第七話 前世からの因縁に決着
昭和五十年(一九七五年)十月、時の天皇が三重県・伊勢神宮を参拝中にその事件は起こった。
かねてより新左翼の反皇室闘争の嵐が吹き荒れる情勢――平成の時代には信じられないが、この当時は天皇制を打破して社会主義革命を起こそうと本気で画策するテロリストが跳梁していた――天皇・皇后の三重県行幸啓にも緊張の色が窺えた。
それでも伊勢神宮の境内で事件が発生するなど、誰も考えてはいなかった。
日本人の心の故郷――一二〇〇年間、一度も侵されたことのない神域。
いかに反皇室を唱える新左翼のテロリストであろうと、伊勢神宮の中で凶行に及ぶと考える“日本人”は一人もいなかった。
敵は、日本を破壊して新たな体制を築こうとしている。いわば日本人ではない、という想像が欠如していたが故の惨劇であった。
十月二十五日、伊勢神宮内宮にある別宮の一つから火の手が上がった。
新左翼が仕掛けた時限装置が、爆破したのだ。
水は五十鈴川まで下りなくては得られず、そうこうしている内に炎上は広がっていく。
付近にいた禰宜は、境内の玉砂利を投げつけて火の手を鎮めようと奮闘した。
その騒動が、内宮参拝中であった天皇一行の耳にも届いた。
何事であろうか――注意がそちらに向かっている間に、別方向から近づく者がいた。
走って近づけば怪しまれる。そう考え泰然自若、ごく自然に距離を縮めていった。
その男が、別宮に爆弾を仕掛けた犯人――革マル派テロリスト・難波秋徳だった。
天皇に供奉するのは、わずかな侍従のみ。皇宮警察の警衛も無い。
難波は白昼、それも神域である伊勢神宮にて天皇暗殺という本懐を遂げた。
それは、日本全土を揺るがす大事件――大逆だ。
だが、難波が日本の司法で裁かれることはなかった。
日本という国は無くなったのだ。体制は崩壊し、日本史は終結したのだ。天皇の死によって。
伊勢神宮は神域であるからと警察の警備も退けられ、世上の反対を気にして自衛隊にも出動の要請は出されず、結果として日本国家は失われた。
代わりに誕生した社会主義国家。これに対するアメリカの反応は早かった。
難波が東京に戻り革命の総仕上げに取り掛かると、その東京に向けて核ミサイルが発射された。
難波秋徳が日本と引き換えに作り上げた新国家は、三日天下となって地球上から消え失せた。
* * *
俺は難波が革命を起こした時、最寄りの明野駐屯地にいた。
国を護る自衛官の身にありながら、指呼の間にあった天皇をお護りできなかった。
俺たち有志の隊員は、誰の命令も受けず日本人として……日本を取り戻すために義憤の剣を取って東京を目指した。
そこで目にしたのは、アメリカの核で滅ぼされ死の灰に覆われた廃墟だった。
(俺たちは、二度も日本を護れなかった。そのことを悔やんで、全員その場で割腹自決した……そして、俺はこの時代に転生した)
一緒に腹を切った仲間が、どうなったのかは分からない。
少なくとも俺だけは前世の……まるで、今の日本のパラレルワールドみたいな世界の記憶を持ったまま転生することが出来た。
今の世界は前世とは異なり、社会主義革命など起こることなく平成を迎えた。
その平和を壊そうとする宿敵が、目の前にいやがる。
(核攻撃で命を落とした難波秋徳……貴様もまた、同じ世界に転生していたとはな! 俺は、貴様を追い続けていた……前世からの復讐を遂げるため……二度と、貴様に日本を滅ぼされないために!)
