42 : Day -31 : Nakano-sakaue
「さて、問題の中野坂上だけど」
チューヤは東京メトロによる最短乗換案内を提示したが、ホテルのエントランスに待ち受ける高級車というヒナノの提案が、当然のように押しとおった。
首都高4号線経由で10分少々。
都内は公共交通機関の利便性が高いが、運転手つきドア・トゥ・ドアの効率にはかなわない。
「まず事務所とかに確認して、現在位置を訊いたほうがよくない?」
「いや、直接アナトを呼ぼうかと思うんだけど」
アプローチする始点の問題。
エリサに憑依しているのが死神アナトだという確証はないが、中野の12駅に配置されている悪魔は基本、種族がバラけているので、死神的な申し送りをするとしたら、中野坂上のアナトの確率が高そうだ。
その周辺を拠点に選挙活動を展開しているのがエリサである、となったら偶然性を指摘する以前に、明確な必然だろう。
「それはいいですが、あなた、その後頭部にかぶったお面、なんなのですか? まさか、ふざけているわけではないでしょうね」
リョージを助ける、という気高い友情による聖戦を愚弄する者を、赦すわけにはいかない。
その厳しいヒナノの視線を受け、
「……へ?」
チューヤは素っ頓狂な声をあげて、自分の後頭部に手を伸ばした。
瞬間、ぽろりと落ちる伎楽面、迦楼羅。
ぞっとして、シートに落ちた古い面を見つめるチューヤとサアヤ。
「勝手にもってきたらダメじゃん、チューヤ……」
「いや、もってきてないから! 勝手についてきたから!」
「なおわるいよ、それ……」
瞬間、ふわり、ふわり、と浮き上がる迦楼羅。
だれが見てもわかる、呪いの面。
つまり、いまはチューヤが呪われているということだ。
「ただでさえやっかいな状況なのに、あなたというひとは……」
「わざとじゃないから! リョージだって……っ」
ハッとして、顛末を思い返す。
ある意味、リョージも「猿の手」の呪詛に陥っているのかもしれない。
死神の連絡帳はもちろんだが、本物の「呪具」というものは事程左様に強力なのだ。
「……芸を汚すな」
不意に聞こえる声。
ハッとして周囲を見まわす。発されたのは……前方?
つぎの瞬間、運転手がバッとふりかえった。
その顔面には、さきほどの伎楽面。
急ハンドルをかけられ、車がスピンして路肩に乗り上げる。
「うわぁあぁーっ!」
手をついて身体を支える。
ほどなく衝撃が伝わるが、それほど強くない。むしろサイドエアバッグにしたたか殴られた衝撃のほうが強かった。
さすが高級車の安全装備、と感心している間もなくドアを開ける。
こんな危ないクルマに、いつまでも乗っているわけにはいかない。
伎楽面に取り憑かれた運転手は、しばらく運転席で苦しげにうめいていたが、やがて落ち着いたらしく、ゆっくりと運転席から降りてくる。
一方、さきに外に出ていたチューヤたちがおどろいたのは、周囲の状況だった。
「境界化……なんでだよ」
車が突っ込んだ壁は廃墟のビルで、周囲の景色には、侵食元である異世界線の滅びた文明の痕跡が強く反映している。
ここに引き込んだのは……迦楼羅の面ということだろうか?
