Side一平(1)
さすがに我ながら昨日の態度はまずかったと思う。
嫌な電話がかかってきたのだ。それは断ったものの、おそらくこれからもまた同じ内容でかかってくるだろう。おかげでとにかく不機嫌だったのは確かだ。けれど、だからといって優にあんなぶっきらぼうな態度で接していいということはない。
「とにかく会って謝らなきゃ」
一平は朝起きてすぐ――といってもずいぶん日が高く昇っていたが――優に電話をかけた。今日は日曜日、出かけるとは聞いていないので自宅にいるだろう。自宅にいる時彼女は基本スマホをバッグに入れっぱなしにしていて出ないことが多いので、直接自宅の固定電話にかける。
『もしもし、池田です』
「おはようございます。麻生です」
電話の相手は優の父・総一郎だ。
『一平君か。おはよう。優なら出かけているよ』
「あっ、そうなんですか。わかりました、スマホにかけてみます」
『悪いね、よろしく頼むよ』
電話を切って「あちゃ~」と一平は頭を抱えた。多分彼女は怒っている。憂さ晴らしに買い物にでも行ったに違いない。彼女はいつもそれで何となく機嫌を持ち直しちゃって、怒っていたことをうやむやにしちゃうんだ。
そもそも優は腰の低すぎる子で、何事も遠慮がちに考える。もっと自己主張すればいいのに、と思わなくもないが、優のそんな態度もひっくるめて好きになってしまったんだからしょうがない。
とはいえ、もうちょっと甘えたりわがままを言ったりしてほしいのも本心だ。
腹の立つことがあった時、七割方はこうやってもやもやしたものを飲み下してしまう優。ぶつけてくれていいのに。
一平はスマホを操作して優の電話番号を呼び出した。
コール音が一回、二回、三回。
「出ないな」
十回鳴っても応答はない。果ては「おかけになった電話は、電波が届かない場所にあるか……」というおなじみのアナウンスが聞こえてくる始末。仕方なく無料通話アプリを立ち上げ、「おはよう、優」と打ち込んで送信する。
それから「昨日はごめん。ちゃんと顔を見て謝りたいんだけど、今どこにいるんだ? そっちに行くから場所教えて」とメッセージを打ちこむ。打ち終わってから見ると、最初に送った「おはよう、優」のメッセージにはもう既読のマークがついている。それを確認してから今打ち込んだメッセージを送信した。
なのにそれきり優から返事が来るどころか、二番目のメッセージには既読すらつかない。
「これは本格的に怒ってる? いや、怒って無視してるなら一番目のメッセージにも既読がつかないか」
そう考えたら急に不安になってきた。
嫌な予感が拭えなくなって一平はリュックを引っ掴みバタバタと家を後にした。
優がふらりと出かけるとしたら何処だろう。
ひとりならそんなに遠くには行っていないだろう。優のことだ、最近お気に入りの吉祥寺か、それとも新宿か、その辺りだろう。その距離なら万が一片方がハズレでも一平なら一回でテレポートできる距離だ。とりあえず自宅から近い新宿へ行くことに決め、一平は電車に乗り込んだのだ。
新宿に着いてすぐにもう一度スマホを確認する。相変わらず二回目のメッセージに既読の文字はついていない。
(もう一回電話してみるか)
こんな時ほど自分にテレパシー能力がないことを残念だと思う。一瞬蘇芳に頼ろうかと思ったが、さすがに超の字が頭に三つも四つもつくほど多忙な昴グループ会長様をちょこっとの不安くらいで時間を取らせる訳にも行かない。何があったのかはっきりしていないのにお使い建てするのはよろしくない。優を探すのはスマホと自分の勘を頼りにするしかないだろう。
駅を出て、電話をかけやすいよう少しでも静かな場所に行こうと雑踏から一歩外れた道に踏み込んだ――その時だった。
「いよう、久しぶりじゃねえか麻生」
背後からの野太い声が一平を呼んだ。振り返った彼の前には太陽を遮る巨体。二メートル近くはあるだろう長身に、着ているTシャツがはちきれそうな筋肉。一平はその人物にかなり見覚えがあった。何故こいつがこんなところいるんだ、と一気に警戒モードに入る。
「会いたかったぜぇ」
「気色わりいな。あっ、俺、ラブラブの彼女がいるんでごめんなさい」
「待てやコラ」
「冗談だよ。相変わらず頭固いなあ。ええとマウンテンゴリ「大沼だっ!」」
