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優の事情

 三人の男は蘇芳が「後始末」と称して暗示をかけた。

「優ちゃんを見つけることはできなかった、ということにしようと思って」

 三人をその場に転がしたまま「帰ろう」と蘇芳は優たちを促す。

「目が覚めて優ちゃんを見たらまた思い出しちゃうかもしれないからね。さっさと退散しよう」

 そう言って停めてあったセダンに乗り込んだ。


 四人を乗せた車は程なく蘇芳の家に到着した。玄関には駿河が待っていて、リビングに案内される。

 全員が席につくのを見計らったように駿河が熱いお茶をサーブしていった。どうやらハーブティーのようだ。

「公園に着くのが遅くなって悪かったね」

 蘇芳が切り出した。

「優ちゃんがどのくらい遠くへ行ったか見当もつかなかったからね、探すのに手間取ったんだ。久しぶりに夏世の能力も借りたよ」

 夏世の能力をプラスすることで、蘇芳ひとりで探すより精密に広範囲を探せるらしい。「ブースター」の呼び名は伊達じゃない。

「それで闇雲に飛び出した一平をサポートしながら優ちゃんを追いかけたんだ。まあ、僕はカーナビみたいなものかな」

「カーナビ……」

「う、闇雲とか言うなよ。結局間に合ったんだから結果オーライってことで!」

 一平が不満を漏らすが蘇芳に軽くスルーされる。

「あの三人組から本当は何か情報が得られればよかったんだけど、頭の中探ってもたいしたことは知らなかったみたいで。とりあえず、優ちゃんを見つけたこと自体を忘れるように暗示をかけて帰した。ただ、暗示ってあんまりやったことがないから自信がないんだよね」

「暗示にかかってないかもしれないってこと?」

「そうじゃなくて、そのうち思い出しちゃうかもしれないってことさ。まあ、いわば時間稼ぎだね」

 蘇芳がハーブティーにはちみつを垂らして一口飲んだ。

「その間に、こっちもいろいろ情報収集とかしなきゃ――優ちゃん」

 蘇芳が穏やかに優を振り返る。

 ちょっとした沈黙が流れた。外では、少し風が出てきたようだ。窓のすぐ外に植わっている大きな柳の木が、さらさらと葉を鳴らす。

「私、半年前までは普通の高校生だったんです」

 優が重い口を開いた。

「母は私を生んですぐ亡くなったそうで、ずっと父一人子一人で、でも、平凡に幸せに暮らしてました。父は化学研究所に勤める研究者で、私は普通に高校に通ってたんです。でも、半年前――」

 平穏な日常が実は薄い氷の上にあることなんて知らなかった。優はその氷が割れてしまった日のことを忘れることができない。


 *****


「すみません、池田総一郎の娘です。父に頼まれて書類持ってきたんですけど」

 学校からの帰り道に届いた総一郎からのメッセージに「忘れ物の書類を職場に届けてほしい」とあったので、帰って着替えてからすぐに優は総一郎の働く研究所へ来ていた。

 研究所では製薬関係の研究をしているらしいが優は詳しいことは知らない。けれどこうやって何度か研究所に来たことはあるので、何も疑問には思わなかった。

 受付の警備員が「今、一階の突き当りにある応接室にいらっしゃいますからそちらへ行ってください」と言ったのも変には思わなかった。けれど応接室に入った瞬間、何か不穏な雰囲気を感じた。応接室のソファーに座ったままこちらを振り向いた総一郎の顔がひどく無機質で無表情に見えたのだ。いつもやさしくて穏やかな父のそんな顔を優は見たことがない。

 そしてもう一つの違和感は、総一郎の向かいに座った中年男だった。でっぷりと貫禄のある体をソファーに沈め、男は優を見てニタリと笑ったのだ。

「優、おいで」

「と、父さん、書類、を」

「ああ、ありがとう」

 総一郎が書類の入った封筒を受け取る。

 その一瞬、総一郎は泣きそうな目をして小さな声でささやいた。

「優、忘れないでおくれ。私はどんな時でも君を愛しているよ」

「父さん?」

 それから受け取った封筒をパサリと机に放り出した。

「父さん? それ、いるものじゃないの?」

「優」

 総一郎が自分を呼んだだけだ。なのにどうしてか背筋が寒くてたまらない。不安がどんどん膨らんでいって、一刻も早くこの場から出て行きたくてしょうがなくなってきた。そう、早く帰って夕食の支度をしなくちゃ。今夜は父さんの好きな生姜焼きにするつもりで――