前世や現世と似たパラレルワールドは、他にもいくつもあった。
俺は転生するたびに、それらの世界を渡り歩き、それぞれの世界が歩んでいった歴史を学んできた。
貴様のように国家転覆を目論むテロリストとの、戦いの歴史だ。
「全てが分かった。貴様が麻薬を国内に運び蔓延させたのは、国を混乱させて革命を起こすため。麻薬密売は、革命に必要な金を稼ぐため。そして、配下の暴力団に政界との関係を持たせて政治不信を招いたのも全部、貴様の筋書きだったわけだな」
単なる社会党の委員長が相手なら、俺もそうまでは考えなかった。
その相手が、実際に革命に導いたテロリスト・難波秋徳なら話は別だ。
恐らく貴様も、前世の記憶を引き継いでいるんだろう。俺と同じように。
前世で果たせなかった野望を、今世で実現させるために今の地位を築いたんだろう。
「そんなことは、させない……! 今度こそ貴様の野望を未然に防いでみせる!」
曙光を握る右手に熱い闘志をたぎらせて、ミズホを掴む巨大な腕を打ち付ける。
ミズホを解放した腕は、スルスルと縮んでいきブタのごとき体躯に収まっていく。
「ミズホ!」
「けほっ、けほっ……助かったよぉ、ヤマト君……」
悪いが、まだ休んでいられる状況じゃないぞ。
スカートの乱れを直して立ち上がれ。
「ミズホ、今こそ俺たちに秘められた真の力を使うぞ!」
「えっ……それじゃ、アレを? う、うんっ!」
いくつものパラレルワールドを転生して俺が手に入れたのは、記憶だけじゃない。
それらの世界で身につけた異能力もまた、転生後も備わっているんだ。
その内の一つである曙光を天に掲げる。
「曙光!」
同じようにしてミズホも、預けておいた暁光を掲げる。
二振りの夫婦刀が、重ね合わさる。
「暁光!」
触れ合った箇所から光が発せられ、やがて刀全体がまばゆく輝き出す。
さすがの俺も、一人ではここまで出来ない。
そう、暁光の力を解き放てるのはミズホだけなんだ。
「なっ、何をしてる……その輝きは、一体……?」
後ろでブタが驚きの声を上げている。
今、見せてやるよ。
光が収束すると、そこには曙光も暁光もない。代わりに俺の右手には、新たな真剣が生まれている。
「日いづる国の天照らす聖剣――《旭光》!」
旭光を構えると、刀身全体が黄金に光り輝いて、あたかも俺の身体が光を放っているかのように見せる。
その姿に恐れおののいている敵に向かって、俺は床を蹴って突進していく。
旭光の間合いに入ると同時に一閃、頭から真っ二つに斬り裂く。
「旭光・真空稲妻斬り!」
「うぎゃっ、ギャアアァァァッ……!」
断末魔の絶叫。それをも呑み込むほどの勢いで、旭光が繰り出した閃光は敵の身体を包み込んでいく。
その醜悪極まりない体躯を覆い尽くす光の渦が、次第に小さくなって消えていく。
後に残ったのは難波秋徳の肥満体ではなく、元の痩せ細った高階富蔵だ。
「ヤマト君! ねぇ……その人、どうなったの?」
駆け寄ってきたミズホが、心配そうな視線を高階に向けている。
「安心しな。気絶しているだけで、命に別状は無い」
トランクや金庫も一緒に斬り刻んで中身をぶちまけてやったから、万札の海に埋もれてやがる。
例え国家転覆の計画が表に出なくとも、この金だけでコイツの一生はおしまいだ。
「ワイロほど、人の憎しみを買う邪悪は無い。ジジイの死に欲ともなれば、なおさらのことだ。未来永劫、末代の後も人は赦さず蔑み続けるだろう」
それは、もしかしたら俺の期待が込められているのかもしれない。
こいつのことだけは、どれだけ口を極めて罵ったとしても足りない。
そんな俺とは対照的に、ミズホは哀れんでもいるかのような瞳を浮かべてる。
「でも、どうして人はワイロを受け取った人を嫌うのかな? 自分が損したわけでもないのに……」
「……多くの人間は、ソイツに言い寄られたことが無いからさ」
だからこそ、人はまともに生きられるのかもしれない。
薄汚い金は、人の心まで醜く染めてしまう。
「俺たちの任務は終わりだ。帰るぞ」
「うん……ねぇ、次はいつ会ってくれる?」
仕事が終われば、お別れだという言葉を覚えていたか。
そんなに寂しそうな表情をするなよ。
「平成になっても日本には、こんな悪がはびこっている。俺たちに安息の日が訪れるのは、まだ先になりそうだ。……またすぐに、お前の助けが必要だろうな」
「……ヤマト君!」
俺の言葉に、パッと顔を輝かせるミズホ。
今世ではまだ十七歳でも、いくつもの人生を重ねてきた俺だ。女を喜ばせる言葉なんて、いくらでも知っている。
ミズホの可愛い顔が明るくなるのは、俺も見たいから。そのためなら、どんな言葉でも口にしてやるよ。