黒い犬
柚葉は大人しくて、奥手な子だった。
それでも親しい人にはちゃんと感情を出していた。
高校3年の学園祭の暑い夏の日、後夜祭の準備中に屋上に柚葉を呼んだ。
前もって言うことを準備したけれど、いざその時がきたらすべて飛んでしまった。
「あ、あの、前からっていうか今もゆ、柚葉が好きで…頑張って努力してし、しあわせにするので僕とつ、付き合ってくだひゃい!」
終わったと思った。かみかみだし、途中から何言ってるか分かんないし、かみかみだし。
手を伸ばしてお辞儀の超ド古のスタイルしちゃったし。
何秒経ったか分からないけど、なかなか手を掴まれないので恐る恐る顔を上げると、柚葉は僕と同じくらい緊張した面持ちで
「も、もちろん、そ、そりゃあウェルカムっていうか!うん!」
とやっぱり僕くらいかみかみで、手を広げていた。
え?ウェルカムとか言っちゃったから訳分かんなくなって手広げてんの?アメリカスタイルかなんかなの?と。
ぷっと僕が吹き出すと柚葉も我に返ったように笑った。恥ずかしくて抱き着くのは無理だったのでお互い握手をした。後夜祭で部活は自由参加だったが落ち着いてられず、誰よりも早くボールを蹴っていた。
そしてフェンスの外から蒼士がクラスの友達と歩いてきたのを見つけると
「蒼士!やった!成功した!」
とフェンスを掴みながら言うと、蒼士だけがすべてを理解して
「まじか!やったな!今そっち行く!」
と部室に走っていった。
蒼士と一緒に来た奴らは訳が分からないようで
「こいつらなに?株でもやってんの?宝くじ?」
と本当に頭のおかしい人間をみているような顔であった。
「そうださっき走ってたところ辺りだったもんなあ、」
昔を思い出しているうちに、あの道は初めて手つないだとこだ、あの公園でしゃべりすぎて塾居ないのばれておばさんから電話きて怒られたなと記憶ではなく思い出がよみがえってくる。
気づくと泣いていた。止まらなかった。そうだ飛鳥からメールがきたあの日から泣いていなかった。多分どこかに行けば柚葉に会えるような気がして。
1年も付き合っていないけれど、思い出の柚葉は一度も悲しそうな顔をしなかった。あの最後の日まで。
お互い嫌いになったから別れたわけじゃなく、好きなのに別れた。そうさせたのは自分だと思い知ったから悲しいんだ。好きなままなんだ。
誰もいない祠の前で立ち尽くしていると、ワオーンと遠吠えが祠から聞こえた。
なんだ?と顔をぬぐうとそこには柴犬のようなハスキーのような黒い犬がいた。
「え?なんでこんなとこに犬が?迷い犬かな」
と思って近づいてみると少し逃げる。距離を詰めようとするとまた少し離れる。
何だこいつと思ってほっとこうとするとワン、と吠えてくる。なんなんだと思いながらついていくと、普段表の散策コースから立ち入り禁止になっている区域に入っていた。
これはまずいかと引き返そうとするとワオーンと遠吠えしたのにびっくりして丘から滑り落ちてしまった。
バシャーン!
「う、いててて…」
丘の下は山を囲うように小川が流れていた。
最悪だ…と袖で顔を拭こうとした瞬間だった。
「ん?袖がない?」
半袖になっていた。しかも制服に。
気づいた瞬間ぎゃはははと笑い声が聞こえてきた。
「はい、優馬ジュースおごりね!」
見上げた蒼士も制服を着ている。何のおふざけだととびかかろうとしたが、おかしいさっきまで冬だった。なんで蝉の声がする?暑い日差しと気温で優馬は水面に映る自分を眺めた。