夜の屋上②
途中で視点替わります。
☆★☆★☆の後から優視点です。
また今回暴力表現ございますのでご注意ください。
男はいつも刺激を求めていた。
親は自分には興味がなく、衣食住などは普通にできていたが、基本的に放置されていた。「仕事だから」その一言で学校の行事なども両親は来たことがない。
家に帰ってくると冷蔵庫の中に冷えた料理が一人前、それをひとりで温めて食べる。
両親と顔を合わせるのは早朝と深夜のみ、休日は一緒にいても何を話していいか思いつかず部屋に引きこもるか出かけるかだ。
だから、家の外に居場所を求めた。
外は刺激的だった。きらびやかな街、つるむ仲間。軽い会話、ちょっと危険な遊び。自分は刺激に飢えているのだと思った。
気がついた時には素行不良のレッテルを貼られていたが、もうそんなことは気にもならなかった。
女遊びも、煙草も酒も喧嘩も覚えた。
そのうち、殴って殴って、相手が無様に泣きながら命乞いをしてくる様はなんと刺激的なのだろう、と思うようになった。また、逆に怒りをほとばしらせながら睨みつけてくる視線すらも男にとっては刺激的だ。
人を傷つけ、自分の優位を確認する。そんな世界に男は酔っていた。
だが、そんな刺激もいずれは飽きてくる。
同じような人種とつるんで、バカやって、気に入らなければ殴り倒せばいい。そんな毎日がたまらなく虚しく感じることが増えてきた。
見知らぬ青年から薬の被験者にならないか、と持ちかけられたのはそんな時だった。薬と聞いて麻薬の類かと思ったがそうではないらしい。
話を持ちかけて来たのは女たちがきゃあきゃあ騒ぎそうな顔立ちの、二十代前半くらいの背の高い青年だ。
「超能力者になれる薬だぁ?」
「しーっ、声を抑えてください。ええ、そうです。江口さんにはぜひその実験体になっていただきたいと思いまして」
同性でも思わず見惚れてしまいそうな、蕩けるような笑みを青年は浮かべて物騒なことを言う。実験体、というのも物騒だが、何より物騒なのは自分の「江口」という名を教えてもいないのに知っているところだ。
こいつの言葉は額面通りに考えちゃいけねえ――
男――江口は、青年を信用ならない者と認識しつつ、その申し出に心が踊っていることに気がついた。
なぜならあまりに荒唐無稽であまりに刺激的な内容だったから。
「で? その話を受けたとして俺のメリットは?」
江口の問いに青年の薄い唇が鮮やかに弧を描く。
「ええ、まず報酬はこれくらい」
青年がスマホの画面を江口の方に向ける。計算機アプリが起動していて、そこには江口が思い浮かべていたものより一桁多い数字が表示されている。
――ヤバイ仕事なのは確かだな。
表情は変えずにスマホを覗き込む。
そのスマホをすっと引き戻し、青年は蠱惑的とも思える笑顔を江口に向けた。
「これプラス、江口さんの欲求も充分満たせると思いますよ」
「俺の欲求?」
「ええ。薬でどんな力が開花するかはさすがにわかりませんが、どんな能力でも貴方は他の人間よりずっと優位に立てる。誰よりも強く、どんな相手でも蹂躙できる力を手に入れるんですからね」
青年の言葉通り、能力の開花した江口の行動はさらにエスカレートする。ある程度組織の言うことを聞いていればやりたい放題、みんな自分のことを怖れ、泣きながら命乞いをする。それにゾクゾクする。
江口はそれに溺れていった。
いつもなら江口が始末する人間は、泣きわめいて命乞いをするか、脳を揺さぶられた苦痛の下で怯えた瞳を向けるか、その二択だ。
だというのにP7は強い瞳で江口を見返してくる。父を殺された、その悲しみを憎悪に転化させた強い思いが彼女を支えているのだろう。
――ああ、その支柱をポッキリと手折りP7の絶望に歪む表情を見てみたい。
ひどく歪んだ思いに囚われる。
親友を目の前で無残に苦しませたらP7は自分の無力さに絶望するだろうか。親友の娘は殺しはしない。そうしないとP7の絶望は一瞬で終わってしまうから。親友がいたぶられ続け、壊れていくところを見せつけてやれば――
ああ、たまらない。
☆★☆★☆
「そうだ。ついでだから下にいるオトモダチ、その子のことあんたの目の前でグチャグチャにしたらもーっといい顔になるんじゃね?」
グラグラと揺れる頭の中で、頭上から降ってくる言葉に優の心が一瞬で沸騰する。
今この男は何と言った?
