暗い山の中で
さすがに何百キロも離れた場所へは一度に跳ぶことはできない。
何度かテレポートを繰り返し、優は暗い森の中に現れた。木々の隙間から照らす満月の光で辛うじてあたりが見えるが、それ以外は塗りこめられてしまったような闇しかない。
空気は冷たい。今しがたまでいた南美のマンションは屋上だというのにじめじめと蒸し暑かったが、この森の中はむしろ空気は乾いている気がする。
(ずいぶん遠くだったんだなあ)
はっきりと変化した気候にそんなことを考えながら優は少し離れたところに見える景色を見つめた。
真っ暗な山の中、ぽつんと街灯が見える。このあたりに人が入っている証拠だ。街灯に照らされたあたりに小さな建造物が浮かび上がっている。コンクリートでできた無機質な建造物は金網で囲まれていて、金網に一か所ついている扉には「無断進入禁止」の貼り紙が見える。金網の中はそれなりに広く、金網から建物の入り口まではそれなりに距離があるようだ。
そして優は、その建物に入ってすぐの部屋の奥に、あの隔壁へと至る階段があることを知っている。
あの時、総一郎が撃たれた後。
優は絶望とパニックの中、隔壁に背を向けてすぐ前にあった階段を昇った。そのさらに先にあった扉を抜けると普通の事務所のような窓のある部屋へ出たので、そこからがむしゃらにテレポートを繰り返しあの神社へたどり着いたのだ。
(あの時も窓のある部屋には誰もいなかった。多分今日も)
優はそっと、本当にそうっと金網の向こう一帯を能力でサーチした。総一郎の仇を取るまではそう簡単につかまったり殺されたりするわけにはいかないのだから、ばれないように細心の注意を払って探知する。
金網の内側、建物までの間には誰もいない。建物を入ってすぐの部屋にも気配はない。
あの隔壁の向こうはバリアシステムと同じく、超能力を遮断する装置が働いているはず。だからその先を探知するのにはさらに深く集中しないと。優は深く息を吸い、目を閉じて細く強く感覚を研ぎ澄ませていった。
そろそろと広げた探査の感覚が文字通り固い壁にぶつかる。隔壁だ。その先に何があるのかは、黒く塗りつぶされたように何も感じることができない。バリアシステムだろう。
「でも、あそこがあの施設だって間違いなさそう」
ざわ、と葉擦れの音がして少しだけ湿り気を帯びた風が優の髪を揺らす。顔をくすぐる髪がうっとうしくて手で払いのけた。いつも大事にケアしていた髪だけど、これからあそこに乗り込むならちょっと邪魔だなどと考えてしまうあたり、自分が普段とは違う精神状態にあるとわかる。でもそれで構わない。
その時、広げた感覚の向こうで動きを感じた。隔壁がゆっくりと開いたのだ。
隔壁の向こうには複数の人間の気配がする。細く伸ばした感覚の先ではあまり細かいことはわからないので、ただ何人か人が隔壁から出てこようとしていることしか把握できないが、チャンスだ。
優は開いた隔壁の奥へテレポートしようと精神集中を切り替え――
「待った! そこまでだ」
テレポートしようとした瞬間、背後から両肩を掴まれうしろ向きにひっぱられた。そのまま背後の人間に倒れかかる。優を抱きとめた人は、優の耳元でほっとしたように深く息を吐いた。
そしてそれはやっぱり想像した通りの人で。
絶対に来てほしくないと思っていたのに、彼がいてくれることが涙が出そうなほどうれしいと感じてしまっていた。
「――追いかけてこないでって言ったのに」
「よかった、間に合って。あそこに殴り込もうっていうんだろ? んな真似させるわけにいかないよ」
「だ、だから言ったでしょ。私が何をしようと一平さんには関係ないの」
「だからほっとけっていうのか? できるかよ、女の子がひとりで危険に飛び込もうっていうのに。それにな、復讐なんてだめだ。後に何も残らない。自分自身さえも」
優は体をよじって一平の手から抜け出し、まっすぐに一平を見た。
「それでも! 許せないの、許しちゃいけないの! 父さんは私を助けようとして殺されたの、それにあいつらは南美にも目をつけてるのよ。やっとあいつらの居場所がわかったのに何もせずただ黙って見てるなんてできないよ! 一平さんたちに守られてホッとしちゃってた私がバカだったの」
