18 :Day -33 : Yoyogi-Hachiman
男の案内で、チューヤたちは2階の小さな部屋へ導かれた。
聖堂の2階はおもに女性ムスリムが集まることになっているが、近接するイスラミックスクールも含めて、パブリックなエリアに進入禁止の場所はない。
ただ、いくつかの場所において、信仰や男女によって分けられることはある。
──その部屋は一種の応接室で、窓のない密室だったが、話は通してあるのでお友だちが到着するまでこちらでお待ちください、と彼はにこやかに言った。
どうやらリョージ、ヒナノとは知り合いらしい。
「はじめまして、トルコから来ました。イスハーク・ハバッドです」
その言葉は、まあまあ整った日本語で、日本式のお辞儀も堂に入っている。
思わずチューヤたちも頭を下げ、順に名乗った。
中東系の顔立ちで、肌色はやや濃いが黒いというほどではない。
アジアとヨーロッパの境目のトルコ人で、おそらくヨーロッパ系の血が濃いのだろう。あるいは家にこもって勉強ばかりしていたか、どちらかだ。
非常に理知的な面差しだが、そこに狂気が垣間見えるほどには、危うさを隠しきれていない。
東西の架け橋を自任するにしては、信頼感が足りないというチューヤの印象は、さきほど騒ぎを起こした小さな女の「共犯者」らしき態度のせいだろう。
ラフなジャケットに、派手めのパンツ。
トルコから、ふつうに観光にやってきた外国人、という出で立ちだ。
特徴的といえるのは、すでに脱いで壁にかけてあるフロックコートと、なにより、たったいま脱いだ赤い帽子。
日本では「トルコ帽」と呼ばれ、19世紀から20世紀、オスマン帝国とその周辺で流行した。
頭頂部から房の垂れさがった、つばのない円筒形の帽子である。
トルコ語で「フェズ」と呼ばれるこの帽子、じつはトルコ建国の父であるムスタファ・ケマル・パシャによって禁止されている。
トルコが打倒すべきオスマン帝国の象徴として、シンボル視されたからだ。
現在も、トルコ共和国では公務員の着用が禁止されている、という旧体制の象徴フェズは、もともとはモロッコあたりの民族衣装だった。
ムスリムが巻いていたターバンに代わるものとして近代化の象徴だった最初期から、打倒すべき旧体制の象徴を経て、現在はほぼ絶滅しているフェズとフロックコート、という出で立ちは、あたかも19世紀から抜け出してきたような「ハイカラさん」だ。
そうして19世紀の殻をかぶりながら、中身の服装は完全に現代化されたフリース基調のプレタポルテなのだから、皮肉を極めている。
ある意味、彼の立ち位置を闡明している服装、といえなくもない。
──彼の存在は、あまりにも強く、以後の流れを左右しそうな気がする。
チューヤはゆっくりと、質問の流れをイメージする。
「リョージたちと待ち合わせていますが……ふたりの知り合い、ですよね……イスハークさん?」
「カンフー少年と聖処女のお話かな? うん、いくつか話があるってことで先週、知己を得させてもらったよ。本日は12時の約束だったと聞いてるけど」
「すいません、結婚式やってるなんて知らなくて。もうすぐ来ると思います」
結婚式とはとくに関係ないのだが、約束の時間までは、まだ20分以上ある。
時計の針は、急ぎも遅れもしない。
淡々と進む時間のなか、チューヤはさきほどの案件にも絡めて、すこしこのイスハークという人物を掘り下げてみることにした。
「たいへんな騒ぎでしたね。よくあるんですか、こういうこと」
イスハークはにやにや笑って首を振る。
「よくあったら困るよね。改宗にともなう、たいせつな結婚式だったのに……残念だよ」
彼によると、この結婚は元キリスト教徒とイスラームによる結婚らしかった。
めずらしいのは、新婦がイスラームで、キリスト教の新郎の改宗を迎えるというパターンであったことだ。
イスラームの男が、同じ「啓典の民」の女を迎える結婚式は時おりあるようだが、逆はそれほど多くないという。
「なんか、恨まれてたみたいですね、女のひと。いや男のほうかな」
「くたばっちまったのは男のひとっぽいけど、女の思考は微妙なところあるからね」
女の代表選手であるサアヤが言った。
もちろん女にとって、自分を捨てて別の女と結婚するような男は、ただちにくたばってしかるべきクソ野郎だ。
当然、殺したくもあるわけだが、必ずしもそればかりではない可能性もある。なぜなら女にとって、そもそもは愛する男であり、すくなくとも一時は愛した男だからだ。
一方、その男の横にいる見知らぬ女は、どこの馬の骨とも知らぬ泥棒猫である。
男への憎悪が強ければ男を殺したくなるだろうし、未練が強ければ女を殺したくなる。それが女の心理である、というサアヤの分析は非常に説得力があった。
「すげえ……さすがサアヤさん、説得力しかないよ」
「愛すべき者、汝の名は女」
お釈迦さまのように印を結び、男女の愛を語るサアヤ菩薩。
