第43話 半分
すすきの右手首を、メディカの柔らかい手のひらが包んだ。メディカが、祈るようにそっと目を閉じると、手のひらから淡い光が放たれた。
光に包み込まれた患部は、じんわりと温かくなっていく。そして、痛みと赤みはゆっくりと引いていった。初めて目の前で見る医療魔法に、すすきは思わず息を呑んだ。
しばらくして目を開けたメディカは、そんなすすきを見てクスリと笑みを浮かべた。
「治りましたよ。これで大丈夫です」
「ありがとうございます。すごい……もう痛くない。魔法で治療するって、どういうものかイメージできなかったんですけど、本当に怪我を治したりもできるんですね」
そう言うと、すすきは手を握ったり開いたりしながら、感嘆の息を漏らした。そして、いつ見かけても彼女が忙しそうにしている理由が、少し分かったような気がした。
おそらく国内で負傷者が出る度に、様々な場所から呼び出されているのだろう。しかし多忙を極める中でも、メディカは笑顔を絶やさなかった。
そして今も、メディカはすすきの言葉に、にこやかな表情で応えた。
「確かに魔法って、空を飛んだり、何かを操ったり、そういう派手なイメージが先行していますね。でも、こういう"おまじない"も魔法の一種なんです。痛いの痛いの飛んでいけ〜!って」
「ふふ。小さい頃、おじいちゃんがよく同じようにしてくれました。人間だから、本当に治ったりはしなかったけど」
「素敵な思い出ですね。……魔力を持たない人間でも、願い、祈ることはできます。その思いの強さは、稀に奇跡を起こすこともあるそうです。おじいさまに、また元気で会えると良いですね」
メディカの言葉と優しい声音に、すすきは声を詰まらせた。思い出と共に、大好きな祖父の姿が甦ったのだ。意識した途端、寂しさが込み上げた。
「……はい」
小さな返事をすると、すすきの頬に一筋の涙がこぼれた。
──君が僕のお願いを聞いてくれるなら、青い本に触れたのと同じ日、同じ時間に帰してあげる。
エルフランドを一望できる空の上で、ハクトはそう言った。彼の言葉を信じている。彼は嘘を吐くような人ではないと信じている。
しかし気付かぬうちに、すすきの心は、不安と孤独によって静かに蝕まれていた。
自分は魔法使いでもなければ、この国の人間でもない。他と一線を画す能力がある訳でもなければ、役に立つ技術を持っている訳でもなかった。
ただ言われるがまま、防衛五隊の幹部たちの背中を追う毎日。思想や信念のある彼らを見ていると、時折感じてしまうのだ。田舎を旅立つ友人たちを見送った時と同じ、激しい劣等感を──。
三上書店へ……おじいちゃんのところへ帰りたい。誰かと比較されることのない、平和で穏やかな往始町へ、帰りたい。そんな気持ちが爆発しそうになった。
だが、すすきはぐっと涙を堪えて笑顔を見せた。目の前にいるメディカが、あまりにも心配そうな顔をしていたからだ。近くで煙草をふかしていたフウガも、こちらを気にしている様子だった。
「ごめんなさい。優しくされたら、嬉しくなっちゃって」
すすきは、その場を取り繕うようにそう言った。
半分本当で、半分嘘だ。
「それなら良いのですが……。すすきさん、辛いことがあったら、いつでも話してくださいね。たまには息抜きも大切ですよ」
「ありがとうございます」
小首をかしげるメディカに、すすきはお礼を伝えた。すると突然、メディカの目が大きく見開いた。その瞬間、彼女の背後に風が吹き、何者かが姿を現した。
「あ、いた」
ぽそりとそう呟いて現れたのは、第四部隊隊長のソピア・キルヤストだった。彼女も他の隊長・副隊長と同様に、勲章を身に付けていた。
「ソピア様、こんにちは」
「お疲れさまです、ソピア様」
「うん」
すすきとメディカが挨拶をすると、ソピアは短く返事をして、こくりと頷いた。するとそこへ、煙草を吸い終えたフウガが近づいて来た。
「式典の準備は終わったのか?」
「はい。設営もほぼ完了しました。あとは各部隊の幹部に動線の確認をしてもらって、警備部隊を配置するだけです。フウガ様とメディカさんも、後ほど確認をお願いします」
