第8話 自室
地上まで辿り着いた二人は、階段の先にある扉から外に出た。すすきは辺りをぐるりと見回してみる。時計塔の足元はアーチ型で、トンネルのようになっていた。どうやら自分たちは、トンネルのちょうど真ん中にある扉から出てきたようだ。そして、通路を挟んだ真向かいの壁には、もう一枚、木製の扉があった。手招きされてハクトについていくと、彼はその木製の扉の前で立ち止まった。
「お疲れさまでした。今日からここがすすきちゃんの部屋だよ。はい、これは鍵。中は好きに使っていいからね」
「あ、ありがとうございます」
受け取った鍵は、頭の部分が時計の形をしていた。
ハクトによると、この部屋はもともと、祭事の際に皇帝が着用する王冠や勲章を保管しておく場所だったそうだ。だが、人間と共生するようになってから、それらの保管場所はより厳重な場所へと移されたらしい。
その後、空き部屋となったこの場所に水道を引き、暖炉や焜炉を取り付けてはみたものの、結局誰も使わずじまいだったそうだ。当時のテーブルや椅子などもそのままになっているらしい。ひと通りの家具はあるため、掃除さえすれば住めるようになるだろうとのことだった。
これから、魔法使いの国で生活をしていく。考えるだけで何だか胸がドキドキした。持っている鍵を胸元でギュッと握り締める。緊張で顔を強張らせていると、ハクトにそっと手を掴まれ、何かを渡された。すすきが受け取ったのは、両手に収まる大きさの皮袋だった。
「これはエルフランドのお金。生活に必要なものを揃えるくらいなら、これで何とかなると思う。まだお昼だし、時間もたっぷりある。今日はのんびり片付けをしたらいいよ」
優しい声で、そう言われた。エルフランドの通貨は「マルカ」というらしい。皮袋の中には丸められた紙幣が入っていて、自由に使っていいそうだ。
仕事も何もしていないのにお金を貰えるなんて、ありがたい。正直な所、これから先の食事はどうなるのか不安だった。お金があれば、何かしら食材を買って食べることが出来る。暖炉や焜炉があるなら、部屋で料理をすることも可能だろう。
すすきはお礼を言おうと口を開いた。その時、すすきの隣に突然何かが現れた。ビクリと体を揺らして見上げると、金髪の男が立っていた。格好はシンとほぼ同じ。黒い服とブーツを身に着けていて、ボタンやバックルにまで金があしらわれている。服装や、突然現れたことから、防衛五隊の隊長と考えてよさそうだ。
そして、一つだけシンと異なっていたのは、左胸の星の数だった。金髪の男は、一つ星のプレートを付けている。三つ星のシンが第三部隊なら、一つ星の彼はおそらく第一部隊だろう。
驚いて固まっているすすきを横目に、男はハクトに声をかけた。
「ハクト様。シールド外の調査について、ご報告したいことがあります。ご都合がよろしくないようでしたら、改めて伺いますが……」
「ううん、大丈夫。話は僕の部屋で聞こうか。すすきちゃん、あとは地道に頑張ってね。困ったことがあれば、僕の部屋においで」
「あ……はい! ありがとうございました!」
そう言って、すすきは頭を下げた。そして再び頭を上げた時には、目の前には誰もいなかった。先程までと違い、時計塔の下は静まり返っている。ひとりぼっちになった途端に、寂しさが込み上げてきた。
だが、泣いている暇はない。三上書店に帰るには、ハクトに言われた仕事を全うするしかないのだ。さっそく掃除に取り掛かろうと、鍵を使って扉を開けた。すると、目の前には一畳ほどのスペースがあり、何故かまた扉があった。
閉めると暗くなってしまうと思い、一枚目の扉を開けたまま、二枚目の扉のノブに手をかける。鍵は付いていなかったので、すんなりと開けることが出来た。あまり見たことのない構造だったが、扉が二枚あるということは、防寒対策なのかもしれない。
