02 : Day -35 : Roppongi-itchome
「歌舞伎町じゃないの?」
アホづらで立ち尽くす高校生の疑問。
「カブッチョのホストとか、20世紀で終わりだから。21世紀はギロッポンで心中に決まってっから」
サアヤの言っていることは、もちろんチューヤにはよくわからない。
ともかくサアヤに連れられて、外国人の巷、六本木へとやってきた。
南北線に乗り換えて連れてきたのはチューヤなのだが、サアヤの案内がなければ店内へははいれない。
「てか、制服でホストクラブはまずいだろ」
「コスプレだと言い張ればよい。ジャケットくらい貸してくれるよ」
ありのままで遊びに行く、とサアヤは決めているらしい。
そもそも一般的なホスト遊びのつもりで行くわけではない。ホスト狂いの親戚を救済するために行くのだ。
今回はさしあたり、予備調査としてチューヤを連れてきたにすぎない。
「定休日じゃないよね、月曜日」
「チューヤはバカチンだな。ここは下賤な民の集う新宿なんかじゃないよ、高級な外人の集う六本木なんだよ? 大使館はもちろん、霞が関でお仕事のお姉さま方が、平日の疲れを癒すために寄るに決まってんじゃん。定休日は日曜だよ!」
「そ、そうなんだ……さすがサアヤさん、くわしいっスね」
営業時間は19時から0時まで。
この5時間に、ホストたちは命を懸けている。
すでに周囲の雰囲気からして、日本とは思えない。
英語のポップアートじみた落書きや、外人好みの毒々しいネオン、すれちがう人種の5割がすでに東洋系ではない。
周辺は坂が多く、なだれ坂、不動坂、丹波谷坂、寄席坂、閻魔坂など、史跡として地図にも載っているくらいだ。
坂……。
「あの世とこの世をつなぐ坂──」
黄泉比良坂。
この連想に、はたして意味はあるか……?
「くらやみ坂、上に、下に……」
ふりかえって笑うサアヤ。
彼女は意外に多くを知っているのかもしれない。
「そ、それでどこなんだよ、その店。ちゃんと場所わかってんでしょうね?」
サアヤはやれやれと首を振り、チューヤの背に肘をかけて言った。
「私に場所を問うとは、おぬしもヤキがまわったのう、チューキチよ」
「……迷ったなら迷ったって、早めに言ってもらえますかね!?」
ともかく西の坂が多いところに向かう、という当初の目的までは果たした。
サアヤにこれ以上を期待するのは酷というものだろう。
チューヤはケータイを開き、サアヤから聞いた店名を入れた。
表示された住所を瞬時にインプットし、ポケットにもどす。
即座に踵を返し、いま来た道をもどる。
「なによ、引き返すとかカッコわるいじゃん! まるで道に迷った田舎者だよ!」
「そのとおりでしょ!? ……ほら、この道を曲がったさきだよ。なんで一度きた場所なのに、周辺見ても気づかないかなー」
「気づいたよ! このへんだよ、って言ったじゃん!」
「じゃあなんで通り過ぎるんだよ!?」
騒がしい高校生たちを、奇異な目で眺める外国人たち。
あきらかに場に合っていない服装と人種だが、そこを歩くこと自体は、べつだん違法ではない。
高級そうな住宅街の途切れたさき、わずかに繁華街らしい雰囲気があるが、それも六本木特有の空気を抜けていない。
中層階建ての雑居ビル。
その7階が、目的のホストクラブだ──。
店の名は「Show-Ja」。
ショウジャ、と読むらしい。
六本木が誇る有力ホストクラブである。
ナンバー1から10までの写真が、廊下に貼りだされている。
話には聞いていたが、なかなか哲学的な雰囲気のある店だ。
「ナオン、ショージャへ、カネと恋!」
エレベーターが開いた瞬間の決まり文句が心に刺さる。
びくびくするチューヤをしり目に、サアヤが勝手知ったる我が家のように、づかづかと店内へ押し入ったのがとても印象的だ。
仏教徒だからか? いや、そんなわけがない……。
「ちょっと店長に話あって。飲み物いいから。……そう? じゃウーロン茶ね。そいつ、私の家来だから、入れてやって」
女はホストクラブにくると横柄になるのだろうか……。
空恐ろしいものをおぼえつつ、家来として付き従うチューヤ。
とりあえず奥の事務所の手前のブースに入れられ、座って待たされた。
待つほどもなく、事務所のドアが開いて出てきた、40代らしい男。もしかしたら50代かもしれないが、かなり若そうにはつくっている。
「やあ、きみか。こんにちは、お友だちかな? はじめまして、竹園です」
にこやかに笑い、両手で丁寧に名刺をわたしてくれた。
