未来の夢
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未……ああ、こーちゃん、来ていたんだ。
いやあ、今度の漢字テストに干支の漢字も出るって話でね。ちょっと確認中なんだよ。
こうしてみると、漢字そのものはあまり難しくないんだよね。子や午や未とか、なじみのある漢字がちょくちょく顔を見せる。
ひつじ年は僕の干支でね。この未という漢字は昔から目にしているんだ。だが、調べたところによると、この未という言葉はいまだ成長途上という意味合いであって、直接にひつじを示すものじゃないらしい。
なぜひつじがあてられたのかは、いろいろ説があるみたいでね。僕が聞いたのは、8番目の干支というのを、陰暦にあてはめて8月にすると、ちょうど実りの多い時期にあたる。
その豊穣をあらわすのに、古来財産や捧げものとして用いられたひつじに、白羽の矢が立ったのだとか。
僕自身も、ひつじに関して不可解な体験をし、いまもしていることがあるんだよ。その時のこと、聞いてみないかい?
ひつじが一匹、ひつじが二匹……。
眠れないときに数える、古典的な睡眠導入法のひとつだ。頭の中で柵を飛び越えていく羊たちを一匹、一匹思い浮かべていくと、眠りへいざなわれるとか。
もとは英語圏での言い回しらしい。眠りのsleepとひつじのsheepを掛け合わせたシャレであり、sheepの発音をするときの動きが深呼吸に似ていて、眠気を催すのに役立つのだという説も聞くね。
幼稚園児のころの僕は、先生から聞いたこのひつじのかぞえ歌のことを、よく覚えていた。自分の干支についてすでに知らされていて、ひつじ同士の縁を感じていたのもある。
寝つきはよい、と家族に認められることしばしばだった僕だが、ある時、どうしても意識が眠りへ向かってくれない夜があったんだ。
明かり、食事、ストレス……考えうる、眠りを妨げるような要素はすべて取っ払っているはず。なのに、いくら眼を閉じていても意識は冴えに冴えまくっている。
――ひつじを数えてみようか?
僕は先生に言われたことを思い出し、だだっぴろ野原。そこを横切る長い木の柵を思い浮かべ、想像のひつじを呼び寄せる。
本で見たような、もこもこの毛皮をまとったひつじは、僕の意識の視界の端からぴょいと現れ、軽やかに柵を越えたのち、反対側へ消えていく。そして新しいひつじが再び。
――ひつじが一匹……ひつじが二匹……。
僕は律義にカウントをしていくが、それはますます意識を鮮明にする手助けにしかならない。
せめて現実のいろいろなものを映さないように、努めてまぶたを閉じていくと、より鮮明に意識の中の野原も柵も浮かび上がってきてしまう。
そうと考えていないのに、いつの間にか野原の草がかすかにそよいでいた。まるで本当に風が吹いているかのように。
すでにひつじたちは、何匹数えているかも分からない。彼らもまた、僕が新たに増えることを望んでいないにもかかわらず、勝手に、勝手にやってきては柵を飛び越えていくんだ。
もう限界だと、僕はまぶたに力を込めるも、のり付けられたように簡単には開いてくれない。そのわずかに引き延ばされた暗闇の中。
柵に向かっていたひつじが一匹、僕の方へ身体を向けると、ずんずん走り寄ってきた。
自然と塞がる視野、埋めていくのはひつじの顔。目を閉じた意識の中で動けない僕は、近づかれるがまま。
いよいよ、ひつじにぶつかってしまう……といったところで、目を開けたんだ。
あれも夢、と言っていいんだろうか。小さい心臓が大きく脈打っているのを感じたよ。あのひつじの顔はそこになく、代わりに暗いくらい自室の天井が、僕を見下ろしている。
おそるおそる、もう一度目を閉じてみた。もうひつじが出てくることはなく、かといって僕の意識が眠りへ引っ張られるかというと、それもなく。
結局その晩は、一睡もできないままだった。けれども眠気をさほど感じることはなかったんだ。
ただ、その日から僕は、ふとした拍子に目をつむると、目の前にあのひつじの顔が浮かぶようになってしまう。
