第十三話 帰るまでが鍛錬です(二)
とりあえず、十分ほど休んだけど、だいぶ心は落ち着いたかな。入る前に水を少し飲んでおこう。
心頭滅却すれば火もまた涼し、というのとはまた違うかもしれないけど、要は心の持ちようだよね。この世界だと生力があるから、本当に火に強くなるのかもしれないけれど。オドロさんは"何も考えないように"と言っていたが、むしろ別のことを考えたほうがいいかもしれない。
オドロさんがいなくて時間が測れないから、今の太陽の位置だけ覚えておいて、と。
よし、じゃあ入りますかね。
「今日もよろしくお願いします」
まあ洞穴に言ったところで返事はない。むしろあったら怖い。
とりあえずは普通に歩いて進む。百メートル位はただ暗いだけだ。後ろを向けば入口の光がまだ見える。うん。この辺はまだ感覚があるね。
百五十メートルくらいから感覚がなくなってくる。二百メートルも行けば完全に無の世界だ。
(さて、ここからだね)
何か気を紛らわすために頭の中で歌でも歌ってみようかな。
一曲……
二曲……
三曲……
お、この方法は案外いいかもしれない。三十分は持つのではないだろうか。
…………
……
レパートリーがなくなってきた。でも、もう三十分は経ったはずだ。昨日までは怖い怖いと思っていたから耐えられなかっただけで、本当に気の持ちようで耐えられるかもしれない。
…………
……
ヤバい、そろそろ限界かも。戻ろう。
いつもなら逃げるように全力で走って戻るが、今日は歩いて戻るくらいにはまだ心が保っている。足の裏で地面を踏んでいる感覚はないが、足を動かしている筋肉の感覚はある。大丈夫だ。自分の体はちゃんとある。
(よし、感覚が戻ってきた。ここまでくれば一安心だね)
外の光も見えてきた……!?
今、光が遮られた……。外に何かいる? でもこの洞穴は高さも幅も二メートル以上はあるはず。それが遮られたということは、それ以上の大きさの何かがいるということだ。
(ヤバいヤバいヤバいヤバい!!)
オドロさんでないのは明らかだし、この入口が隠れる大きさということはまず人間ではない。熊か? 仮に熊だとして、それだけ大きなのがいたとしたら、ここから出た瞬間に八つ裂きにされる気がする。
(どうしよう……)
今また遮られた。入り口を行ったり来たりしている……? わたしがここから出るのを待っているのか? とりあえず息を潜めてどこかに行くのを待つしかないか。でも、ずっと居座られたらどうしよう。幸いなことに、この洞穴に入ってくる感じはしない。大きすぎて入れないのか?
(うぅ……。オドロさんがいないときに限ってなぜこんなことに……)
いや、いないからか? 普段は神力で結界みたいなのを張っていた可能性もある。でもそれならわたし一人で洞穴に行けとは言わないだろうから、やっぱり違うか。
そうだよ。オドロさんがわたしに一人で行かせたということは、わたし一人でも安全だからではないか? だとすると外にいるのが何かわからないが、私に危害を与えない、もしくは私一人で対処できる存在ということになる。
(でもなあ。違っていたら死ぬ可能性があるし……)
オドロさんは夕方には戻ると言っていた。戻ったとき、家にわたしがいなければ、おそらくここまで様子を見に来てくれるはずだ。それまで辛抱して待つほうがいい気がする。
よし、そうしよう。リスクは冒さないに越したことはない。
ぐ~~ぎゅるぎゅる~
お腹空いた……。
外には聞こえてないかな? 聞こえてなさそうだね。今はもう昼過ぎなのかな? だとしたら今日は結構長く居られたのではないだろうか。とすると夕方まであと四、五時間ってとこか。外にいるのはここまで来る感じしないから、おにぎり食べようかな。
モグモグ……
高菜かな? 暗くて中身よく見えないけど。美味しい。もう一つの具はなんだろう。オドロさんが作る料理はおにぎりでも美味しいね。
しかしオドロさんって普通に接していると全然神様って感じしないんだよね。気のいいお姉さんって感じだ。料理はするし、掃除はするし、あ、でも洗濯するとこ見たことないや。この服ってどうしてるんだろう? お風呂入るときにそのまま置いていいって言うからいつもリネンボックスに置いてきているけど、朝顔洗うときにはなくなってるもんね。毎回新品のものを神力で作っているとか?