めんどくさくなってきたチューヤは、すぐにイスハークのほうに視線をもどし、
「血の雨を浴びていましたね、花嫁さん。花婿さんのほうも痛そうでしたし。女の恨みって怖いですね」
「そうだねえ。まあ彼女にとっては、どちらを殺したかったのかはともかく、偶然、バケツが当たったのは男のほうだったねえ」
救急車で運ばれた男の安否は、いまのところ伝わっていない。
映画であれば彼は死んでおり、横にいた女は発狂して超能力覚醒、という話になるが。
「……あの小さな女のひと、ひとりでこんなわるいこと企んだんですかね?」
チューヤの設問は、イスハークの心にすこしも影響しなかった。
彼は平然と肩をすくめ、
「共犯者がいるかもしれないねえ。彼女が捕まれば、これからいろいろと調べられることになるんじゃないかな?」
やや砕けた口調で言いながら、ノックに応じる。
ドアを開けると、ヒジャブをかぶった女性が人数分の紅茶を運んできた。
テーブルに並ぶ3対のソーサーと、チューリップ型のグラス。
同じテーブルで男女が飲食などイスラームではありえない、という考えはトルコでは必ずしも正しくない。
近代化された「トルコのイスラームはイスラームではない」と言われるくらい、従来の価値観と著しく乖離しているからだ。
女権論者が非難する日本人の男尊女卑傾向に近くすらある、かもしれない。
「うん、さすが来客用。いいチャイだ」
2段重ねのチャイダンルックから注いだ濃赤の紅茶を口に含み、うなずくイスハーク。
チャイといえば、有名なのはミルクを入れたインドのチャイだが、同じ発音でもトルコのチャイはきわめてオーソドックスな紅茶であり、トルコ人民にとってなくてはならない日常飲料である。
「ひゃっ!」
と、紅茶を置いて去ろうとした女性が悲鳴をあげた。
チューヤたちがハッとして見つめるさき、どうやらイスハークが彼女の尻を撫でたらしいと察する。
怒りの表情でにらみつけるイスラム女性は、アラビア語かトルコ語かわからない罵声のようなものを浴びせて出て行った。
唖然とするチューヤたち。
イスハークは平然とお茶を飲む。
整った顔をしているが、相応のナンパ野郎ということなのかもしれない。
「なんか、いやな予感しかしないよ、あたしゃ」
サアヤがつぶやく。
めずらしくチューヤも同意見だ。
イスハークはいやらしく笑い、徐々にそのキャラクターを明かしていく。
「いやあ、これが本来のイスラームなんだよ? 禁欲的とかなんとか、世界が勝手にでっちあげた誤解だから。同じアブラハムの宗教でも、イスラームは最高にハーレムさ」
キリスト教やユダヤ教では、たいへんに抑圧されている「性欲」。
その禁欲的すぎる教育の反動で、この世のすべては性欲に還元できる、と言い出す精神科医までが現れる始末だ。
イスラームはその点、じつは寛容である。
一般にイスラームこそ、女が髪や顔を見せてはならないとか、いろいろ抑圧されているかのように受け取られているが、とんでもない。
『コーラン』は冒頭から、イスラームの男たちの性欲が満たされる天国について説いている。あの世では72人のエロい処女が待っている、ハーレムだ、酒池肉林だ、だから神を信じろ、と。
ひらたくいえば、現世的な欲望の解放で「信者を釣っている」わけだ。
「トルコ人として、かつてあった日本語表現には感心していたんだよ。トルコ風呂こそ、あるべき真実の姿なのさ」
この破戒ウラマーは、うれしそうにそう言った。
──昭和のころ、「ソープランド」を意味した「トルコ風呂」は、ある真面目なトルコ青年の訴えにより、その名称が消え去った。
諸悪の根源は、ドミニク・アングルなどの画題『トルコ風呂』にも代表される西欧によるオリエンタリズムのイメージだ。
まさしく「妄想」に端を発し、男にも女の垢すり師がついてサービスする、という誤った誤解が日本にたどり着いて生み出されたのが、いわゆる特殊浴場である。
外国のイメージを利用しての一般名詞化は、よくある。
梅毒はフランス病だったし、歴史に残るインフルエンザはスペイン風邪だった。性処理用の人形にダッチワイフ(オランダ妻)と名づけたのがだれかは不明だが、いまのところその名称に文句をつけるオランダ人は、あまり多くはないようだ。
「性風俗みたいなのは、どこの国にでもあるとは思いますよ。けど一般的には……」
おとなの階段を昇ってもいないチューヤが反論を試みるには、相手のスキルが高すぎる。
「聖風俗なんだよ、イスラームは。だってトルコはイスラームの国だけど、だれも髪も顔も隠してないでしょ。あれが正しいイスラームなんだよ」
まっとうなイスラーム(とみずから主張する人々)にとって、トルコはイスラームの国ではない。
が、そう言われてトルコ人自身はどう思うのか。
日本人が、自分たちは聖徳太子以来どちらかといえば仏教国だろうと思っていたところ、国際的な調査機関から「あんたら無宗教だよ」と言われてハッとする感じに似ている、かもしれない。
