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本能寺の足軽  作者: 猫丸
第五章 飯田家
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97話 尾張国へ向けて

 朝食をとり終え、既に膳は片付けられとった。

 部屋には俺とお香と音羽と、伊賀の男の四人がおる。


「こちらどす」


 畳に座った音羽が藍色の布に包まれた何らかの物を俺に差し出してきた。

 立方体のそれの中身はおおよそ想像が付く。


「……はい」


 俺は軽くそう返事をするとそれを手にした。布の中は木の箱でも入っとるんやろう。

 恐らく話の流れで行くと秀吉様宛ての書状の入った箱やろう。


「羽柴公宛ての御手紙どす」

「あぁ……」


 それを受け取ると妙な重圧を感じだした。ほんまに俺は秀吉様の元へ行くんやな、と。


 またあの男に会うんか……

 飛んでもなく恐ろしいとは思わんかったが、あの人と話しとると緊張感と重圧感が凄まじかった。


「ほんで、二郎さんのお着物もお運びしてきますね?もう仕上げましてん」


 音羽が立ち上がって襖の元へ向かい、そのまま出ていった。

 伊賀の男は何も話さず正座したままじっとしとる。


 こいつと尾張まで一緒に行くんやろか。

 男は畳の上に太刀を置いて無言のままでおる。


「……あの、私は丹波の国亀山の葛原二郎と申します」


 沈黙に耐えられず俺は男に丁寧に声を掛けた。

 男は静かに俺を見る。


「私は武蔵の国より参りました香と申します。お香とお呼びください」


 隣のお香も男にそう言うと頭を下げとる。


「伊賀から来られたと音羽から聞いとりますが……」


 俺がそう言うと男は鋭い眼差しで俺を見詰めた。

 その端正な顔には全くと言っていい程に感情が無く、俺は少したじろいでしまった。


「……伊賀国、名張(なばり)より参りました百地(ももち)玄蔵と申します」


 しばしの間を空けてから玄蔵と言う男がそう告げて丁寧に頭を下げる。俺も一応頭を軽く下げた。


「つきましては葛原殿、御用意出来ました折りには直ぐにこちらを発ちましょう。近江から桑名に出、清須から羽柴秀吉様を御迎え致します。その道案内わたくしめにお任せくださりませ」