あと薬作っているけれど、普通に手作業なんだよね。たぶん神力は使ってない。昼寝から起きたときに薬研(というらしい)でゴリゴリやってたし。
昼ごはん食べたら眠くなってきたな……。いやいや、この状況で寝るのはまずいよね。
ちょっとだけ目瞑るくらいならいいかな……ちょっと……くらい……。
――――
――
(なんだろう。お腹のあたりがポカポカするな……)
――
(あぁ。なんかすべすべしてる。抱き心地がいい……)
――――
――
「――ウ――て」
(……ん?)
「――きて、ショウ」
(……なんか聞こえる)
「起きて、ショウ」
「はっ! オドロさん…? っ……眩しい……」
いつの間に。いや、そういえば眠くなったからちょっと目を閉じたんだった。がっつり寝てしまったのか……。
「うん。起きた?」
「はい……。おはようございます」
「おはよう。もう夜だよ。どうしてここで寝てるの?」
「いや、それがですね。外に謎の巨大生物? がいまして、どこかに行くのをここでずっと待ってたんですよ」
「謎の巨大生物ね」
「はい。この洞穴の入り口をすっぽり覆うくらいの大きさで、それが行ったり来たりを繰り返していたのでここから出るに出れなくて……。で、しょうがないからお昼食べたら眠くなって寝てしまったというか……。あ、なんですかその顔。本当ですよ?」
「ごめん。信じてないわけじゃなくて、その状況でお昼食べて眠ったっていうのが」
そっちか! 人間極限状態になると眠くなるんだよ! 気絶ってやつだよ!
……いや、わたしは普通に寝たか。
「で、その巨大生物を抱いて寝ちゃったの?」
「抱いて??」
「プギー」
…………は? 何だこれは……?? 黒い…豚か?? 子犬くらいの。そういやなんか温かいのを抱いたような気はしたが……。というか
「なにこれ! メチャクチャかわいいんですけど!」
「プギップギッ~」
あ、強く抱きしめすぎた。
「オドロさん! この子かわいい! じゃなくて全然小さいじゃないですか。いつ抱いたのか全く覚えてないですけど、こんな小さくてかわいいのじゃなかったですって!」
「って言ってるけど。何か申し開きは?」
「いや、申し開きってなんの「申し訳御座いません」」
はぁっ!?
「先程仰られた"巨大生物"というのは確かに私です」
喋ってる……。この豚さん喋ってるよ……。
「オドロ様が創られた神子様を一目見ようと思ったのですが、ここに来る前の姿でそのまま来たもので、怖がらせてしまったようです」
まじで?
「はい。誠に申し訳御座いません」
「いや、こちらこそ怖がってしまって申し訳ありません。えっと……」
「申し遅れました。私、オドロ様の"遣い"の一柱で、チグと申します」
「あ、わたしはショウといいます。ご丁寧にどうも……」
チグさんね。遣いってなんだろ。あと神子様?
