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本能寺の足軽  作者: 猫丸
第五章 飯田家
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95話 猪鍋

 今は夕刻、お香と音羽と俺は夕食をとっていた。

 膳の上には大きな茶碗が乗っていて中にはタケノコや椎茸や山菜や栗が乗せられた炊き込みのかやくごはんが用意されとった。

 さらに部屋の中心に台が置かれてその上に鍋も用意されとる。

 音羽が鍋の蓋を開けるとグツグツと具が煮られる音がする。

 大根や山菜が煮られとるが魚では無い何か分からん具も煮られとる。


「うまそうやな、そやけど煮てるもんなんなん?」

「猪どす、しし鍋どす」

「あぁ……」


 猪か、篠山の方でよう食べられているのは知っとる。そやけど俺は獣の肉を食うた事あらへんから若干抵抗がある。


「猪?猪食べるの?」


 お香もそう言うとる。


「二郎さん丹波のお国のお方やろ?猪食べるん知っとるよね?」


 音羽が俺を見つめそう言う。


「知っとるけど俺は食うた事あらへんねん、うまいんかな」

「うち……たまによう頂いとりますんやけど」


 そう言うと音羽が口に手を当てる。


「ふふふふふ、よろしおす?ごっつおいしおすよ?」


 音羽は口に手を当てて笑いだしとる。


「そうなん?」


 俺はグツグツと煮だてられた鍋を見た。確かにうまそうや。

 香りも洒落にならん程良い。


「獣食うの?」


 お香はそう言いながらも煮立つ鍋を凝視しとる。


「ごっつおいしおすよ?お香さんも是非お召し上がり下さいまし」

「うん……」


 そう呟くお香はじっと鍋を見つめとる。

 食いたくてしょうがないんやろう。



 煮立つ鍋から音羽が茶碗に具をよそってくれている。

 どうぞと言われ俺の膳に置いてくれた。

 大根と山菜と、そして猪の肉の入った茶碗。

 俺はそれを手をし、真っ先に猪の肉を口に運んだ。

 生まれて初めての猪の肉を……


「……ふっ……」


 俺は吹き出した。


 ……うまい……めっちゃうまい……


 魚を越えた脂身とうまみが一気に口の中に広がる。

 魚程の甘味は無いが旨味と脂身が飛んでもなく強かった。


 獣を食うのに少し抵抗はあったが鍋で茹でられた猪の肉を食うと、とてつもなく美味かった。


「うまい……めっちゃうまいぞ、なんやこれ」


 抵抗はあったが、いざ食べてみると想像を絶する程のうまさやった。

 脂身たっぷりで身を口に含むと更に食欲を増幅させる。もっともっと食べたくなる衝動に駆られる。

 俺はしし鍋の肉をおたまですくうと器に入れて、それを夢中で口に運んだ。


「二郎?」


 お香が俺を見つめる。


「ええ?」

「私の分も残しといてね?」


 唐突にそう言われて吹き出した。


「とんでもねえ程うまいよこれ、後は私が食べるから残しといて」

「ふふ、分かった、ごっついうまいな」

「とんでもなくね」


 そう言いお香も猪の肉に食らいついとる。


 俺はかやくご飯にも口に運んだ。

 かやくご飯も猛烈にうまい。タケノコと栗がめっちゃうまい。

 こんなうまい飯、おかんには悪いが生まれて初めてかもしれんと言う程にうまかった。


 猪鍋(ししなべ)おそるべし、やった……




 今は浴室にいた。

 またお香と音羽と一緒におる。

 音羽は湯に浸した布でお香の体を拭いとった。

 お香は全裸で音羽は半透明の白装束を着ている。


「…………」


 勘弁してくれ……俺は彼女達から目を逸らしとったが……

 見たくて見たくてしょうがない。

 こんなもん健全な男なら見たくてしょうがないやろう。


「二郎、変な事考えんでないよ?」


 お香がからかってそう言うが……

 しし鍋食って英気養った後やから余計に興奮してしまう。


