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本能寺の足軽  作者: 猫丸
第一章 本能寺
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9話 久

 クスックスッと泣き、手で顔を覆う女をチラリと見やり、はぁぁぁっ……と息を吐くと俺はそっと女に声を掛けた。


「お前を亀山に連れて帰るんはええんやけど、お前ん事全然知らんやん」


 俺がじっと女の横顔を見つめそう告げると、真っ赤な目を向けて女が俺の目を見詰めてきた。

 一瞬ビクッとなる眼差し。

 愛くるしい顔をしていながらも真っ赤に染まる(まなざし)は鋭い。

 一瞬次になんの言葉を発すれば良いのかもド忘れし、狼狽(うろた)えつつあったが何とか気を持たせ、次の言葉を女に伝えた。


「まだお互い名すらも知らんやろ?どこの何者なんかも、なーんも知らんと故郷付いてくるとか、そんなん言われても俺そんなんようせんわ!!」


 少し声を挙げてそう言い、ふと無意識に立ち上がってしまった。

 朝から昼へと向かう都の片隅の小川の前。

 人通りは極めて少ないとは言え幾ばくかの人々は通りすぎてゆく。

 何人かはチラチラと俺らを見てきていた。

 女は赤い眼で俺を見詰めていたが、やがてそっと視線を目の前の小川に向けた。

 フナの群れは緩やかな水流に逆らいながら、相も変わらず俺らの前で群れを保ち泳ぎ続けていた。


「あんたも名乗ってへんやん……偉そうに……」


 小川を見つめ女はそう呟くと両手で自分の膝を抱えた。


「俺は葛原二郎光丞(かつはらじろうこうすけ)、丹波の出や」


 俺は立ち上がったまま、まだ座る女を見てそう言った。

 真っ黒な艶のある良質な女の髪は柳の木の葉の隙間から覗かせる陽にちらちらと照らされ、それはそれは美しく見えた。

 少なくとも田舎者の俺からすれば、それは遥か遠くより参られた伝承の唐の天女のようにさえ見えた。


 ……さすがにそれは大袈裟かな。


「名前だけは侍みたいやん」


 俺の答えを聞くと、女はまだ俺を阿呆にするかのような態度を露骨に見せ、フフッと冷めた目線と表情を俺に真っ直ぐに向けてきた。


「普段は、二郎って呼ばれとんねん……」


 照れながらうつむいてそう答えると女は、


「じろう?ふーん、じろうやて、あはははは……」


 女は俺の名を呟くと同時に立ち上がり笑い出す。


「……なんや、普通やん……」


 俺は少しイラッとし、高笑いをする女にそう告げた。

 ふぅーーーーっ

 一瞬、女が深く一息を吐く音が俺の耳の奥に響き渡った。


「うちは(ひさ)、勝浦から来てん」


 女、久は俺にそう告げると先程の見下げた態度と笑みは消え失せ、俺と再び対等な目線へと戻った。


「那智の勝浦って知らん?周囲やと有名なんやけどな、(カツオ)とか(マグロ)とか(クジラ)がよう捕れんねん。

 うちは女やから漁には出た事あらへんけれどいっつもおとっちゃんの船出てくとことかな、帰ってくるとこ見とってんやんか。

 ほんでな船の網の中にごっついぎょうさんお魚掛かっとってな、ほんでな……」


 久が地元自慢を延々と喋り出す。

 間髪入れず話し続けるので俺はただひたすら相槌を打つだけであった。

 久は鯨を捕獲し港に戻ってきた時の事も詳細に話した。

 小さな(クジラ)(イルカ)は船三,四船程が隊列を保ち海を泳ぐ(クジラ)(イルカ)を浜辺に追い込みモリで突いて弱らせ一気に捕獲するんやと言う。

 大きな鯨は八船程が沖に出て(ほこ)で突いて弱らせ浜辺に追い込み又突き続けて捕獲すると言う。

 海が鯨の血で真っ赤になるんやそうや。

 けどそんなおっきな捕鯨は今までに二度しか見た事が無いんやと言う。


「ほんでなうちな……」


 当時の事を思い出し興奮し出したのか彼女はまだ話を続けようとした。


「ちょっ、ちょっと待って、小便してくるわ」


 俺は会話を止める為に嘘をつき、その場を離れ人通りの少ない場で柳の木に向かい立ち小便をするふりをした。


「はぁ……」


 よう喋るのう、あいつ。

 うちのおかんや近所の姉ちゃんみたいにベラベラとよう喋りよる。

 村の女もよう喋るけどあいつはうちのおかん程喋りやがる。

 小便をするふりをしていたが実際はチロチロと小便は出ていた。

 遠くの女をチラリと見ると座りながら小川と俺を交互に見ていた。


 小便し終え、小川の前に座る女、久の前に来ると久はじっと俺を見詰め立ち上がった。


「なに?」


 あまりにじっと見詰めるので妙に思い思わずそう尋ねた。


「……ほんまのお侍さん……みたいやね……」


 久が一歩引きそう言った。


「そやから、ちゃうって」


 ……うちの家系の事はあんまり知らん。

 親父もそこまで詳しくは話さんかった。

 ただガキの頃にひい祖父さんが俺にこう言った事はあった。


「うちはな、ほんまはへいけやねん。みやこおちしてここにおちよったんや」


 当時のガキの俺には何を言うてんのかさっぱりと意味も分からんかったが多分、都落ちした平家がどうのこうのと……

 詳細は全く分からんし今はただの農家やからどうでもええと思っていた。


 でも……武士か。


「ほんまに?」


 愛らしい顔をした久が一歩引いた感じでそう言う。


「ああほんまやで、お前と同じ農家や」


 俺がおどけてそう言うと久もまた一歩歩みより、こう言った。


「うちは農家ちゃうで、漁師の娘や」


 そう言うと久はニコニコと微笑んだ。

 俺も釣られて笑う。

 こいつなら大丈夫かな、なんとなく感じた。

 帰るか、亀山へ。

 久と共に。


 そやけど、このままでは終わらへん。

 必ず俺は再び足軽として呼ばれるのは分かっとる。


 必ず……

 明智光秀に呼ばれるのは……

 分かっとった。

 

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