04 : Day -35 : Saginomiya
ババアだぞ……だが女だ……一応写真撮れ……早く脱がせろよ……使えるパーツくらいあるだろ……一応女だ……。
数人の男たちが群がって、その場から彼女を運び去ろうとしていた。
竹園の嫁、おそらく「ララ」だ。一瞬見た濃い顔は忘れられない。
泥酔のきわみにいるらしい彼女は、襲ってくれとばかりアスファルトに横たわっている。
いかに平和な日本といえど、この状態では「被害者の責任」も免れないだろう。
──ギリギリだった、彼女が助かったのは。
もし、タクシーが信号に引っかかっていたら、サアヤが途中でコケていたら、急行にまにあわなかったら、物語は別の方向に転がっていたにちがいない。
「この変態どもがーっ!」
チューヤのロケットキックが直撃し、男たちが四散する。
見た目、いわゆるアキバ系。
太めで、メガネをかけ、チェックのネルシャツ、リュックを背負い、両手に紙袋、独特な口調で、異臭を漂わせる。
「なんでこんな住宅街にオタクどもが集まってんだよ!?」
「ドルヲタってやつだね。ほらチューヤ、先週も中野でやってたじゃん。総選挙?」
アイドルグループ、AKVN14が中野区で展開してるイベントで、14人のアイドルたちが区内に散らばり、ゲリラライブや生配信などを展開、グッズ販売、視聴数などでファンの支持を集めている。
「だったな。くっそ、やっかいな話が絡んできやがった」
「だから言ったでしょ。いやな予感するって。案の定、女のひとにイタズラしようとしてたし」
「そのまるで俺が犯人みたいな言い方やめてもらっていい!?」
相手は5人。このまま逃げてくれればいいと思ったが、どうやらそういうわけにいかないようだ。
オタクたちは、チューヤたちが少数派であると認識。
──しかもそのうちひとりは女だ。年齢も若い。新しい獲物。
そう判断したらしい。顔を見合わせ、正体を現す。
彼らは、弱者に対しては強く、自分たちが多数派であれば、さらに調子に乗る。
「やっちまえ!」
5対2、という圧倒的優勢を、さらに確約したいと考えたのだろう。
彼らは周囲を「境界化」した。
こうすることで、証拠を残すことなく好き勝手なことができる、という邪悪な学習効果をともなったドルヲタの群れ。
始末がわるいな、とチューヤは吐き捨てたが、境界化じたいはチューヤにとっても都合がいい。
人数に任せて物理空間で攻め込まれたら、チューヤにもどうにもならなかった。できることといえば、警察を呼ぶくらいか。
だが境界化すれば、基本は「自力救済」である。
相手が悪魔であるなら、こちらも悪魔を使えばいいのだ。
名/種族/ランク/時代/地域/系統/支配駅
モムノフ/妖鬼/J/中世/日本/甲陽軍鑑/小台
「こいつらが、うわさのモムノフかよ」
「なんかザコっぽく見えるけど?」
「……だよな!」
先手必勝、会者定離。
最強の布陣で一気にたたく、と決めたチューヤ。
一方、序盤の経験値にしかならないジャンクの悪魔たちにとって、それは「レベチのおとなげない対応」にみえる。
おびえるモムノフたち。
「こ、こいつ、悪魔使いだぞ」
「それも4体……くそ、ずるいぞ、こっちは5人しかいないのに!」
「6対5なんてずるいぞ!」
まるで突っ込みを待っているかのようなボケだが、チューヤは容赦しない。
圧倒的な火力で1匹を血祭りにあげた瞬間、相手は戦法を変える。
モムノフBはナカマを呼んだ!
モムノフFがあらわれた!
モムノフCはナカマを呼んだ!
モムノフGがあらわれた!
