第14話 風変
ドタバタとハクトの時計部屋に駆け込んできたおじさんは、シンやアーロと同じ黒い服を着ていた。金の装飾が多いことから、おそらく隊長だ。短い茶髪と顎髭が特徴的で、見た目は三十代半ばくらい。大柄な上に走り回っているため、星の数は見えなかった。
「おい、やめろって。ちょっとつまみ食いしただけじゃねぇか!」
そう喚きながら、おじさんは、すすきとハクトが座るテーブルの周りをグルグルと逃げ回っていた。一体何があったのか、後ろからはヒュパタが鬼の形相で追いかけて来ている。
おじさんが身を屈めてサッとハクトの横に隠れると、ヒュパタは急ブレーキをかけるように立ち止まった。一国の皇帝を間に挟んで、視線がバチバチと火花を散らしている。
「ヒュパタ。そんなに怒ってどうしたの?」
睨み合いが続く中、ハクトが優しく声をかけた。するとヒュパタは、目を潤ませてハクトを見つめた。次に、涙を流しながら地団駄を踏みはじめた。しきりに何かを訴えているようだが、すすきには理解できない。何と言っているのかとすすきが尋ねると、ハクトはチラリとおじさんの方を見た。
「ヒュパタが自分用に取っておいたパウンドケーキを、そこのフウガが勝手に食べたみたい。最後の一切れだったから、ヒュパタはとても楽しみにしていたそうだよ」
「しょうがねぇだろ、腹減ってたんだから。ちょっとした出来心だよ。許せ、な? 仲直りだ」
フウガと呼ばれたおじさんが手を伸ばすが、ヒュパタは相変わらず威嚇している。余程楽しみにしていたのだろう。怒りの感情を伝えようとして短い手足を必死に動かしている姿に、すすきは癒されてしまった。無意識に頬が緩んでいくのを感じつつ成り行きを見守っていると、ハクトが数枚のお札を取り出した。
「よしよし。悲しい思いをさせて悪かったね。これで好きなものを買っておいで。他の子にもお土産を買って帰ってあげるといいよ」
頭を撫でられたヒュパタは、心地良さそうに目を細めた。そして、コクコクと頷きながらハクトに擦り寄ったかと思うと、フウガにケッと悪態をついて部屋を出て行った。
残されたフウガはというと、謝っても許してもらえなかった事に憤っていた。ブツブツと不満を漏らしながら立ち上がった彼の胸には、二つ星のプレートが付いていた。おはようさんと声をかけながら、フウガが空いている席に着く。タイミングを逃さぬよう、すすきは咄嗟に名乗った。
「あの……はじめまして。私、三上すすきといいます」
「おお。ゆうべ、アーロと飲み歩いてた時に聞いたよ。俺は第二部隊隊長のフウガ・トラオムだ。よろしくな。それにしても、街は朝っぱらからお嬢ちゃんの噂で持ちきりだぞ。えらいことになったな。ハクト様はその件で俺を呼んだのか?」
「ううん。記事の件は僕もついさっき知ったところ。それより、一つ頼みたいことがあったんだ」
いつになく真剣な顔つきになったハクトが、これまでの経緯を説明しはじめた。隊長に"三上すすき"の話をしている姿を、こうして直接見るのは初めてだった。
ハクト・マンシッカが在位し、今日まで魔法使いの象徴としての務めを行ってきた国、エルフランド。その行く末を見守る「最後の歯車」が、三上すすきであること。ハクト自身が、皇帝の地位から退く意向を固めていること。時空魔法の継承順位第一位がシン・タイヴァスであること。そして、退位の件は隊長にしか伝えていない機密情報であること。最後に、香火石を買いに行くのを手伝ってあげるようにと言って話を終えた。
「すすきちゃんには今ついでに聞いてもらったから、退位の意向を知るのは僕も含めて現在五名。使い魔であるヒュパタたちはもちろん知ってる。ソピアとブラントさんには、会えた時に説明しておくつもりだよ」
「最後の歯車ねぇ。ハクト様、あんたが何を考えているのかは知らねぇが、シンは筋金入りの純血主義だぞ? 異世界の人間を近付けたところで、あいつの人間嫌いがそう簡単に治るとは思えない。そんな奴が次期皇帝だなんて、混血や人間から批判が殺到しちまうだろうよ。……っていうか、俺に頼みたい事ってのは買い物の付き添いか?」
頭を掻きながら、フウガは拍子抜けしたように溜め息を吐いた。
いくら皇帝のお願いとはいえ、隊長には隊長の仕事がある。本来やるべき隊務を放っぽり出して買い物に付き添うなど、無理な話だろう。昨日はたまたまアーロが時間を作ってくれたというだけだ。他の隊長からしてみれば、三上すすきの存在は迷惑なのではないか。なんてことを考えているのがすすきの表情に出ていたのか、フウガが軽く咳払いをした。
「まあ俺も今日は暇だし、買い物くらい付き合ってやるよ」
「ありがとうございます。……これからよろしくお願いします」
すすきがペコリと頭を下げると、「おうよ」と威勢の良い返事をしてフウガが立ち上がった。さっそく出掛けるぞと急かされ、すすきも立ち上がる。ハクトの方を見ると、香火石のことは彼に聞くようにと言われた。これでお風呂の問題は解決できそうだ。
フウガを追って外に出ようとした時、すすきはふと聞いておきたいことがあったのを思い出した。それは、自分の仕事についてだ。ハクトからのお願いは、エルフランドの行く末を見守り、その記録を作ってほしいというものだった。だが、具体的に何をすればいいのかまだ確認していなかったのだ。
「あの、ハクト様。私はエルフランドの記録を作るんですよね? 何か資料をまとめたり、提出したりする必要があるんでしょうか。私、何からすれば良いのか分からなくて……」
振り返り、戸惑いながら尋ねた。すると意外な答えが返ってきた。
「何も提出する必要はないよ。君の目で見て、耳で聞いて、感じたものをその心と体に記録するんだ。防衛五隊の隊長たち……特にシンと関わりながら、エルフランドのことを知ってほしい。この国を、この世界を知ることが、君の仕事だ。そしてそれはきっと、君自身の役に立つ」
楽しんでおいで。そう言われ、優しく背中を押された。
一歩外に出ると、ギギギ……と音を鳴らして扉が閉まった。バルコニーの隅では、フウガがタバコのようなものに火をつけている。高所に吹く強めの風が、煙をどこかへ運んでいた。
知ること──それが三上すすきの仕事。正直、ハクトが何を考えているのか、その真意までは分からなかった。だが、自分のやるべきことは少し見えた気がする。
遠くから、自分の名を呼ぶ元気な声が聞こえてきた。手を振っているのは、ついさっき出会ったばかりの人だ。目まぐるしく変わっていく状況に、戸惑うことも多い。だから、まずはこの国に慣れることから始めよう。そう心に決めたすすきは、急かされるがままフウガに駆け寄った。
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