03 : Day -35 : Roppongi
鳴り響く竹園の電話。
どうやら「出なければならない着信音」らしい。
「ちょっとすまんね」
軽く手を挙げて通話をつなぐ。
「火サスの着信とは、なかなか怖い相手からの電話らしいですな」
「いや、まあ……嫁だよ」
納得の表情でうなずくチューヤたち。
「俺も着信音変えようかな。サアヤからの」
「また新幹線?」
「いや、列車接近警報音」
「なんでよ!?」
チューヤたちがアホなことを話している間、竹園の会話もだいぶ警報的な状況らしかった。
彼は眉根を寄せ、困ったように嫁をなだめすかす。
「……え? どこで飲んでるって? ……そんなこと言われても……ああ、だからタクシーを……財布がない? 帰ったら払えばいいよ、いやぼくは家にはいないけど……いや、そりゃそうだろ仕事なんだから……ああ、それはわかるけど、まちがえたにしてもさ……とにかく駅員に訊いて……線路に沿ってしばらく歩いた? なんでそうなるんだよ、ともかく駅にもどって……」
「どうしました?」
会話の切れ目を見つけてチューヤが問うと、
「どうやら酔って、変な電車に乗ってしまったらしい。……ともかく、いまどこに」
つづけて電話に話そうとする竹園を制し、ピシッ、とサアヤが割り込んだ。
「ちょっとスピーカーにしてごらんなさい。……あ、奥さん? こちら人間GPS推理システムです。電車きたら、ちょっと線路のほうにケータイ向けてもらえます? ……OK、よしチューキチ、調べろ」
サアヤの指示にしたがって、端末から響く「列車音」に聞き耳を立てるチューヤ。
「まったく、なんなんだよ……ええと、ああ、なるほど、ふむふむ、了解、だいたいわかった。現在時刻からして……ということは、鷺ノ宮あたりじゃないかな?」
ポカーンとする竹園。
GPS追跡しているわけではないようだが……どういうことか?
「いやあ、道に迷ったらうちのチューヤに電話すると、近くを電車が通れば、だいたいわかるんだよね」
なぜか自慢げなサアヤ。
チューヤは苦虫を噛みつぶしつつ、
「いや、わかんねーよ。だいたい、自分がどこにいるのか、電話した相手に訊くほうもどうかと思うぞ?」
「だよね。ふつう、自分はここにいるから迎えにきてくれとか頼むもんだよねえ」
うなずく竹園。
そんな常識的な男たちの浅はかな意見に、
「愛があればわかるのよ! 愛!」
サアヤの思想は永遠。
するとスピーカーからも、わが意を得たりという女の声。
「そうよね、愛よね!」
「そうなんです、チューヤは私のことが大好きだから……え、奥さんのことも好きですよ、きっと」
どうやら電波を隔てて会話が噛み合っている。
竹園が目顔で問うているので、チューヤは視線を転じ、
「いや、西武線の特急の音が聞こえたんですよ。たぶんレッドアローかなと。で、昨今改訂の時刻表からして、だいたいそのあたりかなと……」
「どこかの推理作家がトリックに使いそうだが、なるほど、きみは鉄ヲタというやつなんだね」
一瞬ですべてを理解する竹園。いろんな知り合いがいるのだろう。
その評価がポジティブなのかネガティブなのか判断しかねつつ、それでもチューヤは自分たちの「鉄分」について語らざるを得ない。
「いや、ほんものの音鉄はこんなもんじゃないですよ。──最寄り駅にいるだって? モーター音がちがうじゃないか! と浮気がバレる鉄道事故も発生しているくらいだし、VVVFの音程で車番までわかるやつとか、あと最近ロングレール多いから、ジョイント音もけっこうなヒントになりますね。可能性のある路線と台車の型から絞り込んでいって……」
「ヤクザな話はやめろ、ここには堅気の衆しかおらんのだ!」
すぱーん、とチューヤの頭をしばくサアヤ。
「それで、どうやって帰ればいいの?」
電話からの問いに、