さすが客商売、応接にそつがない。けっして客にならないにもかかわらず、同じ男に、それもチューヤごとき若造にも、軽んじるところがない。
さすがだ、と感心しつつ、チューヤは名刺を押し頂いた。
「おばさん、きょうもくるんでしょ?」
一方のサアヤは、終始ぞんざいだ。
ここではつねに、女がえらい。彼女は、それを知っている。
「ナミさん? ああ、たぶんね。さっき、イッキから連絡きたよ。きょうも同伴らしいね」
テーブルに、とくとくとウーロン茶を注ぐ。
まるでウイスキーのように、それをぷはーっと飲み干し2杯目を注がせるサアヤを、チューヤは再び「さすがだ」と思った。
「あのね、うちのおばさんは、ただのサラリーマンなの! こんなところで大枚はたいていいような、そういう資産家のご令嬢じゃないんだよ? ほどほどにしてあげないと、かわいそうでしょ!」
ノンアルコールで酔っぱらいおやじの声量を獲得できるサアヤ。
感心するチューヤの眺めるさき、竹園は苦笑して応じる。
「あはは、そうだね。きみの気持ちは、よくわかるよ。たしかにナミさんには、だいぶ稼がせてもらったかな。おかげでイッキはナンバー3から2まできた。感謝してもしつくせないだろうね」
忌憚のない意見。
客商売として、この態度は正しいのかどうか、チューヤにはわからない。
短期間に骨までしゃぶりつくすか、ほどほどで止めて息長く通ってもらうか、この手の客商売における判断はむずかしい。
「おじさん死んで、ずっと働きつづけて使わなかったお金だし、まあ当人がよければ、好きに使ってもいいと思うよ、けどね、いままで手をつけなかったおじさんの保険金にまで手を出しちゃったら、もうダメでしょ! おじさん草葉の陰で泣いてるよ!」
「……それ、ナミさん本人に言ってあげたほうがいいと思うんだけどな」
「本人が言って聞くようなら、こんなケガラワシイところに来ないよ、あたしゃ! ……ぷはーっ、もう一杯!」
末恐ろしい子、と思いながら頼れるサアヤの姿に心を奪われるチューヤ。
──サアヤにとって、ナミは大事な親戚だ。
チューヤにとっても、たいせつなお隣さんである。
ここはひとつ、お店に泣いてもらって、ナミさんを出入り禁止にしてもらう以外にない!
というサアヤの主張には、だいぶ無理があるようにチューヤにも思えるが、それを頭から否定してこないところはさすが客商売、竹園氏の如才なさに感心する。。
「ところできみは?」
竹園はチューヤに視線を転じた。
「ああ、その……ナンバー1のセイさんって、います?」
きっかけを与えてもらったことをさいわい、思いきって口を開く。
チューヤの脳裏には、リョージ。
チューヤにはチューヤで、掘り下げなければならない事情があるのだ。
「もちろん彼も同伴だと思うけど……知り合い?」
ずいっ、と再びサアヤが身を乗り出した。
「あんたの店、評判わるいよ! 客の女、はらませて、旦那の子として育てさせるような営業、誇り高い六本木ホストの風上にも置けないじゃないわのよさ!」
言葉足らずのチューヤを、サアヤが的確に補う。
そうなのだ。リョージの依頼でチューヤの追及している「神の子」には、この店のホストがかかわっている!
さすがに竹園は表情をゆがめ、両手を挙げて、まあまあとなだめにかかる。
「……それは、だれから聞いた話? ちょっと、店長レベルでは聞いてないかな、まだ」
「聞いたも聞かないも、こちとら上野の探偵雇ってネタァ割れてんのよ! 神の親ダッド選手は、じつは親じゃなかったってね。ひとりの男を、あんたんとこのホストきっかけで闇堕ちさせてるわけよ! ひとんちのご家庭、崩壊させといて、明日の飯はうまいかね、ん? 店長さんや?」
ぐりぐりと人体でいちばん硬いところ、肘で年長者をあおることのできる女、サアヤ。
なんて頼りがいのあるやつだろう、とチューヤは感心した。
サアヤはナミさんの一件で店長に掛け合いたい動機がある。しかしリョージの一件については、チューヤがおもに話すべき立場であろうと覚悟していた。
が、あにはからんや、サアヤが八面六臂の大活躍である。
ちなみに上野の探偵からは、まだどんなネタも届いてはいない。裏付けもなく、ただ風のまえの塵に同じ「噂」を、小耳に挟んだだけだ。
「いや、うちのセイにかぎって、そんな色は……」
店によって、ルールはさまざまだ。
もちろんホストにとって、色恋営業は仕事ではある。ではあるが、枕営業は基本的に勧めていないし、避妊については基本中の基本のはずだ。
あのセイがそんな失策を……いや、それより、これまで隠しおおせているとは……。