「池田博士。その娘がプロトタイプ7――P7かね」

「はい」

 ソファーの男がふんぞりかえったまま優をじろじろと眺め回した。視線は無遠慮だが、いやらしいというより値踏みしているような雰囲気だ。

「P7 。おまえは今日から組織の研究所に移ってもらう」

「――え?」

「おまえは我々組織の貴重な実験体、その最初の成功例だ。おまえの能力発動がはっきりと認められたんでな、これからは実験体として研究所に移ってもらうことになる」

「ま、待って下さい! 何のことかわかりません。私、うちに帰ります」

「頭の悪いガキだな、だからこれからは研究施設がおまえの家だ。貴重な成功例としてデータをとったり能力を研究したり、あああとは訓練もしなきゃならん。明日からは忙しくなるぞ、P7」

 ソファーの男があごをくいっとしゃくり部屋の隅にいたダークスーツの男に合図をすると、男は優が入ってきたのとは違う扉を開き、その向こうにいたまた別の男を呼んできた。

「おい、連れて行け」

 男たちに取り囲まれ腕を掴まれる。優にはただただ恐怖でしかない。

「や、いや! 触らないで、離して!」

 途端に優を囲んでいた男たちが全員後ろ向きに勢いよくひっくり返る。優がたまらずPKで突き飛ばしたのだ。だがそれを見たソファーの男は満足そうに頷いた。

「ほう、ほう。報告通り超能力を使いこなしておるようだな。これで研究も次の段階へと進めるというものだ」

 にたり、と笑った顔が怖くて、優は咄嗟に入ってきた扉に向かって駆けだした。扉にとびつき取っ手を回すが、鍵がかけられていていくらガチャガチャやっても開かない。テレポートして逃げることも考えたが、一瞬残される父のことが頭をよぎり躊躇してしまう。

 だがそのわずかな隙に男の一人が背後から優に近づき、ハンカチで鼻と口を塞がれた。ツンとしたきついにおいが優の意識を急速に刈り取っていく。

「おい、娘に危害は加えないと――……」

 暗闇に沈み込む直前に総一郎の聞いたこともないような怒鳴り声が聞こえた気がした。



 目が覚めたのは無機質な部屋のベッドの上だった。優はしばらく自分がどこにいるのかわからずぼーっとしていたが、やがて思い出した時には絶望の淵にたたき込まれたような気がした。

(私は……あの人たちに捕まって――)

 様子を見ようと部屋の外を透視してみたが、なぜかよくわからない。透視は割と得意な方だ、なのにいつもならはっきりと脳裏に浮かんでくる画像がぶれて全くといっていいほど見えない。テレビの故障で画面が砂嵐になってしまったみたいだ。これはバリアシステムの初期型で優のいる部屋を取り囲んでいるからなのだが、優はまだそんなものがあることすら知らない。

 不安で不安でしょうがない。突然の拉致、監禁。おまけに実験体と呼ばれたが、何の実験をされたんだろう。全く記憶にない。人違いなんじゃないかとも思ったけれど、総一郎が否定しなかったことを思い出し、やはり自分のことなのだと辛くなる。

 それより何より辛いのは、総一郎の立ち位置がわからないことだ。総一郎があの太った男の言うことを聞いていたということは、父は娘である自分を「実験体」としてあの男に売ったということだろうか。

『忘れないでおくれ。私はどんな時でも君を愛しているよ』

 あの時ささやかれたあの言葉は嘘?

 物心ついた頃から自分を慈しんで育ててくれた父の、あれがすべて作り物のやさしさだなんてとても考えられない。

(ああ、もう何を信じればいいのかわからない。

(父さんは私を騙したの? それとも違うの?)

 あの「愛してるよ」って言葉は娘として愛してる? 実験体として愛してる? どっちの意味?

 もし後者だったとしたらきっと全てに絶望して二度と立ち上がれないだろう。優は硬いベッドの上で座り、膝を立ててうずくまった。

 窓の一つもないこの部屋では、不安が空気に溶けてぐるぐる渦巻き、消えることすらなさそうだった。

 どれだけそうしていただろう。膝を抱えたままの優の耳に、聞こえるか聞こえないかの小さなノックの音が届いた。

 続いて聞こえたのは、聞き慣れた声。

「優、起きてるかい」

(父さん?)

 優ははっと顔を上げた。ベッドを降り、扉に近づく。

 けれど扉に触れることはできなかった。総一郎を信じていいのかいけないのか、そんな葛藤から抜け出すことができず、また今話したら総一郎に詰め寄って酷いことを言ってしまいそうで怖かったのだ。

「優。あまり時間がないから手短に話す。さっきはすまなかった。不安だろうが、しばらくは奴らの言うことを聞いていてくれ。折を見てかならず君を助けるから」

「父さん、父さんはあの人たちの仲間じゃないの?」

「ああ。言うことを聞くふりをしているだけだ――いいかい優、当面の目標は優が超能力のコントロールを学ぶことだ。奴らも優が最初の成功ケースだからいろいろ手探りだと思うが、超能力のコントロール訓練は必ずするはずだ。私はその間にできるだけ情報を集めて逃げ出す隙をうかがう。だから――っと、巡回が来る」

