53 : Day -30 : Gaiemmae
周囲を見まわすチューヤ。
夜空に美しく細い糸が、無数に天にむかって伸びている。
美しい光景だが、それより「空を自由に飛」んでいる喜びに、まずは浸りたい。
悪魔合体などに使う「魂の時間」で、何度もこちら側の世界に接近してはいた。
だが、もちろんそのときは「生きて」いたわけで、肉体から離れることはほとんどできなかった。
いまは「死んで」いる。自由に肉体から離れて、飛びまわることができる。
「おおお、すごい、すごいぞ! 東京の外にも出られるじゃないか! いやっはー! なにが運命の鬼女だ、ばっきゃろー!」
狂ったように笑いながら、チューヤはきりもみ回転で夜空を舞い踊った。
数秒後、鳴り響く携帯電話。
ビビるチューヤ。
「うわっ、な、なんだこれ? ケータイ? ……もしもし」
「もしもし? どうせバカなチューヤのことだから、夜空を飛びまわって遊んでいるにちがいないと思って、お電話したのよ」
完全に見透かされている。チューヤはげんなりした。
電話の向こうでは、ケートがひとしきり感心している。
「ここまでクリアにつながるとは、さすが電波レベル6だな」
「レベル5以上だとつながるんだろ、霊界電話って」
リョージの声。
「ああ。だけどもちろん、最強のバリ6電波にはかなわない。……残念だったな蛇、サアヤのことはあきらメロン」
「くそ、このクズテツ野郎を消せば……」
「おい、そこで物騒な話してんじゃねーよ!」
マフユの歯ぎしりに突っ込むチューヤの声は、どうやら霊界電話を経由すれば届くらしい。
「もう、時間ないんだからふざけてないで! ……糸をたどるんだよ、チューヤ。自分にとって大事な糸は、強く輝いて見えるから。それをたどって。急いでね!」
「了解」
チューヤは夜空を見まわし、ひときわ美しく輝く糸をたどることにした。
その一本に触れた瞬間、彼方へと身体が吹っ飛ばされる。
広く地球を見わたす、この感覚はジャバザコクからもどってくるときに見た景色に近い。
太陽、月、地球、回転する母なる星の砂色に見える領域へ、チューヤの視界はフォーカスしていく。
──古代地中海世界では、明確な来世観をもつのは、エジプトとペルシアにかぎられる。
『旧約聖書』では、死者の世界は「シオル」と呼ばれ、沈黙と暗黒の黄泉の国でしかない。そこは二度と帰ってこられない暗黒の死の国の闇であると、「ヨブ記」にもある。
そもそもキリスト教は、転生という概念を忌避している。よって、悪魔を召喚する世界観においても、著しい文明の衝突を引き起こすことになる。
唯一の「神の国」が、ほとんど敵として取り扱われるのも、そのためだろう。
『死者の書』をもつエジプトと、「最後の審判」を説くゾロアスター教を除けば、旧世界に暮らすサルどものほとんどだれも、来世を語らない。
ギリシア神話の英雄たちも、死ねば終わりだという文脈で語られている。
メソポタミアとその隣接地帯における農耕社会も、現世における豊穣と多産を祈っても、来世を語ることはない。
──その国は、夕暮れを迎えていた。
日本との時差は7時間。
5000年より以前から滔々と、恵み深い大河が流れている。
黒い犬が、遠くで吠えた気がした。
「おい、それエジプトじゃないか? ……まさか、チューヤ。」
霊界電話からケートの声。
「いやー、まちがえたまちがえた。お、この糸こそ運命の糸! お、おおお!?」
あわてて別の糸をつかみ、彼方へと飛び上がるチューヤ。
──ギリシア人の悲観論はホメロス以降の伝統といってもいいが、テオグニス、ピンダロス、ソフォクレスなど、人間にとってもっとも幸運なことは生まれてこないことであり、つぎには生まれたらできるだけ早く死ぬことだ、とまで言い切っている。
ただし、魂の不滅や転生を信じていたギリシア人が、いなかったわけではない。
前世で友人だった犬を見つけた(という体で)ディオゲネスは「打つな」と言っているし、数学者として知られるピタゴラスなどは、南イタリアでその手の宗教学派を創始までしている。
すくなくとも魂と肉体という二元論は存在し、ソクラテスからプラトン以下、多大な影響を与えてきた。
神話世界においてはなおさら、彼岸へと運ぶ地獄の渡し守カロンが、あの世へわたろうとする死者を毎夜、1オロボスで対岸へと運んでやっていた。
ペルセポネと結婚しようとしたペイリトゥスとテセウスを、舟に乗せたこともある。
──再び吹っ飛ばされたさきは、エジプトとの時差1時間。
ギリシャだ。