それが眠りであれ、お遊戯などの指示であれ、だ。まぶたの裏いっぱいに、鼻がじかにくっついてしまいそうな近さ。息づかいさえ届くんじゃないかという真ん前に、いきなりひつじが出てくるんだ。
慣れないうちは、飛び上がらんばかりに驚いた。そして見とがめる周りの友達などに話したけど、たいていがばかにされたよ。夢のひつじごときに、いつまでびくついているんだと。
かつて、ひつじかぞえ歌を教えてくれた先生にも相談した。先生は怖い夢はそのことを考えないようにすることが大事と、教えてくれたよ。
たとえ出くわしても気にしない、放っておく、関心を持たない。人がそうであるように、夢もまた自然に離れていってくれるだろう、てね。
素直に僕は従った。いつひつじ顔が出てきても落ち着いていられるよう、心の準備をし、いざ向き合えばまず、努めてひつじ顔に動じないようにする。
そうしていくうち、僕の中では顔は背景に、背景は模様に、模様は道端の石程度に……と、どんどん大事さに欠けていく。
やがては嫌悪感を抱くのさえ面倒になってきて、もはや目を閉じるときに出てきても、何もリアクションをしなくて済むようになっていたのだけど。
幼稚園内での、発表会のときだったな。
教室ごとに劇を演じることになって、僕も役者のひとりで、姫にかしづく騎士のひとりの役回りだったか。
騎士叙勲だかのシーンで、お姫様に小道具の剣でもって肩に祝福をもらうところ。僕はひざまずいて、目をつむっていた。
その暗い視界が、またにわかに色づく。これまでも出くわしてきたひつじ顔が出てくる前触れだ。練習中も同じシーンで、同じことがあったこともあり、「またか」と内心であきれ気味にため息をつきたくなったよ。
でも、すぐにそうすべきじゃないと思った。
なぜなら、今回現れたのはひつじ顔じゃなかったからだ。
閉じたハサミを思わす、銀色の光をまとった刃。僕の眼前に突き付けられていたそれが、さっと大きく右へ身をひねる。
あらわになる刀身の全体。それはまさに、目の前の僕をなぎ斬らんとする真一文字の構えだった。
持ち手はいない。虚空に浮かぶその刃はしばし、止まったのちで勢いよく降り戻ってきたんだ。
僕はつい、飛びのいて目を開いた。
客席も控えていたみんながざわつき、姫役の子などは手に持っていた段ボール製の剣を落として、両手で口を塞ぎ、驚いたかのようなしぐさ。
その原因はすぐ知れる。
僕のとどまっていたところ、そして飛びのいたここまでの間に、真新しい血痕がいくつかできあがっているのだから。
僕の額はごく浅く横一文字に斬れて、血がにじんでいたんだよ。
剣の小道具を持っていた姫役の女の子にも、疑いがかかって申し訳なく思った。
以前に馬鹿にされた夢の件は話さず、彼女の弁護に回ったが、僕は間違いなく、あの閉じ切った視界の中に現れた、あの刃物の仕業とみている。
飛びのいたから、この程度で済んだんだ、もしあのままとどまっていたら、より深くなぎ斬られて、取り返しのつかない深手を負っていたかもしれない。
同時に、こうとも思ったんだ。
もしいつものようにひつじの顔が真ん前に出てくるようだったら、こうもならなかっただろうと。
ただこちらの視界を埋め尽くすように、睨んでくるばかりだったらと。
僕は邪険にしていたひつじたちの顔が、また戻ってくれるよう、その日から願った。
もとより待ち受けていたかのように、その晩からまたしばしばひつじたちは、僕の閉じたまぶたの裏に現れるようになる。
今でも続く長い付き合いなんだけど、ああして彼らがいてくれる限り、僕はあの刃先のような、実際に害をもたらす夢に襲われることはない。
むしろ、あのひつじたちが現れる時、あの手の危ない夢がそばに寄ってきていていて、ひつじたちがそれを守ってくれているのだと思っている。
未来は「未だ来ない」、将来のことだと多くの人は考えていないだろうか。
けれど僕は、「未だ来てくれる」昔ながらの彼らによって支えられ、初めて訪れるものじゃないかと思っているんだよ。