31 : Day -32 : Sakuradamon
桜田門、警視庁。
最近、県警から本店に舞いもどった貫地谷総務課長は、会議室のひとつで部下たちと所定の計画について準備中だった。
「貫地谷ァーっ!」
そこへ怒鳴り込んできたのは、毎度おなじみチューヤの父親。
「な、中谷刑事?」
顔見知りの事務員が一瞬おどろいてから、やれやれと首を振る。
中谷はそんな外野を無視して、まっすぐに中央の貫地谷へ詰め寄り、
「てめえ、なんで捜査を止めた」
「落ち着け、中谷。ここをどこだと思っている」
言いながら、手をひらひらさせて周囲の職員たちを下がらせる貫地谷。
いまにも襟首を締め上げんばかりの勢いで、一介の刑事がⅠ種合格の課長にくってかかっている異常事態だが、訳知り顔の女子職員はまわりの数人をせかして、部屋を出る。
「コース乗ってる課長に、あんな口をきいて、あのひと、だいじょうぶなんですか」
「中谷さんは特別なのよ。あのひとは……優秀だから」
退室する外野の残した言葉には、考える以上の重みがある。
優秀なノンキャリが身近に欲しい。それがキャリアの偽らざる気持ちだ。
貫地谷にとって、中谷は温存したい手駒なのだということを、一部の職員もよく知っている。
京大を出てキャリア任官した。京大は東大に次ぐ大勢力だが、依然として警察機構のなかでは二番手を争う地位でしかない。
その権威、権力を支えるものは「結果」だ。実績こそが手っ取り早い。
人事権をもつキャリアは、絶大な権力で王様のようにふるまえる、かのように思われがちだが、じっさいは裸の王様になって転がり落とされる危険性もなくはない。
現実の犯罪捜査の場面では、最前線を突進できる中谷のような男が、必要不可欠だ。
捜査の現場で、形としてトップに置かれるキャリア。
しかし彼らが、捜査に対して影響を及ぼすかといえば、そんなことはほとんどない。
ただの「飾り」だからだ。
その飾りが「出世」を考えるとすれば、優秀な捜査官を手駒として確保し、必要に応じて動かせる態勢を整えておかなければならない。
その意味で、中谷ほど優秀な駒はない。
ドアが閉まったのを確認し、貫地谷は中谷に向き直る。
「そろそろ来るとは思っていたがな」
「てめえ、貫地谷。まさか」
「だから学館には手を出すなと、いつも言っている」
疲れたようにソファに腰を落とし、ため息を漏らす貫地谷。
中谷はイライラした口調で、それでも問い詰めるしかない。
「何人死んだと思ってる? だれも挙げないで済むと思ってんのか」
「検挙か。そうだな。それが一番だが。そのためにおまえ、なにをする?」
「決まってる。現場踏んで、ガサ入れて」
「そこだよ。おまえはもう信濃町を歩くな。学館のお偉いさんが、おまえの顔は見たくないとさ」
「……また、共明党か」
唇を噛み締め、吐き捨てる。
現場の人間には、政治家がどれだけ警察の職権に介入できるか、あまり実感はない。だが上のほうの人間になればなるほど、それを感じる機会が増える。
「腐っても連立与党だからな。さすがに逆らえないんだよ」
「てめえ、なんのために二課長やってたんだ」
キャリアの出世組が必ず経験するポストと言われる、捜査二課長。
知能犯や選挙違反にかかわる関係上、政治家の弱みを握ることもよくある。
国会議員の過去を掘ろうと思えば、いくらでも掘ってくることができる立場だ。
「地方の県警本部でふたつ、やっただけだぞ。あいにく共明党の地盤じゃなかったんでね」
他の党ならある程度のネタは握っているが、今回は使えないというわけだ。
「……まえは、そんなじゃなかったよな、ええ貫地谷ァ?」
情けない、という表情で感情に訴える戦略に出たらしい中谷。
──ふたりがこれだけ親しく話せるのには、もちろん理由がある。
大学院まで出てキャリア入りした貫地谷も、警察という制度上、まずは交番勤務からやらされた。
ふつう、当たり障りのない地方の交番でお茶を濁されるものだが、彼はみずから希望して新宿署へ配属された。