「トルコ人の気持ちはわからないけど、なんかトルコ人自身からも怒られそうな気はするなあ」
「あっはは、だからここにいるんだろうね、わたしは」
……どうやら、そういうことのようだった。
彼の「破戒」レベルは、ほとんど「逸脱」といっていい、と判断するえらいひとが多かった結果、飛ばされた。
それは、彼の「才能」に対する「恐れ」をも意味していた、かもしれない。
このウラマーは、かつて業界の期待を背負い、新学派設立の中心にまでなった。
天才的な記憶力で、幼少期からアラビア語の文法を極め、新たな翻訳解釈まで提案して、ベストセラーとなった。
その流行はほどなく陰りを見せるが、現在も一定数の支持者がいるからこそ、極東でウラマーの敬意を集めていられる。
言い換えれば、日本などアッラーフの見捨てた辺境の地、勝手にやるがよい、という中央の意向が反映している。
アッラーフにとって、彼は「鬼っ子」なのだ。
有名な著述を著しているということで、公演に呼ばれることもあった。
そこでの発言が物議をかもした。いくつかのイスラームの慣行について、必要ない、くだらない、と断言したのだ。
それを遵守している信徒たちにとっては、大問題であった。
そもそも開放的なトルコ人が、インドのイスラム教徒に説教を垂れるということじたい、かなりの冒険ではあった。
祈りのときに帽子をかぶらなくてもよい、女性は髪の毛を短くしても良い、あまつさえ被り物は義務ではなく任意だ、と。
イスラム法学に基づいて、ファトワー(宗教的命令)を発することができるのがウラマーである。
よけいなことを言って、土地の秩序というものをかき乱されるのは困る。
南アジアに広まった彼の悪評は、トルコ本国にも届いた。
「もっと遠くへ飛んでいけ、というわけかな。はっは」
そして彼は日本へ飛ばされた。
アメリカまで飛ばされなかったのは、そこまで行くと逆の意味で危険なことになりかねない、という懸念があったのだろう。
「ガソリンの沸いている土地か、燃焼材の多い土地か、どちらも危険というわけで、比較的、不燃物である日本に送り込まれたというところかな」
「たしかに、イスラム教徒が燃え上がる素地は、この国にはないですね」
無宗教国を自任するチューヤたちは、ひとまず納得した。
──イスハークは、四大学派からは当然に距離を置いており、むしろそれから離れることこそ信仰の本質に近づくものである、と考えている。
なにが優れたものであるか、という判断は神のみぞ知るところだが、それぞれの学派をどう選択するかを、神は指示しない。
偶然にその教圏にいた、というだけで宗教的属性が決定する。
人類共通の悩みだが、それは個々人が成長の過程で学習し、乗り越えるべきものだ。
そのうえで、宗教をいかに利用するかを、われわれは自己選択する。
彼は決めた。
そして生み出した。
みずからの「学派」を。
そもそもイスラム国家など、必要ではないのだ。
20世紀、理想的なイスラム国家を目指して、多大なエネルギーが費やされた。
が、いまや、いわゆるイスラム国家に暮らす人々は、西洋へ行って成功することを願って生きている。
そもそもイスラームは宗教であって、国家であろうとしてはならない、というイスハークの思想は、当然に、あまたのイスラム系宗教国家との確執を生じる。
彼らにとっては、政教分離こそがそもそも「おかしな話」なのだ。
これに対しイスハークは、事実を合理的な要素に分割し、新たな信仰を提起するという道を選んだ。
かつてのユダヤ人同様、与えられた国家に生まれたことを受け入れ、イスラームという信仰を保てば、それでよいのだ。
いかなる国であれ、もはや信仰の自由が保障されていない国は、当のイスラム国以外には、ほとんどない。
すべての西欧国家、ほとんどの専制国家さえ、イスラム教徒がモスクで敬虔にふるまうことを邪魔しない。自宅でコーランを読み暮らすことを妨げる国はどこにもないのに、なぜイスラム国家の政権が必要なのか?
それを必要としている人々の顔を、ひとつひとつ、思い浮かべていけばよい。
千二夜目の、その忌まわしい寝起きの顔を、鏡に見るがいい!
「……そんなこと言ったんですか、あなたは」
あきれたように、チューヤはイスハークの長い演説に感想を述べた。
彼は拘泥なく笑って答える。
「貴賓席に向けてね。いやあ、つい口が滑って。思ったことを正直にね」
「正直な気持ちなんだ……そりゃ国外追放にもなるよね」
嘆息するサアヤ。
どうやら、イスハークという男の破戒僧ぶりは、どんなことをやらかしてもおかしくないレベルである、ということをこの時点で認識した。
「……あなたの破戒に、われわれを巻き込んでほしくないのですが」
そのとき開いたドアから、新しい声。
顔を向けるチューヤたちの視線のさき、リョージとヒナノが到着していた。