「交通系ICカード内蔵ですよね? それで電車乗れるので、駅までもどって新宿行きに乗ってください。高田馬場まで乗って、そこからメトロ使ったら380円くらいで帰ってこれますよ。ちなみにタクシーだと15キロくらいですかね」
「無理、歩けない。迎えにきて。場所わかったんだから来れるでしょ」
ぶーたれる女の声。やっかいなタイプだ。
「だいたいの場所しかわかんないので、ちょっと探すのは大変かな……写真か動画あれば」
ほどなく画面はビデオに切り替わる。
が、すぐにピーピーとバッテリー残量のアラーム音。
「あーもう無理、バッテリー切れる、ここで死ぬ、あたし死ぬよ、野垂れ死」
ばきっ! ぷつっ。つーつー。
だいぶ酔っぱらっているらしい中年女のドアップと、どうやら転んだらしい雰囲気。通話の切れ方からして、バッテリー切れを待つ以前にぶっ壊れた可能性がある。
こちらから呼び出すが、接続不能。
寝ている可能性もある、おそらくそうだろう、と竹園は経験上断定した。
一瞬だけ画像に見えたのは、背景に住宅街とわずかな架線。
「……探せるかね?」
「だいじょうぶです! チューヤは一度見た景色なら、周辺見ればどこかわかるので! そうだろ、チューヤ、言ったよね!?」
さっきの突っ込みを逆襲されたわけだが、しばらく考えてから、
「まあ、もう一度見れば、たぶん」
「どのくらいで行ける?」
「最短だと、乗り換え時間がもったいないから、タクシーで新宿まで行って、そこから電車乗って探すのが早いかな。さいわい西武新宿は、新宿駅からちょっと離れてるので」
外苑通りから青梅街道という、わかりやすい直行ルートがとれる。
巨大な新宿駅という迷宮に近づかず、その外側で完結できるのは時間的にだいぶ節約だ。
「西武新宿か……なるほど、だいたい読めてきたよ。またあそこで飲んでいたわけだ」
西武新宿駅と山手線に挟まれるエリアには、昭和の雰囲気の色濃い「思い出横丁」という飲み屋街が広がっている。
昭和の文化人たちがよく飲んだくれ、西武新宿線に揺られて帰るというルーティンワークが、永久機関のようにくりかえされていた場所だ。
「急行にまにあえば……急げば20分ちょいで着けるかな」
「30分以内なら凍死することもないだろう。──彼女の名はララだ。よろしく頼む」
頭を下げる竹園。
チャンス、とばかり交渉のテーブルを開こうとするチューヤ。
悪魔が相手なら大得意なのだが、人間との交渉は苦手だ。
「……あのー」
「わかった。今夜、引けたあとに時間を取らせる。ただし、ひとりだ。セイか、イッキか。考えておきたまえ」
相手からの提案で、即決交渉成立。
店長合意のもと、所属のホストから話を聞けるのはありがたい。
ただし、ひとりだけ。
シナリオ分岐だろう。
セイというひとを選べば、リョージ・シナリオが進む気がする。
イッキというひとなら、もちろんサアヤだ。
サアヤの表情を見るまでもなく、最初からどちらを選ぶかは決まっているが。
「じゃ、行ってくる。──店に連れ帰ってくればいいですか?」
「きみなら住所だけで、どこでも連れて行ってくれそうだな。……ここに頼むよ」
竹園は短く自宅の住所をメモして渡した。
その後、店にもどってくれれば、セイかイッキ、どちらかの時間を空けておくと約束してくれた。
うなずき、走り出すチューヤのあとに、サアヤもつづく。
チューヤはふりかえり、
「おまえは待っててもいいぞ」
「ううん、行くよ。なんか、いやな予感がするからね」
首を振るサアヤ。
「……いやな予感?」
「酔っぱらって寝込んだ女のひとに、チューヤがいたずら」
「しませんけど!? ……まあいいや、ちゃんと走れよ」
「タクシーを呼んでおいた。では、頼む」
チューヤたちはうなずき、店から飛び出した。
たとえ異世界線が近づいていなくとも、女性が泥酔して外で寝ているのはまずい。
天気予報では、今夜は急激に気温が下がるとも言っていた。
大急ぎで向かったほうがいいだろう。
つぎつぎと分岐する道の、そのさきへ──。