影縛り
剣豪小説なのですが、敷居を下げる為あえて時代小説文体は極力使わず書いてみました。
仲木戸神之助は必死だった。
「突然の訪問、失礼は承知でございますが、止むに止まれぬ事情がございます。是非、ご教授を」
ここは越後の名もなき山中の庵。
目の前の初老の男に懇願しているのだ。
「困りましたな。当流は私一代のつもりでおります。もう剣の世でもありません。いたずらに物騒な技は残したくはないのですよ」
男は本名は分からない。通称で、越後の影山翁と呼ばれている。
剣術の達人で、「影」と名の付く様々な玄妙な術を使いこなすとのこと。
「どうしても勝たねばならぬ試合があるのです。しかし竹刀試合故、殺生はいたしません。またその試合が終われば技は封印いたします。必要とあらば、この腕、切り落として献上いたします」
影山翁は、はてと困った顔をした。
「腕などいりませんよ。しかし、覚悟のほどは分かりました。事情をお伺いしましょう。立ち話もなんですから、どうぞ中に」
神之助は庵に招かれると、身の上を話した。
彼はとある道場の跡取り息子であり、その道場は今存亡の危機に瀕している。
彼の道場のかつての門弟に地元名家の三男がいたのだが、素行不良で破門になった。しかし、時が経ち、あろうことか三男は江戸の有名道場の皆伝を受けて帰ってきた。
三男は有名道場の支部という名をかかげた道場を立ち上げた。
そして、神之助の道場の門下生を引抜きにかけ、弱体化した所で親善試合を申し込んできたのだ。
道場主である父は高齢の為、戦えるものは神之助しか残っていない。
おそらく三男の道場の代表は引き抜かれたかつての兄弟子。実力でとうていかなわぬと分かっている相手に、神之助はどうしても勝たねばならない。
「なるほど。事情は分かりました」
影山翁は考えた。
「しかし、当流はもう弟子は取らぬことは神仏に誓いを立てており、そこはご容赦いただきたい。しかし、一つ技はお見せしますので、勝手に盗んでいただきたい」
「ありがとうございます!」
神之助は平伏した。
翁は神之助を庵の奥に招き入れた。
外観は古ぼけた庵なのに、なかなかどうして立派な道場がある。
二人は竹刀を構えて正対した。
翁の構えは、意外にも基本通りの正眼の構えだった。噂では数々の玄妙な技を使うとのことで、邪道剣なのではと予想していた。世に知られぬ邪道ならば初見には強く、今回のような試合には有効と考えていたのだ。しかし構えも足運びも特に変わったものは無い。
ならば、影山翁の技は返し技なのだろうか?
そう考え、神之助は打ち込むのを躊躇した。
一見すると隙はある。もちろん素人とは異なるが、かなわぬ達人というようにも見えない。しかし、それが返し技を誘う罠なのかもしれない。
そんな神之助の様子を見てか、翁は一歩距離を詰めた。
「打ちますよ」
そう声をかけると、無造作に竹刀を上段に振り上げる。
そして、ポンと神之助の肩を打った。
真剣ならば袈裟切りに斬られた形だ。
さして速い打ち込みではなかったはずだ。技の起こり、即ち予備動作がまったく無かったわけでもない。拍子が取れなかったわけでもない。しかし、なぜか神之助はかわせなかった。
「これが当流の技の一つ、影縛りです」
呆然とする神之助に対して、翁はさらりと言ってのけた。
その後、何度となく試合は続けられたが、神之助は打たれ続けた。
打たれた時のほとんどは、なぜ打たれたのか分からなかった。
「影縛り」の言葉から、金縛りの類かとも考えたが、特に眼力で威圧されるわけでも、経絡の急所を突かれるわけでもない。