「はい……」


 桑名、清須と聞いた事もあらへん土地で、よう分からん俺は短く返事をするしかなかった。

 しかし、いずれにせよ遠出になるんやろうな。


「是非に我らの事、何卒宜しくお願い致します!」


 お香が玄蔵と言う男に力強くそう告げ坊主頭を下げとる。

 しかし彼女の首に巻かれた白い布は血に染まっとる。


「お香、ほんまに無理すんなや、お前の首の傷完全に癒えてへんやんけ」

「うるさいね!もう治ったよこんな傷!」


 そう言うとお香が乱暴に首に巻かれた布を外そうとした、が……

 首の布に固まった血が絡み付き、うまく布を取れないでいる。


「無理すんな、痛いやろ」


 俺はお香に寄り添った。


「痛ってえ!取って?!」

「無理すんな、ふふふふ」


 お香の首から垂れ下がる布が滑稽に見えて俺はつい笑ってしまった。


「二郎!!笑うんでねえ!!」


 お香がそう声をあげた時に襖の戸が開き音羽が姿を現した。手には丁寧に折りたたまれたぼうまるの服を手にして……

 しかし、お香の姿を見て唖然としとった。

 首の布を無理に外そうとして痛がるお香を見て。


「お香さん!何しよるん?!」


 音羽はぼうまるの服を畳に置くと素早くお香の元に近寄った。


「二郎が!私置いてくっつうから!」


 お香が声をあげる。


「まだ出血ありますよって、もうしばらく御休み頂いてください」

「嫌だ!おらも尾張行く!」


 その後もお香は嫌だ嫌だと駄々をこねていた。

 百地玄蔵と名乗る男は無表情のままにお香を見詰めていた。


 大丈夫かいな……俺は心配になり騒ぐお香をじっと見詰めていた……




 あの後、音羽が騒ぐお香を浴室に連れていった。俺はその間に修復されたぼうまるの服に着替えた。

 何か身が引き締まるように感じる。玄蔵は何も言わずただ座っとった。


 ぼうまるの服に着替えた俺は鞘の入った刀を手にし、玄蔵に一声掛けてから部屋の外へと出て行った……



 私用を終え、部屋に戻るもまだお香と音羽の姿は無く俺と玄蔵の二人きりで部屋にいたが全く会話をする事は無かった。

 しばらくして沈黙に包まれた部屋にお香と音羽が戻ってきた。

 お香の首には新しい白い布が巻かれとった。


「これで大丈夫どすよ?」


 音羽が俺にそう言う。どうやら俺に尾張までお香を連れて行けと言う意味合いを含めた言葉なんやろう。


「大丈夫なんか?」

「大丈夫だ!うだうだうるさいよ馬鹿!」


 お香に強くそう言われる。大丈夫だと主張したかったんやろう。実際はまだ大丈夫やないと自覚しとるくせに……


「音羽様、そろそろ出立した方が宜しいかと存じまする」


 玄蔵が座ったままにそう言い軽く頭を下げとる。


「そうやね……ほんなら二郎さんお香さん玄関の方で待っとって下さい、うちら御弁当ご用意しとりますねん、それ持ってきますさかい」

 そう言うと音羽がまた部屋から出ていった。


「お香、首の傷大丈夫なんか?長旅になるで?」

「うるさい!」


 頭に黒頭巾を巻きながらお香がそう言った。若干ご機嫌斜めのようや。

 俺は苦笑いをしてしまった。


「では」


 短くそう言うと玄蔵は先に廊下へ出ていった。

 俺らも襖戸から廊下に出て彼の後に続く。右手には飯田の槍を携え、左手には鞘の入った刀を手にして。

 すぐ後ろのお香は手に何も持たず付いてきていた。


 館の玄関には使用人達十人程が左右に立ち並んで見送りの準備をしとった。

 俺は玄関前に来るとお香に、


「お香、お前これ持ち?」


 と、徳二から奪った鞘の入った刀を差し出した。


「…………」


 お香はそれをじっと見とる。


「これ使うてくれ」

「……あれは?」


 お香が俺を見詰める。


 ……正宗の事やろう……


「あれはここに預ける。しばらくこの刀持っといてくれ」

「……ふざけんでねえよ二郎……」


 お香の声から不満を感じる。


「お前に正宗持たすんは危険や、俺すら斬ろうとしとったやないか」

「あん時はあん時だ!返せ!」

「お香……」

「返せ!!馬鹿!!」


 お香の瞳に強い怒気が宿り、且つ涙目になっとる。