「ショウも色々質問あるだろうけど、とりあえず外に出ようか」
それもそうか。
――
おお、真っ暗だ。提灯がなければ何も見えないのではないだろうか。
いや、月が結構明るいな。そこそこ見えるかもしれない。
「この子、体の大きさは変えられるから、最初は別の世界の標準でいたんでしょ」
「左様で御座います。一度山中でご挨拶しようとしたのですが、音にひどく驚いておられましたので一度出直し」
ああ、あのときの草むらの音はこの豚さんだったのか。
「神域から出られるのを待ったのですが、一向に出て来られないので中を覗いて見れば、入り口近くでお休みになられておりました。そこまでなら私でも行けますので、体を小さくしてと思ったのですが……」
わたしが抱き枕にしちゃったわけか。
「私の不徳の致すところで御座います」
「いやいやそんな! なんかすごく抱き心地がよくてホッとしてました。というか抱いたりしてごめんなさい」
「まあ大体状況はわかったよ。家に帰るけど、せっかくだからチグに鍛錬してもらいながら帰ろうか。ショウは寝ていたから体力余ってるでしょ」
「はあ。まあ確かに寝てはいましたが……」
「うん。じゃあチグ、さっき言ってた"巨大生物"になって」
「畏まりました」
は?
うお! 大きくなった。……大きく……
「ブゴオオオオオオォォォーー!!」
ぎゃああ!! なんじゃこれ!? でかっ! ってか牙! 牙すごっ! 豚というか超巨大猪じゃんこれ!!
「よし、今から家までチグと鬼ごっこだよ」
「何がよしで鬼ごっこですか!!? 追いつかれたら即死ですよ!! というか夜の山道ってだけで即死ですよ!! 何笑ってるんですか!?」
「あははっ。大丈夫だって。ちゃんと加減してくれるよ。それに生力はそこそこついてるようだから、夜の山道でも感覚研ぎ澄ませれば問題ないよ」
「嘘ですよ!!? 何言ってるんですか!!? 無理に決まってますよ!!」
「じゃあはじめー!」
ぎゃああああ! 鬼だ! この人まじで鬼だ!! ってああああああああああ巨大猪が追っかけてくるうううう!!!
ああああああっっっーー
――――
――
* * *
「はぁっ、ひぃ、うっゲホッゲホッ」
死ぬかと思った……。今まで生きてきた中でぶっちぎりの一番で死ぬ寸前だったわ。まじで……。なんで徒歩一時間半もかかる山道を走って下山しないと行けないんだ。しかも夜ですよ。
「ほら。大丈夫だったでしょ」
「これのっ、どこがっ、大丈夫にっ、見えっ、るんですかっ」
「オドロ様、少々やりすぎたのでは?」
チグさん、もっと言って! もっと言ってやって!
「へーきへーき。それに心力もつくからね」
「え、そうっ、なん、ですかっ」
「うん。こういう極限の心理状態だと心力がすごく鍛えられるよ」
それでもやりすぎだよ……。
「お風呂は沸かしているから、今日はすぐに入れるよ」
「あ、わかり、ました」
これで水汲みからだったら家出してたわ。
「ああぁーー。水飲んだらお風呂行ってきますーー」
「うん。いってらっしゃい」
「それで、なんでここに来たの?」
「はっ。先程申し上げました通り、神子様を拝見しようと思いまして……」
「建前はいいよ」
「…………神子様を弑そうとしました」
「やっぱり。私に"話し"をしないで突然来るからそうかと思ったけど。それは貴方達の総意?っていっても貴方が来てるんだからそうだよね」
「はっ。私達の総意です。……予想はされていたのですね?」
「まあね。私が話したとき誰も納得してなかったから。ただ最初に来るとしたらニシかと思ってたけど」
「あの子は貴方様が代行者の真似事をすることですら猛反対でしたからね……。今回の件で更に悪化しています。まあ抑え込みましたが……」
「そう……。ごめん、ありがとね」
「いえ。……考えを改める気は御座いませんか?」
「ないよ」
「……」
「大丈夫だって。私のことそんなに信じられない?」
「いえ! そんな、滅相も御座いません! ただ御身を心配すればこそ……」
「ごめん……。言い方が悪かった。ありがとう、心配してくれて。でも本当に大丈夫だから」
「……承知致しました」
「せっかくだから少し手伝っていかない? すぐに戻らなくても大丈夫でしょ」
「……そう……ですね……」
「まあ、すぐに答えはでないか。明日でいいから、考えておいてね」
「……畏まりました……」