「うげっ! 変態が増えたよ、チューヤ!」
「見りゃあわかるよ……まあザコは何匹いてもザコだが、アイドルのファンとしては、これほど都合のいい連中もいないだろうぜ」
チューヤが見て取った「社会の深層」には、おそろしい価値がある。
多くの状況において「数は力」なのだ。
お金はもちろんだが、「動員数」ほどアイドルを強く支えてくれるものはない。
チューヤは戦い方を変え、物理攻撃陣を減らして魔法要員を呼び出した。グループ攻撃によって、一気にカタをつける判断だ。
同じ種族が群れている場合、これが最適解である。
さいわい相手は、レベルじたいが非常に低い。
ほどなく最初の戦闘は終了したが……おかしい。
「境界が、解けない?」
「またボスがいるパターンみたいだねー、チューヤ」
やれやれと首を振るサアヤの耳にも、遠くから鳥の鳴く声が聞こえてくる。
「コッケ、ケッコー、ケッコ、ちゃーん……」
足元では、謎のセリフを残し最後のモムノフが息絶える。
アイドルファン、モムノフ。
おそらく、このやっかいな種族が多数、これからマフユのシナリオに立ちふさがってくるにちがいない。
──ふと横を見ると、細い、トリガラのような女が歩いているのが見えた。
ハッとして姿勢を落とし、アナライザを起動する。
名/種族/ランク/時代/地域/系統/支配駅
コカクチョウ/妖鳥/I/3世紀/西晋/玄中記/鷺ノ宮
彼女は「天帝少女」というオリジナル曲を歌いながら、ゆっくりとチューヤに近づいてきた。
AKVN14のひとり、ケッコだ。
悪魔全書には記載されていないが、一応チューヤが「たった14人だしな」と予習しておいた成果が出た。
ケッコは、トリガラのように細い身体で、ふるえながら歌うことが特徴のアイドルだ。
腰を振りながら「あなたのお姫さまはここにいるの~」と歌っている。
チームV所属。
攻撃しかけたが、すぐにそれは悪魔使いの戦い方ではない、と思い出す。
さきほどのモムノフのように「話にならない」場合はともかく、現状、まだBGMは戦闘曲に移行していない。
「……こんにちは。ナカマにならないか?」
交渉テーブルを展開する。
コカクチョウは彼を見つめると、黙ってコンサートチケットと握手券を差し出した。
チューヤはしばらく考えてから、暗号通貨マッカインの支払いを了承する。
チリーン、と音がして、こつこつためたチューヤの口座から幾ばくか、料金が引き落とされる。
「だけどね、もうちょっと買ってくれたら、もう一枚、どうかな?」
小首をかしげ、蠱惑的に笑う女。
少しくゾッとするチューヤ。
──これは「おねだり系」の悪魔だ。
悪魔にはさまざまなタイプがいて、男気で魅せればナカマになってくれるタイプや、笑わせたり、おだてたり、気が合えばそれで満足の相手もいる。
おねだり系は、純粋に金銭的な交渉のテーブルになる。ある意味シンプルだが、お財布にとってはやっかいな相手だった。
チューヤは慎重に、交渉を詰めていく。
ほぼすべての悪魔を、交渉でナカマにできる。ただし自分の属性や、相手との相性も大きく作用する。
コカクチョウの基礎レベルはそれほど高くないが、AKVN14の一角として「ボス補正」はかかっている。通常、ボスとは交渉できないが、戦わなくて済むならそれに越したことはない。
悪魔使いの交渉術のすべてを駆使して、好感度を上げていく。
そうして交渉成立か、と思った瞬間。
「そろそろやっちまえ、ケッコ!」
背後から響いた声に、やおら、ビクッとふるえあがるアイドル。
トリガラのような身体をふるわせ、こわごわと彼女のふりかえるさき、当然のようにカメラをかまえたスタッフ。
彼は一瞬、ブチ切れた鬼のような形相をみせたが、すぐにねっとりとした笑みを浮かべて、
「戦うアイドルになるんでしょ、ケッコちゃん。ほら、見せてあげよう、みんなに。ケッコちゃん強いとこ、ね? 待ってるよ、みんな。お金になるんだよ。きみはね、とってもいい女だから、高く売れるんだよ。もっともーっと人気が出から、もっともーっとたくさん手にはいるんだよ、ご褒美ほしいでしょ?」
ブルブルとふるえるケッコの身体に、戦闘の気配が高まっていく。
彼女はぎゅっと手首をつかむ。
その手に走る傷の意味を、チューヤたちは即座に察する。
最初から、この交渉のテーブルに意味はなかった。アイドルの業界を支配しているのは、アイドル自身ではない、彼女らを使役する──裏方こそが黒幕なのだ。
アイドルになりたいと夢見る女の子、その気持ちを利用するおとなたち。
手首からだらだらと垂れる赤いものは、もはや血ではない、呪詛だ。
自傷系、病んでるアイドル、ケッコ──。
少女たちの参入動機は、たいてい承認欲求や自己実現だ。
幼いころから刷り込まれたイメージも、彼女らの行動を支配する。
ただし彼女らは、まだ少女かもしれないが、すでに幼女ではない。言うまでもなく重要な「お金」の部分を、ゆるがせにできないことくらいは知っている。
とくにメンタルを病んでいる彼女のようなタイプにとって、自分が「高く売れる」ことは、存立の基盤でもある。
──彼女は、大事に育てられた。
沖縄の、それなりにお金持ちの家で、趣味としてダンスと音楽を学んだ。