いちばんいそがしい交番で、自分を試したい。
20年近くもまえ、若さとやる気だけはあった。そんな彼と、短い期間だが同じ交番で働いたのが、中谷だ。
同じ釜の飯を食った仲、という言葉には想像以上の力がある。
三人一組のグループで、年かさの班長と、若い中谷、その下に新人として貫地谷がねじ込まれた。キャリアの面倒を見てやれ、ということだったが、意外に肝の据わった男だということがわかった。
いつしか谷谷コンビなどと呼ばれ、歌舞伎町交番を支えていた時期もあった。
「なつかしいな、あのころが」
遠い目をする貫地谷。中谷の目は近い。
「てめえ、なんで二課にもどらなかった」
県警本部で二課をやったら、つぎは警視庁の二課、とくれば出世コースだが、
「東大さんが、おさきにいらっしゃってね」
東大派閥は、もちろん警察内でもトップに君臨している。
「自分から四課やりたいと言ったらしいじゃないか」
警視庁に、四課という名前は、すでにない。
一般にわかりやすいよう、旧組織犯罪対策第三課・同第四課は、22年、暴力団対策課に改称された。しかし「四」という数字に誇りをもっている人間は多く、内輪ではまだまだ使われている。
本来、捜査一課や四課(マル暴)は、キャリア組のやる仕事ではない。
凶悪犯を追い込むには現場経験が不可欠で、キャリア警察官の頭がどれだけよくても、たたき上げの警察官に及ぶところではないからだ。
「組対には知性も必要だろ。四課は希望したが、ごらんのとおりマネロン担当だよ」
犯罪収益対策課は、旧組織犯罪対策総務課マネー・ローンダリング対策室である。
これも、出世コースにはちがいない。
「じゃあ、おとなしくゼニ洗ってろよ。よその課のやることに口出しやがって」
暴力団対策課にはもちろん別の課長がいるが、たたき上げのノンキャリは、キャリアの口出しに弱い。
圧力を受けて、信濃町殺人事件の捜査本部自体が消滅に近い縮小の措置を受けた。
もちろん縮小された捜査員のなかに、ぜったいに中谷を残すな、というサゼッションをしたのは貫地谷だ。
「とっととドサまわりにもどれよ、貫地谷ァ」
警視庁で課長を務め上げたら、つぎは県警本部長。それがキャリア組の一般的な出世ルートである。
その後は警察庁などにもどり、また大きな県警本部をやるか、警察庁の局長クラス、そのなかでもトップをとれれば警察庁長官、警視総監ということになる。
ドサまわりをくりかえして出世するキャリアのなかで、もっぱら中央にもどされるのが、いわゆるエリート幹部だ。
なかでもそうとうに運がよくなければ、トップにはなれない。
もちろん高い能力も必要だが、そこにたどりつくために必須の要素として「政権与党の信任」がある。
だから貫地谷は、ここで政治家をしくじるわけにはいかない。
「わるいな、中谷。おれには警視総監になって、やらなきゃならんことがある。おまえもわかってくれたよな?」
トップに立って、この国を変えるんだ。
いいね。なら、おまえは上に立て。俺は下で支える。
若いふたりの交わしたドラマのようなやり取りを、まだおぼえていられるのは、彼らが特異な才能に恵まれているからでもある。
──刑事警察機構の頂点、警視庁。
その長、日本の警察官の階級の最高位、定員1名、警視総監。
建前上は、鳥取県警本部長などと同等、ということにはなっているが、もちろんまったく次元がちがう。
もともと「警視庁」は大阪にもあったが、大阪府警に変わった。しかし東京だけは、川路利良大警視(警視総監)の意向を受け継いで、その名を変えていない。
警視庁は、ただの首都警察ではない。
国家警察的機能をもっている。アメリカでいえばFBIだ。
政治家たちが警視庁を牛耳ろうと躍起になるのは、国家警察としての重要さを知っているからにほかならない。
「明日は半蔵門で会議だ、おまえも来い」
皇居の西、ロイヤルアーク半蔵門で、年に数回、警察本部長会議が開かれる。
