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本能寺の足軽  作者: 猫丸
第一章 本能寺
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7話 龍涎香

「逃げたって?どっから?」


 俺がそう尋ねると女は、


「そんなんええやん!兄さんは何してんの?」


 さっきとはうって変わり無理に笑顔を浮かべ女は俺にそう聞いてきた。


「俺は……今朝、織田信長を殺した……」

「…………」


 女は黙り込んだ。

 俺も黙り込み白い石をポンポンと手のひらで上げては掴み上げては掴んでいた。


「しょうもない嘘やろ?」


 女が俺の顔を覗き込むように見つめそう問う。


「ほんまやで、俺ら今朝信長様の寺襲ってん」

「……あっ!!お侍さん?!!」


 女が今さら俺の衣装に気付き声をあげ一歩下がる。


「ちゃうよ……盗品や」




「それなんなん?」


 一通りの事情を説明した後、隣に座る女が白い石を見てそう言う。


「これは……本能寺で拾った妙な石」

「へぇ、見せてぇ?」


 一瞬どうしようか迷った。

 まだ名も知らん妙な女、信用していいのかよう分からんかったが……


 悪い女ではないと言う事だけは何となく分かっていたので俺は織田信長様の灰から出てきた白い石を女に渡した。


「……くっさ!!」


 女は石を匂うなり大声でそう叫んだ。


「くっさ!!何これ!いらんわ!」


 女は片手で鼻を押さえながら白い石を俺に返してきた。

 そこまで臭いやろか。

 そう思いながら白い石を受けとると俺は懐に石を隠した。


「なにそれぇ?めっちゃ臭いでぇ?」


 女が変な目で俺を見る。

 だからこれは……織田信長様の……

 そう説明しようかと思った時、女が口を開く。


「ほんで、今日はどうするん?泊まるとこないんやろ?兄さんここで寝るつもりなん?

 さむない?蛇とか蚊とか出んで?蚊とか大丈夫なん?嫌やろ?兄さん家遠くなんやろ?

 こんなとこ寝とったらあかんやん、うちも寒いんやけど、どうなん?寒ない?

 うちあったかいとこがいい、兄さんお金ないん?兄さんならええかな」


 女は間髪いれず喋り続けた。


 金のない俺と分かりながらも何故か延々と女が男の俺を口説こうとしていた……



 女に付いてゆくと河原のほとりの小ぶりな掘っ立て小屋にたどり着いた。

 中は薄暗いが藁が積み上げられていて(くわ)(かま)なども立て掛けられているのは確認出来た。

 おそらく物置小屋なんやろう。


「うちしばらくここで寝とってん」


 女が小屋の中を見渡した後、俺にそう言う。

 初めにこの女に声を掛けられた時、正直都の娼婦かと思ったが、どうやら違うようや。

 さっき言ってた逃げてきた、と言う話もおそらくほんまの事なんやろう。


「中入って、今はうちのお家やから」


 声を弾ませ俺の腕を引き小屋の中へといざなうと女はそっと、そしてガタガタと閉まりの悪い引き戸を閉めている。


「あの……」


 どうすりゃええんか、何をすればええんか分からず突っ立っていると……

 女は後ろから俺を抱き締めてきた。


「え……」


 どうしたん?と聞こうかとする前に彼女が先に口を開いた。


「さみしいねん、うち……」


 え?なんやこの展開は……


 キョトンとして呆然としていると女は背から抱き締めるのを止め俺の正面に回ってきた。

 小屋の中は真っ暗で女の顔などほぼ見えないが、声と匂いと雰囲気で若いと言う事だけは分かる。


「こわい」


 女はそう言うと再び俺に抱き付いてきて、そして口付けをしてきた。


「……俺もこわいねん……」


 我慢していた俺の感情の中の(つつみ)は崩れ去り、女に本心を白状したのちは……

 そのまま俺は女を求め、女も俺を求め、心の流れのままに抱き締め合い……


 そしてそのまま……





 翌日早朝……

 小さな掘っ立て小屋で一夜を明かした全裸の俺は目を覚まし天井を見詰めた。

 六月とは言えど早朝はまだ冷える。

 全裸の女は寝ているように見えていたが実は起きていて俺の腕をぎゅっと握りしめていた。


 昨日……強制的に京に連れて来られ、槍を持ち人を殺そうとしていた俺。

 敵方の武士の少年と対峙したが隙を見て逃亡し、そして大きな寺が更に大きな炎に包まれる光景を眺めつつも、武士の少年が気になり彼の元へ戻ると彼は息絶えていて……


 彼の衣類を剥ぎ取り、それをまとい都をぶらつき子供達から声を掛けられ満足はしたが、やがてやる事がなくなると祇園社へと参拝しに行った。


 そこでもののけなのか霊なのか分からない謎の声により本能寺へと来いと囁かれて、

 足早に本能寺へと向かい寺前で美少年の晒し首と接吻をしたのち、織田信長であろう人型の灰の中から白い妙な石を拾って……


 そしてとある女と共に河原の狭い物置小屋で夜を明かした。


 なんなんやこれは。


「うちな、紀州(和歌山)から来てん」


 狭い小屋の床、藁を敷いた上、俺の隣で俺の腕を掴み添い寝する全裸の女がそう言った。


「へぇ……えらい遠くから」


 紀州、紀伊の国はなんとなく知ってる。

 京からずっと南の方の暖かい土地で、(まぐろ)(かつお)、そして大きな(くじら)がよう獲れる所ってのは親父とか近所のおっさんがよう言うとった。


「ほんでな?さっきの白い石あるやん?あれな、うち昔匂った事あんねん」


 白い石?織田信長の灰であろう……あの灰の中から出てきた石か?


「これ?」


 俺は脱ぎ捨てた服の中から例の白い石を取りだした。

 石は小屋の天井の隙間から漏れる朝の日に照らされ少しだけ輝いている。


「その石な、匂った事あんねん、クジラの匂い」


 クジラ?なんでクジラ?どういう意味かよく分からない。


「匂わせて……くっさ!」


 女が石から顔をそむける。


「これは、織田信長様の……」

「分かった!うち分かった!!これなあれやあれ!」


 女がやや興奮ぎみに声を高めた。


龍涎香(りゅうぜんこう)や!!間違いない!」

「りゅうぜんこう?」

龍涎香(りゅうぜんこう)龍涎香(りゅうぜんこう)!クジラの中から取れる石やねん!滅多に取れんで?!なんであんたがこんなん持っとんの?!」


 女が興奮ぎみに身を起こしそう言う。

 俺はその白い石をじっと見つめた。

 キラキラと輝く白い石。


「ものごっつい高価なもんなんよ?なんでこんなん持っとるん?」


 女はキョトンとした表情を浮かべそのキラキラと輝く白い石を見詰めていた。

 朝陽に照らされたその白い石と女の顔。

 顔も確認出来ないままに一夜を共にした女。

 今ようやく確認出来た女の顔は……白い石よりも遥かに遥かに輝いて見えた……




「……これは……龍涎香(りゅうぜんこう)やなぁ」

「ほらな?」


 俺は女に言われ京の質屋で織田信長様の灰から出てきた白い石を鑑定してもらった。

 質屋の親父も女と同じくりゅうぜんこうとか言う聞いた事もない言葉を口にする。

 価格は三千文。

 大体……四、五年近くは飯に困らない程度の金額ではあったが俺は売らなかった。

 なんでなんか分からへんが売りたくなかった。


 この白い石が他人の手に渡るのがたまらんぐらい嫌に感じたから。

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