第五話 黒幕の正体を突き止める
バーダー・マインホフと赤い狼がベルリンで検挙されたとの報は、西ドイツ首都ボンにまで伝えられた。
連邦刑事局まで出張ってきて、連中の取り調べに当たっている。
その他にもう一人、わざわざケルンからやってきた少女が俺たちの前に顔を出した。
「アジトを突き止めてほしいと言ったのに、まさか全員捕まえてしまうとは……報告を受けて、私も驚きました。後は、連邦刑事局の仕事です」
相変わらず事務的に話を進めるゾフィー。暗に、日本人はこの件から手を引けと言ってきている。
命がけでテロリストの集団を捕まえたのは、俺たちなんだ。そちらの言い分ばかり、聞いてる訳にはいかねぇな。
「そうだな……約束通り、赤い狼のメンバーは日本で裁判に掛ける」
「……えっ?」
俺の言葉を聞き間違えたのかと、ゾフィーが目を丸くする。
俺の方は、言い間違えたつもりは無い。
目線で、ゾフィーに後ろを向くよう促す。ちょうど、ノゾミが歩いてきたところだった。
「外政審議室の吉良です。西ドイツ外務省を通じて、日本人テロリストの身柄は日本へ引き渡してもらえるよう調整済みですわ」
「そんな……」
絶句するゾフィーを挟んで、俺とノゾミはニヤリと笑い合った。
ベルリンに来る前、ノゾミに連絡しておいたのが功を奏したな。見込み通り、デキる女だ。
この交渉は日本の外務省を通していない、紛う方なき二元外交だ。だが、ノゾミとしても自分を追い出した外務省を見返す機会と思ったのか、快く引き受けてくれた。
「人に頼みごとをする時は、自分の得ばかり言っても聞いてはくれないぜ? 相手にも利益があることを説く術を学ぶんだな」
俺を振り返ったゾフィーの頬は固く引き締まり、奥歯を噛みしめているのが分かる。
悔しかったら、自分の何がマズかったのか考えることだ。それが、成長の第一歩だぜ。
十四歳という若さで国の機関に勤めている自分に驕ってちゃ、その立場に見合った能力は得られないと教えておこう。
* * *
警察署の一室で待たされていた俺たちに、取り調べの結果が伝えられた。
その間、押し黙っていたゾフィーが一番に食いついた。
「黒幕……? テロリストに指示を出していた人間がいたと? だ、誰なんですか、それは?」
「まさか、と耳を疑ったぜ。このベルリンに居を構える大富豪、エルンスト・ユスティーツの名前が出てきやがったんだからな」
配られた資料には、ユスティーツの経歴やら住所やらが記載されていた。
ベルリン南西部の高級住宅地にも別宅があるが、本宅は東ベルリンに近いティーアガルテンか。
資料にクリップ留めされた写真に写った顔は、非の打ち所がない紳士に見える。
それにしても、エルンスト(誠実)にユスティーツ(正義)とは、出来すぎててウサン臭い名前だな。
「エルンスト……ユスティーツ……」
資料を食い入るように見つめながら、ゾフィーがつぶやいた。
その声色からは、何かを考えていることが窺える。そう思った途端、立ち上がったゾフィーが風を切るような勢いで部屋を飛び出していった。
「わっ! 何々? どしたの?」
突然のゾフィーの行動に、ミズホが驚きの声を上げる。
俺も多少は驚いたものの、その行き先には心当たりがあった。
「やれやれ、ドイツまで来て子供のお守りをするハメになるとはな。行くぞ、ミズホ」
「えっ? わわわっ!」
イスに座ったままのミズホの手を引っ張って、ゾフィーの後を追う。
警察署を出ると、もうゾフィーの姿はどこにも無かったが行き先は分かっている。
タクシーを拾って告げた住所は、ティーアガルテン――ユスティーツの家がある場所だ。
* * *
「……読みが当たったな。見てみろ」
目的地の近くまで来ると、俺たちが乗ってきたのとは別のタクシーが停まっているのが見えた。
