第十六話 神の手を手に入れた!
うーん。日は傾いてきているけれど、まだ夕方にはなっていないね。結構居たと思ったんだけどな。
「でも二刻半(約五時間)はいたよ。すごいじゃない。一昨日まで四半刻(約三十分)ももたなかったのに」
「怖いと思うから耐えられないことに気づきまして、別のことを考えるようにしたんです。そしたら割と楽になったというか」
「本当は心を無にするのが一番心力を鍛えられるんだけどね。まあでもそうやって工夫するのは悪いことじゃないよ。えらいえらい」
えへへ。褒められたよ。嬉しい。しかし心を無にねえ……。そもそも何も考えない、ということを考える時点で私には無理な気がする。
「ショウ様、お疲れ様です。鹿を狩っておりますので、今夜はもみじ鍋で御座いますよ」
「おぉ! 鹿肉! 食べたことないんだよねー。ありがとうねチグ~」
チグはホント抱き心地が良いね~。あったかいし。
「じゃあ早く帰ろう。すぐに帰ろう」
「何言ってるの。まだ暗くなってないんだから、鍛錬できるでしょ」
は? 何言ってるのこの人? ねえ何言ってるの?
「今朝チグに鍛錬してもらうって言ったでしょ」
「いや、確かに言ってましたけど、さすがに今日はあと帰るだけでしょ」
「走って帰るんだから、まだ時間あるじゃない」
うがあぁぁ!! なんて人だ!! 鬼畜の所業とはまさにこのことだよ!! 私は早くお肉が食べたいんだよ~!
「あははっ。ショウは本当に面白いね」
「笑ってる場合じゃないんですよ!! こっちは!! 死にもの狂いなんですよ!!」
「チグに鍛錬してもらうのはね、身体強化だよ」
聞いてないし。スルーしやがりましたよ。もうヤダこの人……。
「身体強化?」
「うん。チグ」
「はっ」
あ、豚さんがわたしの腕から抜けて人になった。
「じゃあ、あとはよろしく。私は帰って鍋の準備をしておくよ」
オドロさんは帰るんですか……。ってもう居ないし!
「チグさんや、オドロさんが料理すると仰っておりますが」
「オドロ様がどうしてもと言われましたので。なんでもショウ様がここに来てから初めての肉料理となるため、御自身で料理されたいのだとか」
なにそれ。そんな事言われたら頑張るしかないじゃん。大好きわたしの神様。
「……。暗くなるまであと一刻ほどかと思いますので、まずは説明を致しますね」
「うん。よろしくお願いします」
「身体強化とは、生力を使って身体機能を向上、強化させることで御座います。一般的に使用されるのは、腕力を強化して重いものを持ったり、脚力を強化して脚を速くしたりといったものですね。
他にも目を強化して夜目が利くようにしたり、耳を強化して遠くの音を拾う、といったことも可能です。身体であればどの部位でも強化が出来ますので、心臓や肺など、臓腑を強化することも可能で御座います」
「おお。自分が持っている以上の力を発揮できるってことだね。メチャクチャ便利じゃん」
「はい。今言ったのは部分強化になりますが、まずは身体全体を満遍なく強化して、身体強化に慣れることが大切で御座います。この全身強化が出来ますと、あとは特定の部位に集中することで部分強化も可能になります」
「なるほど。それってこの世界の人はみんな普通に出来ることなの?」
「申し訳御座いません。実はこの<現>に来るのは初めてで御座いまして、ここの人の標準についてはまだ存じ上げないのです」
あ、そういえば昨日、超巨大猪は別の世界での標準の姿だとか言ってたもんね。……あれが標準ってどんな世界だよ。
「少々お待ち下さい」
ん?
「そうですね……。意識して使っている人は少ないようです。ただ、職柄上特定の部位が鍛えられて、意識せずに使用している人は多いようですね。全身強化についてはほとんどいません。
生力の概念は浸透しているようですが、それを鍛えるということについては浸透していない、といった感じでしょうか。もちろん、浸透していないだけで、個としてみればしっかり鍛錬している人もいるようですよ」
「え? さっき存じ上げないって言わなかった?」
「はい。先程は存じ上げておりませんでしたので、今し方この<現>を調べました」
はぁ!? 今し方って一瞬ですよ、一瞬。ホントに言葉通り、瞬き一回分しか時間なかったよ!?
「そんなに驚かれましても、大したことでは御座いませんよ。自分の神力を<現>に浸透させる感じで馴染ませるだけですので」
「さらっと言ってるけど、絶対大したことあるよね? 神様はみんなできるの?」
「<現>を管理できる神であれば造作もないかと」
えぇ……。逆に言えばそれくらい出来ないと神様になれないってことじゃん……。
「ショウ様の神格はオドロ様由来ですので、必ず出来るようになりますよ」
「本当? ありがとう、チグ」
「いえ。事実ですので。全く心配する必要はありません」
チグはホント優しいねぇ……。
「ただ、どれだけの時間がかかるかは分かりかねますので、それだけはご留意を。制御は心力に依存しますゆえ」
あー。ですよねー……。
「では、まずは生力を感じるところから始めましょうか。お手を拝借出来ますか?」
「はい。どうぞ」
なんだろ? とりあえず両手の手のひらが上の状態でチグに差し出すと、その上に手を重ねられた。
くそぅ。綺麗な手をしやがって。すべすべじゃないか。羨ましい。私はまともにケア出来てないから少しガサついてきたし、爪もよく見れば縦筋が入ってきてんだぞ。くそぅ。
「あの、手のことはどうでもいいのですよ……」
「よくない。わたしの手もチグみたいにすべすべにしたい」
「えぇ……。じゃあ片手ずつお借りしますね」
ん? 右手がチグの手でサンドイッチされた。いや、絵面的にはハンバーガーか?
