第26話 知恵
すすきはバクバクと強く脈打つ心臓を抑えながら、時計塔のバルコニーに立っていた。フローラは自宅へ戻っていったため、ここにはもういない。
時計塔までは絨毯に乗ってきた訳だが、空を飛ぶというのは想像以上の恐怖だった。フローラの体にしがみつくのがやっとで、景色を楽しむ余裕すら無かったのだ。
すぐにハクトの部屋に行こうかとも思ったが、フェリクスから苺ジャムを預かっている。先にヒュパタに渡しておこうと思い、すすきは階段を降りていった。
キッチンのある階まで移動すると、クッキーの香りが鼻をくすぐった。アーチ型の出入り口から中を覗くと、すすきに気付いたヒュパタが手を振ってくれた。そして、キッチンのテーブルには、見知らぬ女の子が座っていた。
「……どうも」
女の子はすすきに気が付くと、クッキーを片手に、ペコリと頭を下げた。肩にかかるくらいの暗紫色の髪に、それと同じ色の瞳。大人しそうな顔立ちの彼女は、他の隊長たちと同じ服装をしていた。
左胸には、四つ星のプレートを付けている。ということは、この人が、アーロの話していた防衛五隊初の女性隊長だ。もっと大人の女性を想像していたが、見た目の年齢は二十代前半に見えた。
キッチンに入ると、すすきもペコリとお辞儀をした。
「はじめまして。三上すすきといいます」
「ああ……異世界の。はじめまして、第四部隊隊長のソピア・キルヤストです。ハクト様への報告が終わったので、ここでお茶をしています。焼き立てですが、一緒にどうですか?」
そう言って、ソピアはクッキーの入ったバスケットをすすきのいる方向へ押し出した。しかし、すすきはパンを大量に食べた後で満腹状態だ。これ以上は食べられないと思ったが、断る訳にもいかず、一枚だけ貰うことにした。
「ありがとうございます。一枚いただきます。あ、そうだ。ヒュパタ、これフェリクスさんから預かってたの。苺ジャムだって」
焼き立てサクサクのクッキーを頬張りながら、すすきはヒュパタへジャムを手渡した。すると、ヒュパタは紙袋から取り出したジャムを開け、スプーンでひとすくいしたそれを口に入れた。
美味しそうに目を細めている姿がなんとも可愛らしい。いつ見ても癒される生き物だ。もしゃもしゃと味わいながら、ヒュパタは瓶の蓋をしっかりと閉めた。
「よっぽど楽しみだったんだね。美味しかった?」
上機嫌のヒュパタにすすきが声をかけると、ヒュパタはコクコクと頷いた。すると、その仕草を見たソピアがフッと薄く笑った。
「毒は入っていなかったみたいですね」
「ど……毒ですか? 大丈夫ですよ。フェリクスさんはそんなことする人だと思えませんし」
「そうです。そんなことをする人じゃない。だから狙われやすい。作った本人が入れていなくても、その過程で混入される恐れは十分にあります。用心に越したことはありません」
ソピアはクッキーを食べ続けながらそう言った。
ハクトの食事はヒュパタが管理している。確か、フェリクスはそう言っていた。だが、食事やお菓子を作るだけではなく、毒見まで行うとは想像していなかった。当の本人は味見が出来て嬉しそうにしているが、皇帝の使い魔とは想像より大変な仕事のようだった。
「ところで、用はそれだけですか?」
「あ、はい。あとはハクト様へ報告に行こうかと思ってました」
「では、報告が済んだらまたここへ。学校へ連れて行くようにと言われています」
「学校って、魔法学校のことですか?」
「はい。待っていますから、いってらっしゃい」
ひらひらとソピアが手を振ると、ヒュパタも真似して手を振った。早く報告して戻って来いという無言の圧にも感じる。だが、一緒に行動できるのであれば、彼女を知る良い機会だ。すすきは「いってきます」と伝えて、時計塔の階段を登って行った。
バルコニーへ出ると、強い風が吹いていた。乱れる髪を押さえて、ハクトの部屋の扉の前に立った。
ノックをしようとして、ふと思い出す。いつもは、扉の前に立つだけで勝手に開いていた。おそらく、ハクトが魔法で開けているのだろう。だが、今はピクリとも動かない。
留守なのだろうか。そう思いながら扉を開けてみると、ハクトの部屋には誰もおらず、ただ無機質な秒針音だけが響いていた。
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