第六話 ナチスの復活を見事に阻止する
ユスティーツ宅の玄関を出ると、そこで待っていたタクシーは一台だけ。
ゾフィーはいち早く、ユスティーツの車を追ったみたいだ。
俺たちもタクシーに乗り込み、口早に行き先を告げる。
「チェックポイント・チャーリー!」
それは、ベルリンを東西に分断する検問所。そこを越えた先は、東ドイツの領土になる。
「チェックポイント・チャーリーは、西から東へと抜ける分には素通りだ。だが、その先……フリードリヒ通りに入られたら、そこは東ドイツ……シュタージの監視下……捜査は、容易じゃなくなる」
タクシーの中で、手短にミズホに説明する。
何としても、西側にいる間にユスティーツを逮捕しなくてはならない理由を。
ユスティーツの家があるのは、チェックポイント・チャーリーのすぐ近くだ。
もっと早くに気が付くべきだった……ヤツが南西部の高級住宅地ではなく、東側に近いティーアガルテンに住んでいたのも、何かあった際にすぐに東ベルリンへ逃げるためだと。
「俺たちが東ドイツで行動するとなると、その一切は秘密警察に盗聴・監視されることとなる。そして、東側政府の庇護を受けたユスティーツの行方もまた遮断されてしまうだろう。東ドイツの秘密警察……国家保安省によってな」
そして、俺の推理が正しければユスティーツは、その――。
「……あの車か!」
ポツダム広場方面へと向かって走っていると、前方に猛スピードでカーチェイスする二台の車を見付けた。
後ろを走るのは、ゾフィーが乗っていると思われるタクシー。
その前を疾走しているのが、ユスティーツが運転する車だな。
「何だ……? 何をするつもりだ?」
車が川の近くまで来たところで、ユスティーツが運転席の窓から身を乗り出してハコ乗り状態になった。
と思ったら車の屋根へと上り、そして右手側の歩道へと跳び下りた。
「何ッ?」
驚いたのは、それだけじゃない。
何とゾフィーまでもが、走行するタクシーのドアを開けて跳び下りやがった。
「なんてこった……映画じゃねぇんだぞ……」
ユスティーツは更に、橋の欄干を跳び越えて川へと飛び込んでいった。
逃げ切るためなら必死だな。
急ブレーキを掛けてタクシーを停めた運転手にここまでの料金を払って、俺たちも歩道に下りる。
「ゾフィー、こっちだ! あそこから下に下りるぞ!」
欄干から乗り出して、橋の上からユスティーツを探していたゾフィーに声を掛ける。
放っておいたら、アイツまで川に飛び込みそうだ。
俺は冷静に川べりまで下りられる階段を見付け、ゾフィーにもそれを教えてやった。
俺たちが階段を下り切ると、ちょうどユスティーツが水から上がったところだった。
「エルンスト・ユスティーツ! もう逃げられませんよ!」
俺を追い越して、ゾフィーが前に出る。
何が何でも俺を出し抜いて、自分の手でスパイを検挙したいんだろうな。
だが、相手が悪い。敵は、十四歳の少女より遥かに老練な工作員なんだ。
「ゾフィー、しゃがめ!」
言うより先に、ブロンドの頭をグッと押さえ込んでしゃがませる。
ユスティーツが懐から取り出したペン型ピストルで、俺たちを狙っていたからだ。
そいつから発射された毒針は、きっと人間一人ぐらい簡単に殺せる威力があるんだろう。
「させるかッ!」
俺の曙光が放った衝撃波が、ユスティーツの手からペン型ピストルを弾き飛ばす。
水の中へと沈んでいく得物を、信じられないといった表情で見送る敵スパイ。
こちらを向いた顔は、ずぶ濡れになっていることを差し引いても蒼白になっていた。
「な、何者だ、貴様? 何をしたんだ……?」
「テメェこそ、どこの誰だか名乗りな。もっとも、所属については大方の予想は付いてるぜ。東ドイツにおける秘密警察と諜報機関……この二つを兼ね備えた国家保安省――シュタージのスパイだってな!」
図星を指されたヤツは、「ウッ……」と呻いて立ち尽くす。
反対にゾフィーは、頭を押さえつける俺の手を払いのけて前へと躍り出る。
「それが本当なら、なおさら見逃す訳にはいきません!」
西ドイツの防諜機関にとって、一番の敵はバーダー・マインホフよりシュタージだからな。
躍起になるのは分かるが、敵は長年にわたって西ベルリン市民の目を欺いてきた猛者。クールに対処しなくちゃ勝てないぜ。
じっくり様子を窺う俺の脇をすり抜けて、ミズホが渡しておいた暁光を手にゾフィーへと駆け寄っていく。
「くっ……これで追い詰めたつもりか? 貴様らのようなガキが……ナメるなッ!」
気を吐いた瞬間、ユスティーツの貌が悪鬼のごとく豹変する。
