62 : Day -30 : Shimbamba
「いててて……」
高速道路壁には、炎上するチンクェチェント。
「おとなしくしてて! 救急サアヤさんが、いま行くよ!」
そのうしろに傷だらけの高校生、3人。
──事故は不可避的だった。
山手トンネルにもぐり、天王洲アイルを抜けて品川区を西へ。
川の形に添って、ゆるやかに蛇行する道路のさきから、それはやってきた。
トンネルという閉鎖空間に待ち受ける、避けようがない攻撃。
ケートは最善を尽くしたし、チューヤも同様だ。
ふたりはまずサアヤの安全を図り、ついで脱出を試みた。
ミサイルのような火球がフィアットを包み、コントロールを失ったクルマがトンネルの側壁に激突。
飛行系の悪魔の力で、クローズドボディのリアガラスをたたき割って、まずサアヤを押し出した。
同時に左右に飛び出したケートとチューヤは、何度か地面をバウンドしながらも悪魔とスキルの力でなんとか生還、炎上するクラシックカーから距離をとる。
断じて許せない乱暴なカーチェイスだが、そういうルールのバトルであったのだという理解が足りなかった、ということなのかもしれない。
「くっそー、あの野郎、ボクの大事なフィアットを……」
「オヤジからガメてきたって言ってたじゃん」
「で、どうしよう? 救急車とかJAFを呼ぶって感じでもないよね」
サアヤの魔法で回復できている以上、ドクターヘリの出番はない。
高速機動隊が呼ばれて飛び出ることもないだろう。
いぜんとして自力で解決しなければならない案件だ。
と、そのとき背後から高らかに響くエキゾーストノート。
つぎなるレースカーが追走しているようだ。
現世であれば三角表示板を立てて事故を知らせるべきだが、境界のルールはわからない。
だがコーナーを抜けたところでの事故なので、気づくのが遅れれば巻き込まれるおそれがある。
長大な山手トンネルは、非常通路が左側にある。とりあえず右側壁へ衝突した車から距離をとり、追走者が巻き込まれないことを祈る。
と、つぎの瞬間、現れた小さなクルマは、華麗なコントロールで事故車両を回避しつつ、ピタリとチューヤたちの横に停止した。
自分たちを助けてくれる味方らしい、と期待したいところだ。
──それはベージュの、チンクェチェントに勝るとも劣らない、かわいらしいクルマだった。
運転席から降り立ったのは、若い日本人の男。レーサーらしいツナギを着ていて、それなりに男前だ。
しかしチューヤたちが注意を惹かれたのは、助手席から降りてきた女のほうだった。
「パリーサ!」
彼らは同時に、彼女の名を呼んで駆け寄った。
インド系らしい褐色の肌と造形。その名は中東系で、服装はイギリス風。
そしてふつうに、日本語を話した。
「こんばんは、遅れました」
「知り合い?」
サアヤの問いに、
「それほど長い付き合いじゃないけどな。……待ってたんだぜ、パリーサ」
答えるケート。
自己紹介がはじまりそうな流れに割り込むように、一瞬だけ運転席から降りた男が、再びクルマにもどって口を開いた。
「わるいが、時間がない。……代わってくれ」
パリーサに短く言い、小さな運転席に身体を押し込んで、エンジンを吹かす。
かなり古めかしく、軽自動車よりも小さなサイズだが、異様な存在感がある。
「てんとうむし、ってやつか?」
ケートの問いに、
「それはスバル360だね。あれもいいクルマだ。しかし、これはもっといい(私見)。マツダR360クーペ。……はじめまして、阿藤タツマだ。きみたちのことはパリーサから聞いてる」
R360は、外見的には2ドア2シーターに見えるが、+2のリアシートを備えている。
まともにおとなが乗れるスペースではないが、女の子、もしくはケートなら乗れる。
パリーサにうながされ、後部座席に詰め込まれるケート。
「おい、いまボクを失礼な視線で見なかったか!?」
「まあまあ、ケート」
つづいて助手席に乗り込むチューヤ。
と、そこへ後方から急速に接近してきたエンジン音が、R360の真後ろでピタリと止まる。