 俺……音羽に体拭いてもらう時、理性抑えられるやろうか。


 音羽に体を拭いてもらっとるお香は俺の横顔と股間を見詰め微笑んでいた……




「上手だねえ、速いよ」


 お香が音羽にそう言う。

 浴室から上がった後、夜も更けた頃に俺ら三人は部屋に居た。

 部屋では音羽が俺のぼうまるの服の袖の修復をしてくれている。

 切った袖を針と糸で裁縫しているが、その手付きは速かった。

 馴れているな、俺はそう感じた。これは一年二年で習得した技やない。

 ずっと昔からやり続けて会得した裁縫の技術やろう。


「うち、娘の頃からこないな事ずっとしとりましてん」


 音羽が裁縫をしながら微笑んでお香にそう言った。


「大したもんだね、私なんて縫うの少ししか出来ないもん」


 お香も微笑みそう言う。


「昔からやっとりますから身体に染み付いとりますねん」


 そう言うと音羽はふふふと笑いながらも裁縫を続けとる。

 その手先は器用で淡々と間違う事もなく素早く服を縫い続けとる。

 お香もその手先の動きに感心しとるが俺もじっとその手先を見て感心した。


「すまんな、わざわざこないな事させてもうて」

「よろしおすよ?二郎さんがお香さん助けよ思うて必死にならはって切ったお袖やもん、直させてください」

「…………」

「元はうちが悪いんやから」

「……すまん」


 俺がそう呟くとお香が俺の腕を掴んできた。そして何も言わずに俺の横顔をじっと見詰める。

 そして……


「音羽さん、私達は明日ここを発ちます」


 お香が音羽にそう告げる。

 音羽は裁縫する手を止めてお香を見詰めた。部屋の隅の燭台の蝋の火はゆらゆらと揺れている。


「与右衛門様はもうお墓におられますか?」


 お香が音羽をじっと見詰める。


「まだどす、あと幾日か経ってからどす」

「そうですか……発つ前にお祈りを、と思ったんだけど……」

「そないやったら又こちらへお戻りの時にお墓にお参りしてくださいませ」

「分かりました」


 お香も音羽も頭を下げあっとる。


「…………だけど、今宵の夕食、いつも大変美味しく感じたけんどとっても美味しかったよ?」


 お香が音羽にそう言う。


「はい……明日ここ去られると聞きましたんで特別に……」


 音羽がうつ向きそう呟く。


「急な事でね、二郎が急にそんな事言い出してさ」


 お香がうつ向く音羽にそう言った後に俺を見詰めた。


「ええ?いや……俺のせいなん?」

「おめえさんのせいだろバーカ」

「な、なんでやねん」

「なんでやねんでないよ、勝手な事色々としなさってさ」

「ええ?そうかな?」


 俺のせいなんやろか……


「うるさいよ馬鹿、いしのせいだ、反省しな?」


 なんでやねん……


「すいません二郎さん、全部うちのせいどす……」

「あぁ!いい!いい!音羽さんのせいでないよ?全部この馬鹿のせいにすれば良いからね?」


 お香が頭を下げる音羽にそう言うとる。

 なんで全部俺のせいやねん、まぁええけども…………


「そやけど、しし鍋めっちゃ美味しかったで?あんなにうまいんなら次から猪捕まえて食ったろうかなって思ったわ、はははは」


 俺がそう言い笑うも二人は笑わんでいる。

 笑わせようと思ったのに全くの無表情でいられた。


「二郎さん、お香さん、うちのせいでお命狙われる言う事になりましてほんまに申し訳ございません!」


 音羽が畳に手を付け頭を下げてそう言う。


「気にしなさんな、仕方のない事でしょ?」


 お香が音羽にそう告げ肩に手を添えとる。


「お香さんおおきに、二郎さん?」


 音羽が美しい二重瞼の瞳を俺に向けてきた。


「あぁ……」


 俺は少したじろぎながらも美少女の瞳を見詰め返した。


「あの槍お貸しいたします。そやけど必ず無事にお返しくださいませ、槍と、ほんで二郎さんの御体もお香さんの御体も必ず!」