「芸を汚すもの、許しておくわけにいかぬ……」
迦楼羅面をつけたまま、ダンサブルな動きで舞う運転手。
──芸能史上、伎楽は日本の能狂言といった古典芸能に、色濃く受け継がれている可能性が考えられる。
幸若舞(敦盛)を思わせる動きに収斂し、ぴたりと動きを止める運転手。
「しっかりしなさい、唐沢! ……ひとの家の運転手に呪いを移すとは、あなたというひとは」
運転手を一喝してから、同級生に苛立ちを向けなおすヒナノ。
チューヤはあわてて取り繕う。
「俺のせいじゃないから! お嬢の親戚だって、リョージに呪い移したじゃん!」
「もう、醜い争いはやめてよ、ふたりとも。……どうやら言いたいことあるみたいよ、運転手さん」
ぽん、ぽん、ぽん、と雅楽らしきBGMに乗って、見得を切るように前進してくる唐沢。
迦楼羅麺に覆われた表情はまったくわからないが、強力な呪いの影響を受けていることはまちがいないだろう、と思われたが。
最後にぴたり、動きを止めた瞬間、唐沢はその場に土下座した。
「お許しくださいお嬢さまァアァ!」
なかば呆然として、雇いの運転手を眺め下ろすヒナノ。
チューヤたちも、とりあえず周囲に敵の気配がないことを確認しつつ、運転手の異様な変貌の顛末を見届けるべく意識を集中する。
「あなたは、唐沢、ですね? なにを許せと?」
自分を「お嬢さま」と呼ぶ以上、彼は自家の運転手、唐沢であろう。
「わたくし、エリサさまが、お嬢さまのご親戚ということを存じておりながら、小菊姫を推しているのでございます! いやさ! ナンバー1のエリサさまの魅力は重々、承知のうえではございますけれども、個人的にどうしても、小菊姫の魅力にあらがうことができないのでございます!」
ぽかーん、として言葉も出ないヒナノとその仲間たち。
どうやら、主人の親戚であるエリサを応援せず、そのライバルの小菊というアイドルを応援していることを謝罪しているらしい、ということを理解したヒナノは嘆息して言った。
「許しますよ、唐沢。心ゆくまで、その小菊というアイドルを応援しなさい。ただし職務時間中にうつつを抜かすことは許しません」
「ははーっ! ご理解ご鞭撻、誠に恐縮至極、心底に刻み痛み入りソーロー、ございますゥウ!」
わけのわからないことを叫びながら、唐沢はあらためて土下座した。
「そんなことより、そのお面、とったら?」
冷静なサアヤの忠言。
唐沢が唐沢であるかぎり、面は外したほうがいいと思われた。
彼はハッとして立ち上がると、ただちにその場で七転八倒、みずからの顔面と格闘の末、
「……ハズれませぬ。これ、このとおり、一体化してござる……無念!」
やや言葉遣いも変わりつつあるのは、面のせいか、それとも。
どうやっても外れない。というわけで、彼らは早々に状況を受け入れることにした。
いろいろ切迫もしている。残念ではあるが、たかが伎楽面をかぶっただけの運転手、さしたる違和感もない。
「ともかく、ここは境界。場所は中野区……どのあたり?」
「はい。ちょうど首都高4号線(新宿線)より公園通りまで出まして、そこから中野に向かって青梅街道を……」
「ちょうど中野坂上あたりだったね、たしかに」
チューヤは、線路に比べれば道路にはそれほどくわしくないが、駅や鉄路とつながった瞬間に、立体地図が脳内に展開するタイプだ。
神田川を渡って丸の内線と大江戸線が交錯する、中野坂上あたりで境界に巻き込まれたらしい、という認識はチューヤの感覚とも一致する。
ただし、それが呪いの面のせいなのか、それ以外の悪魔のせいなのかは、まだわからない。
「呪いの面のせいなら、呪いの面を倒せば、ここから抜け出せるよね」
「なるほど、ためしに唐沢を殺してみて、抜け出せなければ別の方法を……」
女たちの苛烈な視線を受け、跳びあがる唐沢。
「お嬢さま! どうぞご勘弁を……!」
「冗談ですよ、唐沢。おそらく、その面のせいではないでしょう。そもそも中野という場所全体に、とてもいやな気配を感じます」
「さすがヒナノン、敏感ルージュだね! 私もそう思うよ。ここ最近、中野はどんどんヤバくなってる感、満載だよ!」
山のお天気のようにくるくる変わる女たちの表情に、男たちは戦々恐々だ。
チューヤは義務的に突っ込みながら、おとなしく同意も示す。
「なんだそのあいまいな形容は。……まあ、たぶんそんなところだろうとは思う。面で広く境界に巻き込む、ただし選択的にってのは、まえにもたまにあった。……AKVN関連の老若男女、つぎつぎ中野区で行方不明って傾向が警視庁にも報告されてるってよ」
「いよいよ侵食も佳境ということですか。……つまり、この境界を仕切っているのは?」
「AKVNのだれかに取り憑いてる悪魔、かな。たぶんね」
しばらく見つめ合って、状況について自身の知見と照らし合わせつつ、深める可能性を模索する。
当然、チューヤの悪魔全書は有用なデータベースだが、必ずしもそれに依存していいか?