 正宗はお香が浴室に行っとる時、俺が部屋から持ち去りここの使用人に預けていた。


 これ以上あの妖刀をお香に持たすのは危ない。それに彼女がまた半狂乱となり人を殺めてしまうと思ったからやった。

 これ以上お香に人を殺めてもらいたくなかったから……


 そやけどこっちが殺らな殺られる御時世やから、そんな甘えた事を言ってもおられん。

 しかし、剣術の達人のお香ならば徳二から奪った刀でも十分使いこなすやろう、そう思ったんやが……


「返せ!!馬鹿!!返せよ!!」


 お香が俺の胸ぐらに掴みかかってきた。


「おいおい……」

「返せ!!二郎!!うぅっ!!返せ!!どこやった!!おらの刀だ!!」 


 彼女は泣きじゃくりながら俺に掴みかかってくる。


「……お香、その刀でも大丈夫やろ?」

「うるせえ!!おらの刀返せ!!」


 お香が泣きじゃくりながら俺の胸ぐらを強く掴んでくる。

 玄蔵は冷ややかな眼差しで俺らを見とる。

 玄関に居る使用人達もじっと俺らを見詰めとった。


「お香さん?!お香さん?!どないしましたん?!」


 廊下の奥から音羽が駆け寄ってきた。

 後ろには使用人三人が綿の風呂敷を手にしとる。

 多分弁当が中に入っとるんやろう。


「二郎が正宗奪った!!」


 お香が泣きながらそう言うとる。


「ほんま?二郎さん」


 音羽が心配そうに俺を見詰める。


「あれ危ないもん……」

「危なくねえよ!!」


 お香が俺を強く見詰め声を上げた。


「危ないわ!!俺斬ろうとしとったやろアホが!!」

「うぅ……」


 と、お香が泣き崩れてしもうた。床に手を付いとる。

 お香のこんな姿、初めて見たから心に動揺が広がる。


 ……そこまでして正宗を持ちたいんか……


「二郎さん……」


 音羽が困惑しとる。玄蔵はずっと無表情で俺らを見とった。


「……分かった……その代わりあの刀は俺が持つ」


 しょうがない、お香があまりに泣いとって胸が痛くなってきた俺は仕方無しにそう言った。


「正宗公のお刀お持ちして?」


 音羽が使用人にそう言うと、玄関に立っていた使用人の中の男一人が廊下の奥へと走っていった。




 俺らは玄関先で無言のまま、正宗が運ばれてくるのを待っとった。

 床に座って泣いてたお香はすでに立ち上がっていたが、まだグスリグスリと小さくすすり泣いている。


 やがて男が鞘を手にして戻ってきた。

 俺が預けた正宗である。

 使用人の男はそれを俺に手渡してきた。お香がじっと正宗を見詰めとる。


「持っていくけどお祓いでもせん限りお前に持たさんぞ」


 俺はやや強めの口調でお香にそう告げた。

 お香は無言のままに正宗を見詰めとる。


 お香、ほんまにこの刀に魅入られとるやないか……


「葛原殿、貴殿はその槍お持ちしておられますし、わたくしがその刀携えましょう」


 唐突に玄蔵がそう言ってきた。飯田の槍を持つ俺に配慮して言ってくれているようや。

 そやけど大丈夫なんか?まだ信用もしてないこの男に人を狂わす力を持つこの妖刀を持たせて……


「そうしとくれやす、二郎さん」


 音羽が俺をじっと見詰めそう言ってくる。美しい少女がじっと……

 そんなに信用出来る奴なんか?感情もほぼ読めん冷血そうな奴と言う印象が強いんやが、


「……ほんなら預けるわ、ええな?お香」

「…………」


 お香は何も言わずにいる。真っ赤な目は正宗を見詰めとった。


「では頼みます」


 俺は正宗を玄蔵に手渡した。

 玄蔵は正宗を受け取ると左の腰の帯に携えた。

 元々刀を差していたので二本携える形になっとる。


「お香、これでええやろ?」


 俺は目を真っ赤にしたお香にそう言った。玄関に並んだ使用人達は俺らをじっと見詰めとる。


「……うるせえバカ……」


 お香は小さくそう呟き俺から顔を背けた。

 まだ怒っとる……


「では参りましょう、少々急がねばなりませぬ故に」


 そう言うと長身の玄蔵が玄関の外へと向かいだした。

 続いて俺、お香、音羽と玄関の外へと出ていく。

 まだ早朝、辰六ツ(8時)の空は快晴で六月二十五日(西暦7月14日)にしては外は涼しかった。


