帰宅と家族会議②
一平は思ったより回復が早く、帰宅した日の夕食の席には普通に食卓へ出てきていた。
「さすがは鍛えてるだけのことはあるわよねえ」
夏世が感心したというより呆れた声で言った。夕食の席には一平と夏世、優、南美がついていて、蘇芳はまだ帰っていない。
今日の夕食は冷たいうどんがメイン、しばらく絶食させられていた一平の胃を心配してあっさりしたメニューにしたとは京子の言だ。医者によるとどうやら点滴か何かで栄養は入れられていたらしいが、空腹感は栄養だけでは満たされない。
夏世や優が一杯うどんを食べている間に一平は二杯目も終わりに差し掛かっている。
「一平様、そんなに急に詰め込んだら体によろしくないですよ」
「だって腹減ってるんだもん」
うどんに乗っているかまぼこをぱくっとほおばる。
食事が終わり、お茶を飲みながら夏世が話しかける。
「ねえ一平、それで、あんたは捕まってからずっと寝かされてたわけね?」
「そうみたいだな」
「じゃ、清野さんがあんたとどう繋がりがあるかはわからなかったわけ?」
「ああ。そこはまったく」
あ、と優が南美を振り返る。今はまだ清野のことには触れない方がいいのではないかと思ったからだ。南美は「大丈夫だよ」と笑ってみせているが、笑顔にちょっとばかり力がない。一平と夏世も「しまった」という表情で南美を振り返った。
「やだなあ、麻生さんも井原さんも、そんなに気にしないでくださいよ」
つとめて明るく南美が言う。
「そりゃショックでしたよ? でも考えてみたらいくつか『この人は本当に私のことが好きなのかな』って思うことがあったんです。だから、それから目をそらしてたのは私自身なの。むしろ、早めにわかっちゃってよかったかなって」
「南美――」
「だからね、絶対清野さんなんかより素敵な人を見つけて見返してやるんだ!」
ふんす、と鼻息荒くガッツポーズしてみせている。それが南美の強がりだということはわかっていたが、優は「うん」と素直に頷いた。二人で顔を見合わせてふふふ、と笑いあう。
それを見ていた夏世は「よし!」と立ち上がった。
「優、南美ちゃん。この一件が片付いたら、三人でお買い物行こう! 服とかアクセとかいーっぱい買い込んで、それから美味しいケーキも食べに行って、買ったばかりの服に着替えちゃってさ、ご飯食べに行こう! 約束!」
優と南美は一瞬呆気にとられたが、すぐにまた顔を見合わせて笑い出した。夏世がちょっとむくれて見せる。
「何よぉ、ぱーっと遊びに行こうって話じゃない」
「も、もちろん! 約束ね、夏世さん。南美もね」
「うん! あ、でもお小遣いそんなに残ってないかも」
「大丈夫、お財布は蘇芳に任せるから」
そこで三人で声を立てて笑った。笑うと気持ちがぱっと明るくなる気がする。問題は何も解決していないけど、大きな声で笑ったり、未来にそういう楽しい約束をするとやる気が起こるから不思議だ。
一平がその様子をにやにや見ていた。
「蘇芳に、夏世にカード渡すなって言っとこう」
「あ、一平、そしたらあんたは財布兼荷物持ちでついてきな」
「やなこった」
また食卓に笑いの花が咲く。女性三人はどこに行こう、何を買おうとわいわいおしゃべりを始め、一平は静かにお茶を飲んでいる。
時計の針はまだまだ夜の八時。女子トークはとどまるところを知らず、楽しい雰囲気で夜が更けて行った。
*****
「そうか、清野氏についてはわからずじまいか」
九時半すぎに帰ってきた蘇芳と拓海に呼ばれ、リビングに全員集まった。一平、優、夏世、南美もいる。
「遊園地跡で、部下らしい男とやり合ったんだよ。そいつ倒したら教えてやるとか言ってたのに。俺、遊園地と地下施設から脱出する時と、二回あいつ倒したのに。倒し損だよなあ」
一平は不満たらたらである。
そこは置いといて、と蘇芳は一平の不満は黙殺して話を進める。
「南美ちゃん。今こんなこと聞くのは酷だってわかってるんだけど――清野について知っていること、話してくれないかな」
南美は大きく頷いた。
「清野さんが私に話したことが本当のことかどうかわかりませんけどいいですか?」
「もちろん。今はどんな情報でも欲しいんだ。もし嘘が混じっていたとしても、必ずどこかにヒントは隠れてるよ」
「はい――」
返事はしたものの、南美はそのまま言葉を止めてしまった。
やっぱりまだ辛いのだろう。当然だ。優は南美の背中をぽんぽん、と叩いた。けれど南美はちょっと困った顔で首をかしげた。
「違うの、優。私、よく考えたら清野さんのこと何も知らないんじゃないかと思って」
「え?」
「だって清野さんのことで思いつくことなんて、本当になにも」
「じゃあ、具体的に僕の方から質問するから、それに答えてもらう形でいいかな。例えば、清野さんの職業は?」
蘇芳が助け舟を寄越した。
