46 : Day -31 : Numabukuro
現世側の新井薬師は、ごく小さなよくある寺にすぎない。
近隣に区立の新井薬師公園はあるが、本来の境内はそれよりはるかに広く、さらに広域に門前町が広がっていた。
境界の門前町は、まさにその聖俗入り乱れた、狂乱の巷である。
とはいえ現世ほどの賑わいもなく、ただ100年前と100年後の喧騒と廃墟が、奇妙にまじりあった異空間、という風情だ。
淫売宿に出入りするわけにもいかず、かといってこの世界の雑貨に入用なものもない。
コンパスにしたがって歩きながら、彼らは怠惰に、くだらない話をしていた。
「で、チューヤは、なんでサアヤが好きなんだ?」
マフユの問いに、思わず吹くチューヤ。
「ぶっ。なんだよ、唐突に」
高校生かつ女子の会話とは、そういうものである。
「昔ねえ、こんなことがあったんだよ」
と、サアヤは語りだした。
それは「幼馴染」という関係性に、よくある話……ではなかった。
話を聞いていた女たちの表情が、わかりやすく変化した。
──あるときサアヤが、チューヤの部屋を訪ねると、彼は壁に向かって電車を走らせていた、という。
「やべえやつだな」
「近寄ると感染しますよ」
マフユとヒナノが、一歩距離をとった。
チューヤは地団太を踏み、
「ひとを病人みたいに言うのやめて! 当時! 子どもだから!」
サアヤは門前町を広く見わたし、仏教徒らしく合掌すると、お寺のほうを礼拝しつつ、静かに語った。
それはまさに、武帝サアヤの問いであった。
「私は訊いたの。──おまえの知る鉄道の聖なる真理とはなんだ、と」
「よくわからんが、なんて答えたんだ?」
顧みて問うマフユ。
そのとき不敵なチューヤ・ダルマは、こう答えた。
「ええと、たしか、そんなものはない、とかなんとか」
「……ガキか」
「ガキだよ! 何歳のころの話だと思ってた!? 思いつかなかったんだから、しょうがないでしょ」
「で、私は訊いたの。チューヤよ、私の目のまえにいる、おまえは何者だ? と。チューヤは答えたの。──知らない。そして、そのまま押し入れに閉じこもって、電車を転がしだしたの」
一同、その姿を如実に想像し、悪寒をおぼえた。
チューヤ自身すら、みずからの姿を思い出すだにおそろしい。
「完全に病気の子ですね」
「世間との関係を断ち切ってやがる」
ヒナノとマフユの、毛じらみを見下すような視線を受けて、チューヤは激昂する。
「そうだっけね!? 当時はいろいろあったし、俺も子どもだったし、たまにはあるでしょ、そういうことも!」
「で、私は思ったの。こいつ、引きこもりよるな、と。九年まえのことよ」
上記のエピソードは、有名な達磨大師の「禅問答」と重なる。
のちのち、さまざまに解釈されることになる禅問答だが、チューヤは達磨大師的な求道精神で、以来、面鉄九年、鉄ヲタの道を貫いている。
ちなみに「面壁九年」は、達磨大師が中国の嵩山・少林寺にこもり、九年もの長いあいだ壁に向かって座禅を組みつづけ、ついに悟りを開いたという故事である。
「鉄ヲタの悟りってなんだよ」
「聞きたい?」
「やめろ、聞きたくない、耳が腐る」
「じゃあ訊くなよ!」
憤然として突っこみモード全開のチューヤに、そっと問題の焦点を押しもどす邪神マフユ。
「……で、それのどこに、チューヤがサアヤを愛する流れがあるんだ?」
「いや、私がチューヤに、こいつ私が面倒見ないとやばいな、と気づかせてくれたエピソードだよ」
「まちがいありませんね」
納得の女子。マフユは軽く舌打ちし、
「ちっ、さっさと見捨てればよかったのに」
「よかったですね、おかげさまで、曲がりなりにも外に出られたじゃないですか」