チューヤたちも見おぼえのある、白銀の黒いホンダ・ドリームCB750──スター新舘とかいう男だ。
ホンダは4輪への参入が他のメーカーより遅く、クラシックカーと呼べるほどの経歴は浅いが、そのぶん伝説的なバイクをいくつも生み出している。
CB750は69年発売のホンダのフラッグシップで、量産オートバイとして世界初、200km/hの壁を超えた。
「あーっと! きょうのタツマは最初からあきらめモードかァ? 毎度、女を奪われて独り寝の寂しさを、少年たちでまぎらわそうってかァア」
バイザーを唾液で汚しながら叫ぶバイカー。
ぽかんとして眺めるチューヤたち。
「……招待状のおっさんだよな?」
「実況の新舘さんだ。──まあ待ってよ、すぐ逆転してやるからさ」
運転席の窓から言い放つタツマ。
新舘はヘルメットに内蔵のマイクで実況をつづける。
「その謎の自信はどこからくるのか、さァア、見せてもらおうか、ザッツ・タヅマ!」
「騒がしいおっさんだな」
「前後とヘルメットの3点カメラで生中継してるから、けっこう人気だよ。……さて、これ以上離されるときつい。行くぞ」
チューヤが助手席のドアを閉めるまえから、もう走り出しているR360。
グッドラック、とばかり親指を立てるパリーサ。
即座に追走を開始する新舘の絶叫が、なぜか耳に届くから不思議だ。
「半世紀以上まえの軽自動車に3名乗車で、強化したシトロエン2CVにかなうとでも、本気で思っているのかァ? いや、そもそも4輪は遅いんだよォオ!」
「2輪対4輪の話はやめてくれるかな、新舘さん。……ズンズンズン、まくるぞォ♪」
すさまじい加速度で遠ざかる4輪と2輪を、静かに見送る女たち。
状況の変化に、まったくついていけていないのはサアヤ。
「え、ちょっと、あの。……置いてかれたんですけど? はじめまして、サアヤです」
「すぐにつぎが来ますよ。……ほら。はじめまして、パリーサです」
互いに自己紹介している間に、追走してきて彼女らの横にぴたっと横づけしたのは、唐沢の運転するミニ・クーパー。
最初から追いかけてはいたのだが、ここまで引き離されたのは日ごろの安全運転のたまものだろう。
「ああ、みなさん! 事故ですか、ご無事で?」
「ケーたんのポンコツ以外は無事だよ。ヒナノンたち、だいぶさきに行っちゃってるから、急いで運転手さん!」
さきに後部座席に乗り込み、知り合ったばかりの少女をうながす。
パリーサはしばらく運転席の仮面の男をいぶかしげに見ていたが、すぐに境界らしく空気を読んで助手席に乗り込んだ。
カーチェイス、第2ラウンド開始だ。
山手トンネルは、2015年に全通、供用が開始された。
首都高速中央環状線に所属し、18キロ超の距離を誇る、日本最長の道路トンネルである。
設計速度は時速60キロだが、もちろん彼らにそんなルールは無用。
おそるべきスピードで追い上げる、R360クーペ。
「は、はええ。なんだ、これ」
「ザッツ、マヅダ」
にやり、と笑う運転席の男。
平然とついてくる実況バイクもおそろしいが。
「あ、どうも、はじめまして。俺、チューヤです。パリーサから話は聞いてます?」
すさまじい速度で2CVを追走中というステータスはともかく、はじめましての運転手に命を任せて悠長に自己紹介というのも妙な話だ。
とりあえず最低限の情報を交換し、互いの名前と目的だけは明確にする。
ヒナノを連れ去るシトロエン2CVを、チューヤたちを乗せたマツダR360クーペが追う。
いまは、それだけでじゅうぶん……。
「おーっと、これは何事だァ? まともじゃないぞ、きょうのタツマは! レギュレーション通ってるのか? こんなR360はアリエナーイ!」
飛ぶように疾走する軽自動車の横で、実況をしているほうもたいがいだが、彼の言うことにも一理ある。
たった16馬力の排気量356cc強制空冷V型2気筒4ストロークOHVエンジンのどこに、これほどのパワーがあるのか?