「…………」

「必ず御無事であってくださいませ!二郎さんお香さん、ほんで槍全部無事やなかったら……うち怒りますからね」

「……ふっ、分かった、おおきにな音羽」


 俺は微笑み彼女にそう告げた。音羽は少し涙ぐんどる。


「……明日はいつ頃にここお発ちなられはるん?」


 音羽が涙目のままに俺を見詰めそう尋ねる。


「朝には出ようと、あんまりお世話になんのもあれやし」

「……お昼でもかましまへんのに……」

「朝出たら亀山にはその日の内に着けるからな、天気にもよるけど」

「……そうどすか……今日は夕暮れ綺麗な夕焼けどしたから明日のお天気大丈夫どすよ?」

「そうか」

「そやけど二郎さん、亀山お戻りなさられた後どうしますん?ずっと亀山におられますのん?」


 確かにそうやねん、明智光秀の残党の事が気になって亀山が無事か確認したかったんやけども……


 戻った後に俺はどうすれば良いんやろう……


「……ふるさとが心配になってな……無事かどうか確認したい、そやけどその後は……」

「秀吉様に会いに行かね?」


 お香が飛んでもない事を言い出す。


「……え?何言うとんの……」

「秀吉様に会いに行くんだ、まだ京におられるんだろ?」


 お香が真顔でそう言うとる。


「し、知らんけど……そんなもん……大変身分の高いお方やのに……」

「会ったんだろ?御褒美頂いたんだろ?」

「……まぁ……一応」

「報告したらいいんでねえの?まだ明智光秀の下僕達がいるってさ、成敗してくんなせえってさ」


 そんな事訴えてええんやろうか……


「飯田家の要請としてさ」


 そう言いお香が音羽を見詰めた。


「私らみたいな名もない者がさ、突然秀吉様ん所行っても意味無いだろうけど、飯田家からのちゃんとした正式な要請なら聞いてくれんでない?」

「…………」


 俺は無言でいた。

 お香はじっと音羽を見詰めとる。


「音羽さん、二郎助けてあげて?あんたが起こした問題って言うんならさ、羽柴秀吉様宛に手紙書いて二郎と私を秀吉様の元に遣わせてくんない?」

「お香……音羽にも事情あるし」

「分かりました」


 音羽がお香をじっと見詰めそう返事をする。


「飯田家の当主として使いの者を羽柴筑前守様の元へ遣わせ、明智光秀の残党の事お伝えいたします、その使いの者を……」


 音羽が俺をじっと見詰める。


「飯田の使いの者を葛原二郎殿とお香殿にお任せ致します」


 俺らが直接秀吉の元へ行けと言う事か……

 そやけど俺、亀山が気になってしゃあないねんなぁ……


「分かりました!ありがとうございます!」


 お香がそう答え音羽に頭を下げとる。


「ちょっ、ちょう待って、俺亀山に先戻りたいねん、心配で」

「先に亀山行けばいいべ?小栗栖から一日で着くんだろ?そんで次の日に京へ行くんだ、そんで秀吉様に御会いすんべ」


 お香はそう言うが……秀吉様が京におるんかどうか……


「京におるんか?」

「知らね、行かねえと分かんない」


 大丈夫なんかい……


「うち、書状書きますね?明智光秀の味方がまだ畿内うろついとるって書けばよろしいの?」

「……まだ確認は取れとらんけどな、山本作右衛門言う男がそない言うてたから」

「ほんならうち確認取らせます、作右衛門やら里の者から聞いてほんまかどうか確認取らせます」


 音羽が真剣な眼差しでそう言う。


「うん……」

「徹底してその報せがほんまかどうか調べ尽くして、ほんまやったら……」

「…………」

「羽柴筑前守様に御知らせの御手紙書きます。秀吉様がどちらにおられるのかも確認取らせます」


 飯田家当主の飯田音羽の瞳は鋭く真剣やった。


 この人が当主ならば、この家も安泰なんちゃうかと言う程に強く頼もしく感じた……

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