 扉の向こうで総一郎が動く音が聞こえる。

「また来る。しばらくは逆らわず言うことを聞くふりをしているんだ。そうすれば当面は酷い目には遭わなくて済む。いいね?」

 それだけ言うと返事も聞かずに立ち去ったようだ。もう扉の外に総一郎の気配はない。優はずるずると床に座り込んだ。今の総一郎の言葉は本心だろうか。

(ううん、父さんだもん。私の父さんだもん。信じる)

 完全に不安がぬぐえたわけじゃない。でも今の優にはすがるものが必要だった。もう大好きな父を疑うのはいやなのだ。


 そして結果としてそれは正しかった。総一郎の言葉は本心だったのだから。

 けれどそうして隙をうかがって逃げ出したことの代償は、総一郎の死というあまりに大きいものだったのだ。


 *****


 優の話が終わる頃にはテーブルの上でハーブティーがすっかり冷めてしまった。蘇芳も一平も夏世も言葉が出ない。優は膝の上で両手を握りしめる。

 巻き込んでしまったからには全部話そうと心に決めたのだ、必死に辛い記憶を掘り起こす。

「それで――おとなしく言うことを聞くことにしてすぐに、私が『実験体』と呼ばれた意味がわかったんです。奴らは――奴らは『超能力者を人為的に創り出す薬』を研究していたんです」

「超能力者を」

「人為的に⁈」

「私はその成功例第一号だったんです」

 その話はあまりに荒唐無稽で、信じてもらえないだろうと思っていた部分だ。

 だが誰もその話を笑ったりはしなかった。

「ごめん、つい大きな声を出しちゃったよ。話を続けてくれる?」

 一番驚いていたのは蘇芳だが、すぐに我に返って優に話を促した。

「はい。薬って言われたけど私は飲んだ記憶がないんです。ひょっとしたら父が食事に混ぜたかもとも考えましたけど、違いました。投薬されたのは私じゃなくて私の母だったんです。それも私がお腹にいる頃にたまたま投薬されたらしく、父もそれを知らなかった、って言ってました。

 母には超能力は発現しなかったそうです。それで実験は失敗だったと思われていたんですが、その後私が生まれて母が亡くなり、少し大きくなって私が超能力を使うようになって――薬が私に効果があったことに父は気がついたんです。研究所にはその事実をずっと隠していたみたいなんですが結局バレてしまって。父は私の命を盾に脅されて一旦は言うことを聞いたんですが、隙を見て二人で逃げ出したんです。でも父はあと一歩のところで――撃たれて」

 そこで言葉を詰まらせた。胸の奥にあの瞬間の灼けつくような衝撃が苦い。

 優の横に座っていた夏世が無言で優の頭を抱き寄せた。

「――っ、ふ……」

 嗚咽を必死に押し止める優の声が小さく震える。それがおさまるまでそのまま誰も何も言わなかった。泣いてしまえばそのまま泣きやむことができなさそうで、優は必死に涙を押し止める。

 やがて発作的な衝動が収まり、優は顔を上げた。少し顔が赤い。

「すみません、話の途中で」

「気にしないで。でも辛かったらもう今日はこの話はやめようか」

「いえ、大丈夫です」

 顔を手でぐいっと拭いて背筋を伸ばす。

「あの場所から外に出て初めて気がついたんですけど、私が監禁されていたのは父さんが勤めていた研究所じゃなかったんです。どこかの山奥の、地下に埋設された施設みたいでした。出口にたどり着く前に階段を上がったので――そこから私、めちゃくちゃにテレポートを繰り返してました。自分でもどこをどうテレポートしたのかわからないです。それで最後に体力が尽きちゃったみたいで、神社の植え込みの陰に隠れてそのまま」

「そこを俺が見つけたってことか」

「はい」

 そのとき部屋の時計が鳴った。つられてそちらを見ると時間は夜の一時。

「聞きたいことはいろいろあるけど、もうこんな時間だからここまでにしようか。

 優ちゃん、構わないからしばらくここに住んで。部屋数だけはあるからね。

 ――駿河、そういったわけだから明日彼女の部屋を用意して。客間のままでもいいけど落ち着かないでしょ? それから優ちゃんのことは口外禁止で。もし誰かに聞かれたら親戚の子だとでも言っておいて」

「かしこまりました」

「それから夏世、優ちゃんのいる間ここに泊まってくれないか? さすがに男ばっかりの家にポンとひとりで入るのはまずいだろ」

「もちろんいいわよ。蘇芳が言い出さなかったら私から提案しようと思ってたし」

「助かるよ」

 そうして蘇芳は全員に向かって言った。

「さあ、今夜はこれでお開きだ。また明日の夜話そう。僕も優ちゃんに聞きたいこととかまとめておくよ。優ちゃん、話しておいたほうがよさそうなことを思いついたら明日聞かせてもらうよ。みんなもそれでいい?」

 全員が頷き、この夜の話し合いは終わった。

 


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