児玉の告白
元『⒕』の幹部・児玉礼一は、組織によって軟禁されていた山間の病院から身柄を移され、今は別の場所にいた。
病室では不満と怒りでいっぱいだったが、今いる殺風景な部屋に比べたら天国だったと思う。そして児玉は病院にいた時とは違い、怯えている。
今、目の前にいる人物に。
「児玉さん」
名前を呼ばれて手に汗をかく。目の前にいるのは、以前自分が拉致させた人物。研究の成功作第一号であり、貴重な実験体であったはずのP7だ。彼女は児玉が拉致させた時のような怯えた目ではなく、十七歳とは思えないほど鋭く冷たい目で児玉をにらんでいる。
彼女と一緒にいるのは古川蘇芳、そしてもうひとり大学生くらいの青年がいる。いつも児玉を見張っている古川蘇芳の部下はいつの間にか席を外している。
児玉は三人がこの部屋に入ってきた時から金縛りにあったように身動きが出来なくなっていた。はくはくと酸欠の魚のように口を広げ、全身に脂汗をかいている。自分が敵に囲まれているという緊張感と金縛りの恐怖が加わって、児玉は殺されるんじゃないかとパニック寸前に陥っていた。
「な、な、何の用だ! わし、わしは、も、も、もう組織には」
「関係ないなんて言わせない。あなたが今どんな立場にいようと、父さんを苦しめた人には違いないの。その償いをしてもらいに来たの」
「つ、償い、だと?」
殺される。
直感的にそう思った。動悸が激しく、呼吸も浅くなる。ひゅーひゅーと口から漏れ出る息で目も回る。
「か、金か? そうだ、見たこともないほどの大金をやろう。見逃してくれたら、一生豪遊してもお釣りがくるくらいの金を」
「そんなもので父さんの命に値段をつけないで! お金なんかで父さんは生き返らない」
彼女の目にあった憎悪の色に殺気が混ざった気がして、児玉は自分が選択を誤ったことに気がついた。
なぜだ。今まで誰もが金をちらつかせれば自分の言うなりになってきたのに。何人もそうして手のひらをかえす人間を見てきたのに。
怒りに震える彼女の肩に、もうひとりの青年がぽん、と手を置いた。優がはっとして頷き、自分の方に向き直って一歩近づいた。児玉の喉から「ひっ」と悲鳴がひとりでに漏れ出す。
もう、おしまいだ。児玉の全身を冷たい汗が流れた。
*****
優の目の前で、児玉は一目でわかるほどに狼狽している。殺されるとでも思っているのだろうか。
正直なところ、優はこの児玉という男を許せるとは到底思えない。組織の意思は児玉だけが決めるものではなかったのだろうが、それでも優を拉致し、父が殺される要因を作ったのは確かにこの児玉なのだ。
ただ殺してやろうとは思わない。そんなことをしても総一郎は喜ばないだろうから。もしそんな衝動はない、といったら嘘になるかもしれないが。
それにしても、と優は思った。
初めて会った時にあんなに高圧的で、人の話を聞かないどころか人を人とも思わない人物だと思っていたが、今こうやって涙やよだれを流しながらパニックしているのを見ていると、なんとも哀れだと思ってしまう。これが組織を率いていた人間の末路かと思うと複雑な心境だ。
優は一歩児玉に近づき、口を開いた。
「答えて。清野さんについて、知っている限りのことを」
「き――よ、の?」
児玉の焦燥した表情がぽかんと気の抜けた表情に変化する。優の後ろにいる蘇芳の目が眼鏡の奥ですっと細められた。
次に口を開いたのは蘇芳だ。
「じゃあ質問を変えよう。この間、彼女は」
と、優をさす。
「彼女は先日清野に拉致された。地下深くに建造された、秘密基地みたいなところに車で連れて行かれたということだ。その場所の心当たりは?」
児玉が混乱した頭でその情報を整理しているだろうわずかな間、蘇芳が目を細めたまま児玉を見つめていた。
児玉は答えない。正確には答えようかどうしようか自分にとっての利害を計算しているのだろう。だが、児玉が答えるより早く蘇芳が青年――一平を振り返った。
「奥多摩のあたりの山の中だ。意外と近かったね。正確な場所は――」
蘇芳は児玉に質問して、その質問に対する答えを児玉が思い浮かべた段階で読み取っているのだ。今のようにごまかしたり黙秘したりさせるつもりは一切ないらしい。
何が起こったかわからない、という顔の児玉も、すぐに正しい結論にたどり着いたようだ。
「そ、そうか! おまえもテレパスなのか!」
蘇芳は児玉の言葉を無視してさらに質問を続ける。
「そこの他に組織絡みの施設はあるのか」
