一気呵成
「大変です清野さん! 山村物産に査察が入ってまずいことになっているみたいです!」
その知らせが入ったのは早朝、まだ普通の会社の始業時間よりはるかに早い時間帯だ。清野は知らせを聞いて眉をひそめた。
「山村に?」
山村物産は『⒕』の資金源のひとつだ。ここの社長は組織の旧幹部のひとりで、清野によって失脚・幽閉されている。現在は清野の信者のひとりを「社長から代理を任された」という形で送り込んでいる。
「山村だけじゃありません。GSホームズも、グリーンホールディングスもです!」
いずれも山村物産同様、組織の資金源だ。
もし査察で不透明な資金の流れが発覚してしまうとまずい。そこから組織へとたどり着かれてしまう可能性がある。それに資金が融通されなくなればもちろん組織としても不自由だ。
清野は一瞬動揺したが、すぐに冷静さを取り戻した。
(あの三件が倒れたところで資金自体は他の資金源から調達できる。となると、現状打つべき手は――)
資金源には企業だけではなく個人もある。その上、その「個人」は金だけでなく権力もある人物だ。これはそちらから手を回して査察の結果を何とかしてもらわなくては。
そう考え、至急連絡を取らなければと思ったまさにその時、清野のスマホが鳴った。
『清野くんか。わしだ』
「これは和田先生。ご無沙汰してしまって申し訳ありません」
電話の主は、今まさに連絡しようとしていた個人の資金源だ。今をときめく政界のトップを走るひとりで、清野たちが汚れ仕事を引き受けるかわりに組織への資金提供と保護をしてくれている。
これは渡りに船だ、査察への横槍を頼まねば。
『実はな、しばらく日本を離れることになってな』
「ご旅行ですか。しかし、先生ほどのお人が長期にわたって国を空けられると、困る者がおりましょう」
『世辞はいい。この電話は、君への最後のはなむけだ。私も自分はかわいいでな、悪く思わんでくれ』
「――は?」
どこか会話の雲行きが怪しい。ここまできて清野の中に暗雲が見え隠れし始める。
『どうやら昴の小僧は、花岡先生とパイプがあるらしくてな、こちらもちょっとまずいことになっている――私は体調を崩して政財界から引退し、海外で静養することになったわけだよ。清野くん、君も悪い相手に手を出したな。これきり連絡せんでくれ』
プツッ、ツーツーツー……
和田の保護が受けられないということはつまり、査察の入った三件は切り捨てるべき、そういうことだ。清野はじっとりと汗ばみ始めた手をぐっと握りしめた。
そこから清野とその側近たちは様々な対応に躍起になっていった。
財源がいくつか立たれたのは少々痛いが、まだゼロではなく、また、今すぐに資金が底をつくということでもない。焦ってはダメだと清野は自分を叱咤する。
(財源がなくなったなら、新しく作るまでだ)
だが、後ろ盾となる和田がいなくなったのは痛い。和田が電話で話していた花岡先生、というのは、この国の政治を裏側から牛耳る、いわば影の首相とでもいうべき人物だ。和田がいくら今をときめく権力を持っていたとしても、花岡老人にはかなわないし、頭すら上げられないだろう。
清野はぎりり、と歯ぎしりをした。怜悧なはずの目の奥に、ふつふつといらだちが湧き出している。
池田総一郎が脱走した、という情報が入ったのはまさにそのタイミングだった。
「何だと? 詳細は?」
「はい、どうやらP7が麻生一平と一緒に池田博士の部屋へテレポートをしてきて、現れるなり池田博士を連れて再度テレポートして脱走したと」
「バリアシステムがあっただろう!」
清野が声を荒げる。今までこんな風に大きな声をあげることはなかったので、報告に来た警備員は驚いた。
「ど、どうやら叶野先生が解除してしまったようで」
「佐和子が? 寝返ったということか?」
「いえ、本人は無意識だったというので――あちらにはテレパスがいるようですし、暗示にかけられた可能性があります」
査察に気を取られた隙に一瞬で池田総一郎を取り返されてしまった。このタイミングの符合は偶然か? いや、絶対に計算ずくで図ったに違いない。
また一枚重要なカードを失ったことに歯噛みして、清野は最悪の事態を避けるために作業を始めた。
とにかく一番重要なのは薬に関する研究データだ。これをコピーして保護しなければ。最悪の場合にはこの地下施設を放棄して逃げなければならない。その時に薬のデータさえあれば、清野の野望はまだまだ潰えることがない。
清野はコンピューターを操作して、すべてのデータのバックアップファイルを外部のサーバーと外付けのハードディスクへ移動するよう指示を打ち込んでエンターキーを押した。
「そうか、優はあのあとずっと麻生くんのお家でお世話になってたんだね」
駒村の運転する車でひた走り、三人は無事に古川家へ戻ってくることができた。車の中ではおおまかな事情をかいつまんで説明したが、総一郎は途中で疲れて眠ってしまった。
古川家では総一郎がリビングのソファーにゆったりともたれかかり、優と並んで座っている。今、ここにいるのは総一郎、優、一平、夏世、南美だ。蘇芳は会社に顔を出していて不在だ。
「麻生くん、ありがとう。この子がひとりでどうしているのか、この数か月考えない日はなかったよ。本当にありがとう」
「いえ、俺はボディーガード役ですから。礼なら俺より義兄の方に」
謙虚だね、と総一郎は笑った。
「父さん、確かにここの家主は蘇芳さんだし、本当にお世話になってるよ。でも、倒れていた私を見つけて拾ってくれたのは一平さんなの。ここのおうちの人には本当によくしてもらってるの」