明らかに、ゾフィーが来ているという証拠だ。
集合住宅が立ち並ぶ中では珍しい、ガレージ付きの一軒家が目的のユスティーツ宅だ。
俺たちもタクシーを待たせて、その敷地内へと踏み入った。
「裁判所の令状は、持ってきたのか?」
玄関で佇む小さな背中に言ってやる。
ここまで来たのはいいものの、どうしたらいいのか分からず立ち尽くしていたんだろう。
振り返ったスカイブルーの瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた。
「何しに来たんですか? 今度はもう、日本人に手出しはさせませんよ。ドイツでは、憲法第十六条第二項によって国民の海外への引き渡しは……」
「待て……中から音がする」
人差し指を口の前で立てる世界共通のジェスチャーで制する。
静かになった玄関に、家の中から物音がするのが聴こえてきた。
「……さっき、令状とか言ったか? きっと今ごろ、連邦刑事局が請求してるよな」
多少の行き違いは、しかたない。そう言い聞かせて、実力行使へと移る。
今ここで行動に出なければ、ユスティーツを取り逃がすことになる。俺の直感だ。
「……向こう側からカギが差し込まれている」
カギ穴に指先を押し当てて探ると、外側から開かないように細工しているのが分かった。
だが、俺には通じない。
カギ穴に押し当てたままの指先をクルリと回せば、内側のカギも一緒に回った。
「開いた……行くぞ!」
家の中へと踏み込み、端から部屋を一つずつ確かめていく。
もう、どこにもユスティーツらしき男の姿は無い。
逃したか……そう思ったところで、部屋の隅に何やら白いシーツで覆われた物を見付けた。
「これは……!」
シーツをめくると、そこで目にした物に俺たちは息を飲んだ。
暗号解読のための乱数表と換字表、タイプライターに無線受信機、文書受け渡しに用いる筒(こいつは、地面に埋められるよう先がとがっている)、懐中電灯……。
「こいつは、スパイ七つ道具だ……。それに、見ろ。ユスティーツが、どこのエージェントなのかが分かるぜ」
七つ道具に刻まれたマークは、“ハンマー”と“コンパス”と“麦穂”。
これが意味するものは、ただ一つ。
「東ドイツ……」
俺たちより、よっぽど精通しているであろうゾフィーがつぶやく。
そう、ドイツ民主共和国――通称、東ドイツの国旗に描かれているマークと同じものだ。
「西ドイツの大富豪の正体が、東ドイツのスパイだったとはな。エルンスト・ユスティーツなんていう、ご大層な名前も偽名と考えていいだろう」
テロリストどものバックには、財界の大物。その更に後ろには、東ドイツ。そして東ドイツには、大国ソ連が付いている。
赤い狼を追ってきたつもりが、とんでもなくデカい敵を相手にすることになるとはな。
冷静に分析していると、近くで車のエンジン音がした。
玄関の方からじゃない。俺たちが乗ってきたタクシーでないとすると……。
「……まさか!」
そう叫びながらゾフィーが部屋を飛び出し、玄関まで駆けていく。
ほぼ同時に、俺は反対方向の中庭へと向かった。
「しまった……ヤツめ、抜け目が無いぜ」
中庭は、道路に面した塀の一部が開け放たれていた。そこから外へと伸びるタイヤの跡が残っている。
玄関脇にあったガレージは、偽装か……警察に踏み込まれた時に備えて、中庭に逃走用の車を用意してやがったんだ。
(だが、どこへ逃げる……? この用意周到さ……ヤツは、ただのエージェントじゃない。多くのエージェントに指令を出せる立場にある、マスター・スパイ……)
浮かび上がる、ユスティーツの真の素性。そして、逃走経路。
何故、ヤツがこのティーアガルテンを拠点に選んだのかも、全て。
「マズい……ヤツを追うぞ! ここで逃げられたら、探し出せなくなる!」