閑話・思い出と希望と
夕食が終わり、古川家にも憩いのひと時が訪れている。
ただし一平は大学の提出しなければならないレポートがあり、夕食が終わるなりぶつぶつ言いながら自室へ引き上げてしまっていた。ちなみに蘇芳は残業らしい。
後片付けを終えリビングルームへ行くと、夏世が何やらテレビを見ている。どうやら千葉にある有名なテーマパークの特集をやっているバラエティー番組らしい。
「あ、リズニーランドだ!」
優も夏世の隣に座ってテレビを見る。この世界的に有名なテーマパークの、秋にオープンする新しいアトラクションの紹介をしているようだ。
「いいよね、リズニーランド。優、リズニーランド好き?」
「大好き! 昔父さんにもよく連れてってもらったし、最近は友達と行ったりもしてたし」
「私も好き。ライトニングマウンテンとか、最初にファストパス貰いに走るよ」
「夏世さん、ひょっとしてスピードものが好き?」
「あれ、優は乗れないクチ?」
「ううん、好き!」
他愛もない話をしながら大きなテレビをのんびり見る。色々なアトラクションやパレード、園内のグルメやお土産情報が次々に紹介されていく。
その合間に色々なキャラクターがレポートしている芸人に絡んでいく。
「あ」
優はそのひとりに目を奪われた。
シンデレラだ。
上品で特徴的な空色のドレスは、優の記憶にあるものと変わらない気がする。
「どうしたの?」
「うん、小さい頃にリズニーランド行ったときにシンデレラと会ったのを思い出したの」
優の心にひっかかって離れない思い出。それがふわりと蘇ってきた。
*****
「お父さん、何に乗りたい?」
「優、コースター系は勘弁してくれよ。お父さん、昔からスピードものはだめなんだよ」
「大丈夫、あたしも一緒に乗るから!」
「勘弁してくれよ」
リズニーランドのチケットを買って、ゲートのオープンを待つ。時間的には、ちょうどオープンする頃だ。
ほどなくゲートが開き、人の波が動き出す。優は待ちきれなくて、その場でぴょんぴょんジャンプして列の先をみようとしている。総一郎はそんな優を見てうれしそうだ。
男手ひとつで育てている、まだ小三の一人娘。総一郎が溺愛していると近所でも有名だ。
ゲートをくぐると世界が一変した気がする。そこはまさにおとぎの国。目の前に巨大な城がそびえたち、リッキーマウスやダニエルダックがお出迎え。華やかなアーケードでは色とりどりの風船を大量に握り締めたスタッフが笑顔で客たちを迎えている。
入り口でああは言ったものの、総一郎を苦手なスピード物のアトラクションに引きずり込む気は優にはない。なのでそういうものを避けて、いくつかの乗り物をクリアしていく。広い園内には遊びきれないアトラクションがある。
城の中を見学し、大きなボートに乗り、お化け屋敷的アトラクションにもチャレンジした。比較的すいているアトラクションをいくつか回っていくうちに、のどが渇いてきた。
「お父さん、何か飲みたい」
「ああ、そうだね。よし、ここでまってなさい、何か買ってくるから」
広いストリートの途中にあるベンチで優を待たせて、総一郎は売店を探して側を離れる。
ひとりでベンチに座っていても、園内の雰囲気だけでわくわくできるから不思議だ。たくさんの来客、楽しい造形の建物、エトセトラ。優は持っていたカメラで園内の風景の写真を何枚か撮った。
少しすると、待っている優の前を、シンデレラが歩いてきた。もちろん園のキャストなのだが、きれいなドレスを着た美人のお姫様に、優の目はきらきらだ。なんとか写真を撮ろうと、優はカメラを片手にシンデレラの後を追いかけていった。
シンデレラの周りにはけっこうな人だかりで、なかなかうまい写真が撮れない。少し順番待ちして、やっと優の番になった。きれいな青いドレスと並んで、一緒に写真を撮ってもらった。
「ありがとうございます!」
にこにこお礼を言って、早く総一郎に見せたいと優は来た道を戻ろうと後ろを振り返り――自分が今どこにいるのかわからなくなっていた。
しばらくひとりでうろうろと歩いていたが、道は意外と入り組んでいて、どうしてもさっきのところに戻れない。ポケットに入れてあった園内の地図を見てみるが、混乱しているからか、どうしていいのかさっぱりわからない。
「どうしよう」
途方にくれて立ち尽くし、地図を見つめながらちょっと涙腺が緩んできた。
「――お父さん」
親一人子一人で、懸命に生きてきた。両親とも身寄りはないらしく、親戚もいない。優にとって、総一郎は全てなのだ。総一郎がいなくなることは、優にとっては世界の終わりにも等しい。
今までは夢の世界のようにキラキラ見えていたはずの園内が、途端に見知らぬ不安な場所みたいに優の目に映る。道行く人はたくさんいるのに、どれも知らない人ばかり。
目に一杯たまった涙をこぼさないように、手に持っていたパンフレットで顔を隠した。けれど不安で一杯な幼い優の心は決壊寸前だった。
「ふぇ……」
「どうしたの?」
優がまさに泣き出しそうになった、そのとき声がした。
ちょっと涙でゆがんだ顔を上げると、優より少し年上の男の子が目の前にいた。
声をかけてもらえたことで、何とかせきとめられていたはずだった涙が急激にあふれてくる。