 そして、飯田邸の門の場にて、


「二郎さん、お香さん御無事でお戻り下さいね?」


 音羽が俺らを真剣に見詰めそう言った。彼女の後ろには玄関で見送りをしてくれた使用人達もいる。


「大丈夫や、そやけど色々と……騒動起こしてもうて、も、申し訳……なかった……」


 申し訳ないで済むのかと言う程の事をしでかしてしまったが為に言葉に詰まってしまう。


「うちのせいどす、うちらの方こそほんまに申し訳ございませんでした」


 そう言うと音羽が深々と頭を下げた。後ろの使用人達も深々と頭を下げとる。

 俺は槍を手にし、頭を下げる音羽をじっと見詰めた。

 音羽がゆっくりと頭をあげる。


「そやけど二郎さんお香さん、必ず無事にお戻りくださいね?」

「分かったよ、ごめんね?取り乱しちまってさ」


 ずっと黙っとったお香が口を開いた。


「かまいませんよ?飯田の家宝そないに想ってくらはって嬉しく思います」


 音羽がお香の手を掴み涙目になっとる。


「又戻ってくるからね?又お話しようね?」


 お香が音羽にそう言い音羽の手を強く握り返している。

 しばらく手を握りあった後に手を離すと音羽が俺を見詰めてきた。

 じっと見詰める瞳は既に涙ぐんどる。


「二郎さん……」


 そう言うと突然音羽が俺に抱き付いてきた。


「うち……ほんまに二郎さんの事好きなんやで?」


 そう言うと音羽が顔を上げて俺をじっと見詰めてきた。


「音羽……」

「……ずっとここにおったらええのに……」


 俺に抱き付いたままに彼女は小さくそう呟いた。

 俺は何も言わず彼女を抱き締めた。彼女も俺を抱き締めたままでいる。


 しばらくしたのち……


「音羽様、急ぎの事にござりますゆえ」


 玄蔵が俺に抱き付く音羽にそう言った。

 音羽はゆっくりと抱き付くのを止めたが、又俺の目をじっと見詰めてきた。


「必ず無事にお戻り下さいね?」

「分かっとるよ?この槍も返さなあかんしな」


 俺は手に持つ黒く重い槍を音羽に見せた。


「槍なんか構しまへんねん。二郎さんとお香さんのお命が無事やったら」


 そう言うと目を真っ赤にした音羽がニコリと微笑んだ。

 まだ十四歳やと言うのに気丈な態度で。


「ほんならそろそろ行くわ、秀吉様に会いに行くわ、また帰ってくるからな」


 俺は音羽にそう告げた。


「又戻るからね、ありがとうね」


 お香もそう告げる。

 門の下の音羽は微笑み頭を下げた。音羽が頭を下げるとすぐに後ろの使用人達も全員頭を下げとる。


 俺はその様子を見ながら飯田邸から離れていった。

 案内人の百地玄蔵と言う男は後ろを見る事無く先を歩いとる。

 俺もお香も後ろを振り返る事無く、玄蔵の後に続いていった。


「長旅になるで?」

「…………」

「お香?」

「……うるせえバーカ」


 まだ怒っとる。

 はぁ……と俺が溜め息を吐いた時……


「お二人に言っておく、二日で尾張へと参る。甲賀を通り桑名から清須へと向かう」


 前を歩く玄蔵が後ろを振り返りそう言ってきた。


「二日……」


 俺はそう呟いた。二日?二日で京から尾張行けるんか?


「過酷やろうが覚悟されよ」


 そう告げると玄蔵は前を向いた。


 過酷って唐突に言われても……


 とは言え尾張がどんだけ遠いんかよう分からん俺にとっては実感が湧かんかった。

 二日で尾張に行くと言う事がどれ程過酷な事か今の俺にはよう分からんかった。

 俺は左隣を歩くお香をちらりと見た。

 彼女は何も言わず依然不貞腐れて俺を見ようともせずに歩いとる。

 俺は、はぁ……と溜め息を吐くと右側の田園を見た。


 近江へ向かう畦道(あぜみち)の脇に広がる田んぼでは農夫達が腰を曲げ、丁寧に田んぼの手入れをしとった。


 俺もあんたらとおんなじ農家のもんやのに、今から死ぬかもしれん尾張への旅に行くんやで?


 俺は農夫達を見詰めそう思い、遥か尾張国へ向けて旅立っていった…………

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