優は自分の中から噴き出してくる気持ちが抑えられなかった。こんなに激しく誰かに怒りを、憎しみを覚えたことなんてない。
そんな感情を持っていること自体が苦しい。
その時突然暗がりの向こうにひときわ明るい光が現れて、二人はそっちを見た。一緒に聞こえてくるのはトラックのように重たいいくつものエンジン音だ。
「待っ――」
「ダメだ、優ちゃん!」
追いかけようとした優を一平が強い口調で止める。
「ダメだ、それは君のお父さんが望んだことじゃない!」
びく、と優の肩が震える。
「何のためにお父さんが命かけてまで優ちゃんを逃がしたんだよ! 奴らを倒すためじゃないだろう?」
「――っ、わかんないよ、一平さんには! 目の前で父さんを殺された私の気持ちなんて!」
「わかるよ! 俺だって目の前で家族全員殺されたから!」
「え」
暴れていた優の抵抗がぴたりと止まる。離れた場所で聞こえていたエンジン音が遠ざかっていくが、月明かりでぼんやり見える一平のまっすぐな瞳に気をそらされて追いかけることはできなかった。
一平は少し気まずそうな顔をしていたが、やがてぽつりと話し始めた。
「俺が八歳の頃、家に強盗が入って、な。俺もその時は犯人を殺してやろうと思った。自分にそれだけの力があることもわかってたしな――でも、できなかった」
「どうし、て」
「犯人が捕まったって聞いて、そいつのところに行ったんだ、俺。家族よりもずっと苦しい目に合わせてやろうって、その結果そいつがどうなろうと知ったこっちゃないって思ってたんだ。でも、いざ手を出そうとしたときに母さんの声が聞こえた」
トラックの音はずっと遠くに行ってしまったのかもう聞こえない。明かりだって最初から見えていた街灯しか見えない。静まり返った山の中に一平の言葉だけが聞こえる。そんな恐ろしい出来事、普段なら聞きたくない類の話なのに、優は耳をそむけることができないでいた。
「お母さんは、なんて」
「自分たちのせいで俺が人殺しになるのは嫌だ、って。そんで、ただ幸せになってほしいって」
総一郎も同じことを言わなかったか。優を隔壁の外へ押し出し、自分は撃たれて胸を赤く染めながら「幸せに」と微笑んでいた。
「父さんは――仇をとってほしいなんて、望んでないの……?」
「もし逆の立場だったらどうだ? お父さんに仇を討ってほしいって思うか? そのためにお父さんが自分の幸せも安全も命も投げうって構わないなんて言ったら?」
「――」
「キツい言い方だけど、それは自暴自棄って奴だ。お父さんが仇を討って欲しがってるなんて、それは優ちゃんが勝手に理由付けしてるだけだ」
一平の言葉はストンと胸に落ちてきた。今まで胸の奥で激しくうねっていた強い思いが少し緩まる。
それでも父を殺された憎しみは簡単に消えるわけがない。
「一平さん、私、こんなに誰かを憎いと思ったの生まれて初めてで」
「うん」
「あいつらにぶつけることしか考えられなくて」
「うん」
「――でもそれであいつらを手にかけたら、父さんが悲しむんだよ、ね?」
「うん、そうだよ」
「――じゃあ、やめる。手にかけるのはやめる。だけど、他の方法で、必ず、あいつらに……っ」
そこから先はもう言葉にならなかった。こみ上げてくる嗚咽と涙でぐちゃぐちゃで、自分でもどうしようもない。
どれくらい時間がたっただろうか。
優は温かいものに寄りかかっているのに気がついた。どうやら一平に抱きついて泣きじゃくっていたらしい。やっと気持ちが落ち着いてきたのに、今度は別なベクトルで優はパニックだ。
「落ち着いたか?」
「あっ! あのっ、ごめんなさい一平さん! こんな泣くつもりじゃ――やだ、お洋服汚れちゃってる! どうしよう」
「気にすんな、こんなのすぐ乾くよ」
「気にすんなって言われても――その、ごめんなさい。いろいろと」
こんな遠くまで追いかけさせてしまったことや、酷いことも言ったし、それに一平の辛い過去も話させてしまった。
優はまだ緩めの涙腺に必死に蓋をした。