「はい、会社員だって言ってました。どこの会社かはわからないけど、企画とかマネジメントをしてるって」
「じゃあ会うのは土日とかだったのかな。連絡はどうやってとってた?」
「はい、そうです。連絡はメッセージアプリが主ですね。そういえばスマホの電話番号もメルアドも知らなかったなあ、通話もメッセージアプリの無料通話使ってましたし――それで一度どこに住んでるのか聞いたんですけど、中央線沿線だよ、って言われて。その後話題が変わっちゃったのでそれ以上は聞かなかったです」
「一人暮らしだったのかな?」
「あ、それは独りだって言ってました――そうだ、一緒に暮らしてはいないけどお兄さんがいるって聞いたことがあります」
南美の話す内容を番匠が一生懸命メモを取っている。ふと手帳から顔を上げ、南美に問いかけた。
「そういえば清野さんって下の名前は?」
「コウ、です。清野コウ」
「どういう字かわかる?」
「お日様の日の下に光って書く、晃って字です」
「清野、晃――」
番匠の書いているメモを蘇芳が覗き込んで感じを確認する。それから番匠からメモ帳を借り、一平に見せた。
「一平、この名前に見覚えないか?」
「いんや、全然」
「例えば空手の試合であっさり勝っちゃった相手とか」
「あー、考えられなくもないけど、本人が肉体労働は苦手だって言ってたからなあ。遊園地でやり合った時も、わざわざ他の奴にバトンタッチしたくらいだ。それにパッと見て筋肉のつき方も空手やってるそれじゃなかったと思う」
うーん、と全員で考え込んだ。
「全然一平とのつながりがわからないなあ」
「じゃあさ、清野さんの出身地とか、あるいは卒業した学校は?」
「聞いたことないです。つきあいだしたの、ほんの一か月前で」
「なるほどね。年齢は? 会社員ってことは多分一平より年上か? そうとも限らないか」
「二十二才だって言ってましたよ」
「じゃあ学校で知り合って、とかじゃないか」
またしても全員で頭を抱えることになった。何はともあれ一平とのつながりはわからない。
「一平とのつながりはさておき、南美ちゃんの話は充分参考になったよ。ありがとう。とはいえまだまだ情報は少ないね――しょうがない、拓海、東さんにちょっと頼んでみるか」
「それがいいか」
言うなり番匠はスマホを取り出して立ち上がり、部屋の隅で電話をかけ始めた。すぐに相手が出たようで「つながった」と親指を立てて合図をした。
番匠が話し始めたのを見ながら優が一平の腕をつついた。
「ね、東さんってだれ?」
「ああ、拓にいのオトモダチでね、調査の専門家だよ」
「探偵さん?」
「警察の人」
さすがは昴グループ会長秘書、あちこちに人脈があるんだなあ、と優は感心した。
会長秘書としてでないときの番匠は、明るくてカラッとした楽しい人だが、やはりできる男的オーラが漂っている。四角四面な秘書の仮面をかぶらなくても仕事の処理能力は蘇芳のお墨付きだ。
「東さんには頼んどいた。さて、あとは江口たちに聞きこむか」
「でも、どこまで信用できるかなあ」
「江口? あ――」
そういえば清野が言っていた名前だ、と優は思い出す。江口は南美のマンションの屋上で襲ってきた男だ。
「あの人、まだ捕まえてるの? 清野さんが『最近見かけない』って言ってた」
「江口な、あいつは捕まえたままだ。もうひとり、一平が学校で捕まえた中島な。あいつ、金を握らせたらコロッと寝返ったんだよ。まあ、寝返った奴はいつまた寝返るかわからないから信用は置けないんだけど」
番匠が手帳のメモをまとめる手をふと止めた。
「そうだよな。新生『⒕』のメンバー全員が、清野の言うような選民主義みたいなものに傾倒してるわけじゃないよな、当然。中島みたいに利害だけでつながっている奴もいるんだから、そこをつついてみるのもいいかもしれないな」
「一平、優ちゃん。捕まってた時に他の能力者には会った? ていうか、捕まってる間に会った人間について話してくれるか?」
優と一平は顔を見合わせた。一平は目で「名前を言って大丈夫か?」と問いかけ、優は小さく頷いた。
「――俺が会ったのは二人。ひとりは清野、もう一人はさっき話したやり合ったやつな。大沼とかいうゴリラだ」
「私は何人か会ったよ。まず清野さんでしょ、捕まった時にはハギワラっていう高校生くらいの男の人。茶髪でね、ちょっとヤンキーっぽい雰囲気だった。暗示とかそっち方面の能力者だったみたいで、私、目を合わせた途端に気を失っちゃったの。あとは一平さんが言ってた大沼って人――うん。本人は能力者だって言ってたけど、力を使わなかったから何の能力者かはわからない。
あ、清野さん本人も人とは違う力があるって言ってた」
「これで三人か。それで全部?」
「うん――あっ、能力者かどうかわからないけど、私の健康診断した女医さんがひとりいた」