優がつけたす。その間も総一郎のジャージの袖をぎゅっと握りしめ離さない。父が自分のところへ帰ってきてくれた。その事実がまだ信じられない。
何しろ数日前までは総一郎は死んだと思っていたのだから。
そんな愛娘の手を握って、総一郎が口を開く。
「優を逃がした時、私は銃で撃たれて生死の境をさまよった。それは本当だよ。
でも幸か不幸か、あの研究所には最新鋭の機材と技術が揃っていてね、しぶとく生き延びることができたんだ。臓器の損傷が少なかったのと、手当てが早かったからだろうね――正直、二度と優の顔を見ることはできないと思っていたよ」
「父さん」
「ある程度回復してからは、彼らから研究を続けるよう強制されていた。もっともまだ体が本調子じゃないから大したことはできないと言い張ってほとんど何もしなかったが」
「清野さんたち、父さんの頭脳が必要だって言ってたもんね――ああ、さっき忍び込んだ時、その薬のデータも壊してきたかった。でも父さんを救い出すのが一番大事だからって一平さんや蘇芳さんに止められて」
せっかく地下施設へ行くことができたのに。あの施設をすべて破壊してやりたいくらいには優は腹に据えかねている。
だがそれに反して総一郎は楽しそうに笑っている。
「それはね、麻生くんたちが大正解だよ。実はね、研究させられるふりをして、ちょっとだけ細工をしてきたんだ」
「細工?」
総一郎は仕掛けたいたずらを自慢したくてうずうずする子供のような目をしている。
「あそこのメインコンピューターに保存してある薬の研究フォルダを外付けハードなんかの外部ストレージに保存しようとすると、バックアップできないどころか、メインコンピューター内に保存されている研究フォルダ本体と関連フォルダをすべて完全に削除するようにこっそりプログラムを組んで仕掛けてきたんだ」
*****
「ど、どうなってるんだ」
清野がうろたえた声をあげた。
「どうしました、清野さん」
後ろで控えていた大沼が声をかけた。大沼と一緒に控えていた萩原も怪訝そうに清野の手元を覗き込む。
「データが――」
万が一のことを考えてデータのバックアップを取ろうとしただけだ。なのにいきなりウインドウが開いてすべてのデータを消去し始め、どうやっても止まらない。慌ててメインコンピューターの電源を切ろうとしたが、消去作業はその前に完了してしまった。
古いバックアップファイルは探せばあるかもしれない。だが、最新のデータは全て消去されてしまった。研究員たちから手持ちのデータを集め、ストックしてある薬を分析させて。データファイルの復元には時間がかかるだろう。
どうしたら。どうしたらいい。清野の頭の中で様々な情報が錯綜する。
P7。麻生一平。あいつらの手が着々と近づいてきている。恐れるわけではないが、その背後には昴グループ会長が控えている。油断することはできない。せっかく掌握した組織を――
清野はこの窮地を乗り切るために部下たちに指示を飛ばす。
「大沼、萩原。第一研究室とDフロアの倉庫に保管されている薬の在庫をここに運んできてくれ。大至急だ」
「わかりました、清野さん。行くぞ、萩原」
大沼が了解の意を伝えると、萩原が提案してきた。
「そしたら大沼さんよ、俺は倉庫の在庫を取りに行くから、大沼さんは第一研究室行ってくれよ。手分けした方が早いだろ」
「それもそうだな。よし、そうしよう」
二人はさっそく出て行った。残された清野はぎりっと拳を握りしめた。爪が食い込んで少し血が出た。
「あいつら――あいつらの仕業か」
清野は怒りで目の前が暗くなる気がした。
*****
「そ――それは、ひょっとしたら今頃清野は」
「うん、相当怒り狂ってるかパニックしてるだろうね」
総一郎はソファーにゆったりともたれかかってニヤニヤしている。ちょっと得意そうだ。
「私もね、彼らには思うところがあるわけだよ。ちょっとした意趣返しみたいなものだね」
「父さんってば……」
茶目っ気あふれる物言いに娘は呆れている。
そして帰宅してその話を聞いた蘇芳も目を丸くする。
「へえ、それじゃ僕が考えている以上に清野は混乱しているかもしれないな」
それから優を振り向いてウインクする。
「優ちゃん、お父さんなかなかやるねえ」
「はあ……」
そんな気の抜けた返事しかできない。
さて、と蘇芳はスマホを取り出し電話をかける。
「あ、東さん? 古川です。実は池田博士からの情報で――」
相手は東のようだ。総一郎から聞いた話を手短に伝え、短時間で電話を切った。
「警察に任せるのか?」
一平が蘇芳に聞いた。蘇芳はスマホをテーブルに置いてスーツの上着を脱いだ。
「うん、まあ、表向きの警察じゃないけどね」
何やら不穏な言葉を聞いた気がする。
そこはそれ、昴グループ会長様には秘密がいっぱいある、ということで優も一平もいつも通り自分を納得させることにする。
「それにしても蘇芳さん、私たちは家でじっとしてろって――」
優が聞いた。蘇芳は当たり前というように頷いて見せる。
「うん、これ以上一平も優ちゃんも危ない橋を渡る必要はない。そもそもただの一般人なんだから。ここから先は荒事になるし、僕たちの能力のことを必要以上に吹聴するのは良くないからね。あとは東さんたちに任せるべきだ」
蘇芳の言うこともわかる。
「でも」
「大丈夫、彼らはこういうことのプロだよ。まあ、彼らもいつもと勝手は違うかもしれないけど、一般人の一平たちが乱入するとやりにくいと思うからやめておこうか」
それはそうかもしれないけど。
優はちょっと納得のいかない顔を伏せた。




