の下は地獄行きの魂の掃きだめ、っていうわけじゃなくてよかったね」


 捕食(携挙)者たちが待つのは、坂の上。

 なぜなら、魂は基本的に「浮く」からである。


 善人であれ悪人であれ、臨死体験はたいてい自分の身体を上から眺めることになっている。火の玉や鬼火といったものは、空中をふわふわと漂っている。

 地面が光る、というパターンはほとんどない。

 つまり死者の魂は、世界共通文化として()()()()()


 ただし、そのまま宇宙なり天国なりを目指すほどの上昇力はない。ほどよい高さで集めてから、審判を受けさせる。

 このルールは非常に重要だ。

 とくに生と死の境界線を戦っている冒険者であれば、いずれは「体感」する可能性がきわめて高い。

 とりあえず、それが古今東西の「宗教」の考え方であると、銘記しておくべきだ。

 最後の審判、閻魔帳から死者の書まで、死後の人間が裁判を受けてその行き先を決められる、という思想はほとんどデフォルトである。


「坂の上に、われわれを連れて行ってくれる、えらい方がいるそうな」


「どちらか勝ったほうの裁判所に、連れていかれるらしいぞ」


「キリスト教でも仏教でもいいが、極楽へ行きたいものだなあ」


 死者たちの声が、チューヤたちの横を通り過ぎていく。

 彼らは本能的に、坂の上を目指している。

 ──なにもしなくても、日本だけで毎日何千人もの人間が死んでいる。

 その()()()()()()()というものが、もしあるとすればそうとういそがしいだろう。


 そこで、わざわざ集めに行かなくても、自然に集まってくる「坂道」というものが、世界各地にはつくられている。

 ふだん、魂はそこで狩り集められ、まとめて「送る」仕事をしているのが、「死神」という種族である。

 そこに、新たに「携挙」と「捕食」のルートが加わった。

 この純増分の魂については、死神の領分から余る。自由に食い散らかしてもいい、ということだ。


「ばからしい。おまえらほんとに天国なんか行けると思ってるのか?」


「どういうことだ……?」


「食われるだけだよ、おれたちは、ただ食われるんだ、悪魔にな!」


 ざわめく死者たちの魂。

 それでも坂を登る流れは止まらない。それ以外に行く場所がないからだ。

 坂のメッカである東京の巡礼は、まさに「坂」そのものを踏破していくことから、はじめなければならない──。


「わたしは死んだ、あああ、わたしは死んだのね……」


「あの男、殺してやる、ちきしょう、殺したい……」


 女たちの恨みつらみの声が、意外に間近から聞こえて、チューヤは飛び上がった。

 後退りながら、暗がりをじっと見つめる。

 くらやみ坂と呼ばれるだけあって、周囲はあまりにも暗い。


 死者の暮らす坂道に、明かりなど不要。

 ときおり通り過ぎる鬼火が、かろうじて周囲の景色の輪郭だけを浮かび上がらせる。

 現世側の東京の残像が崩壊した異世界線の廃墟に、地獄のような彼岸の光景が重なっている。

 ここは地獄にかぎりなく近い境界だ。


「ああ、彼よ。わたしの彼だわ……」


「痛い、ひぃい、痛いい……」


 視線を転じると、そこには生前カップルだったらしい男女。

 あたり一面、見わたせば地獄絵図だ。

 ──邪淫の刀葉林。

 『金葉和歌集』や『八代集抄』などによって読み解かれているモチーフで、男が幻の美女を追い求めて、葉が刀のようになった木を上り下りして、傷だらけになっている。

 まことに浅ましいことよ、と。


 『往生要集』によれば、みずからの内心深くにある美女のイメージが引き出され、眼前に理想的な姿として現れるため、男は(女も)その魅力に抗うことができない。

 他の地獄が、ひたすら獄卒に責めさいなまれるのに対して、邪淫の林では、みずから傷だらけになって、それでも理想を追い求めるという点が、大きく異なる。


 大江匡房の『江帥集』では、剣の枝を、恋の苦しみの象徴として描いている。

 かなわぬ恋に身もだえた人々は、古今東西、あらゆる時代と場所に偏在している。

 それを地獄と考えるか、出家して解脱を目指すか。

 ここは、そういう境界の境界らしい……。


「ホストとホステスの地獄、ってことかな」


 愛憎の世界に耳年増なサアヤの指摘に、思わず息を呑むチューヤ。


「どうやら、そっち系の人間の魂が集まっていることは、たしかなようだな」


 本来、この地獄にはイッキとナミが落とされる予定だったと思われる。

 が、たまたま居合わせた不幸でアホな高校生が巻き込まれた、ということかもしれない。


「お金、もってきたよ、ダーリン、お金……」


「足りねえよ、グズ、もっと金つくれよ、おれの女だろォ」


 視線を転じるたび、べつの男女の地獄が展開している。

 はてしなくお金を貢いでも、その恋の成就を目指すか。

 成就するものならばいいが、それはただの地獄ではないのか。


 好色多情なイメージの強い和泉式部との関連で、仏教説話から抜け出た広い展開を示す「邪淫の刀葉林」。

 ただの「剣の枝」にすぎなかった絵巻が、生前に顔見知りだった女を恋焦がれるとか、苦しむ男を見せつけられて逆に苦しむのは女側であるとか、物語性に富んで多様化している。

 最高に愛した男が、自分のためにもがき苦しむのを見せつけられる。

 これを眺めながら、


「けんかをやめて~♪」


 などと歌える女は、このような地獄には落ちてこない。

 つまりサアヤは、この地獄にはふさわしくないのだ。

 長い、長い坂道──じっさいは200メートル足らずの短い距離でしかないが、そこに無数の地獄が詰め込まれている。


 互いに傷つけ合いながら、ゆっくりと坂を登る魂たち。

 お金を貢いで貢いで、相手が満足すれば、目標は達成されると信じ、働きつづけた女がチューヤの横にいる。

 ナミの面影を感じて、あわてて首を振る。

 彼女をこんなふうにしてはいけない。助けなければ。


「お金、ありますか? お金、もっていくと、会ってくれるの、彼」


 ぶつぶつと独り言をつぶやいているようだが、もしかしたら自分が話しかけられているのだろうか、と思わずそちらのほうを向いてしまった。

 長い髪に隠された女の表情はわからないが、どうやら「お金をください」と言われているらしいと理解する。


 死んでまで、お金をためて、どうしようというのか?