「女医?」
「確か叶野さん……だったかな」
「叶野――」
女医。叶野。
「――叶野佐和子か!」
番匠と蘇芳が顔を見合わせた。
「ビンゴだ」
そこから先は東の面目躍如といったところだ。
あっという間に「叶野佐和子」を調べ上げてきた。全員で話し合いをした次の日の夜、東が資料一式を取りまとめて古川家を訪れたのだ。
「叶野佐和子、三十一歳。元は芝堂大学病院の産婦人科医で、四年前発表した論文で叩かれて依願退職。その後、再就職した形跡はないが、その頃住んでいた自宅近所の聞き込みでは、平日は日中でかけて不在だったそうだ。行先はわからない――それが一年ほど前からふっつりと姿を消したらしい、と」
古川家のダイニングルームで大きなテーブルを囲みながら、また全員がそろっている。話の中心は東だ。
東は三十代くらいの、背が高い飄々とした人物だ。警察勤めというだけあって、飄々とした中にも有無を言わせぬ鋭さがあるが、とっつきにくい印象はない。東に会ったのは優も一平もこの時が初めてだった。
「交友関係はほとんどない。どうも気位の高い女性らしくて、まあはっきり言って嫌われてたみたいですね。有能なんだけど、人を見下すような発言が多かったらしくて」
その言葉を受けて、番匠が手持ちのファイルから一枚の写真を抜き出し、テーブルの上に置く。以前蘇芳にも見せた写真だ。そして左端の人物を指さした。
「これが叶野佐和子」
優はその写真をじっと見つめた。写っている他の人たちがにこやかに並んでいる中で、ひとり真顔で立っている。あの時「卵を産むニワトリみたいなもの」と言い放ったあの女医の冷ややかな顔を思い出し優は眉を寄せた。
「この人――だと思います」
写真をテーブルに戻し、膝に手を乗せた。他の人からは見えないようにぎゅっと拳を握る。あの時、叶野佐和子に言われた暴言が蘇って優の心に青痣を残していく。もうあそこから逃げ出して安心できる場所に戻ってこられたというのに、あの時の恐怖や孤独感が消えるのにはまだまだ時間がかかりそうだ。
すぐに横からすっと大きな手が伸びてきて、握りしめた優の手をそっと包んだ。一平の手から「大丈夫」と落ち着いた気持ちが流れ込んでくる。おびえて凍ってしまっていた優の心を一平の熱が溶かす。
つながれた手はテーブルの下で、誰にも見えない。
東が話を続けている
「どうやら叶野佐和子には交際している男性がいたみたいですね。時々叶野の自宅マンションに出入りしているのが目撃されています。若いツバメがいた、ってマンションの奥様方の格好の噂の的になっていましたよ」
「年下の男、か。それも彼女の隠れ先候補になる――今現在のことは?」
「わかったのはそこまでです。警官としてじゃなくプライベートで調査しているので――でも、池田さんが会ったのが叶野佐和子本人だとしたら、その秘密基地みたいなところに住み込んでるのかもしれないですね」
東がぱたんと手帳を閉じた。それを受けて今度は蘇芳が話し出す。
「僕の方からもね、ちょっと収穫があったよ。児玉の話から、クーデター前の組織の全貌が見えてきた」
蘇芳は青いファイルを取り出し、ぱらぱらとめくる。中村と星野から届けられたファイルだ。
「元々、兵器の売買や、テロリストへの肩入れで利潤を得ている連中だったらしい。例の薬は完成させて、あちこちの国の軍隊なんかに売りつける予定だそうだよ。
で、組織は児玉が黒幕というわけじゃなくて、企業のトップや公的機関絡みの、社会的立場のある複数の人間が黒幕だったんだ。このトップが全部で十四人いてね、この組織の正式な名前はないらしいんだけど「十四人会」みたいな通称になってたらしい。
で、清野はこの十四人を失脚させて幽閉したりしていたらしいんだ。児玉みたいにね」
これが児玉だよ、と今度は蘇芳が青いファイルから写真を取り出してテーブルに置いた。でっぷりと太った中年男が写っている。みんなでテーブルに乗り出して写真を覗き込んだ。
「あ」
優は息をのんだ。忘れない、忘れられない。
テーブルの下でつないだままだった一平の手を握る手に力がこもる。
「あの時の」
そう、あの日総一郎に忘れ物を届けに行って、応接室に通されて。そこで優は拉致された。
その時にふんぞり返って座っていた、総一郎と一緒に優を待っていた男だ。
「この人。この人だ」
蘇芳たちが一斉に優を振り返る。
この男と会ったことが、優にとっては組織との関わりの最初なのだ。いわば日常をすべて奪い去ったきっかけ。あの時の総一路の青白い顔が脳裏に浮かぶ。優を組織に引き渡すことは、総一郎にとっても苦渋の決断だったに違いない。総一郎を思い出し、怒りと悲しみでこみあげてきた涙をぐっとこらえる。
一平が優の手を握りなおし、その親指でそっと優の手をなでた。




