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イタリアンレストランにて

 次の土曜日。

 優は自分の部屋で出かける支度をしている。バッグや靴をそろえてベッドに置き、約束していた食事に行くために買ったワンピースに袖を通す。

 優が着ているのは落ち着いたローズカラーのワンピースだ。胸の上で切り替えられていて、肩はオフホワイト、脇から裾までは細かな地模様の入ったローズ色。ノースリーブで、ウエストラインまでは比較的ぴったりと肌に沿い、ウエストから下は布をたっぷりと使った膝丈ほどのフレアスカートがふわりと広がっている。左胸についた同系色のバラのコサージュがワンポイントだ。

 髪とメイクは夏世が手伝ってくれた。耳の上を編み込んでハーフアップにしてワンピースと同系色のバレッタで止め、下ろした髪をゆるくカールさせている。ヘアアイロンなんて初めて使った。メイクをするのも初めてだ。

 先に身支度を終えていた夏世は、黒のスレンダーなボートネックのワンピースを着ている。髪はいつも通りのさらさらワンレングス。その下で揺れているのは大ぶりな緑の石のピアスだ。おそろいのネックレスがボートネックからのぞく白い首に輝いている。

 シンプルだけど、どれも上質の装いで思わず目を惹きつけられる。

「はぁ。夏世さん、かっこいい」

「ありがと。優もすっごく可愛いわよ」

 二人でにっこり笑いあう。素敵な服を着ておしゃれして、テンションが上がらないわけがない。

「私、蘇芳呼んでくる。優はリビングで待ってて」

「うん」

 そうして優は夏世と別れ、一階のリビングへ向かった。

 玄関ホールへと通じる大きな階段を降り、リビングの扉を開いた。ソファーには既に人影が一つ見える。

 一平だ。

 一平もこの間の買い物で購入したスーツを着ている。ネイビーの無地スーツだが、シャープな印象の品格あるスーツだ。普段はジーンズスタイルばかりの一平がきっちりしたスーツを着ているのは、何だか違う人を見ているみたいで目が離せない。

 そして物音で気がついたのだろう、一平もこっちを振り返った。

 振り返ってそのまま固まっている。

「――一平さん? どうかした?」

 穴のあくほど見つめられて、優はだんだん恥ずかしくなってきた。見つめられる理由がわからなくて、ちょっとだけ不安になる。

「似合わない?」

「そっ、そんなことないです――い、いいんじゃない?」

「よかった。一平さんのスーツもかっこいいよ」

 言いながら優もソファーに座った。いつもこうやってリビングで雑談なんかしているのに、どうしてだろう、言葉が浮かばない。

 困りあぐねてスマホをチェックしていたが、ふと視線を感じて振り返る。すぐに一平と目が合った。

(あれ? なんか一平さん、顔が赤い?)

 優がそう思った時だった。

「ふっふっふ、声も出ないくらいかわいいと。見惚れてしまうと。そういうことですかね、一平くん?」

 いつの間にか一平の背後にいた夏世が茶化す。

「うわああ! 夏世っ!」

「うろたえるところ見ると図星ねえ」

「夏世っ!」

「お待たせ優。行こうか」

 大パニック中の一平をほったらかして優と出かけようとする夏世は確信犯だ。一平はいつまでたってもオネエサマに勝てそうにない。


 都会の夜は明るい。

 きらびやかすぎるネオンや、ビルの窓から漏れる灯り。街灯は街の雰囲気に合ったシャープなデザインで歩道を照らし出し、車道を行き交う車のヘッドライトは近づいて街路樹を照らし出しては通り過ぎてを繰り返している。

 都心にある落ち着いた雰囲気のホテルは、海外の有名な俳優やアーティストが常宿にしていることでも有名で、和の雰囲気と日本らしい機能性のバランスの取れた一流ホテルだ。そのホテルのロビー奥のエスカレーターを上がった先にあるイタリアンレストランは、都内でも屈指の有名店だ。赤を基調とした瀟洒なインテリア、天井にはフレスコ画が描かれ、要所要所の柱は白い石造りで瀟洒なデザインだ。客層も上品な奥様方や恰幅のいい外国人など、普段若者が行くような店とは一線を画している。

 レストランの入り口から脇にそれ、細い廊下を歩いた先にある個室に四人は案内された。いわゆるVIPルームという奴だろう。

 個室には大きな円卓がひとつ。正面の奥にはステンドグラスの入った飾り窓があるがもう外が暗いのでよく見えない。部屋の左側には小さなテラスがあるようでフランス窓に白いカーテンがかけられていた。