児玉が返事をしようとしまいと、質問を聞いて表層意識にその答えを思い浮かべた途端に蘇芳が読み取って行ってしまう。まったくの無駄な抵抗だ。
そうしていくつか質問をして、蘇芳は優と一平を振り返った。
「さて、二人とも、他に聞きたいことはある?」
「聞きたいことはないです」
優が即答した。優の暗い色を帯びた目が児玉を見据える。
「この人は父さんを殺した張本人のひとりだもの。許すなんてできない」
すっと右手を児玉に向かって伸ばす。突き出した指は児玉の首のあたりをさしている。そしてその手がゆっくりと児玉に近づいていく。
その意味するところを正確にくみ取ったのだろう。児玉が再び恐慌状態に陥る。
「ま、待て! わ、わしを殺したら、重要な情報を聞き逃すぞ!」
優がぴたりと手を止めた。
「助けてくれたら、教えてやる。おまえにも重要な話だ、P7」
「へえ、重要な話、ねえ。交渉するならまず人を番号付けて呼ぶんじゃねえよ」
「ゆ、優――さん?」
「――下の名前はだめだ。苗字で呼べよ」
「じゃ、じゃあ、池田……さん」
一平と児玉の漫才はさておき、優は蘇芳にちらりと視線を走らせた。言いたいことはわかっている。蘇芳としても今は少しでも情報が欲しいだろう。
「いいわ、約束する」
だが右手は児玉の首を指さしたままだ。児玉がその右手に視線をあわせたまま話した。
「池田総一郎は生きている」
「――え?」
「だから、おまえの父親は生きていると言っとるんだ」
優の脳裏にあの時の総一郎が浮かぶ。
優の個室をくすねてきたカードキーで開け、二人で研究所の廊下を走った。
今までこんなに必死に走ったことはない、というほど夢中で走った。その時の総一郎の必死な顔。
外へとつながる隔壁を開き、優を助けて撃たれて――
「嘘! だって私、見たもの。あの時父さんは左胸を背中から撃たれて、血が――」
「組織の研究施設には最先端の科学と医療が揃っておる。あの後、池田博士はなんとか一命をとりとめたんだ。組織にとって池田博士の頭脳を失うことはかなりの損失だからな」
優の目から暗い色が消え、驚きと不安とうれしさと、いろいろな感情が一気に湧き出す。今の言葉を信じていいのだろうか。命惜しさに適当なことを言っているのじゃないだろうか。
もし嘘だとしたら自分はこの人に何をするかわからない。絶望しているところに期待を持たせて、それをまた突き落とすとか、もしそんなことをされたら切り刻んでも飽き足りないだろう。
それがわかっていても、つい期待してしまう。その衝撃の大きさに優はふらりと座り込んでしまった。
「優」
一平がそれを支える。それと同時に児玉を縛り付けていた金縛りが解けた。部屋に入った瞬間から、騒がれると面倒だと一平がPKで児玉を拘束していた、それを解いたのだ。児玉はぜいぜいと脂汗を流しながら床にへたり込んでしまった。
「彼女のお父さんは、今どこに」
「そこまでは知らん。ただ、わしが病院に軟禁されたころには、ほれ、おまえがいたあの研究施設にいた」
「――!」
優は息をのんだ。つまり、あの爆破され山崩れに巻き込まれたあの施設に――
一瞬総一郎があの時の爆発に巻き込まれたのでは、と心配になった優だったが、その前に一通り研究施設の中を透視していたことを思い出し、あの爆発の時には誰も施設にはいなかったと気がつきほっと胸をなでおろす。
そういえば何台もの車があそこから走り去ったのを見た。ひょっとしたらあれに総一郎が乗せられたりしていないだろうか。総一郎はものすごく近くにいたことになる。もっとも総一郎のあのけがを見ていた優が、父が殺されたと勘違いしても仕方がない話ではあるのだが。
「わしがいた頃は撃たれたけがで動くことができなかったが、意識はあった。清野はな、池田博士をとことん利用しつくすつもりだ。
組織にとっての研究材料であり、脅威であるP――じゃない、池田さん、おま……あんたの行動パターンや思考パターン、能力の発動時の脳波その他もろもろを池田博士からテレパスを使って引き出しておる。もちろん、一研究者としての頭脳もな」
だが児玉は最後まで言い切ることはできなかった。突然一平が児玉の襟首をつかみ、そのままぐいっと自分に引き寄せたのだ。
「ぐえっ」
着ていたシャツの首が締まり、児玉がガチョウみたいな声を出した。
「おい、清野の目的は何だ。超能力者優位の世界を作る、なんて嘘っぱちだろ?」
児玉が口をぱくぱくさせるので、一平は「ああ」と児玉の襟を締める手を緩めた。児玉がハアハアと荒く呼吸を繰り返し、脱力した。
