第一章‐美黄①
入学式から二日経った金曜日の放課後、特に不穏なことが起こるわけでもなくこの教室での生活が営まれている。強いて不穏だというならば、七原と喋っているのが黄瀬だけということくらいだろうか。
その黄瀬はクラスの女子生徒の中心的な存在になっており、この前のクラス役員決めでも自分から委員長に立候補した。いつも一人で暗く座っている七原とは正反対なのに、なぜ仲良くなったのだろうか。
俺もそれなりの友人関係を築いてはいるが、どうしても自分をさらけ出す気にはなれない。きっとさらけ出したところでどう思われるかが怖いからだ。七原のように周囲とギャップがあるわけではないのに、なぜか周りと温度差を感じてしまう。
「青川、お前はまだ帰らないのか。」
低い声で話しかけてきた男子生徒は黒井雄吾。高校からの知り合いだ。出席番号の関係で席が隣なので自然と仲良くなった。同じ中学出身の人たちは口々に「あいつはヤバい」と言っているが、今のところ何がヤバいのかはわからない。ほんの少し闇を抱えてそうな雰囲気は感じ取っているのだが。
「ああ、俺も帰るよ。」
言いながらリュックを背負う。歩き出した背の高い黒井に付いて行きつつ、教室の真ん中で黄瀬と話をしている七原を見る。フードに隠れて目元は見えないが、口元は見えるので話をしているようだということはわかる。
やはりあの姿を見てしまってはどう関わっていいのかわからない。積極的に話しかけている黄瀬が無礼に見えるほどだ。それほどアルビノは衝撃的で、忘れられないインパクトを俺たちの心に残した。俺や黒井以外の生徒も接し方がわからないようで、今のところ七原に話しかけている最中の黄瀬に関わろうとする者はいない。それ以外の時は話しかけているのだが。
「なあ、お前はあいつのことどう思う。」
ちょうど横並びになったころ、俺の意識は黒井の言葉に引き戻される。
「あいつって?」
「七原だよ。それ以外に誰がいるんだ。」
だよなあ。心の中でそうつぶやきつつ、真面目に考えてみる。
俺はまだ七原のことをアルビノだということ以外に何も知らない。ゆえに「どう思うか」という質問には答えかねるのだが、思いのほか黒井が真剣な目でこっちを見ているので、同じように真剣に考えざるを得ない。
アルビノを除いた第一印象としては「おとなしそうな女子生徒」なのだが、こちらを見る目からしておそらくそんな答えは求められていないだろう。
「黒井はどう思ってるんだよ。」
答えが出ないのなら質問した本人に聞いてみるのが一番だと思ったので聞き返してみた。
すると黒井は俺から視線を外し、淡々と答えた。
「いけ好かないヤツだと思ってる。」
俺は一瞬耳を疑った。いや、疑いたかった。聞き間違いだろうか。もう一度聞き返しても良いものか。俺の思考はどんどんとホワイトアウトしていく。
「まだ数日しか見てないけどさ、まるで自分が被害者みたいな顔してんだよ。誰が加害者ってわけでもないはずなのにさ。そう思わないか。」
その質問に対して、すぐに答えることはできない。
お前はあいつのことどう思う。
いけ好かないヤツ。
その言葉だけが頭の中をグルグルと廻る。これが同級生の人たちが言う「ヤバい」ということなのだろうか。でもそれだけじゃ説明がつかない。彼らは黒井の思想というより、もっと別の「何か」に怯えているように見えたのだ。それが俺の感じ取った闇の正体に関係するのだろうか。
待て。そもそも黒井の考え方の何が悪いのだろうか。自分と違うものに否定的な感情が芽生えることはある意味当然のことじゃないか。俺だって正直、今のところいい感情は持てていないのだから。
でもやっぱり。
「わからない。」
そう、わからない。
黒井が彼女のことをどう捉えようが、彼女と話したこともない俺たちはまだ全てを判断することなどできないのだ。いや、してはいけないのだ。
「そうか。まあそうだよな。まだ関わってもないのに判断するのはよくないよな。今の話は忘れてくれ。じゃあ俺、こっちだから。また明日。」
校舎を出たところで、黒井はそう言って正門の方を向く。黒井は家が学校から近いらしく、徒歩通学だ。対して俺は家がそこそこ離れているので自転車で通学している。正門は下駄箱から出て右にあるが、自転車置き場は左にあるので黒井とはここで別れることになる。
「ああ、また明日。」
そういいながら左手に進み、地面を見つめながら考える。
お前はあいつのことどう思う。
俺は「わからない」と答えた。本当はそう、わからないはずなのに。俺の悪い癖なのだろう。すぐに誰かに合わせたがる。特に喋ったことも関わったこともない七原美白のことを、黒井と同じように認識し始めている自分に気が付く。
「いけ好かないヤツ。」
そうつぶやきながらポケットの中にある自転車のカギを取り出す。特にキーホルダーも付いていないそれを、落とさないように慎重に鍵穴に差し込んでいく。鍵を回し、開錠された自転車を押しながら考える。
お前はあいつのことどう思う。
新しい友人のたった一言によって思考を翻弄されている自分のことを意識しつつ、校門から出る直前で自転車にまたがった。