 蘇芳はさりげなく夏世の手を引いて席までエスコートし、椅子を引いて座らせる。そして自分の席へ戻る前に、そっと夏世の手を取って指に軽くキスをした。

「こういう気障な真似を自然にやっちゃうあたりが蘇芳の怖いところだよな」

「あはは……ラブラブだもんね」

 密かに蘇芳のことを「天然キザ男」などと呼んでいる一平はあきらめ顔でため息をつき、それでもちゃんと優を席までエスコートして椅子を引く。普段から蘇芳のそういう行為を見て育っているからだろうか、さらりとエスコートできてしまう大学生なんてそうそういないだろうなあと椅子に座りながら優は思った。一平も人のことを言えないだろう、と。

 ウエイターが優以外の三人にシャンパンを、優にはノンアルコールカクテルをサーブする。四人でグラスを取りまずは乾杯だ。

「で? 今日はどうしたんだ。突然食事に行こうなんて」

 一平がシャンパンを一口飲んでから切り込んだ。蘇芳は自分のグラスを三分の一ほどくいっと空ける。

「今日は大事な話があってね。話っていうか――報告?」

 咳ばらいを一つして、ちらりと夏世と視線を合わせる。

「実はね、夏世と結婚することにしたよ」

「うわあ、おめでとうございます!」

「やっとかよ。おめでとう」

 こういうサプライズはいつでも大歓迎だ。今夜のディナーを設定した理由を納得する。

「で、式はいつ?」

「そこまではまだ決めてないんだ。でも、できればそれほど時間を置かずにとは考えてるけど」

 話しながら前菜に出されたサーモンのカルパッチョを口へ運ぶ。とろけるようなサーモンの脂をドレッシングが引き締めていて旨い。

「ほら、この間雑誌に出ちゃっただろ? だからもう僕のことも夏世との交際も隠し立てする必要がないし、ほら、夏世のお父さんにも挨拶してきたし」

「そっか――素敵だなあ。夏世さんの花嫁姿、きれいなんだろうなあ」

 優は料理を食べるのを忘れてうっとりしている。

「あら、結婚式も披露宴も、優も出席するのよ」

「え、いいんですか!」

 うれしくなってつい大きな声で聞いてしまった。

 円卓の隣同士に座っている優と夏世は、そのまま女同士の話に突入していく。式は神前か教会か、披露宴はどんなふうにするのか、ドレスは――等々盛り上がりを見せている。

 男性二人はそれをほほえましそうに見ている。

「本当に姉妹みたいだよなあ」

「っていうより、母娘?」

「それ言ったら夏世に殴られるぞ」

 顔を見合わせてもう一度笑いあい、どちらともなくグラスを取って男二人でもう一度チン、とグラスを合わせた。

「とにかくおめでとう。まあ、結婚したって何が変わるってわけじゃなさそうだけど」

「同感だ」

 一平と蘇芳は今度は声をあげて笑った。

「いつの間にか入籍してました、って言われても蘇芳と夏世なら俺は多分信じちゃうんだろうなあ。もう 熟年夫婦が醸し出す何かを持ってる」

「そんなことするわけないだろう。おまえに黙って」

 上品なシャンパンに口をつけながら、一平はそろそろ本腰淹れて引っ越し先を探すか、と考えていた。いくら普段から夏世が入り浸っているとはいえ、二人が結婚した後も新婚家庭に居候するのは気が引ける。そもそも高校卒業時点で古川家を出るつもりだったのが、いろいろあって二十歳になった今も居候を続けているのだ。遅くとも就職が決まったらアパートでも借りて一人暮らしをすると以前から決めていた。それが二年ほど前倒しになるだけだ。

 だがもちろんテレパスな義兄には筒抜けだったようだ。

「で、そこでうちを出ていこうなんて考えるなよ」

「ぎくり」

「優ちゃんの問題だってある。まだまだそういうわけにはいかないよな?」

「――何かわかったのか」

 少し声をひそめて蘇芳の方へ体を近づける。

「いや、それが本当にあの一件以来、組織はなりを潜めてしまって。調査はしているけど、大した結果は出てないんだ」

「何でだろう? もう二か月くらいになるよな――不気味な気もする。確かにあの声はしばらく手出しはしないって言ってたけど」

 ちょうどその時次の料理が運ばれてきて会話が中断する。ひとまず食事を堪能することにして、四人はカトラリーに手を伸ばした。



 たっぷり時間をかけた食事が終わり、ホテルのバーでもう一杯飲んでいくという蘇芳と夏世に別れを告げて一平と優はホテルを後にした。タクシーを呼ぶという蘇芳の申し出を断り、駅を目指してぶらぶら歩き始めた。