そう、そこにいたのは大沼。例の事件の折、ヒカルを崇拝していて何度か拳を交えたことがある、いわば敵。最終的にヒカルやその一派と共に拘束されてどこか一平の知らない場所に収容されていた筈なのだが。
「いいか麻生! 俺はおまえを倒すためだけに囚われている間も修行を欠かさなかった! もうあの頃の俺ではなああぁぁぁいっ! おまえに負けた、その雪辱を果たすためならどんな汚い真似だってやってやる!」
「――あぁ?」
意気揚々と宣戦布告する大沼は、ぎらぎらと燃えたぎる闘志を全身の筋肉に蓄えるようにぎぎっと上腕二頭筋を誇示してみせる。どうやら一平に都合三度も負けたことが悔しすぎて、一平を倒すためだけに執念を燃やすようになってしまったらしい。
いや、そんなことはどうでもいい。
大沼がぽろりとこぼした「どんな汚い真似だって」という台詞に、一平は過剰に反応した。
「汚い真似、って」
「おう、脱獄だろうが人質とろうが、何だってやってやるってことだ」
人質。
当然一平の頭の中ではいなくなった優と話が結びついた。
「てめえ――」
ゆらり。
一平の気配が変容する。ほんの今し方までまとっていた余裕のある態度は霧散し、ぞくりとするほどの殺気がにじみ出してくる。
だが大沼はそれを恐れるどころかむしろにやりと笑みを浮かべた。
「やる気になりやがったな。いよぉし! 今度こそ! 俺が! 勝あああああつ!」
「てめえか! 優をどこにやった!」
互いにぐぐっと地を蹴り拳をふるう。その瞬間の叫びは、お互いの叫びに掻き消されて聞こえていない。
大沼の右拳を体の軸を少しだけずらして回避、そのまま一平の右拳が大沼の顔面を狙う。
「ふんっ!」
が、大沼もそれを予想していたのか、左掌でがっしりとそれを受け止める。大沼はにやりと笑って空いた右腕で抉るように一平の鳩尾を急襲した。
それを難なく捌いて、そのまま右脚を軸に思い切り大沼の腰目掛けて振り抜いた。
「ぐぅっ!」
一平の脚は大沼のウエストを横なぎに蹴り払い、その衝撃で一平の右拳を押さえていた大沼の手が緩む。だが大沼は倒れることなくぐっとその場に踏みとどまった。
「ふうん、少しは鍛えたんだな」
一平の声は低く冷たい。
「手加減しなくても心が痛まなさそうで助かる」
ガッ!
バキッ!
細い路地裏に打撃音が途切れず続く。正直大沼がここまで粘るとは思っていなかった。スタミナにはまだまだ余裕はあるが、あまり時間は掛けたくない。さっさと大沼を叩きのめして優の居場所を吐かせなければ。
攻防を続けながら脳裏でそんなことを考える。
一平は今回超能力を使いたくなかった。何しろ以前蘇芳から聞いていた話では、捕まった大沼達は収容先で断薬をしていたというのだから。
例の薬、人を超能力者にする問題の薬は抜けてしまえば能力も消える。飲み続けなければ超能力者ではいられないのだ。それを断薬していたというのなら、大沼はもう超能力者ではない。
ならばこのけんかに自分だけ超能力を使うのは卑怯だろうと思っていた。尤も一平は大沼の能力を知らないので、戦闘向きの能力を持っているのかどうかもわからないのだが。
だが今は一刻も早く決着をつけなければいけない。一平は覚悟を決めて精神を集中し、筋力を超能力で底上げする。
「疾っ!」
有無を言わせぬスピードで一気に大沼の懐へ入り込み、拳の連打を浴びせる。連打でぐらりとよろけたところに左足を軸にして右脚を最短距離で蹴り上げる。一平の右脛が狙い違わず大沼の鳩尾を直撃した。
「ぐはあっ!」
大沼の巨体がくの字に曲がったまま空を飛び、隅に積み重ねてあった段ボール箱の山を勢いよくなぎ倒して止まった。
大沼は完全に白目をむいていて、ピクリとも動かない。
「あっ、しまった! やり過ぎた」
大沼はばっちり気絶してしまっている。優のことを聞き出さなければいけなかったのに、頭に血が上ってやり過ぎてしまった。
「ちょっと落ち着かなきゃ、俺」
いずれにしてもこれは蘇芳に相談しなければならないケースだ。大沼がここにいること自体がイレギュラーなのだから、逃げ出してきたならこいつも何とかしなきゃならない。
一平は大きくため息をついてスマホを取り出し、蘇芳の直通番号に電話をかけた。