傷つける? 南美を?
優の頭の中で恐怖に目を見開いた南美の姿が像を結びかけて霧散する。とてもじゃないけどそんな場面は想像すらできない。
けど、わかった。目の前のこの人は危険な人間だ。人を傷つけることを厭わないタイプなのだろう、平気でこんなことを言うなんて。
正直、怖い。平和で平凡だった毎日では自分のまわりにこんな人間はいなかった。組織に捕まり、初めて人間の悪意に触れて衝撃を受けたことを思い出す。
捕まっていた半年の間、彼らは優のことを「P7」と番号で呼び、モノとして扱っていた。それがどれほど優の心に傷をつけたことか。唯一の拠り所は父・総一郎の存在で、でもその総一郎も逃げ出す時に――
総一郎の一件と南美の一件とが合わさって急激に優の心に怒りが膨らんでくる。
――許せない。
理不尽な全てに対する思いが一ヶ所に集約していく。いつしかグラグラ揺れていた頭の中も熱くドロドロと煮えたぎった感情に支配され、機能を取り戻していく。
ぱぁん!
弾けるように彼女の中から力が暴発した。方向性を持った力の塊は目の前の男へと殺到し、勢いよく男を弾き飛ばしてそのままコンクリート製の壁へ男を叩きつけた。ズンッ、と衝突音が屋上に響く。
「ぐはっ」
男の口から漏れ聞こえたのは声ではなく、くぐもった空気の漏れる音だ。ずるずると壁を伝うように床面に崩れ落ちる男を目で捉えながら、優は何とか体を起こした。男は気を失っているのだろう、ぴくりとも動かない。
「あ……」
まさか殺してしまっただろうか? 不安を覚える。
今、あの人をはじき飛ばしたときは明確な殺意があったわけではないが、どうなっても構わないと思っていたのは事実だ。手加減なんてしている余裕はなかった。まだ少し気持ち悪さの残る頭を支えながら立ち上がり、ゆっくりと倒れている男に向かって足を進める。男から二メートルほどのところで足を止めて覗き込むと、男は足を投げ出して座り込む格好のまま気を失っているようでぴくりとも動かない。
――本当に気絶してるだけ? それとも……
そんな不安から確かめずにいられない。警戒しつつも様子を伺うと、男は目を閉じているが息はしているようだ。
(よかった。生きてる)
ほっとして緊張で固くなっていた肩からふっと力が抜けた。
――が。
「きゃっ!」
直後、男が突然跳ね起き、優の手を掴んだのだ。
(油断した!)