ソピアの言葉に、フウガとメディカはそれぞれ返事をして頷いた。すすきは、そんな幹部たちの姿をジッと見つめていたが、あることを思い出してハッと我に返った。
ブローチのことだ。ソピアにも魔力を分けて貰わなければならない。危うく忘れるところだったと慌てながら、すすきはソピアに声をかけた。
「あ、あの。ソピア様! お忙しいところ、すみません。ちょっとお願いがあります!」
「ん、何ですか? ……ああ、ブローチですか。どうぞ」
「へ? あっ──」
ソピアは、それを頼まれることを分かっていたように、手を翳して魔力を込めた。すすきがブローチを見ると、埋め込まれた魔石の一つが、紫色に色づいていた。
「ありがとうございます。……ブローチのこと、ご存じだったんですね」
「はい。先ほど用があって8区に立ち寄った時、ティムくんに散々自慢されましたから。面倒だったので耳を塞いでいたんですけど、彼は声が大きいので内容はなんとなく理解しました」
そう言って、ソピアは耳を塞ぐ仕草をした。おそらくティムは、ソピアに無視をされても構わず話し続けたのだろう。その時の二人の姿を思い浮かべたのか、フウガはゲラゲラと笑っていた。
すすきもティムの姿を思い浮かべ、少し笑ってしまった。彼なら、ソピアの態度にもめげずに話し続けるだろうと思えたからだ。すると、ソピアがすすきを見つめてフッと笑みを浮かべた。
「彼、隊長と同等の仕事を掴んだことが、嬉しかったみたいですよ。頼ってあげると喜ぶと思います。まあ、独断専行したことを、エルトンさんにこっぴどく怒られてましたけど」
「あはは……やっぱり。フウガ様も、エルトンさんが爆発寸前だって言ってました」
ティムの怒られる姿がよほど面白かったのか、その後もソピアは小さな笑い声を漏らしていた。そして、何かを思い出したように手を叩いた。
「あ、そうそう。ドレスのことであなたに用があったんです。こちらでいくつか準備したので、選んでもらうために迎えに来ました」
「え……ドレスって、もしかして式典の?」
「はい。ギリギリで申し訳ないですが、サクッと決めて貰えると助かります。という訳で、すすきさんは借りていきますけど、良いですよね?」
ソピアが、フウガとメディカへ視線を送ると、二人は快く頷いた。
「ああ。そんじゃ俺も暇になったし、会場の下見にでも行ってくるか」
「私も、シン様とセシルさんを追いかけます」
そうして去っていこうとする二人に、すすきはお礼を告げた。フウガは空間移動で、メディカは軽やかに走りながら、いつの間にか遠くへ消えていった。
その場に残されたすすきとソピア。なんとなく、お互いに何を話して良いか分からないような、気まずい空気が流れた。
見た目は同じ年頃の筈なのに、地位や境遇に差があり過ぎるが故に、共通の話題が見出せない。
すすきもソピアも、ティムのようにグイグイと距離を縮めるタイプではない。そして、メディカのように、明るく話しかけ易い空気を纏っているタイプでもなかった。
「式典は明日の夜を予定しています」
「は、はい!」
「配置の都合上、すすきさんの警護に隊長格をつける余裕はありません」
「もちろんです! 私なんかは一人でも全然大丈夫ですから!」
「いえ。できれば一人になってほしくはないんです。だから、入れ替わりで誰かしら来ると思います。見つけ易いように、当日はなるべく明るい場所にいるようにしてください」
「は、はい。わかりました」
「それだけです」
「はいっ!」
「……では、行きましょう」
ぎこちない会話の後、ソピアがすすきの手をそっと握った。そして、シュン──と風を斬るような音を立て、二人はその場から姿を消した。
三上書店に帰りたいというすすきの気持ちは、今でも変わらない。しかし、式典を目前に控え、エルフランドでの時間は刻一刻と進んでいる。
今はもう、やるべきことをやるしかない。すすきは自分自身にそう言い聞かせ、初めてのドレス選びに、ほんのりと心躍らせた。
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