動こうと思えば動けるのだ。
しかし、なぜか、これが避けられない。そんな不思議な緩い打ち込みを何度も食らった。
おそらく翁は、技の効果を分かりやすく見せる為、わざと緩く打ち込んでいるのだろう。
本気の打ち込みにこの技を併用したら、なんとも恐ろしいことかと戦慄が走った。
そして、何度打たれても、肝心の技の正体が一切分からない。
「このぐらいにしておきましょう」
肩で息をしはじめた神之助に対して翁は言った。
「後はこの経験を思い出して、自ら研鑽してください」
「しかし!」
そこから先の言葉が神之助は続かなかった。『もう一手』と言いたいところだが、続けた所で何か掴める自信も無かったのだ。
「焦らずともいいでしょう。今は疲労で視野が狭まっています。一旦休憩したら不思議と掴めることもあるものですよ。それに」
翁はふぅと息を吐いた。
「私が疲れました。。。老体ゆえご容赦を。まだ心残りがあるのであれば、お茶でも付き合ってください」
そう言って、翁は立ち去った。
神之助はその場に座り込んだ。
いや、緊張の糸が切れた途端に、立っていられなくなったのだ。脚ががくがく震えている。
ここまで消耗しているとは思わなかった。
しばらくして翁が戻って来た時も、まだ神之助の脚は回復していなかった。
慌てて立ち上がろうとして、再度尻もちをつく。
「大丈夫、そのままで」
笑ってそう言うと、翁は神之助に笹の葉で包んだ何かを渡した。
「笹団子です。この辺の名物です。沢山あるので遠慮はいりません」
言葉通り、翁が持ってきた盆には笹団子が大量にあった。
翁は自分も盆から一つ手に取った。そして、笹を結んである蔦紐をほどき、笹を剥き、出てきた団子を齧った。
「ちまちま食べるより、大口でバクりと齧った方が旨いですよ」
神之助は見様見真似で笹を剥いた。
もともと笹の清涼な香りが微かにしていたのだが、それを剥くと甘い餅の香りが漂った。
いや、餅だけではない。笹とはまた別の草の香りがする。
実際団子は鮮やかな緑色をしていた。
「これは団子にも笹を練りこんでいるのですか?」
「いや、それはヨモギなんです。ヨモギの草団子で小豆餡を包んであります」
神之助は、なるほどとつぶやき、齧りついた。
思ったより歯ごたえがある団子をぷっつりと嚙み切ると、口いっぱいにヨモギの香りが立ち込めた。
それを咀嚼すると、餅の優しい甘さが広がり、続いて小豆餡のどっしりとした甘さがやってきた。
噛むにしたがって、餅、餡が小気味よく混ざり合い、飲み込むと再びヨモギの香りが鼻腔を抜けた。
「なんとも旨いものですね」
神之助は感嘆した。
「稽古の後は格別ですよ」
「確かに。滋養が疲れた体に染み渡る感じがします」
「実際、上杉謙信が戦の際に兵糧として用いたとの話もあります」
「なんとも贅沢な兵糧ですね」
そんな話をしながら、神之助はぺろりと一つ平らげた。
正直、もっと食べたいと思ったが流石にそれは厚かましい。神之助はなるべく盆に積まれた団子を見ないようにした。
「ごらんの通り沢山ありますので、どうぞ。もう一つ。遠慮なさらずに」
神之助の思いを見透かしたように翁はもう一つ手渡した。
「ありがとうございます」
これ幸いと神之助は手に取り、もう慣れた手つきで笹を剥き、齧りついた。
笹の香り。ヨモギの香り。餅の甘さ。
歯ごたえのある餅をぷつりと噛みきり咀嚼する。
しかし、先ほどよりも甘みが少ない。
歯ごたえもなんだかゴリゴリする。
餡の煮方にムラがあったのだろうか?
正直、先ほどの団子の方が旨かった。
今回のは甘くない・・・というよりしょっぱい?!