思った時にはもう遅い。優は力一杯引き倒され、コンクリートの床にうつ伏せに押さえつけられてしまった。
「離し……っ」
「この、ガキっ! やってくれたじゃねえか」
男の顔は見えないが、声が怒りで鋭くなっているのがわかる。うつ伏せのまま腕を背中に回して押さえられ、息が詰まる。さすがに成人男性の力は強く、抜け出そうともがいてもびくともしない。もがいたことがうっとうしかったのだろう、さらに体重を乗せて押さえつけられた。
とっさにもう一度PKで吹き飛ばそうとしたが、今度はそうはならなかった。確かに放ったはずの力は男に届く前に霧散してしまう――この現象に優は覚えがあった。
「バリアシステム――」
「残念だったなあ。あのまま大人しく捕まってれば痛い目に遭わなくてよかったのになあ? あとはもう力で言うこと聞かせるしかないもんな。悪く思うなよ」
気を失ったふりをしている間に持っていたバリアシステムのスイッチを入れたのだろう。こうなると筋力の強い男の方に分があるわけだ。
「さて、おいたの時間はお終いだよ子猫ちゃん。ご主人様のところに戻って、ちゃんと実験体としての役割を果たさなきゃなあ。ああそうだ、オトモダチもたぁっぷり可愛がってあげるの、決定だよなあ」
優はハッと顔を上げた。
「お願い、南美には手を出さないで!」
「健気だねえ。けどよ、アンタが抵抗するからだぜ? オトモダチがどんな目に遭おうと、それはあんたのせいだからな――それにしても、これまでどこに隠れてたんだよ」
男の言葉が優に刺さる。もし南美に何かあったら――眩暈がするほど怖い。
だが優はもはや無力だった。それが悔しくて仕方がない。組織に囚えられている間に能力の使い方について多少の訓練を受けさせられたが、それがなんの役にも立たない。南美の無事も、一平たちの安全も、何も守ることができない。
そして何より、総一郎が命がけで逃がしてくれたのに、すべてが無駄になってしまう。
組織は優から普通の生活を奪った。その上父をも奪った。
体の奥から叫びにも似た昏く煮えたぎった衝動が湧き上がり、深く爪でえぐったような痛みを思い出す。
――許せない。
それは優の心に怒りだけでなく、もっと激しい何かが生まれた瞬間だった。胸の奥でどんどん膨れあがった塊にひびが入り、一気に爆発する。それと同時に感覚が鋭く研ぎ澄まされていく。
閉ざされたバリアの中、優の鋭敏になった感覚がバリアシステムのわずかなゆらぎを探りあてる。精密に精神を集中し、そのわずかな隙間に力をねじこんだ。
だから、複雑なことはできない。ただ男をPKで小突いただけ。
「――あ? 何だ今の――まさか、おまえか?」
優にできたことは、本当に男のバランスを崩させることくらい。だがそれで充分だ。男がよろけた瞬間力いっぱい起き上がり、拘束から逃れ出た。
「てめえ! 待ちやがれ!」
男が怒鳴り、右手を腰に当てた。よく見るとアロハシャツの下、ベルトに小さなポーチがついている。あの夜の公園で、男たちがつけていたものとよく似ている。
バリアシステムを操作する気だ、とすぐに気がついた。とっさに足元のコンクリート片を拾い、あの時一平がやったのを真似して男のポーチに向かって弾き飛ばした。コンクリート片は勢いよく飛び、男が触ろうとしていた腰のポーチを一撃で貫いた。ポーチとその中に入っていた機械がはじけ飛ぶ音があたりに響く。
男の表情が「信じられない」というようにゆがむ。
――この男は敵だ。父さんのかたき、その仲間なのだから。
組織は自分からすべてのものを奪い去った。なら、抵抗することは――いや、復讐することは当然のことじゃないか。
そうだ。組織を潰す。そして私や父さんを苦しめている原因の薬、それに関するすべてのものを消し去る。そのためなら――
「ひっ! お、おま、ふ、ふざけんなぁっ! 近づくな、近づくんじゃねえ! バリアシステムが効かねえなんて、聞いてねえ!」
優が一歩男に近づくたび男の虚勢が剥がれ落ちていく。乱暴な言葉を吐いてはいるが、声色には恐怖が滲んでいる。
「あなたたちの本拠地はどこ?」