それ以外の情報源があれば、掘り下げたいところだが……。
「だったらさ、ちょうどいいよね。唐沢さん? AKVNについてくわしいんでしょ?」
サアヤが的確なポイントを突いた。
一同の視線を浴びて、唐沢は土下座したまま上体だけ起こし、みずからの胸をたたく。
「不肖唐沢、お給金の8割をヴァネッサに投入するモムノフでありますれば、一問一答、一挙手一投足に至るまで、ヴァネッサの動向に傾倒一辺、心血注がぬことぞありましょうや!? 恥ずかしながら、いかなる問いにも即答つかまつる所存」
たしかに恥ずかしいひとだな、と思ったが口には出さなかった。
いまいち意味がわからない言葉遣いは気になるものの、唐沢の知識は役に立ちそうだ。
「それは恥ず……いや、で、ヴァネが……?」
業界用語、ヴァネッサ。
アカヴァネ14のサプライヤー、つまり14人のアイドルをはじめとするスタッフ側を総称する言葉らしい。
対置する言葉が、モムノフ。
ヴァネッサたちを支持し、その活躍を祈念する熱烈なファンの一群は、古来、最前線で戦ったサムライたちの心意気を受け継いでいるらしい。
「モムノフやばいよね、モムノフ……」
モムノフの言葉遣いが堂に入ってきた唐沢は、さらに右手を挙げ訴える。
「そのまえに! ヴァネッサの皆さんは、明日! 11月21日土曜日、トキオ・ドームにて、総選挙の投開票日を迎えることに相成り申し候わば、ひとつ、ひとつ、どうぞ曲げて、曲げて、その結果までは静かに見守り差し上げること、望み願い叶え奉りたきことありをりはべりいまそがり」
「そのAKVNとかいうグループの全体に干渉する気はありませんが、ちょっかいをかけてきたのはエリサのほうと考えられますからね。責任は取ってもらわなければ」
「……なるほど! トップ目の追い落とし、それは禁断にして果断なる措置。ネガティブキャンペーンは基本、あまり推奨されぬのですが、やむをえません!」
小菊推しということであれば、他チームであるエリサの追い落としは、それほど禁断の所業というわけでもないのかもしれない。
全体の利益を希求するのはヴァネッサの仕事かもしれないが、モムノフにとってみれば戦国時代全体の利益より、自国領土の安堵のほうが優先されるのだ。
「理解してもらえてよかったわ。で、唐沢。エリサは……」
「最後の週末、この金曜日は、法律が許さぬ未成年案件ではありながら、明日まで24時間フル稼働が恒例の常! 必ずや戦場たる中野区のいずこかのエリアに出没するでありましょうが、他党派のスケジュールについては、しばしば禁則事項でありまして……」
「活動場所を告知しなかったら困るのは運営側じゃないの?」
「しからば、それはそうなのですが、基本的にモムノフに通知されるのは、自陣営の情報のみなのでござる。これ、このとおり……」
唐沢が示す彼の携帯画面には、チームVのメンバーの活動状況などについては公開されているものの、その他のチームについては不明だ。
ひとりの人間が同時に全員を追えるわけもなく、ならば推しメンの尻のみを追っかけることに集中してもらいたい、というヴァネッサ側の意図かもしれなかった。
「一定範囲でも情報が公開されてるなら、掲示板かどっか調べたらわかるんじゃない?」
「さよう、調べてみましょうぞや……はらほろひれはれ、なんたる圏外!」
考えてみればここは境界なので、現世側のネットワークに接続するのはむずかしい。
しばらく考え込んでいたチューヤは、
「周辺を調べよう。広域を境界に巻き込んでいるなら、当然かなりのモムノフも見つかるはずだ。そいつらから、推しチームの動向の情報を得よう」
「否応はありませんね……」
見まわせば、周囲にモムノフの群れ。
アイドルのファンというものは、夏場に放置したパンのカビのように湧いてくる。
RPGらしく、戦闘開始だ。