「?!」
そこで改めて神之助は嚙み切った団子の断面を見た。
入っているのは餡子では無かった。
「金平ですよ」
翁はニヤリとして言った。
確かに入っているのは金平ゴボウだ。
「めずらしいでしょ。この地域では小豆餡の他にこういう具も団子に使うんです。知らない人は驚きますが、これはこれで旨いですよ」
そう言われて神之助は残りを口に放り込んだ。
確かに甘辛く似た金平が団子に良く合った。
餅は元は米なので、この組み合わせは、金平をつまんで握り飯を食うのと一緒。そう考えると不味いわけが無い。
「最初は驚きましたが、確かにこれも旨いですね」
「でしょ」
翁はそう言ってから、神之助の目を見据えた。
「小豆餡と思って食べると、少々戸惑いますけどね」
「!!」
神之助は襟を正した。
そして足を正し、手を付き、床に額を押し当てた。
「ご教授、ありがとうございました!」
対抗試合の日がやって来た。
相手は予想通り、かつての兄弟子だった。
「恥は承知だが、こちらも事情がある故だ。許せとは言わん。遠慮は無用だ。思いっきり来い」
試合前、兄弟子はそれだけ言った。
もとより恨み言を言うつもりはない。下級武士の懐事情は綺麗ごとでは済まないのは神之助も承知の上だ。
だからこそ、実力で闘うと決めた。
互いに構える。
「初め」の号令がかけられた。
神之助は一歩踏み込みつつ、上段に構えた。
この構えから出る技は面打ちか袈裟切り。
神之助は僅かに竹刀を返した。
弧を描いての袈裟切りの軌道。
兄弟子は反応する。
いや、反応させられた。
「面有り!」
審判が手を上げる。
袈裟切りに見えた剣の軌道が不意に真下に変わり、見事に面を捉えていた。
勝負は三本先取。二人は再度分かれて向き合った。
「初め!」
やはり神之助は上段に構えてすり寄っていく。
(影とは無意識のこと)
神之助は、翁と別れた後、自分で鍛錬し言語化した影縛りの極意を心で復唱した。
先が読めない時、人は様々な行動をする。
しかし、先が読めてしまった場合、人は共通の行動をする。
待つのだ。
読んだ通りのことが起こるのを無意識に待ってしまう。
金平を噛みながらでさえ、来るはずの無い小豆餡の甘みが来るのを待ってしまう。
この無意識に待ってしまう状態を意図的に作り出す技が影縛りだ。
肝は相手にわざとこちらの技を予測させること。そして、途中までその予測が当たったと見せかけてギリギリではずす。上手く嵌れば相手は何が起こったか分からず、反応できなくなる。
「小手有り!」
二本目は面を警戒した相手に小手を決めた。
三本目。
後手に回ると面妖な技を食らうと思った兄弟子は、初めの合図と同時に突進してきた。
それを十分視野に入れていた神之助は、自らも強く踏み込んで体で当たる。
十分に備えた当たりの為、神之助が当たり勝ち、兄弟子がよろけた。
そして、よろけた所に胴を決めた。
終わってみれば圧勝だった。
とはいえ、竹刀試合である。一度の勝利で去った弟子が一気に戻ることは無いだろう。
ただ、道場再建に向けて確実な一歩は踏み出せたはずだ。
「参ったよ」
兄弟子が話しかけてきた。
神之助がふと遠目にこちらを伺っている三男を見た。
「気にするな」
と兄弟子が言った。結局三男の皆伝は名ばかりで、兄弟子より強い者はいないとのこと。
自分が睨みを利かすから、これ以上神之助の道場に迷惑はかけないと兄弟子は約束をした。
「ならば・・・」
神之助は兄弟子が手加減をしたのではないかと懸念した。
「なに、今日の試合は本気の本気だ。全力で負けた。いつの間にそんなに強くなった」
その言葉に嘘は無さそうだった。
ここで神之助の表情から、ようやく強張りが抜けた。
「団子ですよ」
「団子?食えば強くなるのか?」
「どうでしょう?」
神之助は不敵に笑った。
「気になるなら、一度ご馳走しますよ」
「よし、それを食ったらもう一勝負願おう」
二人にとっては何気ない会話だったが、それに聞き耳を立てていた両道場生たちがハッとした。
それを察した神之助は、周りに聞こえるように声を張って答えた。
「望むところです」
この2種類の笹団子は新潟名物として実在します。
いつから今の形であったかは分からないのですが、砂糖を使用したアンコは江戸時代に出来たので、本作の時代設定(江戸末期)にはあったと仮定して創作しました。
上杉謙信が兵糧としてという話は、お土産屋で笹団子を買うと付いてくる冊子等によく書いてあります。
さすがに戦国時代は甘いアンコは無かったので、かなり違う形だったのではと思いますが。
なお、登場人物、流派、技はまったくのフィクションです。