「しっ、知らねえ!」
男は喚き散らしながら後ろに下がるが、すぐに足をもつれさせて転んでしまった。威勢を保とうとしているらしいが、「ひっ」と喉が鳴ってしまっている。
それを優は昏い眼で見つめる。
「そう――そこなのね。山の中、G県の県境」
バリアシステムも、自分の良識も、すべてのストッパーが外れてしまっていた。優は男の思考をどんどん読み取っていく。男もそれに気がついたのだろう、恐れの中に拒絶の色が混じってくる。
「や、やめろ」
「そこが組織の本部? じゃないのね。でも私が囚えられていた場所なら、それなりに重要な施設よね。本部につながる情報も――ああ、そこまでは知らされていないのね」
こんなふうに最前線に出てきているのだ、そんなに高い地位にある人物ではないと思っていたがどうやらその通りだったようだ。ならばこれ以上は時間の無駄だろうか。
優は男を見つめる瞳の力を抜いた。
「もういいよ、知りたいことはわかったから」
そう告げると男はあからさまにホッとした。
「でも、あなたも父さんの敵の一員なことは間違いないし、関係ない南美を人質に取ろうだなんて、このままハイさようならってわけには行かないよね」
感情のこもらない声でそう言って、優は右手を男に向けて伸ばした。
「何す……!」
思わず怯えた声を上げた男だが、最後まで言い切ることができずに目をむいて崩れ落ちた。
「何って、あなたと同じことしてるんだよ」
男が自分にしたように、脳へ直接衝撃を送る。力を繊細にコントロールし、ピンポイントの衝撃だ。
もっとも、これは彼女自身気がついていないことだが、優の方が男よりも遥かに潜在能力が高い。だから、同じことをしていても優よりも男の方が受ける衝撃が大きいのだが、優はそんなこと気がついていないし、知っていてもおそらく遠慮などしなかっただろう。
けれど。
「そのへんにしとけ」
背後から声がして頭をポン、と軽く叩かれ、優は我に返った。
いつの間にか優のすぐ後ろにいたその人の顔を見て、刺すように尖りきった心と感覚がフッと緩むのを感じた。
「いっ――」
思わず名前を呼びそうになって、慌てて口をつぐむ。組織の人間と対峙している現場で名前を呼ぶことはその人に不測の事態を招きかねないと気がついたからだ。
けれど彼――一平の顔を見てホッとしてしまった。そんな甘えた自分を情けなく思う。
声もあげられずに苦しんでいた男は、ここに来てやっと気を失うことができたようで、優が気づいたときには床に伸びきって倒れていた。
「どうしてここが」
「蘇芳が気がついたんだ。優ちゃんがここに跳んだって――で、こいつは組織の人間?」
一平の問いに優はひとつ頷いた。
「そう。父さんを殺した奴らの仲間。だから止めないで」
「何する気だよ。物騒な真似すんなよ。この男は蘇芳にまかせて、一旦帰ろうぜ」
一平が指さした背後には蘇芳が立っている。おそらく蘇芳が一平のテレポートを誘導して来たのだろう。
「――蘇芳さん、そしたらその人を任せます。ピンポイントで脳に衝撃を送ってくるから気をつけてくださいね」
「了解。ありがとう」
「そしたら私、行きます」
優はそう言って西の空を見上げた。夜の空は街の光に照らされて星一つ見えない。
先の見えない闇だけど、優はそれを怖いとは思っていない。麻痺してしまっているのかもしれないし、先のことなど考えられないのかもしれない。それでも今優にはほかの選択肢は考えられない。
「行くって、どこに」
「その人の頭の中、読みました。私が監禁されていた場所がわかったから、私は私のするべきことをしに行きます。今までありがとうございました」
深々と一礼して優はきびすを返した。一平は慌ててその腕を取る。
「だめだ、そんなこと!」
「もう追いかけてこないでくださいね。ここから先は一平さんには――関係ない、から」
バチン!
優の腕を握った一平の手に強烈な静電気のような衝撃が走り、その勢いで一平の手が離れる。優の能力だ。
「ごめんなさい」
そして優の姿は掻き消えた。
いつかと同じように。