警視総監の取り巻きとして、貫地谷らも連れまわされるわけだが、次期警視総監を狙っているキャリアたちにとっては、ある意味「戦いの場」でもある。
もちろんノンキャリには、いっさい関係のない世界だが。
「はあ? ふざけんなよ。そういう仕事は、おまえらキャリア組の」
「そういう仕事を警備すんのも、おまえらノンキャリの仕事だろ?」
見下している感はない。むしろいたずらっ子のような目だ。
「要人警護なら警備課にまわせよ」
公的会議などの警備はセキュリティポリスの仕事だが、
「ほう? 異動願いと受け取っていいんだな」
「……くそ、人事権って言葉が、おまえらのせいで俺は大嫌いになったよ」
貫地谷はまじめな顔で中谷を見つめ、
「約束しろ。左門町には近づくな」
「……ああ、わかったよ。その代わり」
「もちろん、こっちも仕事は山積みなんだ。おまえには、やってもらわなきゃならんことがいくらでもある。──二、三日我慢すれば、現場にもどしてやるよ。まあ第四方面はないけどな」
四谷署の管内で仕事はさせない。
そう笑う貫地谷の声を背に受けながら、中谷はいまいましそうに会議室のドアを激しく閉めた。
「ふん、俺が行かなきゃいいんだな……」
彼はぶつぶつ言いながら、何事かを考えるまなざしで廊下を歩き去る。
「そんなわけで、警察が捜査を引き継ぐってよ」
チューヤは通話を終え、あくびを噛み殺しながら、目のまえの細長い女に言った。
一晩中、情報屋のクソみたいなネタを拾って、いくつかのヤサを探ったが空振った。
早い段階で帰った石野が正解だった、という結果から行動選択を逆引きできないのが現実である。
マフユはイライラして言い返す。
「なんだそりゃ? てめえ、ポリに魂売ったのか、このチンコロが」
「ちげーよ! 話聞いてたのか、おまえは」
父親の依頼を受ける代わりというわけではないが、チューヤから瀬戸の案件を振った。
警察としても、未解決のバラバラ事件の捜査継続は重要だ。チューヤがヤクの売人から回収した携帯の情報と、そのヤサで行なわれていた違法行為の数々のなかに、鑑識が証拠を発見する可能性は高い。
瀬戸の居所を探すなら、人海戦術の地取りは警察に任せたほうが手っ取り早い、というチューヤの判断は的確だ。
「ともかく、ポリどもがあたしらの代わりに瀬戸を見つけてくれるってんだな」
「基本的には、まあ、そうな。代わりに俺は、信濃町で調べにゃならん仕事を請け負わされたんだが」
「そーかそーか。とっとと去ね。あたしには関係ない」
「ところがぎっちょん、AKVNと無関係でもないらしいぞ」
そのとき、再びチューヤのケータイが鳴った。
新幹線の着信音は、サアヤだ。
木陰のベンチに横になるマフユを横目に、通話を開くチューヤ。
「……なに? お嬢から連絡がきて、これから聖理科病院? なんのこっちゃ?」
会話のなかにサアヤの名前を聞いてマフユも多少は興味を示したが、さほど強くは動かされなかった。
めんどくさそうだな、と思いながら一瞬眠る。
「……おい、起きろマフユ!」
「ん? おお、なんだ。まだいたのか、おまえ」
「おまえの問題に一晩付き合ってくれた親切な同級生に対して、同じくらいの親切を返したいという決意を込めて、やさしい物言いを考えるべき脳みそさん、お留守ですか!? ともかく俺はサアヤが迷子にならんように行ってくる。おまえも来るか?」
「行きたいところだが、あたしは眠い。ねぐらも確保しとかなきゃだし、なんかあったら呼べ」
ゆっくりと身を起こし立ち上がると、朝日から逃れるように日陰を移動するマフユ。
彼女は日光に弱い。闇の住人だからということもあるが、アルビノに近いので物理的に弱点だったりもする。
いつも皮膚が薄汚れているのは、光を遮断するという目的もあるかもしれない。
「あいよ。せいぜい冬眠してろ。たく、俺だってねみーよ……」
ぼやきながら歩き出す。
近年まれにみるチューヤの過酷な一日がはじまった……いや、まだまだ終わらない。