「おうおう、店長さんや! 出るとこ出て白黒つけてもいいんですぜ、こちとら!」
「まあまあ落ち着いて、サアヤさん。彼にもちょっと考える時間を……」
チューヤが割ってはいろうとしたとき、店のBGMが下がって、店内にマイクパフォーマンスが響いた。
竹園氏もすぐに立ち上がり、ちょっと失礼、と言って店のほうへ。
ゴージャスな音と照明が交錯する店内の一地点に、この「シャンパンコール」を独り占めする上客がいる。
奥のブースからちょっと顔を出し、興味深そうに店内を顧みるチューヤ。
ひとりの中年女が、店じゅうのホストを集めて悦に入っている。
「……こーんやの主役は、主役は、お待たせしました、シューコ姫!」
ホストたちのシャンパンコールが響く。
通常3万円以上、店長が出て行くということは、1本10万円以上のシャンパンが出たことを意味する。
「みんな、うちのセイをよろしくね」
コメントを求められた「姫」が、同伴したセイの頬を撫でて一言。
そのまま左手奥のブースへ、数人を従えて消えていく。
「あれがセイってひとか……」
金髪に白スーツ、派手なアクセサリーに、なにより完璧な美貌。
ナンバー1ホストというのは、とりあえず俺なんかとは別世界の人種なんだな、と理解するチューヤ。
如才なく仕事をこなし、席にもどる竹園の動きに合わせて、チューヤたちも椅子に座り直した。
「いやあ、おかげで最近よく出るよ、ドンペリ。ナミさんが煽ってくれてるおかげかな」
すなおに謝意を表す店長。
店の売り上げは、客が競い合ってくれてこそ立つ。お気に入りのホストの順位を上げたい、という客の動機を煽ることは必須の営業戦略なのだ。
セイの最大のパトロンが、いま彼を同伴してきたシューコという中年女らしい。
ナンバー1を維持させるためには当然、それなりに金を使っておく必要がある。
ナミがいくら使っているのかはわからないが、現状ナンバー2のイッキが、場合によってはナンバー1のセイをまくる可能性がささやかれている。
ナンバー1のパトロンとしては、一発逆転されないためには、ある程度の差をつけておきたい。場合によっては「シャンパンタワー」という必殺技もあるが、基本的にはイベントに合わせたいし、何百万という金が一気に吹っ飛ぶことになるので、そのへんの使い方はさすがに慎重になるだろう。
「そーいえば、おばさん、変なこと言ってたな、タワーがどうとか……」
やや青ざめてつぶやくサアヤ。
これは冗談では済まない「経済事案」だ。
──シャンパンタワーとは、シャンパンコールをしてもらえる金額以上のシャンパンを、10本以上注文することで立つ。
値段によって段数は変わるが、最大では1000万以上のタワーも存在するという。
非常にバエるイベントで、店の雰囲気を一気に変えてしまう破壊力を有する。
店によってルールは異なるが、そうとうの売り上げある顧客に対して行なわれ、使われるシャンパンは最低5~10万円。
10段で15本あれば埋まるが、溢れさせるために35本くらい使うこともある。
270センチ、22段が過去最高であるらしい……。
「老後の年金まで使うつもりかよ」
タワーのルールにぞっとするチューヤ。
「店長! あたしゃ許さないよ、ナミさんが変なこと言っても絶対、受けちゃだめだからね!」
当然に憤慨するサアヤ。
「いや、お姫さまは神さまですからねえ……」
苦笑する竹園。
店長として、そのようなありがたいご注文を、受けないなどという選択肢がありうるだろうか……。
「ゆーても、ナミさん遅いね」
「ああ、そういえばなんか、日曜に飛鳥山だか行ってくるって、イッキってひと連れて行ったみたいよ。高速混んでるのかな」
「なんで飛鳥山に高速で行くんだよ。このまえ行ったろ、王子。電車で行けるじゃないか」
王子の飛鳥山公園は、サアヤも見ている。
「えー? あの公園、シカいるの? ほら、シカに乗った写真、届いたよ」
ケータイを取り出すサアヤ。
なかなかのイケメンに支えられて、ナミさんが元気そうにシカにまたがっている。
どうやら奈良公園らしいと理解するチューヤには、もうどこから突っ込んでいいのかわからない。
「シカ乗ったらダメでしょ! てか、それ奈良の飛鳥かな!? 奈良公園からだと移動は近鉄かなー」
「ぜったい電車とか乗ってないと思うけど……そーいやなんかクルマ買ってあげるとか言ってた」
「おい、止めろよナミさん! 暴走しすぎだぞ!」
いままでお金の使い道のなかったひとが、お金の使い方を知ってしまうと、歯止めが利かなくなることがある。
このさき、彼女は地獄へ落ちるかもしれない──。