「出てたよ、電車乗るときは、いつも!」
サアヤは残念そうにうなずき、
「そうなんだよ。あのころのチューヤは、走る鉄の塊ばっかり見てて、人間といっさい目を合わせなかったんだ」
「いまでもそうだろ。こいつ、あたしが睨むとすぐ目をそらすぞ」
「あたりまえでしょ! あんた俺に蛇眼(3ターン硬直)飛ばすの、いいかげんやめてくんないかな!?」
動きを止めたチューヤの顔面に油性ペンで落書きをする、という遊びが一時期、鍋部で流行ったことがある。
参加しなかったのはヒナノくらいだが、これはチューヤにとってさして喜ばしくもない。
「まあ、チューヤがやばい子どもだった、というのは、よくわかった」
「もういいでしょ、俺なんかいじっても、なんも出てこないよ!」
「だいぶ吐き気のするエピソードが出てきたじゃないか」
「ごめんね!」
一同は歩きつづけている。
このコンパスのさきに、敵のボスがいると信じて。
路地を右に曲がり、左に曲がり……そろそろその異様に気づいてもよさそうなものだったが、くだらない会話が冷静な判断を阻害した。
代わりに、くだらない(と思われる)記憶ばかりが掘り返される。
「ダルマといえば、座頭イッヒさん、おぼえてる?」
「座頭市のことですか?」
「ああ、お嬢とリョージは会ってなかったっけ。……白金台で会ったんだよな、太った白いおっさん」
恵比寿、白金台、目黒という3点突破で仲間たちを集めたミッションは、その後、ジャバザコクへの道を切り開いた。
重要な人物が、順次、初登場を果たしたタイミングでもある。
「あの変態どもか。気持ちのわるいもん思い出させんじゃねーよ、鉄ヲタ」
「白と黒と茶色の太ったおじさんに会った日だね」
「そう、その白いやつだ」
白は座頭イッヒ、黒は烏王と呼ばれる芸人、彼らはどうやら仲良しらしい。
ヒナノが眉根を寄せ、
「茶色というのは、もしかして」
「そう、北大路ドサンピンてひと」
今回のミッションにも執念く絡んでいる重要人物だ。
ヒナノは軽く唇を噛んだ。
「恥ずべき親戚ですわ」
「親戚には苦労するよね、お互い」
サアヤにも、あまり胸を張って自慢できない親戚がいる。
ヒナノは脳内に新たなプランを想起しながら、
「いやなことを思い出させていただきました。代々木公園に行かなければなりません。ついて来たければ、いらしてもよろしくてよ」
ヒナノ自身認めている。残念ながらチューヤには使い道がある、と。
察した彼は、脳内の悪魔全書を読みながら、
「ふーん、代々木公園……て、パズズの支配駅だね」
「ガブリエルの件もありますし、本来、わたくしはこんなことをしている場合ではないのですが」
「おいそがしいところすいませんでした! なんなら、いまから帰ってもいいよ、そうリョージに伝えとくから」
軽く意趣返ししたつもりのチューヤは、即座につぶされる。
「わたくしがやさしさを保てているうちに、その口を閉じたほうがよろしくてよ」
「ごめんなさい!」
「……おい、それより変じゃねーか?」
マフユが最初に気づいた、というのは、すでにそうとう変になっている、ということだ。
コンパスの針が指し示す方向に、道を曲がるたび、ひとの気配が消えていく。
つぎの路地、そのまたつぎの路地、コンパスにしたがって入り組んだ門前町を行き来すればするほど、ひとの気配がなくなり、そしてついに、最後の路地を曲がった瞬間、彼方へと貫く大通りには人っ子ひとり、いなくなっていた──。
「……罠だね、これは」
「だろうね……」
「まったく」
「おい、勘弁しろよ。とっととリョージ助けて、鍋にしようぜ」
「そういえば、きょう金曜だったね」
「学校にもこないくせに、その曜日感覚だけは感心するよ」
