第13話 虚実
翌朝、すすきはハクトに会いに行くために自室を出た。エルフランドの朝の風は、ほんの少し冷たい。澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んでみると、なかなか爽やかな気分になった。
お金の入った皮袋を手に提げて、扉にカチャリと鍵をかける。さあ行こうかと振り返った時、時計塔の下を強めの風が吹き抜けた。
その風に煽られ、どこからともなく現れた物体が、バサバサと音を立てながら飛んできた。そして、まるで「お届けものです」とでも言うように足元に落ちた。
拾ってみると、薄いグレーの紙が数枚折り畳んであった。どうやらエルフランドの新聞紙のようだ。なんとなく第一面を広げると、大きく派手な見出しが目に飛び込んできた。
──電撃浮上! 時計塔に謎の女。ハクト様、二十九人目のお妃候補か⁈ 塔内同棲で最有力?
「ななな……なんじゃこりゃあああああ⁈」
叫んだ声が何度もこだました。新聞を持つ手がワナワナと震え出す。記事には、ハクトの新たなお妃候補として、噴水の縁に座るすすきの姿を写した白黒写真が掲載されていたのだ。他にも、防衛五隊隊長の警護付きで特別待遇を受けているなど、あることないことを好き勝手に書かれている。これがエルフランド中にばら撒かれていると思うとゾッとした。
「と、とにかくハクト様に知らせなきゃ」
すすきは新聞を握り締め、階段を駆け上がった。
だが、しばらく走ったところで、息が切れ、膝が抜けた。ゼエゼエと肩で息をしながら、すすきは冷たい壁にもたれた。見上げると、階段はまだまだ続いていた。運動不足なのは自覚しているが、それにしても遠過ぎる。元の世界のもので喩えるなら、高層マンションの非常階段を、一階から最上階まで走っているようなものなのだ。体には大きな負荷がかかる。エレベーターや空間移動の魔法が、どれだけ便利なのかを改めて思い知らされた。
息を整えて、再び走り出す。一般家庭で育ったすすきには、結婚問題について取り沙汰された経験など無い。一刻も早くハクトに報告し、どうするべきか指示を仰ぎたかった。
必死に階段を駆け上がり、ようやくヒュパタのお菓子部屋まで辿り着いた。既に起きていたヒュパタに「おはよう」と挨拶をすると、ヒュパタがそっと水を差し出してくれた。走ったせいで喉が渇いていたため、すすきは一気に飲み干した。お礼を伝えて、再び走り出す。
大時計の裏側……たくさんの歯車が動く場所を過ぎると、ハクトの部屋はすぐそこだ。すすきが「おはよう」と言って駆け抜けると、茶色いうさぎたちが沿道応援をするように手を振ってくれた。
バルコニーへ出ると、真っ直ぐにハクトの部屋へ向かう。再び息を整えて、扉をノックしようとした時、ギギギ……と音を立てて扉が開いた。入っておいでという意味だろうか。そう解釈したすすきは、新聞を握り締めて部屋に駆け込んだ。
「ハクト様、おはようございます! 聞いてください、大変なんです! 新聞が飛んできて、私がお妃候補だって……!」
「おはよう、すすきちゃん。そうみたいだね」
「そうみたいだねって……ああっ、それは⁉︎」
紅茶を飲みながら、ハクトは新聞を読んでいた。内容は、すすきが持っているのと全く同じものだ。だがハクトの様子は、困っているどころか、むしろ楽しそうだった。
「面白いことになったね」
「全然面白くありません! あることないこと書かれて、私これからどうしたらいいんですか⁉︎ というか、既に二十八人もお妃候補がいるなんて聞いてないです!」
「そういえば言ってなかったね。興味が無いから忘れてたよ。ところで、すすきちゃんは僕のお嫁さんになるのがそんなに嫌なの?」
「い、嫌って訳じゃないですけど……。もう、揶揄わないでください!」
やりとりしている間も、ハクトは楽しそうに笑っている。騒がれるのは慣れっこという感じだ。