「……あったかい」
「今、私の生力をショウ様のお手に流していますので、力を感じると思います。……はい。終りましたよ」
おおお!? わたしの右手がすべっすべになってる!? 爪もうっすらピンク色のつるつるだ! なにこれすごい!
「私の生力で、ショウ様のお手の生力を活性させました。これも部分強化の一つです」
「え、生力すごい!! これって顔に使えば化粧品いらないし、髪に使えばサラツヤになるってことでしょ!? 革命じゃん! ヤバイよこれ! お肌ツルツルが保てるじゃん! え、どうやったの!? どうやったの!?」
「お、お顔が近いです……。それに目が怖いです……」
「あ、ごめんごめん」
「これはすぐに出来るようになりますよ。ただ先に全身強化を覚えましょう。一つに拘ると力が偏ってしまい、癖になってしまいますので」
「わかった。でも先に左手もやって欲しいな」
「はぁ……。畏まりました」
やべえぜ! こいつはやべえぜ! わたしの手はついにツルスベの神の手になってしまったぜ! うひょ~!
「……。本題に戻ってもよろしいですか?」
「あ、うん、ごめん。オーケーでございます。大丈夫だから、そんな目で見ないで」
「……はい。では、最初のように両の手を拝借できますか」
「はい」
「今から私が生力を流しますので、血液が流れる様を思い描いて下さい。私の右手からショウ様の左手へ入った生力は、左肩をとおりまず心臓に溜まります。心臓に溜まった生力は血流となって胸から全身へ。頭、腹、腰、脚、つま先の隅々まで。身体を一巡したら最後に右肩から右手へ抜け、私の左手に返ってくるように。よろしいですか?」
「難しい……」
「大丈夫ですよ。ちゃんと出来ますから。では流しますよ」
!? おお!? ジワッとなんか来てる。これを一回心臓に溜めて…。血液と一緒に流れるイメージっと。で、身体に一巡させて、右手からチグの左手へ送り返す…っと。
「では、少しずつ速くしていきますね」
おおう。え、ちょ、ちょっと早いよ。あ、でも流れて抜けるイメージだな。……うん。いけるぞ。
「いい感じですよ。では私は手を離しますので、ショウ様は御自身の右手と左手を合わせて下さい。先程私に返していた分が、直接左手に入るように」
「はい」
ん? こうか。おお。私一人で完結してる。……んだけど……。
「チグ、これってどうやって止めればいいの?」
「徐々に流れをゆっくりしていって下さい。ゆっくり、ゆっくりです。ゆっくりになったら、その場に留めるように。そして両の手を離して下さい」
ゆっくり……、ゆっくり……。最後に留める……。車のブレーキを踏む感じかな? お、止まった。手を離して……っと。
「できた!」
「お上手ですよ」
おお、なんとも言えない感覚だね。頭まで湯船に使っているというか、なんというか。
……あっ。
「全身からなんか抜けちゃったんだけど」
「はい。まずはそれを留めておくようにするのが身体強化の初歩です」
「なるほど。……これってどこから出せばいいの? さっきはチグからもらったよね?」
「私は最初だけで、循環していた生力はショウ様のものですよ。抜けた生力はどこにいきましたか?」
どこにって言われても外に? ……いや、違うな……。あれは外の感覚じゃなくて……内だ。これは……
「心臓?」
「はい。最初に流れてきた生力を一度心臓に溜めるようにしましたね?あの感覚で心臓に生力が溜まっていることを感じ取って下さい。そして出すときは心臓から血液が流れるのと同じように身体を循環させます」
心臓に生力が溜まっている……。ん?これか?なんか気体っぽくなってないか?まあ気体でもいいや。これを血液に混ぜて一緒に流して……と。
お、回ってる回ってる。で、今度は徐々にブレーキをかける……っと。なるほどね。
あっ。また心臓に戻っちゃったよ……。戻るときは一瞬なんだよね。出すときは血液をイメージするから血管を通って身体を順繰り回す感じだけど、戻るときはそういうの関係なしに直接ヒュッと心臓にもどっちゃう。引っ張ったゴムが戻るような感じだ。
「ショウ様は生力の扱いがかなりお上手ですね。生力自体もかなりお強いですし」
「そうなの?」
「はい」
まあ、確かに心力に比べれば扱いやすいほうかもしれない。生力が強いっていうのもなんとなく分かる気はする。傷もすぐに癒えたし、なんなら今はかすり傷程度だったらそもそも負わない。なんだかんだいって夜の山で鬼ごっこもできている。
あれか? 生力は魄の力だからか? 私の魄は純度百パーセントオドロさん製だから、そもそも神様としての魄なのかもしれない。なんかそんな気がする。
「今日はあと半刻(約一時間)ほどこの鍛錬をしたら、下山にしましょう」
「うん。わかった」
よしよし。はやく全身強化を身につけてお肌ツルツルが出来るようにするよ!