「え、この川をわたると、セポ姐と結婚できるの……?」
妄言を吐くチューヤの声に、
「なるほど、チューヤは最近会った女の尻を追っかけているわけだな」
理解の早いケート。
「チューヤの意外な一面を見たなあ」
リョージの呑気な声に、
「彼は特殊なタイプの男性であると信じたいところです」
軽蔑しきったヒナノの声。
「アホだなーおまえ女を追っかけまわしてまたドジしてる」
地獄の底まで茶化すマフユ。
「チューヤ、いいかげんにしないと本気で怒るよ……」
サアヤのアホ毛がピクピクとふるえた。
「すまん、てかわざとじゃないんだよ! これ仕様がよくないんじゃないの、ほら、最近の微妙な感情の揺れに敏感すぎるっていうかさ」
「揺れてたんだな」
「チューヤン電撃だっちゃ! いいからとっととナミおばさんの糸を見つけろよ!」
もちろんサアヤとしては、仏教の糸が三番手以下であることがなにより突っ込みどころだが、いまは時間がない。
本来、オオクニヌシの加護を受けるチューヤは、まっさきに神道の道を見つけ出していていいはずだ。
だが、国つ神であるオオクニヌシと、天つ神であるイザナミの系統には、曰く言い難い微妙な関係性もある。そんな神話的なしがらみを、現代に生きる高校生たちが引きずって生きる必要も、またないわけだが。
「あー、いい夜空だ、やっぱり日本の近くに帰ってくると心が安らぐね!」
「それはいいけど、チューヤ、あんまり地上から離れないでね。もどってこられなくなるよ。天国も地獄も、どこか遠くにある夢の国も、ことごとく地上の周辺に集まっているんだから。それほど遠くには、ないんだよ」
サアヤの物言いに、にやりと笑うケート。
「含蓄深いことを言うじゃないか。耳が痛いだろ、お嬢。お空の彼方の遠くのほうに天国を設定している、神学機構さんの教義としては」
「異教徒がどんな信仰をもとうが、神学機構はいっさい関知しません」
「ふん。人間が、どんな教義を信じようが、そいつ自身は地上に縛りつけられているんだ。……そういうことだよな、サアヤ」
「むずかしいことはどうでもいいよ。……チューヤ、見つけた?」
「おっけー、たぶんこれだ。宛先、神蹟黄泉比良坂伊賦夜坂伝説地」
チューヤの身体が、急速に地上へと吸いよせられていく。
目的地を設定しました──。
現在は観光地となっている、島根県松江市東出雲町にある坂道、伊賦夜坂。
小雨そぼ降る山陰の深夜、もちろん観光客などいるはずもない。
心霊スポット化でもしていればともかく、そもそもチューヤ自身が心霊的存在だ。
雨は感じない。
暗闇も生身ほど感じられない。
霊気を帯びた神秘的な坂道は、このさきが黄泉の国に通じていると告げている。
異説はいくらでもあるが、黄泉の国への道がたったひとつである必要もない。
黄泉の国で、ヨモツヘグイなる食い物さえ手に入れられれば、それでいいのだ。
「いい、チューヤ? 気をつけて、そこからさきは……ザッ、ザザ……ッ、プツッ」
昭和の女らしく携帯電話を振るサアヤ。
視線を受け、肩をすくめるケート。
「……バリ6の電波でもつながらない、か。やはり霊地はダメだな」
「どういう基準なのよ? トンネルにはいるとつながらない、みたいなもんか?」
リョージにとっての心霊は、しょせんそんなもんだ。
ケートはやや憮然としつつ、
「宇宙の果てだろうが地の底だろうが閉空間内の迷宮だろうが、霊界電話はつながる。虚数量子は超光速粒子の属性ももっていて、距離も物質も関係なく通り抜けるからな。ただし、同じ虚数量子の集積した場所だけは、むずかしい。いわゆる霊験あらたかな場所、具体的には恐山とか神社とか、ある種のパワースポットだな。ちゃんとチューニングすればつながるはずだが、これはβ版だ。現状では不可能に近い」
「ともかく、ここからさきはチューヤの能力しだいってことか」
リョージの言葉に、サアヤは力強く拳をにぎる。
「だいじょぶだよ、チューヤ、やるときはやるから」
「ま、信じる以外にないな」
「……それより、こちらも無問題というわけではないようですよ」
ヒナノが立ち上がり、ドアのほうを顧みながら言った。
いつものラップ現象とポルターガイスト各種。
テーブルのうえの残った食材が、急速に腐り落ちていく。
ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン。
鳴り響くチャイム。
ドンドンドンドン。
たたかれるドア、揺れる部屋。
ホーンテッドマンションにも、危機が訪れる。