すると、ギギギ……と扉の開く音がして、ヒュパタが入ってきた。すすきはハクトに座るように促され、空いている席に着いた。そして、紅茶を淹れ終えたヒュパタが手を振りながら部屋を出ていくと、ハクトは読んでいた新聞をテーブルに置いた。
「エルフランドの皇帝は世襲制じゃないから、結婚しなくても問題無いんだけどね。でも、皇帝の血脈っていうのは魔法使いにとって大切なものだから、昔から民の関心が高いんだよ。そこに人間が加わって、こういうゴシップ記事が書かれるようになったんだ」
そう言って、テーブルに置かれたパウンドケーキを食べはじめた。
ハクトによると、エルフランドの新聞は二種類あるらしい。一つは、いま手元にあるフェンスターという大衆紙。もう一つは、エルフランド・タイムズという高級紙だそうだ。すすきが髭面の記者に会ったことを伝えると、彼がフェンスター社の人間であることを教えてもらった。名前はジャスティン・シュナーベルというらしい。
フェンスター社が発行する新聞は、内容の殆どが噂話だそうだ。大多数の民は娯楽として読んでいるだけだという。そのため、信用できる情報を得たい場合は、エルフランド・タイムズを読むようにと念を押された。
「こういうのを読んで絡んでくる人もいるかもしれないけど、気にしてはいけないよ。君は何も悪いことなんてしていないんだから。街だって堂々と歩けばいい」
「……はい。でも、少し心配です。私、アーロ様から式典のことを聞きました。私のせいで、ご迷惑をかけてしまうかもしれません」
式典前に妙な噂が広まれば、改革派に狙われる可能性も出てくる。昨日、アーロが言っていたことだ。そうなれば、困るのは自分だけではない。この記事のせいで、ハクトが記者に囲まれたり、心無い言葉を浴びせられる可能性もあるのだ。
すすきは顔を伏せた。そして、自分が油断したせいだと、謝罪の言葉を口にしようとした。しかしその瞬間、何かの力で無理矢理顔を上げさせられた。勢いよく飛んできたパウンドケーキが、口の中めがけて突っ込んでくる。
「すみま──んごっふ、んぐ。はくほはは⁈」
驚いて呼びかけたが、ハクトは何もしていない。にこやかにこちらを見ているだけだ。だが、魔法を使ったのは間違いない。でなければ、突然ケーキが飛んでくる訳がないのだ。
すすきは口いっぱいのパウンドケーキをもぐもぐと頬張って、ゴクリと飲み込んだ。胸のつかえを紅茶で流し込む。一気に食べたせいで、ケホケホと咳き込んでしまった。
「美味しかった?」
「はい、とっても。──って、突然食べさせるなんて酷いです!」
「君が謝ろうとしたからだよ。さっきも言ったよね。気にしてはいけない。君は何も悪いことなんてしていない。だから、謝らなくていいんだ。それに、僕なら大丈夫。シンが守ってくれるから」
そう言ったハクトの瞳からは、シンへ厚い信頼を寄せていることが感じられた。言い返す言葉が見つからず、すすきは分かりましたと頷くと、残っていた紅茶を口にした。
ハクトは優しいが、時折、彼に対して怖いと思ってしまうことがある。皇帝という立場が彼をそうさせたのか、生まれつきの気質なのかは分からない。だから、ほんの少し加虐嗜好があるのではないかと感じたのは……自分の胸の内に仕舞っておくことにした。
ぼんやりと、これまでに出会った魔法使いたちの顔を思い浮かべる。それぞれの性格は全く異なっていた。だが共通する点を一つ挙げるなら、人を揶揄うのが好きそう……というところだった。魔法使いとは元来そういう種族なのだろうか。
そんなことを考えていると、なにやら外が騒がしくなってきた。ドタバタと激しい足音がして、男の人の喚く声が聞こえてきた。
「ようやく来たね」
言うと同時に、ハクトの視線は扉へ向けられた。釣られてすすきも視線を向ける。そして待つこと数分。勢いよく開いた扉の向こうから現れたのは、体格の良い元気なおじさんだった。
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