この道にはいったきっかけは、自己実現でもなんでもない、「男」だ。
思春期のもてあました身体を、彼はなぐさめた。同じ雰囲気を、チューヤたちもさっき、ホストクラブでたくさん見てきた。
その彼は半グレに片足を突っ込んだ、業界のスカウトだった。
どの業界か? 言うまでもない。
釣られた彼女らは、だいたいの場合、風俗に売られたし、うまくいけばモデル、さらに成功すればアイドルという道も広がっていた──それは事実だ。
現に、ケッコは成功してここにいる。葬られた無数の地下アイドルの頂点に、ある意味、彼女は立っている。
しかし、ここが終着点ではない。これから待ち受けるのはAV業界か、あるいは……。
「待って、ケッコ……ちゃん? きみはだまされてる、そんな子じゃないはずだ」
チューヤはあきらめずに、交渉のテーブルを継続する。
サアヤも、同じ女の子として応援している。
──心の弱い少女は、容易に周囲に流される。
知り合ったばかりの悪魔使いのやさしい言葉は、彼女の心をざわめかせる。
しかしもちろん、彼女を縛る呪詛には勝てない。
「やれ、ケッコ! おまえはもう、そうするしかねえんだよ、その身体の使い道、決めた時点でな!」
ケッコのうえに、ウブメが宿る。
彼女は自分の身体を売り払う契約書にサインをした。だからもう、そうするしかない。
自分の両手で、自分の腕に爪を立てる。
滴る血は、ほとばしる魔力。
──彼女は親に反抗して、家を出た。
親が大事にしているものを、ドブに捨てるように他人に与えるという自傷自罰行為によって、その価値を守ろうとしている自分の保護者であり抑圧者に対して、リベンジを果たすことに決めた。
それが彼女の動機であり、性癖であり、強さの源泉だった。
自傷性リベンジ。
「チューヤ!」
疾走する空気が、チューヤを引き裂いた。
相手の腕が負ったダメージの何倍もが、チューヤを切り刻む。
高速で癒すサアヤのおかげで考える時間はあるが、それでも苦しげに戦端を整えるチューヤは、まだ乗り気ではない。
こういうタイプとは戦いたくない。戦わされているだけの、彼女は被害者だ。
それでも……。
チューヤの攻撃は、確実にトドメを刺した。
──カメラをもって動きまわる、うっとうしい女衒に。
動きを止めるケッコ、あるいはウブメ。
彼女はその場にうずくまり、きょろきょろと不安げに周囲を見まわす。
ケッコを戦わせている者を取り除けば、戦闘は終わる。
このルールは、身近にコントローラが存在するかぎり、つねに通用する。
蓮根の病院のときもそうだったし、おそらくこれからも、自分の意志にかかわらず戦わされている者たちに対して、通用する戦略のはずだ。
ケッコからの攻撃をほとんど閑却し、チューヤは戦場を撮影する「マスゴミ」を狙いすました。
もちろん報道は重要な社会の公器であるが、用い方によっては「ゴミ」にもなることを、現代社会に暮らすわれわれはよく知っている。
自分の利益のため、わざわざ事件を起こすマッチポンプは典型だ。
戦争というエサに吸いつく寄生虫は、軍産複合体ばかりではない。
戦闘BGMの終了を意識して、チューヤはケッコに向き直る。
その瞬間、ぎくりとふるえた。
空間が歪み、代わりのカメラマンが、ゆっくりと現れた。
悪の種は尽きない、つねに「代わり」が控えている。
──わたしが悪事をはたらかないからといって、この世から悪は消えない、なぜならわたし以外のだれかが、その悪を行使しつづけるからだ。
だから、だれがやっても、同じこと。
悪人の理屈が脳裏をよぎる。
永久に無為、諸行無常の厭世観に陥る道を、チューヤは自覚した。
彼ごときが棹差して、容易に切り替わるほど脆弱な業界など、そもそもない。
このまま戦うか、あるいは。
新たな敵に適応すべく気合を高めようとした直後、拍子抜けた。
ケッコはすでに「つぎのシーン」に合わせた、仮面のような微笑を浮かべている。
撮影シーンが切り替わった瞬間に即応し、感情を調節して演技をやり抜く。
──彼女は女優だ。
「……ええと」
チューヤは口ごもり、いまさらながら状況を再認する。
悪魔相関プログラムは、トークのコマンドそのものは維持しつつ、召喚プロセスをグレイアウトさせている。
──境界から、抜けたのだ。
彼女は、彼女を冷酷に使役する「オトコ」からは解放されたが、彼女自身がアイドルであることの義務から逃れたわけではないし、また当人にそのつもりもない。
むしろスキャンダルの要素を切り捨ててもらって、感謝している、かのような笑み。
彼女は被害者だ、と思っていたチューヤは卒然として理解した。
ほんとうに強いのは、彼女だ。
コカクチョウは、にっこりと笑い、
「応援ありがとう!」
チューヤと握手を交わし、総選挙を戦うアイドルという役割の演技を継続する。
チューヤたちの目のまえにいるのは、あくまで中野区でゲリラ配信をするAKVN14所属アイドル、ケッコ。
カメラをまわす数人のスタッフは、悪魔ではない、人間たち。
はたらく業界人は、中野アイドル総選挙をウェブで生配信中だ。
彼女は笑顔で「応援ありがとう」をくりかえし、駅のほうへ歩み去っていく。
ぽかーんとしてそれを見送る、チューヤとサアヤ。
こちら側では、そういうルールなのだ……。