 お金を集めると、彼に会えるんです。だって光に近づいているから。坂道を、登っているから。とにかく、それで目的地の近くまでは行けるんです。


「それじゃ、あの、これ」


 ポケットから千円札を2枚、取り出して差し出す。

 現金国家、日本。

 それを受け取った女は、深い深い笑みを浮かべた。

 それは、まるで顔面が割れるかのような笑み。


「お金、払います、払います、だから、お願いします」


 女は、いま受け取ったばかりのお金を、目のまえの地面に向かって差し出した。

 見れば、段差のようになった坂道の途中に、お金を入れる箱のようなものが突き出している。まわりからは黒い手が伸びてきて、お金を受け取り、引き込んでいく。

 ぞっとするような光景だが、なぜか目を離せない。


 女はうれしそうに、お金を払っている。

 生前は、すくなくともお金を払いつづけることで、彼女の心は保たれていた。

 死後は……。


 つぎの瞬間、伸びてきた腕が女の身体を捕まえた。

 ずるずるっ、と箱に引きずり込まれていく。

 唖然としているうちに、その姿は完全に消えた。


「なにやってんの、チューヤ」


「いや、だってお金くれって」


 良かれと思って、最悪の結果をもたらしてしまったのか?

 いや、そうではない。

 ふと顔を上げると、坂の途中、すこし登ったところにさっきの女の姿が見えた。


 彼女は一瞬だけ笑みを浮かべたが、それからすぐにさっきと同じ表情で、まわりの人々に、お金をください、お金をください、と頼んでいる。

 それが彼女の「恋」らしい。

 そしてそれが、この坂道のルールでもあるらしい……。


「ちょっと待って、そうなの? お金あげてる場合じゃなくね?」


 自力で歩いて登ろうとしたが、なぜか足がまえに進まない。

 黒い手が無数に地面から生えてきて、目のまえには、つねに支払い用の小箱が口を開いている。


「どうやらそういうことみたいだね、チューヤ。世知辛い世の中だよ!」


 地獄の沙汰も金次第。

 こうなったら、


「お金がなければ、戦って奪えばいいじゃない?」


 そういう世界なのだから。

 見まわせば、亡者たち。




 それぞれに貢物を抱え、欲望の成就を目指して、這い進む。


「よこせぇえぇえ!」


 相手も考えることは同じだ。

 さっきはめずらしく、お願いしてお金を恵んでもらおうとする幽霊に出会ったが、冷静に見まわせばたいていの悪霊は、相手を殺して奪い取ろうとしている。

 考えるまでもない、それが基本的なルールである世界に、最初からいる。


 必殺の一撃が背後をかすめる。

 敵だ。

 彼らも、だれかの貢物を奪って、自分の欲望を果たそうとしている。

 やられるまえにやる。これは世界のルールなのだ。


「またですか、そうですか。──以後、血なまぐさいRPG展開となります」


 戦闘態勢を整えるチューヤの背中を眺め、うんざりした表情でつぶやくサアヤ。

 彼女としては、やむを得ないと理解はしていても、そういう世界観に対する反発はつねにある。


 当然のように戦って、経験値に変え、所持金を奪う。

 RPGという世界観は、最初からそういうものだ。

 そもそもゲームというものの成立要件として、話し合って、いい感じの落としどころを見つけましょう、という方法はあまり想定されていない。

 ──しかし、チューヤの戦い方には、その余地がある。


「戦闘停止、トーク!」


 悪魔使いは戦場の「ムード」を読める。

 この能力は、空気を読むことをしばしば強要される日本人に、高い傾向がある。


 ムードは、一般に「初見ダンジョン」で、わるい。

 一定以下だと「ダメだ! 話にならない!」と、トークを拒否される。

 唯一の例外が「同じナカマがいる」だが、ムードが「最悪」の場合、それも効果がない。ライト系の悪魔にとっての新月、ダーク系の悪魔にとっての満月も、最悪の状況(悪魔にとっては疑心暗鬼や熱狂)だ。

 人間同士の関係でも、「同じ人間だろ」「知るか!」という展開は、よくある。


 ゆえに悪魔使いの「ムーンフェイズ」は、非常に重要な要素を占める。

 月は、太陽に等しく、人間や悪魔に影響を及ぼす。

 状況判断のうえ、可能であれば戦闘を中断し、交渉の場をもつ。

 これは他のスキルの持ち主にはない特性だ。


「……そうなの、あなたは女のひとを助けようとしているの。がんばってね、わたしのようにしないであげて」


「やさしいのね、はいこれ、あなたの助けになるように」


 たまには、そういう奇特な幽霊もいる。

 もちろんそんな相手はごく少数派だが、ひたすら戦いを積み重ねてさきに進むしかないゲームより、はるかに深みのある人生だ。


「そういうところ、わるくないと思うよ」


 血なまぐさいことの大きらいなサアヤは、話し合うチューヤ、という部分を高く評価している。それ以外の部分は、さほどでもない。

 こうしてチューヤは、最低限の戦闘回数で、坂道を登っていく──。



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