「お父さんと、はぐれて――待ってなさいって、言われたのに」
それでも何とか声を上げて泣かないように、ぐっと飲み込んで我慢する。男の子は「そっか」と言って、優の持っていた地図を覗き込む。
「どこで待ってなさいって言われた?」
「ここ――」
優は鼻を真っ赤にして、そっと指先でその場所を示した。
「なんだ、すぐ近くだよ。連れてってあげる」
男の子は優の手を握って歩き出した。つられて優も歩き出す。
「こーいうときはさ、スタッフの人に教えてもらうんだよ。泣いてるだけじゃいつまでたってもお父さんに会えないぞ」
男の子の言葉に優はこくりと黙ってうなずいた。
男の子は大きな建物の脇を抜け、迷わずに歩いていく。
「ねえ、よく来るの? リズニーランド」
「ん~、実は初めてなんだけど、俺、地図とか見るの得意なんだ」
ほらこっち、と大きなアトラクションの建物の横を曲がる。
するとほどなく探していた場所が見えてくる。ちょっと離れた場所でジュースのカップを二つ手にした総一郎が優を探している。
「お父さん!」
優が呼ぶと、すぐに男の子は優の手を離した。優はまっすぐ総一郎の下へ駆け寄り、思い切り抱きついた。総一郎の持っているカップに蓋がしてなかったら、相当こぼれていただろう。
「優、どこ行ってたんだ。探したんだぞ」
「ごめんなさい、シンデレラが通りかかって、写真を撮りたくて追いかけていったら、迷子になっちゃったの――で、あのお兄ちゃんがここまで」
と、振り返ると、男の子はもういなかった。
「あれ、いない」
数歩駆け出してきょろきょろとあたりを見回したが、どこへ行ってしまったのか男の子は影も形も見えなかった。
「あたし、お礼も言ってないのに」
土曜のリズニーランドの人ごみの中、当然探しても男の子に会えるわけもなく、結局お礼を言うことはできなかった。
「五、六年生くらいかな。やさしいお兄ちゃんだったの」
「ひょっとしたら、まだ夜のパレードとかで会えるかもしれないよ」
「うん、そうだね。会えたら、ちゃんとお礼言うの」
名前も聞かなかったなあ、と、総一郎の手を握って離さずに、優は反省しきりだった。
「もう一回、会えるといいなあ」
*****
「もう一回、会えるといいなあ」
「へえ、じゃあその男の子が優の初恋?」
「はつ――ちょっと違う気がするけど、でも、ずっと頭のすみに残ってる思い出なの」
「うーん、甘酸っぱい」
「もう、夏世さんやめて」
テレビでは夜のリズニーランドの様子が映し出されている。きらびやかなパレード、ライトアップされた美しいお城。
あれから何度も行っているけれど、一番の思い出はあの男の子だ。もう顔もおぼろげにしか覚えていないけれど、もし会うことができたらお礼が言いたい。
「ねえ優。この騒動が終わって普通に過ごせるようになったら、みんなで行こうか。リズニーランド」
「――行きたい」
「ね、約束。いっそのことホテル泊って朝から晩まで遊び倒そうよ」
今は『⒕』のせいでこれからどうなるのか不安だらけだけど、こうやって未来に起こるだろう楽しいことを考えていればきっとがんばれる。
テレビでは夜空に花火が上がっている。絢爛と開く大輪の花を見ていると、なんでも願いが叶いそうな気持ちになってきた。
【さらにおまけのお話】
「どこ行ってたんだ、一平」
呆れた顔で蘇芳が問いただす。ここで待っているから、と約束していたのに、こいつはふらふらとどこか違う方へ行ってしまった。一平はまだ小学生だが大人びた子供だ。それが珍しく衝動的なことをしたので、蘇芳は驚いていた。
「こんなリズニーランドなんて人の多いところじゃ、迷子になったら大変じゃないか」
「蘇芳ならすぐ見つけられるだろ」
「そういう問題じゃない。心配させるなって言ってるんだ」
たまの休みに遊園地でも行こうかという話になり、二人でリズニーランドへ来たはいいが、どのアトラクションも一杯でそろそろ辟易としている。人気のアトラクションのひとつも話のネタに乗っておくかと列に並んだ一平をよそに、スピード系の乗り物が苦手な蘇芳はコーヒーを飲みながらベンチで時間をつぶしていた。やがてアトラクションの出口から出てきたのが見えたのに、一平は約束していた場所とは逆の方へ行ってしまった。
「実はさ、迷子をみつけて案内してた」
「へえ。そうか。係の人にでも預けてきた?」
「ううん、その子の探してる場所がすぐそばだったから、手エ引っ張ってそこまで連れて行ったらお父さんがいたよ」
「いいことしたな、一平」
「まあね」
蘇芳は飲んでいたコーヒーの紙コップを握りつぶし、ゴミ箱に捨てると一平と歩き出した。
「結構かわいい子だったよ」
「へえ、何歳くらいの子?」
「う~ん、三、四年生くらい?」
「え? 小さい子じゃなかったのか? 男の子?」
「んにゃ、女の子」
そんな年の近い女の子の手を引いたのか。正義感の強い子だとは思っていたが、ちょっとそういうところは一本抜けている。
(意外とナンパの素質があったりして)
そこで一平に二歳年下の妹がいたことを思い出し、蘇芳は大人の邪推を反省した。
そうして一平と優が出会うのは、まだ何年か先のこと。