それ以上に大きな変化。ヤツの両腕が、まるで巨大なカマのような形に変わっていった。
その奇っ怪な出来事に、ユスティーツに迫っていたゾフィーもたたらを踏む。
「死ね……小娘!」
ユスティーツが両手のカマを左右に振り回す。
そのカマ自体はゾフィーには当たらなかったものの、振動が鋭い空気の刃を生み出した。
ゾフィーとミズホの間を飛び交う空気の刃が、二人の着ている服を切り裂いた。
「キャアー!」
宙を舞う、引き裂かれた衣服の切れ端。紅い飛沫が舞っていないのは、不幸中の幸いか。
ミズホは胸の辺りを裂かれてEカップのおっぱいを、ぷるんと弾ませているだけで済んだ。が、ゾフィーは目も当てられない。
身に着けていた衣類はジャケットからブラウスにいたるまで切り刻まれ、真っ白なパンツと靴下だけを残して裸にされてしまった。
「あ……ぁ……」
羞恥心と恐怖心のどちらが勝っているのか、恐らくその両方からゾフィーは膝を抱えてその場にしゃがみ込む。
丸まった小さな背中が小刻みに震え、一歩も動けないでいる様子だ。
その姿は、凶悪な本性を現したユスティーツにとっては格好の餌食。真珠のような肌を刺し貫こうと、巨大なカマを振り上げてやがる。
「待ちな、ゲス野郎! 俺の目の前で、それ以上の非道なマネは許さねぇ」
一歩前へと踏み出して、怒りを込めた曙光の剣先をユスティーツへと突き付ける。
ナイロンジャンパーのファスナーを一気に引き下ろして脱ぎ、そいつをうずくまるゾフィーの頭から被せてやる。
今日まで、親以外の誰にも見せたことが無かったであろう――その小さな身体はスッポリと覆われ、悪党の目から隠される。
「ガキが……調子に乗るなよッ」
ユスティーツは両手の凶刃と、くぼんだ目の矛先を俺へと変えて低く唸った。
いや、口には出さないがコイツが本性を見せた以上は、より正しい名前で呼ぼう。
前世のパラレルワールドで世界中を憎悪と混迷の渦に叩き落した元凶――ヘルマン・シェーデルとな。
(シェーデル……こいつがドイツの覇権を握った時代は……悪夢だった!)
ナチスを復活させ、第三次世界大戦を引き起こした独裁者……五十億人を破滅に導いた悪魔の王め。
なるほど、コイツの正体が判明すれば全てが納得いく。
この悪魔が目指していたのは、東ドイツやソ連といった東側の勝利じゃない。バーダー・マインホフや赤い狼といった左翼テロリストも、手下として使っていた訳じゃない。
全ては、前世で宣言した『ファシズムによってこそ、ドイツが世界に冠たる』という悪夢を証明せんがため。
バーダー・マインホフに銀行強盗やら企業立てこもりの指令を出したのも、連中を自滅させるのが目的だったんだ。
こいつは……自分の歪んだ理想を実現させるためなら、何を犠牲にしたって構わない真の独裁者……何度生まれ変わったとしても、世界を生贄に捧げようとするだろう。
「貴様を、のさばらせてはおけねぇ……! 西側も東側も関係無く、この地球上で生きる全人類のために……貴様を倒す!」
ミズホを振り返り、曙光を差し出す。
俺の考えを察したミズホは、左手で露出した胸を押さえながら右手に持った暁光を出してきた。
「曙光!」
「暁光!」
二人の刀が一つに合わさる瞬間、パラレルワールドで手に入れた究極の力が解放される。
俺の手の中で輝く真剣――旭光の力が。
「日いづる国の天照らす聖剣!」
「フン! そんな見せかけだけの剣なぞ、このカマの切れ味に比べればァ!」
ヘルマン・シェーデルの化身が、再び両腕のカマを振りかざす。
見えない空気の刃の動きを予測して、俺は旭光の切っ先で真円を描いた。敵の攻撃は、その軌跡に阻まれて俺たちには届かない。
「貴様のカマなんざ、旭光の前では蟷螂の斧! 食らえ……」
両手で握りしめた旭光を高く掲げ、悪を打ち破る光と共に斬り付ける。
二度、三度、四度……何度でもだ!
「旭光・円月流星斬り!」
シェーデルのカマがバラバラに砕け散り、ヤツの全身も旭光によって縦横に斬り裂かれていく。
斬り裂いた断面から眩い光が放たれ、次第に敵の全身を包み込んでいく。
その光が全て空へと昇っていった後、元のエルンスト・ユスティーツの肉体が無傷で残される。
もっとも、精神だけはズタズタに斬り裂いてやったがな。
「ハイル……フォルクス……ゲマインシャフ、ト」
それは、ナチスの復活を夢見た男の断末魔。
最後まで歪んだ悪夢を口にしながら、ユスティーツは天を仰いで気絶した。
遠くからパトカーのサイレンが近づいてくる。
これで西ドイツを騒がせた一連の事件も、解決だな。