二枚目の扉を開くと、土間があった。大きさは一つ前のスペースと同じで一畳ほどだ。右下には、木で作られた簡易な靴置き場があった。廊下などはなく、そのまま居室が広がっている。
カーテンの付いていない窓からは、外の光が差し込んでいた。よく見ると床が真っ白になっている。靴を履いたまま進むと、歩くたびに埃が舞った。袖で鼻と口を覆いながら、すすきは窓へ向かった。
玄関扉のちょうど正面に、大きな暖炉があった。暖炉を挟んで、左右に窓が設置されている。内開きの窓はガラスが二重になっていて、エルフランドの冬はとんでもなく寒いのだろうと思った。
すすきは二つの窓を開けて居室に風を入れた。淀んだ空気が徐々に入れ替わっていく。換気をしている間に中を確認しておこうと、居室全体を見回した。布団は無いが、ベッドの枠だけは置いてある。他にはテーブルと椅子が一つずつあり、壁には箒が立て掛けられていた。
「取り敢えず、明るいうちに換気して、埃も掃かなきゃ。買い物はその後かな」
独り言を呟きながら、すすきは箒を持った。ハクトに貰った鍵と、お金の入った皮袋は、ひとまずテーブルに置いた。
掃除を始めると、外から差し込む光だけでは少し薄暗いと感じた。他にも室内を照らす明かりが欲しい。だが、電気なんて便利なものはこの世界には無さそうだった。
「電気が無いなら、暖炉に火を点けるか、ランプを使うとかかな……その辺りも買い物に行った時に聞いてみよう。あと必要なものは、寝るための布団と、食べ物と、カーテンと、替えの服も──っあ‼︎」
ブツブツと独り言を続けていたすすきは、突然大きな声を上げた。
言いながら思い出したのだ。この世界に来た日、大雨の中、自分はずぶ濡れで倒れていた。そして目が覚めた時には、泥だらけになった服や下着は取り替えられていた。もともと着ていたものは、メディカが洗ってくれたのか、シンの家の軒下に干されていたのだ。
メディカは忙しそうだったし、きっと今も干しっぱなしになっている。シンがわざわざ人間の洗濯物を取り込むとは考え難い。むしろ男の人に下着を取り込まれるよりは、放置されていた方がありがたいくらいだ。
「買い物より先に下着の回収だね……。服を入れるものがあれば良いんだけど、それは行く途中で買えるかな」
埃を掃きながら溜め息が漏れる。第三部隊が管理する4区及び9区に人間は必要ない。シンはそう言っていた。メディカと二人で歩いていた時は特に何もなかったが、もし自分一人で4区に行ったらどうなるのだろう。追い返されたりしないだろうか。そんなことを考えながら、すすきは黙々と掃除を続けた。
正方形の居室は八畳ほどの広さがあった。そして、居室の中には更に二つの扉が設置されていた。土間から見て右手の扉の先には、トイレとシャワー室。左手の扉の先には、焜炉や戸棚が設置されたキッチンスペースがある。一人で生活していくには充分だった。
それから埃や蜘蛛との格闘を続け、なんとか一晩過ごせる程度には片付けることが出来た。キッチンやシャワー室の掃除をした時に、蛇口を捻って、ちゃんと水が出ることも確認した。床や壁は石で出来ていたため、モップかブラシが手に入れば更に綺麗に出来るだろう。
「そろそろ買い物に行こうかな。盗られて困る物も無いし、窓はしばらく開けっ放しでも問題ないよね」
掃除と同じで、買い物も明るいうちに済ませたい。すすきは鍵と皮袋を持って自室を出た。
時計塔の足元は静かだった。トンネル部分を歩けば、コツンコツンと足音が響いた。これから、エルフランドの街なかをたった一人で歩く……そう考えると、少し怖くなった。
何もかも初めての世界なのだ。右も左も分からない。不安と好奇心が胸の中を掻き乱した。だけど、三上書店に帰るためには、やるしかない。
すすきは深呼吸をして、覚悟を決めた。そして、シンの家がある4区を目指して、ゆっくりと歩き出した。
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