攻める側は気づいていなかったが、攻められる側は早々に気づいていた。
自分に対して放たれた「刺客」の存在に。
そして、彼らが自分を魔力のコンパスによって追いかけている、という事実を最大限に利用した。
空間を編むようにして、あちらこちらと移動した。
内側に向けて閉じる回廊へと、チューヤたちをいざなったのだ。
そしていま、空間は閉じられた。
彼らは二度と、新井薬師の門前町から逃れることはできないのだ……。
「どうですか、唐沢」
ヒナノの問いに、あちこち街を走りまわっていた運転手は、ぜえぜえと息を切らせながら答えた。
「だめです、どっちに曲がっても、結局ここにもどってしまいます」
「閉空間だね」
「ケートなら空間の曲率とか、無限回廊とか言いそうだな」
「ちっ、いやなやつの名前を出すんじゃねーよ。空きっ腹に響くわ」
しばらく考え込んでいたサアヤは、ぽつりと言った。
「……空きっ腹、ケーたん。そっか。あの天才児なら、なんとかしそうだね」
「いないものはしょうがないだろ。境界の外とは、そもそも」
「連絡とれない、なんて古い思い込みにいつまでも縛られてるから、しょせんチューヤは鉄ヲタなんだよ」
鉄オタは普通名詞だが、鉄ヲタになると負のニュアンスを含むらしい。
同じ音なのに、語調だけでそれを感じさせるのが、サアヤのすごいところだ。
「どういうディスりかただよ! じゃ、どうにかなるんでしょうね、サアヤさんの力によれば!」
「まあ、細工は流々、仕上げを御覧じろ」
サアヤは言いながら、ポケットから圏外のケータイを取り出した。
ただの思いつきのはずだから、細工が流々なわけはない、とチューヤは早々に気づいたが、なんの意味もないことをやるとも思いたくない。
サアヤはケータイに取りつけられた謎のミサンガ的な組み紐を、あたかもアンテナのように本体に縛り、ケートの電話番号を呼び出した。
もちろん返ってくるのは圏外の音声だが、無視して念仏を唱えはじめた。
「こっちー般若ハラ痛たー、ぜったい陣痛、ぜったい妙じゃー、抜け毛ー抜け毛ー、ぎゃーてーぎゃーてー腹がいてー腹超いーてーいぼー痔ーそー」
謎の般若心経っぽい呪文、まさに呪いの文句を唱えるサアヤを、一同は空恐ろしげに見つめることしかできない。
般若とは知恵。知恵といえばケート。
サアヤは念仏によって、ケートと連絡を取ろうとしている。
さすがに唖然とするマフユ。
「なんだあれは……」
サアヤの魔女っぷりを知り尽くしているチューヤは、記憶を呼び覚ましながらつぶやく。
「ああ、そういえばケートと話してたかな。霊界電話のオプション設定。境界からでも電波つながる可能性があるとかなんとか。寝言だとばかり思ってたよ」
「お助ケーたん、お助ケーたん、もしもしもしもし、こちらかわいいサアヤさん、応答してください、お助ケーたん、お助ケーたん? イータコーのイータローちょっと見なればー♪」
イタコの伊太郎が何者かはともかく、彼女には口寄せを行なう恐山のイタコに近い才能があることは事実らしい。
その姿は、それはそれで、押し入れにこもって電車を転がすチューヤに匹敵するほど、エキセントリックで不気味な光景ではあった。
「霊界電話……あいかわらずの魔女っぷりですね」
「しかし、なんであのチビなんだよ?」
「決まってるでしょ。こういう頭使う場面で、ケートが謎を解けないなんてことある?」
「たしかに、知恵だけはずば抜けていますからね、彼」
「そのぶん性格わるいけどな」
「おまえが言うなよ! ……で、ケートには伝わったのか?」
見れば、サアヤがひとまず最初の通信を終え、満足そうにうなずいているところだった。