「――わしも追い落とされた人間だからな。本当のところはわからん。ただ、以前清野が言っていたのを聞いたんだが、あいつには生き別れになった兄貴がおってな。そいつに心底惚れこんでおった――ある時、あの薬の値段はいくらするのかと聞いていたんでな、何に使うんだと尋ねたら、あの薬を使って兄貴のために働く軍隊を作るんだと、あんな素晴らしい人に何かあったら人類の損失だと、そんなことをまくしたてたわ。わしが一蹴したもんで、それきり言わなくなったが、あの時の清野の目はちょっと普通には思えんかった。
ひょっとしたら本気で世界をひっくり返そうと思っているのかもしれんな」
「優、大丈夫か?」
一平が気づかわしげに聞いてきて、優は小さく頷いた。
児玉のところから家に帰る間、優は動揺が隠せなかった。蘇芳の運転する車で帰る最中、今すぐにでも飛び出して総一郎を探しに行きたそうな優の手は一平にずっと握りしめられることになった。
児玉がいたのはずいぶんと警備が厳重な建物だった。「ここがどこだかは知らない方がいいよ」そう言って蘇芳自身が運転する車で連れてこられたのだ。場所を特定できないよう、後部座席の窓にはカーテンが閉められている。なのであえて優も一平も外は見ないようにして乗ってきたし、帰りもそうしている。
しばらくして「もう外を見てもいいよ」と言われてカーテンを開けると、外はすっかり暗く、結構なスピードで街の灯りが流れていく。どうやら高速道路を走っているらしい。
フロントグラスから赤いテールランプが残像を残しながらカーブしていく。優はそれを見るともなく見ていた。
総一郎が生きている。それが事実なら今すぐにでも探しに行きたい。気ばかり焦って、でも自分だけではどうにもできないことがわかっていて。
「とにかく、優のお父さんを探して助けなきゃな」
「うん……」
「よかったじゃないか、お父さんが生きてるってわかったんだから」
「うん」
受け答えしながらも優の心の中はぐるぐると目まぐるしく動いている。
なぜ総一郎が生きていることに気がつかなかったのか。あの山の中で、施設から出ていく車に注意を向けていれば総一郎が乗せられていたかもしれないのに。
ひょっとしたら一平と逃げ出した時、あの地下施設に総一郎がいたかもしれない。
「優。変なこと考えてないか?」
一平の声ではっと現実に引き戻された。横を向くと、一平が優の顔を見て「やっぱり」と苦笑いした。
「絶対『何でもっと早くお父さんが生きてたことに気づけなかったんだろう』とか考えてただろ」
「そんなこと」
「あるって。顔に出てるからな」
ぐうの音も出ない。
「あのな、優。マイナスなこと考えるのって限度がないんだよ。今回はむしろお父さんが生きてるっていう希望が見えたんだ、むしろどうやってお父さん助けるか、同じ考え込むんならそっちを考えようぜ?」
前向き前向き、と笑って一平が優の頭をくしゃりと撫でた。
「もうわかっただろ? 優はひとりじゃない。蘇芳だって夏世だって、もちろん俺もいるんだ。たくさんの人が組織壊滅のために動いてるんだ、何とかならないわけがないと思わないか?」
「――うん」
優は答えて大きく息を吸った。一平の言う通り、ここで落ち込んでいても総一郎が助かるわけじゃない。そして一平と蘇芳を見た。こんなちっぽけな自分のことを大切だと言ってくれる人たち。
自分の事情に巻き込みたくないと思っていた。そのためには自分が離れればいいと思っていた。でも今回、一平が攫われて少し考えが変わった。後に残された人がどれだけ心配をしているか、それを身をもって知ったのだ。
だから。
「私、父さんを助けたい。ううん、絶対に助けるの――一平さん、蘇芳さん。お願い、私に力を貸してくれますか?」
「もちろん」
「当たり前だろ?」
一平と蘇芳は同時に即答した。
それと同時に蘇芳のスマホが鳴った。
「ああ、拓海からだ。一平、出て」
画面を見ることなく蘇芳が言う。一平は一平でPKを使って助手席に投げ出されていた蘇芳のスマホを引き寄せる。今、車の中には力を見せても問題のない人ばかりなので誰も遠慮せず力を使い放題だ。何となくそれがおかしくて優はくすっと笑いを漏らす。
その声に気がついたのか、一平が優を甘い笑顔で見て、スマホの通話ボタンを押した。
「あ、拓にい? 俺俺、一平。今蘇芳運転中だから代わりに――うん、そっか。で、それから――え? ええ! 早くね?」
何やら電話口で驚いている。ほどなく通話を終了した一平は「いや、さすが仕事の早い男」と感心しきりだ。
「どうやら叶野佐和子を確保したらしいよ」