「夏世さん、幸せそうだったなあ。ね、見た? 指輪」

「え、見なかった」

「きれいだったよ、婚約指輪。こんな大きなダイヤがついててね。給料三か月分って言うよね」

「蘇芳の給料三か月分?」

 思わず顔を見合わせて大笑いしてしまった。日本のトップを誇る企業グループ会長の月収の正確な数字は知らないが、どう考えても恐ろしい金額になってしまうだろう。

 人の幸せは伝染するのかもしれない。少なくとも優と一平は幸せな報告を聞いて幸せな興奮の余韻にひたっている。

 優はちらりと横を見た。上機嫌な一平の横顔に走り去る車のヘッドライトが当たり、少し乱れた髪を透かして消えていく。

 スーツをかちりと着こなした一平はなんだか新鮮でドキドキしてしまう。蘇芳たちの結婚話に影響されている部分もあるかもしれないが、この間の電車での騒ぎからこっち、一平のことを意識してしまっているのは確かだ。

 ただ、これ以上好きにならないように優は自分にブレーキをかけ続けている。

 それは一平の過去を聞いたからだ。

(だから一平さんは環ちゃんと私を重ねて見てる。こんなに親身になってくれるのも、きっと環ちゃんにしたかったことをしてるだけ)

 勘違いしちゃいけない。


 そのとき、スピードを上げて走ってきたトラックが二人の横を通り過ぎた。勢いよく風が巻き上がり、優の髪とスカートがばさりと舞う。

「きゃっ」

 髪とスカートをとっさに手で押さえたが、優の細くて柔らかい髪がコントロールを失ってたなびいた。風はすぐに止んだがおかげで優の髪は乱れてしまっている。

「あぁあ、せっかく夏世さんに髪セットしてもらったのに――あれ?」

 けれど髪を手で整えようとしても何かにひっかかっていてつれた感触がする。優の髪が一筋一平のスーツのボタンにひっかかって取れなくなっていた。

「やだ、ごめんね」

 優が慌てて外そうとするが、優の手をさえぎって一平の指が絡まった髪をほどき始めた。

「いっぺ――」

 いつの間にか一平との距離がかなり縮まっている。外しやすいように一平が一歩近づいてくれたのだろう。それはわかる。でも、こんなそばにいられると混乱してしまう。

 なぜ自分の髪に一平の指が絡まっているのだろう。髪を傷つけないようにそっと扱う様子を見ていると何だかたまらなく恥ずかしくなってきた。

 だって近すぎて息遣いも聞こえる。一平の体温も感じる。

 わけがわからない。まるで――まるで、恋人みたいだ。

「――あの、一平、さん」

「うん?」

「あの、その、髪、自分で――」

「うん、もうちょっとで取れるから待って」

 言いながら「あれ?」と一平が手を止めた。

「何か、甘い匂いがする。シャンプー?」

「か、夏世さんに、オードトワレ借りて」

「ふうん。夏世、こんな匂いの持ってたんだ。優ちゃんにすげえ似合う」

「あ、ありがと」

 心臓がどきどきしすぎてめまいがしそうだ。今すぐ離れないと立っていられなくなりそうな気がする。けど、離れたくない。

「ほら、取れたよ」

 一平がボタンから外れた髪を持って微笑んだ。優はほっとした――でもちょっとだけ寂しい。

 すると一平が手にしていた髪を持ち上げた。

「残念」

 そのまま髪を引き寄せて唇まで持っていき――


 パァン!


 少し離れたところで鳴ったクラクションの音にびくっと肩を震わせて、二人は唐突に我に返った。通り過ぎていく車のヘッドライトで照らされた一平の顔は耳まで真っ赤だ。おそらく自分もそうだろう。一斉に体ごと顔をそらした。

 顔が熱くて、心臓はバクバク言ったままで、でも動けない。果てしなく照れ臭い。一平もそうなんだろう、動く気配がない。

 しばらく二人でそのまま立ち尽くしていたが、やがてどちらともなく「帰ろうか」と駅に向かって歩き始めた。


 けれど髪に、指にお互いの余韻が残っていた。

 


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