携帯電話に巻いた組み紐が勝手に立っているところを見ると、霊界電話のアンテナはたしかに稼働しているらしい。
「うん、たぶんいまごろ、衝撃的な悪夢とともに昼寝から覚めていると思うよ。腹が痛くてしょうがないはずだから、全力疾走で、私たちを救出に向かってるはずだよ」
「なんという呪い……」
チューヤ、サアヤ、ケートについては、ある種の「つながる」理由がある。
ケートによれば、それは秘密だが、「愛」らしい。
「純粋数学者が愛とか言うなよ」
「ねー。意外にロマンチストだよ、ケーたん」
「ちっ、サアヤへの愛なら、あたしだって」
「うん、だからケーたんの計算によると、霊界電話がつながる可能性があるのは、私とチューヤ、ケーたんの組み合わせのほかに、私とフユっちはOKみたい! だからほら、前回も見つけたでしょ、フユっちのこと」
境界に飲まれながら、赤羽岩淵の水門のそばで死にかけていた、汚泥にまみれたマフユを探し当てた、という実績がたしかにサアヤにはある。
「あれは妖怪アホ毛アンテナの力じゃなかったのか」
「そういやたしかに、サアヤの声が聞こえたような気がしたような……なるほど、愛だな」
そこでサアヤは、それまで蚊帳の外だったヒナノに、くるっと視線を向けて大事な事実を告げる。
恋愛体質の彼女は、それが「福音」であることを知っている──。
「もひとつ、ヒナノンとリョーちんも、つながる可能性があるって。よかったね、ヒナノン!」
「そ、そうですか。いえ、べつに良いというか、どうでもよろしいですが。非常時に連絡がつくというのは、便利ではありますね……」
つながらない男チューヤは、地団太を踏んだ。
「なんなの、それ、どうなの!? どういうこと?」
「ケーたんによると、愛のレベルが5以上だとつながるんだって。すくなくとも鍋部内では、それ以外の組み合わせは全部4以下だから、つながらないんだってさ!」
「愛のレベルとか、なにそれ、愛は数学じゃないからね! 博士はそんな数学を愛さないから! わかんないよ、意味わかんない!」
ともかくいまは、サアヤの魔女っぷりを信じるしかない。
待つ時間、というのはある意味、むずかしい使い方を迫られる。
完全に休息してしまっては、急な対応がむずかしい。
だが、いつまでも、つねに張り詰めているわけにもいかない。
そんななか、マフユのリラックス方法は、問題が多かった。
なるべくサアヤに見つからないようにはしているようだが、眼中にないらしいチューヤの目のまえで、平気と注射器に麻薬を溶かし込んで刺しはじめたのは困ったものだ。
チューヤが唖然としているうち、止める間もないほどの手際の良さだった。
「おまえもやるか、チューヤ」
と、注射針を差し出すマフユに、
「やるわけないでしょ! なに考えてんだおまえは、教育的指導だ!」
鉄拳制裁したいところだが、もちろんチューヤにできるはずもなく、腕をくるくるまわして指さすのみ。
マフユは平然として、むしろ問い返してくる。
「おまえ、なんのクスリもやらんで、あれからずっと活動してんのか?」
「あれから? いつから起きてんのか、もう忘れたけど」
「よく生きてんな、おまえ。正直、そのクソ体力だけは尊敬するわ」
「若いころは1晩や2晩の徹夜、なんとかなるもんだよ!」
一般的にはそうだが、それでもチューヤの「クソ体力」は飛び抜けている。
死なずに活動をつづける、という点では悪魔使いのお手本のような男だ。
「太く短くって生きざまは同意するよ。だからこそ必要だろ、こういうツールが」
注射器を振るマフユに、
「麻薬、ダメ、ぜったい!」
政府広報で応じるチューヤ。
クスリなどに頼らず、自力で問題を解決しなければならない。
それでこそひとは成長するのだ、と信じたい。




