第31話 不便
振り返ったすすきは、驚いた拍子に悲鳴を上げかけた。だが、その口はシンの手によっていとも簡単に塞がれた。力では全く敵わず、振り解くことができない。すすきがモゴモゴと抵抗していると、シンは面倒だとばかりに溜め息を吐いた。
「騒ぐな。集中が乱れるだろう」
その言葉にハッとして、すすきは抵抗をやめた。シンの手から解放された後、再び生徒たちの方へ視線を向けてみる。幸い、誰にも気付かれていなかった。
邪魔をしなくて済んだことに安堵したすすきは、改めてシンに向き直った。
「ご、ごめんなさい。突然だったからビックリして……。でも、どうしてシン様がここに?」
「ハクト様の警護だ。式典が終わるまでの間、外に出る機会が多くなるからな。……お前はなぜ一人なんだ。ソピアはどうした?」
シンはハクトから、すすきはソピアに任せたと聞いていたそうだ。彼の問いに、すすきはこれまでの出来事を話した。
無事フローラに会えたこと。ソピアとは、モノリス魔法学校と隊長たちの学歴について話を聞いた後に別れたこと。そして、アーノルドと出会い、散策しているうちにここへ辿り着いたこと。簡単ではあるが、起きた事実を全て伝えた。
シンは興味が無さそうに聞いていたが、すすきが話し終えると、「そうか……」と小さく答えた。そして、近くの壁にもたれると、腕組みをしてハクトの方へ視線を向けた。
どうやら、この場所から動くつもりはなさそうだ。だが、ここからではハクトに何かあった際にすぐには動けない。空間移動できるとはいえ、一瞬でも対応が遅れればハクトを守れなくなるのではないか。そう思ったすすきは、おずおずとシンに尋ねた。
「あの、警護中ならハクト様の側についていなくていいんですか? 私は邪魔しないように静かにしてますから、大丈夫ですよ」
視線はそのままに、シンはすすきの問いに答えた。
「……ハクト様は、空間魔法で360度を広範囲に見渡すことが出来る。近くに敵がいれば、その動きも丸見えだ。身の危険を感じた際は時を止めることもできる。万が一のために付き添っているだけで、本来あの人には警護など必要ない」
「でも、ハクト様はレルムで魔力を制御されているんじゃないですか?」
「ここは時計塔からさほど離れていない。不便がない程度には魔法も使える筈だ。お前の存在にも気付いているだろう」
そう言われ、すすきはそっとハクトの方を覗った。すると、ハクトと目が合い、彼はニコリと微笑んだ。まるで、今の話を聞いていたかのようだ。
皇帝に死角はない。文字通り"最強の魔法使い"だとシンは言った。だからこそ、人間は魔法使いを恐れ、皇帝の力を制御しようとしたのだろう。
ただし、自室を離れれば離れるほど、満足に魔法が使えなくなるのは本当の話らしい。そのため、ハクトが1区を出ることはない。時計塔から離れるのも珍しいことなのだそうだ。
そんなことを話していると、ずっとハクトの方を見ていたシンが、不意にすすきへ視線を向けた。
「時計塔での暮らしは人間には不便だろう」
思いもよらない言葉に、すすきは目を見開いた。目の前にいる彼は人間嫌いの筈だ。しかし、その口調はいつもと違って穏やかだった。相変わらずの仏頂面だが、少しは心を許してもらえたのかと思うと、嬉しくなった。
すすきは、時計塔で過ごした時間を思い出しながら、クスリと笑った。
「確かに……毎回あの階段を登る時は心臓がはち切れそうです。でも、人間の私には空を飛ぶ力もないですし……魔法って便利だなって思っちゃいます」
すすきがそう答えると、シンは「そうか……」と呟いて何かを考えはじめた。短い黒髪が、サラサラと風に揺れていた。
彼がなぜこんなことを言ってきたのか、真意はよく分からない。もしかして、気遣ってくれているのだろうか。そんなことを考えながら、すすきは自身の頬が緩むのを感じていた。
すると、すすきの様子に気付いたシンは、気まずそうに視線を逸らし、フンと鼻を鳴らした。
「勘違いするな。俺は別に、お前を気遣っている訳じゃない。俺たち隊長は雑務も多いんだ。いちいちお前の送り迎えをしてやる余裕はない。だから移動手段として、人間でも扱える魔法道具が必要だと思っただけだ」
「……シン様」
「なんだ?」
「ありがとうございます」
ふふふ、と嬉しそうに笑ったすすきに、シンは不満そうに顔を歪めた。だが、そこに敵意は感じられない。
やはり根っこは優しい人なのだと思うと、希望が湧いた。話せば仲良くなれる。人間や魔法使いという種族を越えて、手を取り合うことができる。ハクトが思い描いている未来はそういうものなのかもしれないと、すすきは心で感じていた。
すると、シンが壁から背を離し、スタスタとどこかへ歩きはじめた。すすきは、突然どうしたのだろうかと首を傾げた。着いていくべきか、待っておくべきか迷っていると、シンがふらりと振り返った。
「ついてこい」
短くそう言ったシンの背中を、すすきはパタパタと慌ただしく追って行った。
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