「……たしかにおかしいな、これ」
自動車にくわしいケートはもちろん、最低限の常識を心得るチューヤにも、かなりの違和感がある。
「待て待てェ、なんか変だぞォ、このエンジン音はァア!?」
疑わしそうにエンジンに接近する新舘。
邪魔だよ、とばかりにボディを振るタツマ。
それでも最後まで秘密を抱えるつもりはないらしい。
「もちろん載せ替えてるさ。……低回転はショボいが、高回転では最高のサウンドを響かせる、そう、まさにいま必殺の」
「こォれはァ! ロータリーサウンドだァア! やってくれたなタツマァ!」
ヒャッハー!
と蛇行しながら実況をつづける新舘。
その声を拾うラジオのボリュームを落とし、不敵に笑うタツマ。
ロータリーエンジン。
世界のメーカーが実用化に挑戦し、つぎつぎと脱落していくなかで、唯一、東洋工業だけが製品化を成し遂げた。
「でも、ロータリーエンジンってもっと新しいんじゃ」
「すくなくともR360に積んでるわけがないよな」
そもそもクラシックカー縛りのルールを逸脱していないのか、という問題もある。
ただし境界にいる時点で、レギュレーションは当時に近いか、それに準じるレベルであることはまちがいない。
W16気筒や超高出力バッテリーを持ち込むことは、境界じたいに設定されたルール上、不可能である。新しいものは自動的に排除され、境界にはいることすらできない。
が、言い換えれば、その裏をかくような装備の変更は可能、ということだ。
「もちろん最新技術なんて、まったく使ってない。すべて半世紀以上まえの、古いパーツを寄せ集めてつくられている」
だから、この境界にはいることができた。
クラシックカーの性質上、補修のきかないパーツやエンジンの交換は、不可避的に認められざるを得ない。
そこで、使い物にならなくなったR360クーペのエンジンを、使えるエンジンに交換するという「リビルト」が実行された。
「待て待て、だからリビルト(再生産)エンジンってのは、もともとのエンジンを1からつくりなおすことであって、別のエンジンに積み替えることではないだろ」
研究と発電目的以外のロータリーエンジンは、もはや生産されていない。
なかでも古いエンジンを、1から組み立てなおしたのだとすれば、リビルトエンジンといえばリビルトエンジンではある。
ところでR360が当初、積んでいたエンジンは空冷V型2気筒、排気量356ccのはずだが。
「そもそもドゥ・シュ・ヴォー(シトロエン2CV)のエンジンは、排気量602ccの空冷水平対向2気筒OHVだ。じゅうぶんな強化もされている。この車も、載せ換えたところで排気量は654ccしかない。お互いさまだろう」
「ボア・アップってレベルじゃないだろ! エンジンがまったくちがう」
たとえば通常の小型車のエンジンルームに、3000ccのV8エンジンを収めることは物理的にできない。
が、小型軽量のロータリーエンジンという特性上、軽自動車の小さなエンジンルームにもぴったりと適合する。
まるで、最初からそのために造られたかのように。
「R360の開発リーダーの別名は、ミスター・ロータリーだ」
つまり、設計思想は通じている。
ごり押しにもほどがあるが、こうしてレースに参加できているということは、なんらかの合意は得られているということなのだろう。
ロータリーエンジンは、通常の排気量計算に合致しない、特殊な構造をもっている。三つの燃焼室をおむすび型のローターが回転し、燃焼と排気を同時に行なう。そのため、排気量に対して3倍、とまでは言わないまでも、かなりのパワーが出る。
「ザコとはちがうのだよ、ザコとはァ」
アクセルを踏み込むと、ロータリーエンジンの回転数は1万を超えて、さらに気持ちよく吹け上がる。
すさまじい速度でまくる、R360クーペ。
「このRX360は、3倍はえーぞォ! こいつァ審議だ審議ィ!」
騒がしい新舘も、設計速度200キロのバイクでなければ、引き離されていた可能性がある。
そのくらい小型軽量ロータリーエンジンのスペックは高く、そもそも4輪のほうが速い、可能性もある……。




